第32話 勇者さん あんた性格悪すぎです!
それから一時間後、俺ら一行はあの懐かしくも恥ずかしいサキュバスの洞窟の前にいた。
勇者さん、下馬するなり背中の長剣を引き抜いた。
「まあ、サキュバスなら問題なかろう。今のうちに片付けておくか」
えっ、勇者さん、まさかサキュバス退治に乗り出すとか。
以前、俺はパトラを伴って、サキュバス退治に向かったが、さすがに童貞コンビには強敵で、命辛々逃げ出すのがやっとだったんだけど。
勇者さん、大丈夫なんだろうか?
「あの、余計なお世話かもしれませんけど、サキュバスの幻覚攻撃ってけっこう強烈ですよ。俺も精気を吸い取られて、死にかけたことありますから」
「うん? 君もサキュバス退治を?」
「ええ、まあ、若気の至りというか、賢者資格取ったもんですから、ひとつ、自分の賢者資質をサキュバス相手に試してみようかと」
「それで結果は?」
「いえ、全然歯が立ちませんでした。呆気なく轟沈です」
「……召喚術は?」
「えっ、召喚術?」
「S級召喚士なら、いくらでも手はあるだろ?」
勇者さんが人を小バカにしたような笑みを浮かべた。
なんだ、俺の嘘バレてたのね。
勇者さんが右手を宙にかざして、--香炉を!
そう呟くと、かざした右手の先に金色に輝く香炉が現れた。
俺、思わず尋ねちゃった。
「それ、どこから持ってきたんです?」
「女神が転送してくれたのさ」
「ええっ、女神様が!」
「女神資格の特権でね。必要な所持品は行く先々に転送してもらえるのさ」
「……便利な機能ですね」
「おかげでS級勇者は剣一本で旅ができる。まあ、S級勇者はわたしを含めて三人しか存在しないのだが」
勇者さん、俺に香炉を押し付けると、
「それを持って、わたしの後についてくるんだ。あまり近づくな。わたしの剣尖が届かない距離を保て」
「えっ、俺も行くんですか?」
「当たり前だ。君はこの洞窟の様子を知っているのだろ? 案内人としての勤めを果たしてもらおうか」
なんか割に合わない仕事引き受けたような気がする。
仕方ないので、勇者さんの後をトボトボと付いていったんだけど。
闇が濃くなるにつれて、香炉の火が明々と燃え始めた。
なんかお香らしきいい匂いが辺りに漂い始めた。
と突然、先を行く勇者さんの剣が闇の中で煌めいた。
何かが音を立てて地面に落ちた。
それを香炉の明かりで照らしてみる。
全長五十センチくらいの生物が血塗れで転がっている。
背中にコウモリの翼を生やした、全裸の女性の人形のようなその姿。
サキュバスだ!
勇者さんが剣を振るうたびにサキュバスが一体、また一体と地面に屍を晒してゆく。
彼女たちの幻覚攻撃に臆することなく、どんどん奥の方へ進んでゆく。
見た目、俺と大して違わない年頃の青年なんだけど、その強靭な精神力には脱帽したね。
俺の方はというと、香炉の煙のせいか、サキュバスのやつら一体も近寄って来なかった。
やがて俺らは洞窟の最奥へ辿り着いた。
「よし、そこへ置いてくれ」
俺が香炉を地面に置くと、勇者さん、懐から取り出した革の袋から緑色の香を摘まんで香炉に焼べた。
「フフッ、これであいつらを一網打尽にしてくれる」
「それって、もしかしてバルサンみたいなものですか?」
「バルサン? ああ、あのノミやダニを退治するやつか。まあ、似たようなものだ。あんな害獣、ノミやダニと同じで生かしておく価値はない」
俺はちょっと慌てたよ。
「そりゃ、間引きは必要でしょうが、なにも全滅させることは。それに人間に危害を加えない限り、役所の許可なしには処分できないはず」
「人間に危害を加えているだろ?」
「……」
「君は言ったじゃないか。精気を吸い取られて危うく殺されかけたと」
「あれは……、俺が彼女たちの領域を侵したからで。むしろ悪いのは俺の方……」
勇者さんが俺の言葉を遮った。
「協力したまえ。役所で先ほどの証言をしてくれたら金をやるぞ」
「えっ、でも」
「魔生物による犯罪の因子を今のうちに取り除くのだ。社会正義に貢献することにもなる」
「……」
「どうだ、やってくれるか?」
「……お断りします!」
「なに!」
勇者さんの顔が微かに歪んだ。
自分の意見が拒絶されることに慣れていない?
自分こそ正義の代弁者? ご冗談を。
「たとえ獣でも無用に殺害することには賛成できません。それに彼女たちにも」
俺は地面に転がったサキュバスの屍に目を移した。
「生きる権利はあると思います」
「ーー貴様!」
突然、勇者さんが俺の胸倉を掴んだ。
目にも止まらぬ早業。
さすがはS級勇者。反射神経の塊のような人だ。
堕弱な俺も、さすがに引くに引けなくて。
しばし睨み合いが続いたが、幾多の修羅場を経験したであろう勇者さんの眼力には到底敵わねえ感じで。
こりゃヤバいと思って目を逸らしたら、そこにはバルサンが、いや違った。そこには金の香炉があったんだ。
俺、頭にきてたんで、それを思い切り蹴跳ばしてやった!
香炉がひっくり返って、緑色の香が粉塵となって飛び散った。
刹那、洞窟内は真っ暗闇になった。
闇の中で、勇者さんの怒声が響いた。
「バカが! そんなことをしたらサキュバスが寄って来るぞ!」
直後、勇者さんは俺を突き飛ばした。
俺は自身の軽率な行動を悔やんだ。
が、もう後の祭り。
「自業自得だ。後は一人で戻るんだな」
「ちっ、ちょっと待って!」
勇者さんの足音が闇の彼方へ去って行く。
遅滞や逡巡をまったく感じさせない確かな足取り。
野郎、暗闇の中でも目が見えるのか?
俺も慌てて後を追おうとしたが、すぐに躓いて、進むべき方向を見失ってしまった。
最早、いくら耳を澄ましても、勇者さんの足音は聞こえない。
やっ、やべ~ぞ、これは……。
こうなったら洞窟の壁伝いに出口まで向かうしかない。
俺はようやく洞窟の壁を探り当てると、緊張した足取りで出口を求めて歩き出した。
が、そのとき何者かが俺の肩に止まってささやいた。
「あら、この前のおにいさんじゃない? 遊び足らずにまた来たのね。いいわ、遊んであげる。今度はあなたが干乾びてミイラになるまでね」
で、出た! サキュバスだ!
俺は咄嗟に肩を払った。
羽音がして、サキュバスが宙へ飛んだのがわかった。
上方から、二つの光る眼がジッと俺を見つめている。
だが不思議なことに、いつもは群れで襲ってくるはずのサキュバスが今回は一匹だけのようだ。
「バカねえ、なにを慌てているの? さっきのは嘘よ。いつもなら精気をいただくところだけど、あなたは香炉を引っ繰り返して、わたしたちを救ってくれた。だから今回だけは、ゆ・る・し・て・あ・げ・る」
唖然と佇む俺を残して、二つの光る眼は闇の彼方へ去っていった。
「いいこと、坊や。二度と来ちゃダメよ」
そんな心温まる忠告まで残して。
直後、暗闇の中に一条の光が射した。
「ご主人様、ご無事ですかぁ~!」
パトラだ。
美少女形態のパトラが懐中電灯片手に、俺を救出に来やがった!
「勇者さんが一人で出てきたものですから、もしやと思って来てみたのですが。ご無事でよかったです」
「いや、ほんと、助かったよ。今だけはおまえが救いの天使に見える」
「エへ、そんなぁ~」
ようやく洞窟の出口に達すると、馬上から勇者の野郎が俺を見下していた。
「ほう、どうやら無事だったようだな? 飼い犬に救われたか? 魔生物も時には役に立つようだな」
「……」
「さあ、案内料だ。受け取れ」
勇者の野郎、二本の指に挟んだ紙切れを、俺に投げて寄こした。
紙幣かと思って拾い上げると、それは今夜、街の体育館で行われる試合のチケットだった。
「君たち二人を今夜の試合に招待しよう。S級勇者の剣捌きを一度見ておくといい」
勇者の野郎は馬首を巡らせると、街へ続く道を砂埃を舞い上げて走り去った。
俺は憮然とその背中を見送りつつ、
誰が行くか、あんなやつの試合。しかもB席。
腹立ち紛れにチケットを引き裂こうとしたら、そこに驚きの一文を発見した。
ハーケン・クロイツァー(S級勇者)VS田中正一(B級弓使い)
田中正一って、もしかして、あの田中さん!?
俺はしばしその一文から目が離せなかった。




