親友ポジションの幼馴染に好きな人が出来た
「拓海、勉強を教えてちょうだい!」
僕の部屋に飛び込んで来た幼馴染の渚が柄にもなく真面目な事を言い出した。
僕も親友の頼みを断る程薄情ではない。
「いいよ。でも、どうかしたの?」
中学三年、二人とも受験生だというのについぞ渚の勉強をしている所を見た事が無かった。
「東高校を受験しようと思って」
東高校。我が家から徒歩15分、1km圏内にある高校だ。あまりにも近すぎて自転車通学さえ許可が降りないという理不尽さを我慢すれば、家を出るのをギリギリまで粘れれる環境は素敵だ。
朝寝坊しても死ぬ気で走れば間に合う。
もちろん僕の志望校も東高校だ。進学校と言うほどでもないがサッカー部が常連的に全国大会に出場している為に県下の知名度は高く、進学希望者は結構多いのだ。
当然、競争倍率が高いので受けたら受かるというレベルではなく、そこそこの成績では学校側から受験を止められる。
そう考えると確かに渚の成績では少し厳しいかもしれない。
「そうなんだ。でも、進学希望じゃないから商業高校でもいいって言ってなかったっけ?」
こちらもまた我が家から徒歩15分で通える高校だ。
女生徒が6、7割を占める男からすればパラダイスの学校だが、進学というと選択肢が限られる為に進路決定を先延ばしにしたい僕たちの様な一般生徒からは敬遠されている高校だ。
競争率が低い為に、そこそこの成績なら受ければ受かる安全コースでもあった。
「ちょっとね、心境の変化というか、何というか――」
渚が言いにくそうに口籠った。
「別に言いたくないなら言わなくていいよ。でもモチベーションというか、やる気、本気度を知っておいた方がいいと思ったんだ」
勉強に煮詰まってやる気が出なくなった時にどんな風にハッパを掛ければ良いのか知っておく方がいい。大した理由がないならいずれ行き詰まって投げ出すのは仕方がない。本人のやる気次第とはいえ――
「好きな人が――」
渚の口から意外な単語が飛び出した『好きな人』
小学生時代、散々親友として言われてきたが、中学に進学して以来サッパリと言われなくなった『好き』という言葉。
『さすがは拓海、大好きだよ』
気軽に発言していた小学生時代。誰がどう見ても男にしか見えないガキ大将、渚のしでかした後始末をする度に言われてきた。
しかし、中学進学以降、渚も恥じらいを覚えて人前でも二人でいる時ですら言わなくなった。言われなくなったと気付いた時に少し寂しさを覚えたのを憶えている。
「――東高校を受験するの。出来たら一緒の高校に通いたいと思って。駄目かな?」
「志望動機としては十分だと思うよ。好きな人がいるのにはちょっと驚いたけど」
僕たちの年代なら進学先の志望動機なんてそんなものだ。まだ15歳、7年も先の未来を具体的に想像しろというのは少し無理がある。
「てっきり渚は色恋沙汰が苦手だと思い込んでいたんだけど、失敗したな。僕もアタック掛けてれば良かった。気まずくなりたくないから様子見してたのが敗因だね」
今更足掻いたところでどうしようもない。気持ちを切り替えて、素直に親友の恋を応援するとしよう。
この胸の痛みは今は耐えるしかない。
「な、な、な、何馬鹿な事言ってるのよ。冗談言ってる場合じゃないのよ」
「分かってるって。しっかり渚の恋を応援するし、僕の分かる範囲だけど勉強も教えるよ」
首まで真っ赤にして慌てふためく渚の珍しい姿を目にして、不思議な気持ちになった。
僕の初恋が実らなかった分、渚には頑張って欲しいと思う。
僕にとっての渚の位置付け、内緒の想い人のポジションも親友のポジションも変えるつもりはない。
受験が終われば渚の隣に立つ親友ポジションはどこかの格好の良い男に恋人ポジションとして取って変わられるのだろう。それでもいざ何かあった時に頼られる親友ポジションは死守したいと思う。
「そいつの東高校合格は間違いなさそうなの?」
「そうね。試験当日に風邪とか体調不良とかない限りは確実だと思う」
「それならあとは渚の成績を上げるだけと。得意科目は英語だったよね。それと国語」
「うん。典型的に数学とか理系科目が苦手なの」
「逆に考えると伸びしろあるから、点数稼ぐにはもってこいとも言える。じゃあ、取り敢えず一年の数学の復習から始めよう。どこで躓いているのか確認しなくちゃ」
本棚から一年の数学の教科書を取り出して渚に出題する。
「一次式の項のまとめ。文字が含まれる項と数字の項を区別してまとめるだけだよ。落ち着いて考えれば簡単に解けるから。まず慌てない事」
渚は素直に頷いて問題に向かう。
いくつかのケアレスミスは有るものの解法は間違えていない。後は計算力、解く事を繰り返すだけだ。
「じゃあ、次は一次式と数の乗法、除法を解いてみようか」
丁度一年前、進路の話題になった時に一緒に東高校に行かないか?と尋ねた時は
『勉強得意じゃないから行けるところに行くよ。少しくらい遠くても大丈夫。なんなら就職でもいいかな?』
と能天気な返事だった。
恋はここまで人を変えるのだと感心してしまう。
「そいつのどこがよかったんだろ?」
「えっ?」
問題を解いていた渚が驚いた様に顔を上げた。無意識に声に出していた様だ。
戸惑っている僕の顔を見た渚がニヤニヤしている。
「えっ?聞きたいの?どうしようかな?勉強教えてもらっているし、拓海に教えてあげてもいいよ」
目をキラキラと輝かせる渚。語りたいのか、勉強を中断したいのか――多分後者だろう。そろそろ休憩を入れるのもいいだろう。気分転換に渚を喋らせる事にした。
「じゃあ聞かせて貰おうかな」
「どこが良いか。まず頭が良くて、格好良くて、優しいの!今まであまり意識した事なかったんだけど、受験で離れ離れになるんだな、って何となく感傷的になってたらドキドキしてきて、本当に好きなんだなって実感したの」
「うーん、今年受験なら我が校の3年生だろう?誰だろう?」
そんなスーパー超人がフリーで彼女がいないとは考えにくい。すでに想い人がいるパターンだろうか?それなら渚の恋は実らないかもしれない――
「何着てても『似合うよ』って言ってくれるんだよ。いつもその言葉に自信を貰ってるの」
「それは全くヒントにならないよ」
渚は何着ても似合う。ボーイッシュからフリフリのロリータファッションまで華麗に着こなすのは見事としか言えない。
逆に似合わないと言うやつの顔を見てみたい。
「猫が苦手で仔猫を前にしても固まって動かなくなるんだよ」
ふふふ、と渚が思い出し笑いを始めた。
猫嫌い。僕は親近感を覚えた。
いい奴かもしれない。いや、きっといい奴だ。間違いない。
「バレンタインに『本命チョコが欲しい!』って言ってくるから『ギリギリチョコだよ』って答えた後に見せる落胆した顔が可愛いんだよ」
なるほど、僕以外にも言ってるとは思わなかった。少し自惚れていた様だ。
親友ポジションは自称や自惚れじゃないよね?
ちょっと心配になって来た。まさかピエロだったとは思いたくない。
「夏祭りの時ははぐれて迷子になるといけないからって握った手を離さないから、帰る時にはびっしょり汗で濡れてたのよ、笑っちゃうくらい大量の汗だったわ」
夏祭り、確かにあの時は自分でも驚くほど汗が出ていた。何せ人混みが多かったので、はぐれない様に必死だった。
はぐれたら貴重な渚の浴衣姿を堪能出来なくなると必死だったのだ。
ああ、失敗した。一枚でも写真を撮っておくべきだった。彼氏が出来るとなるともう二度と見れないかもしれないんだな。
正確には彼氏優先で見せてもらえなくなる可能性が高い――
あれ?
「側にいると言葉では言い表せないんだけどとてもいい匂いがするの。ずっと嗅いでいたいくらい。今もそうだし」
うん?話の流れが変だ?
「何の話してたっけ?」
「拓海の話」
「えっ!?そうだっけ?」
「うん。そうだよ」
「そうなんだ――え、ええ!!」
戸惑う僕の驚きを気にせずに渚はマイペースに話を続けた。
「だからね。ちょっとだけ、いいでしょう?」
「何の話かな?」
ジリジリとにじり寄る渚に圧倒されて壁際まで押しやられた。
「決まってるじゃない!」
そのまま僕に覆い被さって来た渚が僕の胸に顔を埋めた。
クンクン、すーはーすーはー、グリグリ。クンクン、すーはーすーはー、グリグリ。
顔を左右に振って押し付けながら僕の匂いを嗅いでいる。
両手を広げたままで唖然とする僕。この手はどうすれば良いのだろう?
押しのける?抱きしめる?
しばらくの間、両手をニギニギと動かして、それを見つめていた。そうでもしないと間が持たなかった。
「ふう、堪能した。ありがとう、拓海!」
3分ほどして満足した渚が離れてくれた。僕は突然の展開と意味が分からなくて呆然としていた。
「どういたしまして。じゃなくて、どういう事かな?」
「拓海の匂いを嗅いで堪能したんだよ。嫌だった?」
「別に嫌じゃないけど――」
「気分転換も終わったし、次の問題よろしくね!」
「あ、ああ、じゃあ次は平面図形。これはまず解いてみて。間違えたところから解説するね」
「はーい!」
動揺を押し殺して渚に次の問題を出題して解かせる。
渚が匂いフェチだとは気付かなかった。
というか、匂うの?臭い?
右手、左手と嗅いでみるけれど自分では分からない。
渚が僕を好き?いや、僕の匂いが好き?喜んで良い所なのかな?
「好きなだけ嗅がせてあげるから、受験終わったら付き合ってくれないかな?そんなうまい話はないか――」
集中して問題を解いている渚を見ているとため息が出た。
僕は混乱する頭で話を最初から整理してみる。
好きな奴がいるから東高校を受験したい。その為に勉強を教えて欲しい。そして、その好きな相手が僕?さらにいい匂いがする?
話半分に受け取っても揶揄われているとしか思えなかった。
普段の渚からそんな視線を向けられる事も気のある素振りもされた記憶がない。
「ふう、解けたよ!」
「時間が掛かっている点を除けば特に問題なさそうだ。後は繰り返して早く解ける様にするだけだね」
渚の解答に間違いは無かった。地頭はいいのに苦手意識で問題を解く回数が少なかった為に、解くのに手間取って時間が掛かっているだけの様だ。やる気を出して問題を解く事を繰り返せば解消するだろう。
「この調子なら成績上がりそう?」
「ああ、間違いなく上がると思うよ。途中で油断しなかったらね」
「油断なんてしないよ。やる気補給はきちんとするから。じゃあ、拓海よろしく」
渚が再び僕の胸に顔を埋めて匂いを嗅ぎ出した。
クンクン、すーはーすーはー、グリグリ。クンクン、すーはーすーはー、グリグリ。
「これから休憩の度にこれする事になるのかな?」
「だって応援してくれるんでしょう?」
胸から顔を上げた渚がおねだりする様な表情で僕を見つめてくる。
僕は顔の近さが気になって仕方がない。普段以上の近距離だ。さらに普段とは違った女の子の顔で見つめてくるのは卑怯だった。
僕に頷く以外の返事が出来るわけがない。
「当然だろ。一緒の高校に通えるのは僕も嬉しいし」
「それにはまずは合格しないとね!そしたらきちんと告白するの!」
「告白?」
「そうよ。向こうからは告白してくれそうにないから――」
渚がじっと僕を見つめたまま動かない。
何かを言わないといけない。それは分かっていた。しかし、何を言うのが最適なのかが分からなかった。
勉強みたいに答えが決まっていない難しい問題。それでも今でなければいけない。
今が一番のチャンスなのは――
「――それとも拓海から言ってくれる?」
「ああ、もちろん僕から告白させて貰うよ。渚が合格したら『付き合ってください』って言うんだ――」
女の子の方からここまで言わせて何も言えないなんて情け無い。
正解が何であろうと関係ない。ただ自分の気持ちを素直に伝えるだけだ。
「他の誰にも渡したくないから僕と付き合ってくださいって言うんだ。あまり無防備に抱きついて来ると我慢出来なくて僕からも抱きしめるよって言うんだ。いや、嫌だって言ったって抱きしめる」
渚の背中に回した手をゆっくりと密着させた。ほんのりと体温が伝わって来る。
「嫌じゃないよ。拓海の手、暖かい」
胸に顔を戻した渚の表情は分からないけれど嫌そうな感じは受けなかった。
「じゃあ、勉強頑張らないとね!しっかりと教えてね、拓海!」
二人仲良く手を繋いで登校する様になるまで後半年。