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5輪目 事の詳細

今回、少々痛いエピソード(怪我をする)がございます。苦手な方はとばしてお読みください。

 魔窟の調査に向かった部隊は3班に分かれ、そのうち1班が現地を直接調査した。孝太郎と白石はその直接調査に向かった5名の中に入っていたらしい。


 魔窟と疑われる場所には大きな穴があり、斜めに地中深くへと向かっていた。孝太郎たちは穴に潜り調査していたが、特に何も起こらない。ただ陰の気がよどんでいる気配は確かにあるので、それを応急処置的に浄化していった。

 浄化自体は陰の気を陽の気で押し包む札を貼っていくもので、師団の者ならだれでもできる作業だ。そうして5人で調査と浄化を行っていき、穴の奥まで1時間ほどで到達した。そして奥で淀んでいる気配を浄化し、あとは魔窟が開かないように監視をしていく、それで終わるはずだった。


 問題はそこで起こった。

 この最奥では既にあやかしが発生していたのだ。大きく力の強いあやかしが5人を襲った。

 応援を呼んだが、穴の外で待機している他の班が最奥にたどり着くにはやはり時間がかかる。5人は応戦したが、師団1、2を争う実力者の孝太郎と白石をもってしても苦戦を強いられ、なかなか退治することができない。

 だが最終的に何とかあやかしを追い詰め、孝太郎が体当たりする形で構えた刀をひと突きし――だが、その先がいけなかった。


 体当たりであやかしを洞窟の壁に叩きつけたのだが、その壁が突然消えたのだ。消えたというより、あやかしごと孝太郎が壁をすり抜けてしまったようにも見えた。

 あやかしと孝太郎はもつれるように壁の向こうへ転がり落ちていったが、穴の向こうには何もなかった。文字通り「無」だったのだ。闇しか見えない異空間がそこにあった。

 追いかけて助けようと穴に駆け寄った白石は他の隊員に止められた。直後に駆け付けた増援部隊と共に調査したが、やはりその先は違う世界につながってしまっているようで、誰にもどうしようもなかった。


 そしてそのまま孝太郎の姿は消えてしまった。



 帰宅した文明から孝太郎が行方不明になった、と聞かされた。同行していた班の4名は生きて帰ってくることができたが、皆満身創痍で、殊に白石は重症だという。


「白石君は孝太郎を助けようと穴の中に手を伸ばしたらしい。だがその時に腕を――負傷して」


 文明は詳しくは語らなかった。だが言いよどんだということは自分たちには聞かせられないほどの重症なのだろうということはよくわかった。


「問題の穴は、その縁を境にこちらの世界とどこかの世界をつなげているようだ。こう、石に縄をむすびつけて穴の向こうに投げてみたが、穴の縁から先は縄がふっつりと消えてしまうんだそうだ。ちゃんと石がつなげてある重さは感じたというが、途中で引っ張り上げようとすると、穴の縁から手前に見えている縄のみが手元に戻り、穴の向こうにつながっている石と縄は戻って来なかった。どこかの世界へ行ってしまったということだ。つまり――」

「孝太郎を探し出す術はない、ということでございますね」


 松子のその言葉に芙美子は現実を突きつけられた気がしたのだ。

 対妖師団にいる限り、いつ何時このような事態に陥るかわからない。それは覚悟していたつもりだったが、やはりいざ現実にそれを突きつけられてしまうとその衝撃は芙美子にはあまりに大きかった。


「――あの野郎っ」


 ぎり、と文明が歯を噛み締めた音がして芙美子は驚いた。こんな風に父が荒い言葉を使うのを初めて聞いた。


「父さん?」

「本来、斥候にはそれ専門の班を使う。それを色々と理由をつけて孝太郎の班に行かせ、さらには班の中で最も斥候向きの能力持ちを外して行かせている」

「そんな!」

「黒川軍曹はあやかしが発する気配を探すことができる。その黒川を外したことで、孝太郎達はあやかしに不意を突かれたようだ。強大なあやかしがいるとわかっていれば、接敵する前に一旦引いて増援を連れてくるのが常道というものだ」

「どうしてそんなことになってしまったんですか」

「支倉中佐だ。1度自分が却下した魔窟の案件が上役から再度回ってきたから矜持を傷つけられたのだろう。元々魔窟の情報を掴んで来た白石君と、私という伝手を持つ孝太郎の二人。二人が手を回したと簡単に想像がつく。ちょっとした嫌がらせのつもりだったのだろうが、予想以上の被害が出てしまったというところか」


 支倉は元々華族の出身だ。家格としては高くないものの、血筋に誇りを持っている。だからこそ平民の孝太郎が人望厚いことに苛立っていたのだろう。

 文明の言葉の端々に怒りが滲んでいる。いつも厳かで落ち着いた父にしては珍しく感情を隠せないでいる。松子も芙美子も目を見開くばかりで言葉も出ない。


「ひどい……」

「支倉には必ず責任を取らせる」


 重々しく、だがはっきりと文明が言った。

 芙美子の心中は大嵐だ。白石は怪我をして孝太郎は行方不明、そしてその原因を作ったのがどうやら孝太郎の上司らしい。それもその程度の理由で。手に余る激情に身の置き所がない。芙美子はただ涙をこらえるしかなかった。




 その後のことはよく覚えていない。気がついた時には芙美子は自室の布団に寝かされていた。天井の梁をぼんやり眺めながら、どこまでが現実でどこからが夢だったのかと考えた。

 けれど夢なんてこれっぽっちも混じっていないことを芙美子はよくわかっている。

 あたりを見回すと、見慣れた部屋の障子やふすま、文机や整理箪笥がいつも通りそこにある。障子を透かした向こうは明るくて、光の色から早朝のように見える。

 芙美子は重たい頭をゆっくりと起こし、布団を出た。障子の外には廊下があり、廊下のガラス戸の向こうは中庭。芙美子の菊の鉢がよく見える。つっかけを履いて庭に降り、菊の蕾を眺めた。もう朝露は乾いてしまっているので、少々寝坊したようだとわかる。あの日はあんなに早起きして、朝露を――

 ふ、とあの朝の孝太郎の微笑みが菊の傍らに見えた。


「兄――……」


 思わず伸ばした手が空を切る。もちろんそこに孝太郎がいるはずもなく、伸ばした手の先には菊の蕾が静かに開く時を待っているだけだ。どこかで鳴く鳥の声だけが恐る恐る耳に届く。

 芙美子は振り返って家に戻ると、その足で家の奥の一室へ向かった。そっと障子を開けるが、当然そこに部屋の主の姿はない。

 文机がひとつ、本棚と整理箪笥が1棹ずつ。畳はきちんと掃除されていて塵ひとつない。几帳面な孝太郎らしい、こざっぱりとした飾り気のない部屋。

 そして壁に掛けられている着物。孝太郎が気に入ってよく着ている花色の着物だ。芙美子はそっと着物に近寄り、その襟先をそっと手に取った。


「兄さん」


 今にもこの花色の袖から伸びる大きな手が芙美子の頭をそっとなでてくれそうな気がする。けれどそんなことはなく、そこにあるのはやはりただの着物で。


「――っ、うう……っ」


 見慣れた花色の着物に、部屋に染みついた匂いに。そこかしこに感じる孝太郎の気配にたまらず一筋涙が芙美子の頬を伝った。

 こんなにも自分の心の中を孝太郎が占めていたとは。胸の奥に大きな穴が空いてしまったように空虚だ。

 きつく瞑った目の裏に次々と孝太郎との思い出が浮かぶ。そのどれもが芙美子を穏やかに慈しむ孝太郎の笑顔だ。

 この気持ちを伝えればよかっただろうか。けれど芙美子は仲の良い兄妹という関係が心地よくて伝える気はなかった。

 いや、そんなのは詭弁で、伝える勇気がなかっただけだ。伝えたその後に拒絶されたら怖いから、ただそれだけだ。


「兄さん――孝太郎さん」


 あとはただ声を殺してすすり泣く声が着物にくぐもって吸い込まれていくだけだった。




 その後、例の魔窟は浄化ができたということでひとまず安全だろうという判断になった。

 ただ孝太郎が落ちた穴の件もあり、また通常からこういった魔窟化しかけた場所は年単位で様子見のため封鎖されることになっているので、立ち入り禁止となった。

 定期的に調査が入るようにはなったが、今やそこはただの洞窟と化している。


 芙美子も孝太郎の無事を祈りつつ少しずつ日常へと戻っていた。

 家事を切り盛りし、絵を描き、時折遠くを眺める。

 夜は時折悪い夢にうなされ目を覚ます。けれど現実はただただ静かに穏やかに進んでいくのだった。

 


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