第20話 ミノタウロスの娘たち
俺は……、信じられないことだが牧夫をやっている。
牧夫って、牧場で牛や馬を世話する人のことだけど、おねえさんの苦労話で涙腺が崩壊したとき、ついでにニート王の矜持も崩壊したらしく。
牧場経営者のジイサンが、「若者よ、ひとつ、牧場で働いてみてはどうかね?」なんて言い出して、おねえさんも、「そうだ、やってみなよ」なんて言ったものだから、「じゃあ、ひとつ、やってみましょうか」なんて、考えられないノリで就職したんだけど、まあ、勘が冴えたのか。
俺は自身の決断に大いなる満足を覚えた。
牧場経営者のジイサン、ジェハンさんっていうんだけど、お得意さんの一人で、月一くらいで古紙回収に行くんだけど、「寄る年波には勝てんよ」と、おねえさんの顔を見るたびに愚痴をこぼすそうだ。
とんでもないことに、このジイサン、おねえさんに向かって、「あんたのような若い嫁さんがいれば、あと二、三十年は頑張れるんじゃが」などと身の程知らずなことをぬかしやがる。
あっ、因みにこのジイサン、今年で六一歳。おねえさんとは祖父と孫ほどに年齢差があるから。
嫁さんじゃねえだろ? 孫だろ、孫。
俺は何度、心の中でツッコミを入れたことか。
で、俺がなぜ大いなる満足に酔い痴れているかというと。
ジイサンの小屋から五分ほど歩いた先に、開けた土地があって、そこに牧場があるんだけど、そこで飼われている牝牛さんたちが……。
牛柄のフード付きロンパースを着た、人間の美少女たちだった。
えっ、いまいち理解できないって?
じゃあ、もう一度言うね。
ロンパースって知ってる? 上と下が繋がった服なんだけど、それが白と黒のまだら模様なんだ。もちろん付属のフードだって白と黒のまだら模様で、それを着た人間の美少女たちが、なんと牝牛さんなんだよねえ。
そんな美少女の牝牛さんたちが三十頭ほど、囲いの中でモーモー鳴きながら、四つん這いで草を食んでいるのだが。
その光景を初めて見たとき、俺は唖然として声も出なかった。
やがて握り締めた拳がワナワナと震え出した。
ジジイ、やりやがったな!
俺がまず疑ったことは犯罪だった。
ジイサンが美少女を誘拐しては、ーー牛じゃ、牛じゃ、おまえは牛になるのじゃ! と暗示をかけて、己の欲望を満たすために牧場に囲っていた。
俺は公衆電話に走ろうとした。
もちろん、警察に通報するためだ。
ところがおねえさんが、俺をぶん殴って止めたんだ。
「犯罪だと? あれのどこが犯罪なんだ?」
「いえ、だから大勢の美少女が拉致られて、あんな変態行為を。人身売買の疑いもあります。早急に警察へ」
おねえさんが変な目で俺を見た。
「あれが人間だと? おまえ、気は確かか?」
「ーーへっ?」
「あれ、どう見てもホルスタイン種の牛だろ?」
俺はもう一度、目を皿のようにして確認した。
「いえ、だからあれ、どう見ても牛さんフードを被った人間の女の子でしょ?」
おねえさんが訝し気な目で俺を見た。
「おまえ、牝牛の巨乳を見ているうちに幻覚を見たんだ。あんまりモテねえもんだから、童貞拗らせちまったんだ」
「いや、決して、そんなこと」
そのとき背後で声がした。
ジェハンさんだ。
「これこれ、なにを揉めておるのかね?」
俺が答えた。
「いえ、その、あの生き物が人か牛かで揉めてるんです」
「人か牛? はて、貴公にはなんと見える?」
「その、なんて言ったらいいのか。人間の女の子に」
「で、フェイさんは?」
「牛以外には見えねえけどな」
ジイサンが空を仰いで呟いた。
「……ところで、お二人は淫魔というのをご存じかな?」
おねえさんが肩を竦めた。
「ああ、知ってるよ。夢の中に出てきて、エッチな夢を見せるって、あれだろ?」
「そうそう、そのとき淫魔は、夢に見る者の理想の異性の姿となって現れるという。あるいはあの牝牛たちも、淫魔の血を引く……」
ジイサンとおねえさんが、同時に疑惑の目で俺を見た。
えっ、なに、って、ことはだよ。あの可愛らしい女の子たちは、やっぱ牛さんってこと?
おねえさんが俺の肩に手をかけた。
「おい、おまえ。いくらモテねえからって、牝牛に欲情するなよ」
「えっ、そんなぁ、あの娘たち、全員牛さん認定ですかぁ!」
「おまえなあ、恥ずかしいから、それ、人前で言うなよ」
「そんなぁ、俺、納得できませんよ! だって異世界に転生したニートさんは、例外なくハーレムをお作りになってるでしょ。俺だけですよ。転生して七日も経つのに、未だにハーレム持ってないの。そんな俺にも、ようやく春が訪れたかと。俺にも人並みのニートの幸せが訪れたかと思ったのに……」
「だからよ。世間様はそんなに甘くはねえんだ。転生したからって、女にモテモテなんてあり得ねえんだ。それにおまえにはあたしがいるだろ? あたし一人だけでも、ありがたいと思ってもらわなきゃ」
「嫌なんです! おねえさん一人だけじゃ! 俺、もっといろんなタイプの女の子とお付き合いしたいんです! 異世界って、妖精ちゃんやら天使ちゃんやら女神ちゃんやら、あっちの世界以上に女の子のバリュエーション豊富でしょ? 俺はそんな女の子たちと愛の遍歴を重ねて、真のニート王として覚醒したいんです!」
おねえさんが呆れた顔して呟いた。
「なにが豊富な女性遍歴だ。なにがニート王だ。よう、ニートってのは童貞と同義語だろ? ニート歴=童貞歴。ふん、笑わせるぜ」
「……」
俺は言葉を失った。
おねえさん、それ、ちょっと酷くありません?
「まっ、おまえがバカだというのはわかった。いいか、いくら欲情したからといって、牝牛に手ぇ出すんじゃねえぞ」
「わ、わかりましたよ。俺、そこまで変態じゃありませんから」
「さあ、どうだか」
ジイサンが笑った。
「ほほ笑ましいのう。夫婦喧嘩は牛も喰わぬか。ホッホッホッ……」
「「おい、ジジイ!」」
俺とおねえさんが同時にツッコミを入れた。
まあ、俺、こうして牧夫になったけど、彼女たち、いや、牝牛たちを、ペットを可愛がる感じで飼育してやれば問題ないよね?




