非科学的恋愛感情
「愛してる───────」
それは始め呪いの言葉だったらしいが、いつのまにか愛の言葉に変わっていたらしい………
穏やかな春の昼下がりのことだった。
静まりかえった宮殿の中に、一人の人物の足音が響く。
「………レオナ様、陛下がお呼びです」
黒いタキシードを身に纏った執事が、恭しくお辞儀をした。
「分かった。すぐに行くわ」
私は頷き、そう言った。
「お呼びでしょうか、陛下」
私は遠慮がちに扉を開き、隙間から顔をのぞかせる。
「レオナ、仕事だ。裏の森へすぐ向かえ」
「承知しました」
私はすぐに事態を察知した。
木々の後ろに身を潜め、二人の様子をうかがう。
「………ずっと好きだったんだ」
男性が女性にそう言った。
女性もそれに応えるかのように頬をかすかに赤らめ、口を開いた。
その口から言葉が出る前に、私は二人の前に飛び出す。
その先の言葉を聞くわけにはいかなかった。
「はーい★貴方たちは掟を破りました★それでは始末のお時間でーす★」
硬直する男女を目の前に、私は右手で高々とナイフを掲げる。
「………違うんだ、これは………‥」
男が取り繕うように慌てて言った。
私は男に弁明させる時間さえ、与えようと思わなかった。
「さよーならっ★」
その言葉と同時に私はナイフを振り下ろす。
「―――――――――――!!!!!!!!!!」
青い空を切り裂くような、声にならない二人の悲鳴がこだまする。
気がつけば、辺りは紅に染まっていた。
掟に背いた裏切り者を裁き、始末する。
それは私の「仕事」であり、「使命」でもあった。
無差別に人を殺しているわけではない。
恐怖も、
罪悪感も、
不安も、
そういった負の感情は、いつのまにか消えていた。
風になびく長いスカートを翻し、私は自分の住む城へと戻った。
古い扉を軋ませながら開き、城の中へ入る。
壁には、何十回、何百回と目にした我が国の“掟”――――――――――――
「恋愛禁止」
何故こんな掟が出来たのか、誰も知る由はなかった。
皆、暗黙の了解のようにそれを遵守している。
死にたくないから。
殺されたくないから。
ただそれだけの理由だった。
一仕事終えた私は、散歩がてら城の外へ出た。
特に行く当てもなく、思うままに足を進める。
視界の端には、いつの間にか春が色づいていた。
「綺麗なところですね」
突然、背後から声がした。
私は怪しむように振り返り、声の主を確認する。
そこに立っていたのは、見知らぬ顔の男だった。
すらりと背が高く、顔立ちも整っていた。
「あの、どちらさまですか……?」
「初めまして。僕は隣国の住人、サーヴェルです。ちょっとした旅でここを訪れることになりました」
どうやら、怪しい人ではないらしい。
私は、少しだけ警戒態勢を緩める。
そして改めて彼―――――――――サーヴェルの顔を見た。
その顔立ちは、初めてあったはずなのに、どこか懐かしさを感じさせられた。
それと同時に、私の胸に言葉では表せない感情が宿った。
まさか。
まさか。
まさか――――――――――
違う。
これは“恋”なんかじゃない。
でも、人一倍そういった感情には敏感だった。
必死に自分を落ち着けようとする。
その事実を私はまだ認めようとしなかった。
死にたくないから。
殺されたくないから………‥
「じゃあ僕、そろそろ行きますね」
サーヴェルは律儀に一礼をし、来た道を戻っていった。
「………………さようなら」
私の声は、彼に届いたのだろうか。
溜息をつき、私は再び城へと戻った。
中に入るなり、例の掟が目に入る。
それは小さな棘へと代わり、私の心を埋め尽くしていった。
ずきん。
胸が痛んだ。
「レオナ様、お仕事お疲れ様です」
タキシードを身に纏った執事が、恭しく頭を下げた。
「本当に、レオナ様は仕事が速く優秀ですね」
彼の言葉は、私をさらに追い詰めた。
「………………いえ、私は掟を破った罪人に罰を与えているだけです。それが私の仕事なのですから、優秀だなんて」
誤魔化すように、私は無理矢理笑ってみせる。
執事は言った。
「貴方のような、正義感の強い忠実な人がもっと増えれば…………‥」
「我々も、人を殺さずに済んだのに」
「…………………」
「でも、裏切り者としての、当然の報いなんでしょうね」
私は何も言えず、彼の前からそっと立ち去った。
ああ、私は最低な人間だ。
こんなにも私のことを信用して、信頼してくれている人を裏切っているだなんて。
でも、掟に背けば、死―――――――
卑怯だとは分かってはいながらも、サーヴェルの想いは募り続けていった。
何日か経ったある日のことだった。
城の入り口の窓を磨いていた執事に声を掛ける。
「見回りに行ってきます」
「お気をつけていってらっしゃいませ」
執事は手を止めてそう言った。
私は、あれから執事や他の人の目を盗んではサーヴェルに会いに行くようになった。
あの時、不意に宿った感情――――――――――
それはやはり“恋”だった。
「サーヴェル、おはよう」
「ああ、レオナ。今日も来たんだ」
人目を避けるため、私達は城から離れた森の中で会うようにした。
もしばれたら、命はない。
私も、サーヴェルも…………
「ねえ、サーヴェルはいつまでこの町にいるの?」
気がつけば、そんなことを口にしていた。
彼との別れが、今はすごく惜しかった。
「すぐ帰るつもりだったけど――――――――当分の間、まだここにいるよ。僕もレオナと…………もっと話したいし、一緒にいたいから」
彼は僅かに頬を赤らめ、無邪気に笑う。
その途端、私の心に秘めた“何か”が溢れだした。
もう、止められなかった。
意を決したように、私は彼に向き直る。
「サーヴェル。あのね……………‥」
「レオナ様、レオナ様――――――――――」
全身に電流が走るような衝撃が伝わった。
遠目からでもよく分かった。
執事と、数人の冥土が私を捜している。
どうやら、サーヴェルと話しているところは見られてはいないようだった。
でも、それも時間の問題だった。
「レオナ様、どちらに行かれたんでしょう」
「向こう側を探してきてくれないか」
「承知しました」
“逃げなければ”――――――――――
真っ先に私の脳がそう察知した。
サーヴェルの手を引いて、私は走り出す。
無我夢中で走り続けているうちに、小さな湖の畔へとたどり着いた。
安心したのもつかの間、それはすぐに絶望へと姿を変えた。
湖と近くには、城が行く手を阻むように立っていたからだ。
森とつながっているなんて、そんなことは思いもしなかった。
木々が生い茂っているとはいえ、城の最上階から見られてしまうかもしれない。
「レオナ、どうして逃げるの………?何かあるの…………?」
「…………ごめんなさい」
絞り出すようにそう言った。
「私の国では……………掟で………恋をしたらいけないの………」
「えっ………………」
彼の表情が曇ってゆく。
「理由は分からない。でも掟に背けば――――――――――殺される」
「…………………」
「私はその裏切り者を始末することが仕事なんだけど……………」
「貴方を、好きになってしまったから――――――――――」
一瞬の静寂。
それが私には永遠の如く感じられた。
“裏切り者としての当然の報いなんでしょうね”
執事の言葉が、私を嘲笑うかのように頭の中に響いている。
今になって初めて、あの掟を憎んだ。
何故恋をしてはならないか。
何故恋を知ったら殺されなくてはならないのか。
私の中で黒い感情が渦を巻いている。
許されぬ恋に、結ばれぬ運命。
悲しい。
辛い。
切ない。
もういっそ、感情なんてなくなれば――――――――――
こんなに苦しまずに済んだのに。
でも、何より彼のことが愛おしかった。
私は覚悟を決め、ポケットからナイフを取り出す。
これで、最後の仕事になりそうだ。
あの時私が殺した男女の気持ちが、今では痛いほどよく分かった。
でも、掟は掟――――――――――――
私達はそれを破ってしまった。
ナイフを震える右手で高々と掲る。
「サーヴェル」
「さよなら」
吐き出すようにしてそう言い、彼の胸元をめがけてナイフを振り下ろす。
血飛沫とともに彼は膝から崩れ落ちた。
それと同時に私の目から涙か溢れ、涙が頬を伝っては流れていく。
涙は、止まることを知らなかった。
私は倒れているサーヴェルの隣に腰を下ろす。
今度は、私の番だ。
「愛してる――――――――――――――」
そっと囁き、私は彼の後を追うように―――――――――自らの首を切りつけた。