父と息子と雪の王都
大きな邸がひっそりと連なり、今日は風音も聞こえないせいか、いっそう静かな貴族街を一台の馬車がゆっくりと走る。
中にいるのはティンクルスとクロード、騎士のジャンに、硬い表情をした魔法使いの父だ。
『お父上、ご家族に会ってみないかの?』
数日前、老魔術師は再び薬屋を訪れ、おずおずとこう言った。ハッと息をのんだ父の、火傷の痕のないほうの、顔色が変わる。
『……いえ、私は』
長い沈黙のあと首をふった彼を、「この機会を逃したら一生会えないかもしれないんじゃぞ」と、ティンクルスは必死になって説得した。
これまで王都からは遠ざかっていた父だ。最初は王都に来ただけで、懐かしくもあり嬉しくも感じただろう。けれど今、同じ街にいながら会えないというのも、つらいのではないかと思う。
娘に聞いてみれば、大通りを歩くとき、父は貴族街のほうに目を向けていることが多いという。それならば。
父は――うなずいてくれた。
彼は、なぜ自分の身元を知っているのか、どうやって貴族に会おうというのか、そういったことは一切聞かなかった。
王の許しを得た際、父は一緒にいた老魔術師に気づいただろう。ただの商家の息子ではないと察しただろう。
だが、そのことはおくびにも出さず、こうして全てを任せてくれた。
(苦労、したんじゃのぅ)
自身にも言えない過去があるからこそ、こちらを詮索したりもしないのだ。こんな風に思える。
強ばる父の顔を見て、今日はうまくいってほしいと願う。ティンクルスは胸にそっと手を当てた。
カタコトとゆれていた馬車が止まると、騎士が濃紺のローブを父に手渡す。ローブを羽織った父の顔は、フードですっぽり覆われる。
騎士が調べたところによると。
『あんな者は私の弟ではない』
父の兄は、友人に対し、このような言葉を発したことがあるそうだ。探りを入れてみたジャンも、「どうやら良い感情は持っていないように思えました」と顔を曇らせた。
彼の父親も、かつては兄と同様のこと言っていたそうだが、今はあまり邸を出ないので、その心境はわからない。だが。
『息子を追いだしてしまったことを後悔している』
という風なことをもらしたことがあると、親しい者から聞きこんでいた。
これを知ったティンクルスは、兄に会うのは難しそうだが父親ならばどうかと思った。近頃、父親は体調が良くないそうだ。ならばなおさらのこと、会っておくべきだ。
しかし、何といっても現在の当主は兄だ。正面から訪ねていけば追い返されるかもしれない。当主が望まないであろう者を無理に邸に入れても、良いことは何もない。だから。
兄が王宮に出仕している今、父は顔を隠し、筆頭魔術師が遣わした魔法使いという立場で、見舞いと称して訪れることにしたわけだ。
おそらく会うことはできるだろうが、はたしてその結果がどうなるか。
無事、邸の中に通された一行は、騎士を先頭に、濃紺のローブを羽織り顔を隠した父、従者という形のティンクルスとクロードが続く。
胸がそわそわとして落ち着かないせいか、いつもより多く蹴つまずく。
「大丈夫か?」
「お、大丈夫じゃ」
隣を歩くクロードとこそこそと言葉を交わし、ふぅすぅと深呼吸をしているうちに、奥の一室へと案内された。
*
「父上……」
フードを取った魔法使いの父――いや、息子と、ベッドに身を起こす年老いた父が、対面している。年老いた父の目は、ただただ大きく開かれている。
十五年以上も会っていなかったのだ。息子も、言葉が出ないのだろう。部屋に静かな時が流れる。
「帰れ」
しかし、年老いた父の顔は横を向いてしまった。
そんな父を見る息子の表情は、後ろに立つティンクルスにはわからない。だが、彼は深く頭を下げると、フードを被ろうとする。このまま帰ってしまうのか。
「ま、待ってくれ!」
ティンクルスは従者という立場であったことも忘れ、必死になってしゃべりだした。
魔法使いの父がどんな想いで旅をしてきたのか。王に許されたとき、どれほど嬉しかったのか。どれほどの人に感謝され、慕われているのか。
家族を心配し、冬の王都を訪れていたこと。娘を得た今、彼女をとても大切に思っていること。
これまで見てきたことを、感じてきたことを、小さめの拳を握りしめて精一杯、話す、と。
「また、旅を続けるのか?」
年老いた父の顔はうつむいているが、言葉は息子に向かっていた。息子は詰まり気味の声で、はいと答える。
「また、冬は王都に来るのか?」
これにも息子ははいと答える。
「そうか」
息子への言葉は、これだけだった。
が、今、年老いた父の目は、確かに息子を捉えている。その目はほんのわずか、潤んでいるように見えた。
帰りの馬車の中、ティンクルスは魔法使いの父を見た。目をつむる、彼の顔は穏やかだ。父親とわずかでも会い、話すこともできた。今の父には、それだけでも十分嬉しかったのかもしれない。
良かったと思う。そして、いつかはこんな形でなく、親子として行き来できるようになれば、もっと良いと思う。
(父と息子、か……)
老魔術師は、ふと父王のことを思いだした。
幼い頃、年齢にしては言葉の拙かったティンクルスを軽んじた父王。しかし少年になり、きちんと話せるようになれば、小バカにしたりはしなかった。
少年王子は剣も馬も苦手なようだと報告を受けると、鼻を鳴らした父王。しかし物覚えは良いと、勉強はできると言われれば、ただ静かにうなずいた。
父王は、子供というものがあまり好きではなかったのだと思う。温かみにも欠けていたかもしれない。だが、公平な人だった。
艶福家であった父王はたくさんの王子をもうけたが、ふり返ってみれば、みな同じように扱っていた。
他の王子に対しても、剣の筋が良いならうなずき、少々勉強の進みが遅れていると聞けば、あきれた風な顔をした。『愚鈍な王子』を笑う機会が多かったのは、事実、できないことが多かったからだ。
そして、厳しい人でもあった。
父王はどれだけ王子が努力しようと、実績を上げなければ、決して褒めることがなかった。だから――
「ティンク様、こちらでよろしいですか?」
「おお、今日はありがとうのぅ」
貴族街の入口で、ティンクルスは馬車を降り、厚い雲に覆われた灰色の空を仰ぎ見る。
――今なら、今なら父王は、「良くやった」と褒めてくれるのではないか。
「お……雪じゃ」
ふわりふわりと白い雪が、ゆっくり空から落ちてくる。今年、初めての雪だ。手のひらで受け止めた雪は、あっという間に溶けて水に変わる。
それが、なぜだかティンクルスには、温かく感じられた。
*
今日は光の日、老魔術師の休日だ。
神殿の孤児院で子供たちが雪遊びをすると聞き、二人はこれからお邪魔することになっている、が。
「帽子は被ったし手袋もしたし、暖かいブーツも履いたな……もっと厚着したほうがいいんじゃないか?」
心配顔のクロードが、この冬で一番丸くなったティンクルスの上から下まで眺め見て、眉をひそめて首をかしげる。
「や……あまり着るとわし、動けないんじゃが」
「そう、か」
老魔術師が眉を下げ、困った顔を横にふると、クロードは仕方ないといった感じの渋い顔でうなずいた。
「真っ白じゃ、のっ」
魔法屋を出て、第一歩目にしてつるっと滑ったティンクルスを、「気をつけろ」とクロードが支える。
滑ったり、つまずいたり、今日はいつも以上に歩みが遅い。
「もっと早く着くつもりじゃったのに、このぶんじゃと雪遊びにも遅れてしまうかのぅ?」
自身の、雪道における進行速度の見積もりが甘かったらしい。いや、外で遊ぶからだろう。クロードの、防寒対策と服装確認がいつも以上に長かったせいか。
老魔術師の眉がへなっと下がる。
今日は『魔法使いが医者を育てる』、この話を神官にしてみようと、もし望む子供がいるのなら弟子入りの話も進めたいと、考えていたのだが、時間が取れないかもしれない。
雪遊びのあとは食事会もあるのだ。もちろん二人も参加する。
「そんなに焦ることもないだろ。今日は楽しんだらどうだ?」
「お、そうじゃのっ」
クロードにほほ笑まれ、ティンクルスもにっこり笑った。それに。
(うまくいくといいのぅ)
実はもう一つ、考えていることがあった。魔法使いの娘のことだ。
今日の雪遊びには彼女も誘っている。娘はもうすぐ十四歳、孤児院にも同じ年頃の若者たちがいる。娘の出会いが、父の望む良き伴侶が、期待できると思うのだ。
結婚などまだまだ先の話だろうが、好きな相手ができれば、娘も王都で暮らしたいと思うようになるかもしれない。そうなれば父も喜ぶし、彼自身、王都にいる時間が長くなるかもしれない。父と実家の関係を、改善する機会も増えるはず。
「むふふふ」
こんなことを目論み、ティンクルスはニヤリと笑ったつもりになる。しかし、どこまでも穏やかでのんびりとした顔なので、やはり、にこっと笑った風にしか見えなかった。
老魔術師はふぅふぅ言いつつ、ようやく自由市場まで辿りついた。もうすぐ目指す神殿だ。
雪が積もる円形の広場は閑散としているが、それでも偉大なる魔術師の銅像の前に、人がいないわけではない。
ティンクルスはそっと目を逸らし、本人としては精一杯、早く通り過ぎようと足をせっせと動かす、が。
「ティンク。あれ、魔法使いの娘だぞ」
「ふぉ? お、本当じゃ」
足を止め、クロードが指したほうを向けば、見慣れた後ろ姿があった。
娘は銅像に祈りを捧げている。これから神殿へ向かうのだろう。ならば一緒に行こうかと一歩、踏みだしたとき。
娘の顔が横を向き、笑みが浮かんでいるのが見えた。隣にいるのは若者、薬師の息子のようだ。
今日は人が少ないからか。二人は銅像に近づくと、魔法薬の小瓶が乗った右手をなでる。彼らは顔を見合わせて、はにかむように笑ってもいる。何だか妙に初々しい姿だ。
(もしかして……)
ティンクルスは、じぃっとじぃっと二人を見つめる。
魔法使いの娘と薬師の息子は、互いに好ましく思っているのではなかろうか。そういえば、とも思いだした。
まだ秋の終わり、薬屋に魔法薬を卸したときのことだ。日頃は大人しそうな息子が、ヤケに必死な顔になって「冬になったら魔法使いが来るんです!」と口を挟んだ。
あれは、好きな娘が来るからか。老魔術師が機嫌を損ね、卸し先は変えないと言えば、魔法使いの父娘は薬屋に来ないかもしれない。そんなことを心配したからか。
祈りを終えた娘と息子は、そのまま神殿のほうへ、並んで歩く。
「わし、娘さんの出会いを用意してみようなんて考えてたんじゃが、もう出会ってたんじゃのぅ」
余計なことだったようだ。何だか気恥ずかしくなり「ふぉふぉっ」と笑いをもらすと、友が優しげな顔で見下ろしてくる。
「いいじゃないか。ティンクは今日、あの二人が一緒に出かけるきっかけを作ってやったんだ」
「そうか、そうじゃの」
その言葉に、ほわりと笑う。
ティンクルスはクロードと、二人の邪魔をしないようゆっくりゆっくり神殿へ、雪の王都を歩いていった。




