失意の中で
やっと“和子さん”の話が終わったかと思いきや…。
千晶はその後も、自分の仕事や家庭や多彩な趣味の話。招待されたパーティーの話や、彼女の知り合いの話等をして盛り上がっていた。
しかも、なぜか千晶が話す相手は“一郎”なのだ。香澄は視線すら合わせてもらえない。
「今ね~、毎週日曜日に踊りを習ってるんだけど、人前できれいなドレスを着て踊るのって、すっごく気持ちいいのよ~。
ねぇ、一郎も一緒にやろうよ!ちょうどあんたの家と会社のの間の駅だし、ど~お?私と一緒にShall we dance?」
…と、彼女は満面の笑みを浮かべて、熱心に趣味の社交ダンスを一郎に勧誘している。
「いや…。俺はそういうの苦手だし、何しろ仕事が忙しくてそれどころじゃないよ。小遣いだって少ないしね…。それより、香澄は?香澄もそういうの似合いそうじゃん」
一郎はなかなか会話に入れない香澄の事を気遣って、香澄に話題を振ってくれた。
ところが…
「えぇ~!?香澄がぁ~?いや~香澄は無理じゃない?だって、人前に出たり、舞台で踊ったりするタイプじゃないじゃない!第一、派遣でひとり暮らししてるんでしょ?月謝どころかドレスを買う余裕もないでしょ~が。
…っていうより、やっぱり社交ダンスって優雅さとか上品さも必要だし、ダンスパーティーの費用だって高いから、香澄には絶対に無理よ、無理!ねぇ~、香澄」と、千晶はおなかを抱えて笑い飛ばした。
「…そんな…」
千晶の悪意ある言い方に、香澄はひどくショックを受けた。
(ひどいよ!久しぶりに会ったのに…。どうして、そんな言われ方をされなきゃいけないの…?)…と。
香澄はあまりにも悔しくて、全身の血が頭にのぼり、顔が真っ赤に高揚してくるのが自分でもはっきりわかるほど。
しかし、二人のやりとりを聞いていた一郎は困った顔を浮かべているものの、否定も肯定もせず、テーブルの上の空いた皿をまとめて店員に渡しているだけだった。
(千晶は私の事が嫌いなの…?
一郎はこの事…どう思ってるの?)
この時、初めて香澄は千晶の事を“友達じゃない”と感じた。
そして、2人の間で何も言ってくれない一郎に対しても、がっかりしていた。
3人なのに香澄はひとりなのだ。
それならばいっそ、気楽にひとりで食事をした方がマシかもしれない。
香澄は泣き出しそうになる気持ちを抑えて、
「…無理じゃないと思うけど、悪いけど私の趣味じゃないから、別に習いたくもないな…。ごめん、トイレ行ってくる」
と強がりを言って、席を離れるのが精一杯だった。
「変なの~。
私はホントのこと言っただけなのにぃ~」
席を立つ香澄に、千晶はさらに冷たい言葉を浴びせた。
"ちょっと言い過ぎだよ~。香澄に謝りなよ~"
もしも、大学時代の一郎ならそう言って千晶のやりすぎを注意してくれただろう。けれど、それは昔のこと。
この時の一郎は始終ニコニコ、ニコニコ。
香澄が傷ついている事はきっと知っていただろう。だけど、一郎は香澄をかばう事も、励ます事もせず、愛想笑いを浮かべながら千晶に合わせるだけだった。
その様子は“かかあ天下”で奥さんに頭が上がらない一郎の姿を連想させて、さらに香澄を幻滅させた。
香澄は二人に見られないようにうつむくと、急いでトイレに駆け込んだ。そして、蛇口をひねり冷たい水に両手をつけると特に汚れているわけでもないのに、ただひたすら洗い流した。
ふと顔を上げて鏡に映った自分の姿を見ると、我慢していた気持ちが一気に剥がれ落ちた。
(…どうして…?
どうしてなの…?)
涙が溢れて止まらない。
もう“あの頃”の2人はここにはいないんだ…と、思い知らされた気分だった。




