歴史が閉じる時 8
コックピットの中は蒸し暑くて、よくわからない臭いがした。
「兄ちゃん、兄ちゃ――ッ!?」
シートにもたれていた兄ちゃんの姿を見て、ボクは言葉を失った。
恐らく、バロールの脚がコックピットを直撃したせいだろう。
砕けた金属片が、兄ちゃんの腹に深々と突き刺さっている。
そこから赤黒い血が流れ出し、足元に血溜まりを作っていた。
――鎮痛剤で痛みは抑えられてる。 パイロットスーツの生命維持機能も働いているはずなのに、どうして出血が止まらないの!?
「ツグミ……」
「兄ちゃん……!」
掠れた声で、兄ちゃんがボクを呼ぶ。
「こっちに、来い」
「でも、キズの手当をしないと!」
「手当は……必要ないよ」
兄ちゃんは、自分がもう保たないと察している。
だから、ボクが無駄なあがきをしないように諭してくれたんだ。
「……」
無言で、腹のキズに気をつけながら、ボクは兄ちゃんに抱きついた。
一緒に寝る時みたいに、ぴったりとくっついて。
ボクの服に、兄ちゃんの血が染み込んでいく。
でも、血で汚れるのなんか気にしない。
「ごめんな。 これから先、一緒に居てやれなくて」
痛みに耐えながら、兄ちゃんは声を絞り出す。
「そんなこと……言わないでよ」
ボクは必死に涙を堪えた。
泣いたら、余計に辛くなるから。
「わかった、言わない」
痩せ我慢しているボクを、兄ちゃんは静かに抱きしめる。
「ツグミはオレのこと……好きか? こんなオッサンが兄貴で、嫌じゃないか?」
兄ちゃんが耳元で囁く。 かすかな声で。
「好きだよ。 ボクは、兄ちゃんのことが大好き。 好きじゃなかったら、一緒に寝たりしないもの」
ボクが正直な気持ちを伝えると、兄ちゃんの無骨な手がボクの顎を掴んで持ち上げてくる。
「――本当か?」
切れ長な兄ちゃんの目が、ボクをじっと見つめてくる。
男らしく無骨な輪郭の顔は、互いの鼻先が触れ合うほど近くにある。
「――本当だよ」
強面なんだけど優しい。
強くて優しい兄が笑った吐息が、唇にかかる。
そして――
「…………」
ボクは、兄ちゃんとキスをした。
でも、寝る時に交わすいつものキスとは違う。
これは特別な時間に交わすキスだ。
「――――」
ゆっくりと兄ちゃんの舌が口の中に入ってきて、ボクの舌と絡み合い、口の中で鉄の匂いや不思議な味が広がっていく。
それが血の味だというのは、すぐに理解できた。
だって、兄ちゃんは口から血を零していたのだから。
「じゃあ最期に、ツグミにはプレゼントをあげよう……」
キスが終わったあと、兄ちゃんは微笑んだ。
「プレゼント?」
ボクが訊き返すと、兄ちゃんは掠れた声で歌いはじめる。
"ねむれ、ねむれ。 刹那に生き、永きに眠る小鳥よ"
「この詩……」
ボクがよく聴いている曲だった。
一緒に寝る時、兄ちゃんは子守唄の代わりにこの曲を歌ってくれる。
"いのちの詩をあなたに"
この曲は女の人が歌っていたものだから、初めて歌った時はぎこちなかった。
なのに、兄ちゃんはいつの間にか自分のものにした。
兄ちゃんは、そういう努力家な面もある。
だから、ボクは兄ちゃんのことが好きなんだ。
『なんだ!? フューネラルが勝手に動いて――』
遠くで誰かの声がする。
"世の痛みを嘆くなら、寄り添い歌おう"
"夜の闇を恐れるのなら、瑠璃色の空が白むまで傍に居よう"
気づけば、フューネラルがボクの後ろに居た。
だけど、そんなの気にしない。
"悲しい別れも、明くる日の夢になる"
なぜか、左手首のデバイスが起動していた。
理由はわからない。
"誰もあなたの眠りを妨げることはできない"
"あなたに新たな夜明けが訪れますように"
――ああ、兄ちゃんの歌は落ち着く。 心が安らぐ。
「にいちゃん」
かすかな声で兄ちゃんを呼ぶ。
気づいたのか、兄ちゃんは歌いながらボクの背中をポンポンと叩いてくれた。
"■■■の身体機能を停止させ、■■■■■■■■■■へ精神を閉じ込めます"
コーラスとしてか、スプレッドとフューネラルのAIも歌っていた。 理由はわからない。
"傷ついた小鳥は眠りにつく"
"彼はもう自由になれない"
「ツグミ……」
途切れ途切れの声で兄ちゃんが呼ぶ。
"護るように、縛るように、歌は続くでしょう"
「兄ちゃん……?」
"私は、彼の幸福を願います"
「またな」
デバイスから音がした。
『あれを使ったのか……』
どこかから父さんの声も聴こえてくる。
同時に、ひどい眠気がボクを襲う。
「またね」
兄ちゃんは目を閉じ、静かに呼吸が停まって、永遠の眠りについた。
「おやすみ……」
ボクは、兄ちゃんの温もりを、兄ちゃんの残り香を感じながら、兄ちゃんの血の味を思い出しながら目を閉じる。
"――ただ、独りで"
最期に、兄ちゃんはそう歌った気がしたんだ。




