父の想いと医療の実情
――カラカラ、カラ~ン
今日も風が強いのか、ティンク魔法店のドアベルが、しかし寒さを吹き飛ばす明るい音を立てる。
「ティンク様。お元気そうですが、お変わりはありませんか?」
「おお、ジャンよ。いつもすまないのぅ」
やって来たのは、今でもこの店を定期的に訪れてくれる騎士だった。
「ささ、こちらへどうぞ」
ティンクルスがお決まりのセリフでソファを勧めると、騎士の顔に優しげな笑みが灯る。
「ティンク様、すっかり店主らしくなられましたね」
「おっ、そうかの?」
嬉しげに笑った老魔術師の、薄い胸がぐっと反り返った。
彼のほうがずっと年上の、爺のはずなのだが、ジャンも、クロードも、店を手伝い始めた子供でも見るような温かな眼差しを向ける。
「懐かしい人たちが王都に来たんじゃ」
ソファに落ち着くと、ティンクルスはさっそくこう切りだした。
騎士ジャンもアンガンシアからティティリアまで、魔法使いの父娘と旅をともにした仲だ。彼らの様子を聞き、懐かしげな顔をする。
「それでの、そのお父上なんじゃが」
持っていた紅茶のカップをテーブルに置くと、老魔術師は先日のことを思いだしつつ少し、首をかしげる。
「お父上は娘さんのことだけじゃなく、ご実家を気にして王都に来たんじゃないかのぅ?」
黒いローブの妻を尋ねた日。帰り道の大通りで、父が見ていた方角には貴族街へと続く門があった。その向こうには彼の、生まれ育った実家がある。
父の両親が健在ならば、そろそろ体が気がかりになる年齢だろう。王都を訪れる季節に冬を選んだのも、風邪が流行るこの時期、親兄弟を心配したからではないか。
それに。
「娘さんに聞いてみたんじゃが、旅は止めろとお父上に言われたのは今年のことなんじゃ」
だが、父が王都を訪れるようになったのは去年から――王の許しを得て、一年を経た冬からだ。
老魔術師が指を一本立ててこう言うと、騎士はなるほどとうなずく。
「これまでもご実家のことは気がかりじゃったと思うが、陛下の許しがあって、ようやくお父上は冬の間だけでも、王都で過ごそうと思えるようになったんじゃないかのぅ?」
かつて、仕えるはずの王の暗殺未遂に加担してしまった父。長年続けてきた旅は贖罪の意味もあっただろう。それを、少しの間でも止めようと思えた。自らを許せるようになってきた、ということではないだろうか。
そんな父の心を慮ると、ティンクルスの胸は切なくなる。目頭もわずかに熱くなり。
ササッ、サッ。白い布が騎士の手からクロードへ。
「……わし、まだ泣いてないと思うんじゃが」
ものすごい速さで布を差しだされたものだから、老魔術師の涙は引っこんでしまった。
この後、騎士は父の実家について、知っていることを教えてくれた。
彼の家は今、兄が継いでいること。父親は歳のせいか体調を崩したりもするのだろう、邸からはあまり出ないこと。母親のほうはずっと以前、彼が家を出るより前に亡くなっていること。
「ふむ……それでご実家では、お父上がかつて陛下の暗殺未遂に関わったことを知ってるのかの?」
窺い見ると騎士はうなずき、やはり、とティンクルスの表情が曇る。
父はかつての罪を知る者により、新たな企てに巻きこまれそうになった。このとき首謀者は、父の実家に対しても、息子の、あるいは弟の、『昔の罪を暴かれたくなかったら』とでも脅して利用しようとしたのだろう。
この企ては王により防がれている。実家も存続していることから、積極的に動いたわけではなく許されてもいるはずだ。だが……
「そうなると、お父上とご実家の方々を会わせるのは……」
父はせっかく王都に来たのだ。家族に会わせてやりたいと思う。
けれど実家にとって、彼は魔物討伐に失敗した不出来な魔法使いであり、王への反逆者、家を窮地に追いこんだ厄介者、となってしまう。
難しいかのぅ、とつぶやき溜息をもらしたティンクルスに、騎士は「実家の様子を探ってみましょう」とうなずきを返した。
*
「次の患者さん、どうぞー」
魔法使いの娘の声が、元女将の宿屋の、向かいにある薬屋に響く。
薬を作る作業場だろう。台に布を重ねた簡素なベッドや椅子が置かれ、父が、そして老魔術師が、治療に励む姿があった。
――父の実家を調べてみようと、騎士が申し出てから数日。
連絡を待つ間、ティンクルスは相変わらず着膨れし、つまずきつつ助けられつつ日課の散歩をしていた。その途中、父娘が世話になっている薬屋を覗いてみたのだが。
薬屋から溢れるほどに並ぶ患者。父娘はこの寒さにも関わらず、額に汗を浮かべて働く。薬師は店の端で薬作りに勤しみながら並ぶ患者の調子も気にかけ、息子は父娘を手伝っている。こんな様子を見てしまえば。
『わしも手伝おうかのっ』
老魔術師はぐっと小さめの拳をふり上げ、心配顔のクロードに見下ろされる、ということになったわけだ。
薬屋では。
「帰ったら暖かくして寝てるんじゃぞ。気をつけてのぅ」
クロードの手を借り患者を支え、にっこり笑って送りだすと。
「お嬢さん、こっちも空いたぞ!」
「はい! 次の患者さん、お待たせしましたー」
まだまだ減らない患者を見、ティンクルスはキリリと眉を持ち上げて、むんっと気合を入れ直したり。
「うむ。あとは薬を飲めば風邪は治りそうじゃの。お大事にのぅ」
何人目かの患者を診、送り終えると、ふぅ、と老魔術師の口から切なげな息がもれた。何だか体が熱く、重たいようにも感じるのだ。もしかして……
うつむき額に手を添えると、クロードの心配顔がひょいと覗きこんでくる。
「ティンク、そんなに着こんでると暑いし動きにくいだろ。脱いだほうがいいんじゃないか?」
「……そう、じゃった」
風邪ではなく、ただ厚着をしていただけだった、とか。
「じゃあ、行ってくるのぅ」
「行ってらっしゃい!」
一時脱いでいた服を再び着こみ、手が離せない父に代わって往診に出ると。
「え? うっ、うちはそんな立派な魔法使い様なんて、呼んでません!」
良家の坊ちゃん風な青年魔法使いが訪れたため、家族はさぞや高い治療費なのかと心配したのだろう。なかなか病人を診させてもらえなかったり。
こんな風に、ちょっとした失敗や苦労がありながらも、およそ半日を、老魔術師はがんばりながら忙しく過ごした。
広くはない居間に案内されると、薬師の妻が出してくれたスープを前に、ティンクルスは「ほぉぉぅ」と大きな息を吐きだした。
庶民街の魔法使いが忙しいとは見知っていたが、実際にやってみると本当に大変なのだと実感する。
「ティンク、疲れてないか?」
「おお、大丈夫じゃ」
そして、やり甲斐も感じたからだろうか。疲れはあるものの、にこにこ笑って答えれば、クロードの心配顔も笑顔に変わる。
「庶民街の魔法使いは、みながこんなに大変なのかの?」
見まわすと、魔法使いの父は首をひねった。かつての彼は貴族街に住み、今は旅人の身、王都にいても忙しい。あまり庶民街のことは知らないのだろう。
この様子を見て、そうですねぇと口を開いたのは薬師だ。どこの魔法使いも、それに医者も、忙しそうだと答えた。
「ふむ」
ティンクルスは口を尖らせ腕を組む。
これまではこう考えていた。魔術薬師が増え、魔法薬の生産を一手に引き受けるようになれば、街の魔法使いは診察に往診に、患者の治療に専念することができる。しかし。
父娘は今、七日に一度の休日を薬作りに当て、他の日は治療に費やしているとも聞いた。それでこの忙しさだ。
顔の汗を拭い終え、水を一気に飲み干す父を見る。
働き盛りの今はまだ良いだろうが、このままの忙しさでは、いずれ彼のほうが参ってしまうのではないか。老魔術師は心配だ。
(やはり魔法使いが、それに医者も足りないんじゃの……)
実は今、魔法院では治療魔法をかける魔道具を開発している途中だ。
老魔術師が提案し、筆頭魔術師が引き継いでいる仕事であり、将来的には医者が魔道具を使って治療することを目標としている。魔術薬師ならぬ魔術医師だ。
だが、実現はまだ先のこと。ならば……
(医者を増やしたらどうじゃろ?)
魔法使いを増やす方法など、老魔術師にはわからない。けれど、医者を育てることはできる。今まで、魔法使いの弟子は魔法使いであるものだと思ってきたが、魔法使いの弟子が医者であっても良いのではないか。
将来、生まれるであろう魔術医師という職には、医療の知識が必要だ。育てた医者が、いずれ新たな魔道具の使い方も学んでくれれば、魔術医師になることもできる。
「……うむ」
ここまでを考えたティンクルスの、小さめの拳にぐっと力が入った。
魔法使いが魔法を使えない者を弟子を取る。こんな話はきっと、これまでにはない事だ。弟子を見つけるのも容易ではないかもしれない。
それでも、取り組む価値はあると思う。やってみたいと思う。
「いいんじゃないか」
心が伝わったのだろう。クロードがつぶやき、ほほ笑む顔が縦にゆれる。応援してくれるのだ。この友はいつもそばにいてくれる。一人ではないのだ。
「ありがとうのぅ」
老魔術師はほんわりと笑った。
「ティンクさん、今日はありがとうございました」
「うむ。わしもまた、手伝いに来るからのぅ」
薬屋を辞す二人を、魔法使いの娘と父が入口で見送ってくれた。にっこり笑ったティンクルスの目に、一緒に店を片づける薬師と息子の姿が映る。
「薬屋さんと息子さんは働き者の親子じゃのぅ」
「そうですね」
父の声が優しげだったと、思わず顔を上げると、彼の頬がほころんでいることに老魔術師は気づく。
父と息子――もしかすると。
魔法使いの父は、貴族街に住まう父親を思いだしているのだろうか。かつての父親と自身の姿を、彼らに重ね合わせているのだろうか。
(やはりお父上はご家族と会ったほうが……)
ティンクルスは小さく、しかし強くうなずいた。




