4輪目 悪い知らせ
孝太郎たちの部隊は集合前に荷物の点検を各自行っている。
少し多めの携帯食糧、緊急時の備えに武器の点検。ひとつ取りこぼしただけでそれこそ命にかかわるので点検は大切だ。
孝太郎もひとつひとつ丁寧に確認して、最後に「よし」と背嚢|〈リュック〉をひとつ叩いた。何となく習慣になってしまっている。
「一色大尉」
点検終わりを見計らったように声がかかる。白石だ。
「何だか今日は確認作業が慎重ですねえ。どうかしましたか」
「そうか? いつも通りだと思うが」
「大尉が背嚢を最後に叩くやつをやる時は結構危険な任務の時が多いので。今回は魔窟探索とはいえまだ本当に魔窟が出来ているかどうかもはっきりしていないわけですから、つい少し気楽になってしまっているのを自覚させられました。その慎重さを見習わなきゃと思って」
「気がつかなかったな、それは――ああ、無意識のうちに緊張していたのかもしれない」
言いながらそっと胸ポケットに触れる。そこには朝芙美子から受け取ったお守りが入っている。
「実は今回の探索任務に出るのを、妹がやけに不安がっていたんだ。そのせいで無意識に緊張があったのかもしれない」
「芙美子さんが?」
「ああ。どうしたんだろうな」
ふぅん、と白石は首をかしげて孝太郎を見た。芙美子のことを考えているのか、どこか穏やかな瞳で軍服の胸ポケットに手を当てている。
「――ああ、なるほど」
「何がだ? 白石」
「いえいえ、ちょっとばっかり甘酸っぱいのに気がつきましてね」
「にやついて気味が悪いな。はっきりと言え」
「そこまで野暮天じゃありませんよ。まあ、その懐に何かを後生大事にしまっているんだろうなと予想がついたところです」
普段からあまり表情豊かではない孝太郎の耳が赤くなるのを白石は確かに見た。
「はぁ、妹さんを紹介していただこうかと思っていましたがやめておきます」
「――ほう? 紹介? 芙美子をか」
「あっ、だからやめときますって。まだまだ自分の身が大事ですんでね。ほらもう集合の時間ですよ!」
白石は自分の荷物を引っ掴み、さっさと集合の列に並んでしまった。孝太郎は白石の背中を見ながらまだまだ耳が熱いままだった。
「――俺も修行が足らん。表情に出すなど」
守り袋を渡してくれた時の芙美子が脳裏に浮かぶ。あんなに心配そうな顔で見上げられてしまってはお手上げだ。今回はそれこそ擦り傷ひとつ作ることなく帰らねば。そうそう、芙美子への土産は何にしよう。飴玉は冗談にしても、似合う髪飾りなんかはどうだろう。それとも現地の風景を描いた絵やハガキの方が喜ぶだろうか。いや、だが贈った髪飾りをつけてくれたらどれだけ嬉しいか――
懐に入っている芙美子の心づくしに服の布地越しにもう一度触れて、孝太郎は集合の列へと向かった。
ダンダンダン! ダンダンダン!
まだ夜も明け始めたばかりの早朝、一色家の玄関が激しく叩かれた。嫌な夢にうなされていた芙美子は勢いよく夢から引き戻されてくらくらする。
その間も扉を叩く音が続いている。こんな夜明けに、いい知らせが来るわけがない。ひどく恐ろしく感じられて芙美子はキュッと寝間着の襟元を絞った。何しろ昨日から孝太郎は調査に出ていて不在、今この家にいるのは松子と芙美子の女性二人、そして父の文明だ。文明がいるのでそれほど恐ろしくはないが、軍人である孝太郎が不在であることは不安の種ではある。
やがて文明が応対する声が響いてきた。
「何だ、こんな夜明けから」
「失礼いたしました! 至急の伝達であります! 一色大佐、こちらをご覧の上、至急出仕をとの伝令でございます」
「――! 相わかった。すぐに支度をする」
こんな夜明けに父が呼び出される用件。芙美子は肩掛けを羽織って玄関へと急ぐ。
玄関にいたのは紺の制服の士官、緊急の連絡を届ける連絡員だろう。文明は書付を眺め「むう」と唸り、士官にすぐ出仕すると伝言を持たせて返した。それからすぐに自室に戻るとあっという間に着替えて靴を履いた。
「あなた、何か大変なことが起こったのですね。どうぞ家のことは心配なさらないで」
「すまんな松子、芙美子。行ってくる」
外には既に軍の車が待っていて、文明が乗り込むとすぐに走り出した。
芙美子はそれを見送りながら、先日から胸を占める不安がどんどん迫って来ているような感覚に陥っていた。
何があったのだろう、もしや孝太郎の身に何か――不安が恐怖へと変わっていく。
想像したくない、想像できない。出かけていく直前の、優しい笑顔、頭を撫でてくれた大きな手。伝わる体温、穏やかで低い声――
「まさか、兄さんに何か」
「大丈夫、大丈夫よ芙美子。きっと大したことなかった、って笑って帰ってくるわ」
松子がぎゅっと芙美子を抱きしめた。
「お母さん?」
「そんなに白い顔して。心配しなくてもきっと大丈夫」
「え……」
そんなに酷い顔をしているのだろうか、と思うが、無意識に松子の腕に縋りついているのに気がついた。そうしないと立っていられないほど動揺しているのだ。ふと目を落とすと松子の袖を掴む自分の手が白く骨が浮き出して見える。それほど強く掴んでいるということだ。
それと同時に自分を抱きしめている松子の手が小刻みに震えていることにも気がついた。
「お母さん」
「大丈夫よ、大丈夫――」
芙美子を力づけるのと同時に自分自身にも言い聞かせているようだと悟り、芙美子は小さく頷いた。
「ええ、大丈夫。きっと大丈夫です」
車が走り去った後を二人の瞳が不安げに追いかけている。
まだ夜の闇は深く、開ける気配すらない。
そうしてその日のうちに芙美子のもとへと最悪の連絡がもたらされたのだった。
孝太郎が行方不明になった、と。