魔法使いの父娘の事情
「その……どうしたのかの?」
突然、頬を膨らませてしまった娘を前にして、ティンクルスはおろおろと、そわそわと、父のほうを窺う。
その父はといえば、困り顔になって娘を見ている、と。
「ティンクさん、父さんったらひどいんです! 私にもう旅はやめろって言うんですよ!」
娘がバンッと両手をテーブルにつき、ズイッと迫ってきたものだから、驚いた老魔術師はひっくり返りそうになった。
もちろん、ソファから転げ落ちずに済んだのは、隣に座るクロードが速やかに支えてくれたおかげである。
それにしても、旅を止めろとはいったいどういう事なのか。友に礼を述べ、のたのたと座りなおしながら娘と父を交互に見やる。
「この子ももうすぐ十四歳になります」
父は困り顔のまま、こう続けた。
娘はそろそろ年頃だ。このまま旅をしていては、良き伴侶を見つけることができない。これからは王都で暮らしたほうが良いのではないか。
なるほど、とティンクルスはうなずく。
若かりし頃、さまざまな苦難を味わった父が立ち直ることができたのは、娘の母と出会ったからだろう。だから娘にも結婚してほしい、幸せになってほしいのだ。
(親心、なんじゃのぅ)
こう感じたティンクルスは、頬をほころばせながら娘を眺める。しかし、彼女の頬はさらに膨れていた。
「魔法使いの娘はお金持ちの家に嫁げるんでしょ? 父さんも私にそうしてほしいの!?」
「そうじゃないよ。好きな人を見つけて結婚してほしいんだ」
「私は結婚よりもっと勉強して、父さんみたいにみんなのために働きたいの!」
「結婚しても働けるかもしれないだろう?」
「でも、子供ができたら魔力が無くなるかもしれないじゃない!」
娘はこう言ってツンと顔を逸らした。父はといえば、もっと困った顔になって口をつぐんでしまう。
老魔術師は「むぅ」と唸りをもらしつつ、口を尖らせ腕を組む。
娘は父を尊敬し、父のような魔法使いになりたいようだ。だが、結婚して子を産み、魔力を失ってしまったらそれは叶わない。こればかりはどうにも……
「む……ん?」
さらに唸ろうとしたティンクルスは、しかし、ふと思いだした。
先ほど娘は『父さん、私にもう旅は止めろって言うんです』と言った。これは、娘には旅を止めさせるが、父は旅を続けるという風に聞こえる。二人一緒なら『もう旅は止めよう』と言うはずだ。
聞いてみると、父の困り顔は縦にゆれ、娘の頬はもう無理だろうと思っていたのにさらに膨れてしまった。ということは。
(娘さんはまだ、お父上と一緒にいたいんじゃないのかの?)
父のような魔法使いに、という娘の気持ちは本当だろう。彼女はまだ若い。今は結婚より、立派な魔法使いになるほうが大切だとも思っているかもしれない。が、父と離れたくないという想いもあって、より反発しているのではないか。
一方、父が娘を一所に住まわせ、自身は旅を続けようとするのは、火傷のせいではないだろうか。娘が結婚相手を見つけたとき、その顔のせいで話が壊れてしまわないかと心配しているのでは――
「ふむ」
老魔術師はうなずき、まずは娘に目を向けた。
「お嬢さん。王都で暮らす魔法使いの娘さんの中にはの、結婚して立派に働いてる人もいるぞ」
黒いローブを羽織った、おっちょこちょいな隊員の妻だ。
双子の母となった彼女が魔力を失うことはなかったが、今後、子を産めばどうなるかわからない。それでも彼女は、魔法が使えなくなったら魔術薬師になるのだと一生懸命働いている。
これを聞かせると、「でも、私は……」と娘の口が尖る。
「うむ。わしはお嬢さんに旅を止めろと言ってるんじゃないんじゃ。ただ、そういう人もいるということを知ってほしかったんじゃ」
娘が曖昧ながらもうなずいたので、父の頬は少しゆるむ。ティンクルスもにっこり笑う。
そして、さて、と今度は父に向き直った。
「お父上。お嬢さんはまだ十四にもならないんじゃ。貴族の娘さんでもないんじゃから、結婚話は早いんじゃないかのぅ?」
こう言って首をかしげると、父の目がパチパチと瞬く。
彼は貴族の出だ。庶民暮らしは長くとも、そろそろ娘の結婚をと心配してしまう気持ちはわからないでもない。しかし、娘はこれまで庶民らしく、伸び伸びと暮らしてきたのだ。
まだ早い、まだ焦ることはない、と老魔術師は首をふる。
娘のほうはわが意を得たりといった様子で、大きくうなずいている。
「それにの、お嬢さんにはこれから、良い出会いが必ずあると思うんじゃ。お父上もお嬢さんのお母上と結婚したし、今は良い薬屋さんにお世話になってるじゃろ?」
ここでティンクルスは、ぐっと身を乗りだした。
娘の母、薬屋――火傷の痕のある父を、受け入れてくれる者はちゃんといただろうと、だから娘の結婚のために離れる必要はないのだと、そう伝えたいのだ。
精一杯の想いをこめて、じぃっとじぃっと見つめると、伝わったのか。父の顔に温かな笑みが浮いた。
この父娘が今後どうしていくのか、今はまだわからない。ずっと旅を続けていくのか。娘に良き伴侶が現れたとき、二人の旅は終わるのか。それとも、娘は夫になる者と新たな暮らしを始め、父の旅は続くのか。
けれど今、互いを想う親子が無理に離れる必要はない。老魔術師はそう思う。
*
「ティンク、寒くないか?」
「大丈夫じゃが……ちょっと歩きにくいか、のっ」
木枯らし吹く王都の街を、ティンクルスはつまずきつつ助けられつつ、がんばって歩く。
愛用の、濃紺のローブを羽織った姿がいつもより丸いのは、心配顔のクロードがたくさんの服を彼に着せたせいだ。おかげで老魔術師はあまり寒さを感じないが、足元が見えず体も動かしにくいので、いつも以上に蹴つまずく。
今日は光の日。老魔術師の休日であり、黒いローブの妻の休日でもある。この寒い中、二人が向かっているのは――
魔法使いの父娘がティンク魔法店を訪れた、あの日。
『その魔法使いの女性の方は、どんな風に働いて、どんな暮らしをしてるんでしょうか?』
父はこう聞いてきた。
魔法使いの女性は良い家に嫁ぎ、魔法使いの子を生すことが最良の幸せ。こんな風潮がある中、好きな男の妻となり、生涯魔法に関わっていく道を見出した女性に、父は娘の将来を重ね合わせているのだろう。
娘は「私は結婚なんて……」とブツクサ言っていたが、老魔術師が話をすると興味を持ったらしい。ジッとこちらを向き、うなずいたりもしていた。
そこで。
『みなで奥さんに、話を聞きに行ってみないかのぅ?』
ということになったわけだ。
「お、あそこにいるぞ」
「どこじゃろ?」
父娘と待ち合わせた場所に着くと、クロードが指した方向へ、ティンクルスの顔も向く。
「ティンクの銅像の前だ」
「……」
ここは自由市場だ。黒いローブの妻の家に近く、偉大なる魔術師の銅像が鎮座する場所でもある。
父にとっては短い間ではあったが教えを乞うた師、娘は魔法使いとして、やはり尊敬しているのか。銅像に向かい、一心に祈りを捧げているらしい二人の後ろ姿を見つけ、老魔術師は何とも言えない気分になった。
それでも待ち合わせたのだから仕方がない。そろりそろりと近づいて、祈り終えるのを待っていると。
「あ、ティンクさん! こんにちは」
「おお……その、行こうかの?」
こちらに気づいた娘が朗らかに笑い、しかしティンクルスは早く立ち去りたいといった感じで一歩、踏みだす。
「え? ティンクさんはお祈りしないんですか?」
「ふぉ? お、お……」
魔法使いなら当然祈るものだと思っているのか。さも不思議そうな声を上げた娘に、律儀にもふり向いてしまったものだから、ティンクルスはよろりとヨロける。
「ティンクは今日、厚着してて歩きにくいから、余計なところには寄らないんだ。行くぞ」
クロードがこう言うと、娘も父も、妙に納得した顔になった。こんな言い訳が通るのは、王都中を探しても老魔術師くらいのものだろう。
「おお、よく来たな!」
目指す家に着くと、出迎えてくれたのは、今日は休みのおっちょこちょいな隊員だった。彼の腕には双子の姉、クルスがいる。居間では黒いローブの妻が弟のライトスを抱き、笑っていた。
「ふくふくとして可愛いのぅ」
ティンクルスは双子の姉弟に目を細める。その横で、クロードの鼻がふんっと鳴り、妻の眉間にシワが寄る。
実は、孤児院で催された収穫祭の、そのあとのこと。
『奥さん。良かったらわし、濃紺のローブを贈ろうと思うんじゃが』
老魔術師はおずおずと申し出た。
しかし、偉大なる魔術師とは色の異なるローブを眺め、意気消沈中だった妻は、顔を上げると首をふる。
この黒いローブは魔力が目覚めてからずっと羽織っていた、いろいろな想いのこもった大切な物だ。だからこのままで良いと彼女は笑う。
すると。
『そうだな、お前には黒が似合うんじゃないか?』
かつて老魔術師が『黒い犬』の姿を与えたからか。クロードは黒を好む。この言葉は、だから彼なりの慰めだったのかもしれない。が、続く言葉が余計だった。
『色違いのほうがいいだろ。偉大なる魔術師を目指すなんて、お前には無理な話だからな』
『なんですって! あんたこそ、私の大切な黒を着ないでよ!』
二人の間でまた、熱い火花が散ってしまった。彼らの仲は相変わらずのままなのだ。
そして、本日も相変わらずな二人を、ティンクルスはちょっぴり眉を下げつつも、まあまあとほほ笑みながらなだめた。このやり合いに、彼もだいぶ慣れてきたらしい。
父娘を紹介し、夫妻を紹介し、それから黒いローブの妻の話を聞く。
「でも、魔法使いじゃなくなったら、良い薬が作れなくなるんじゃないですか?」
「あら、魔術薬師の薬だってすごいのよ。その辺の魔法使いが作った物よりずっと品質は良いんだから」
笑って答えた妻がむずかるライトスをあやすのを見て、娘の顔にも優しげな笑みが浮かぶ。
(うむっ。ここに連れてきて良かったのぅ)
結婚した魔法使いの女性の働きぶりだけでなく、結婚自体にも良い印象を持ってもらえそうだ。
ほわりと、老魔術師は笑った。
「年頃の娘を持つ父親というのは、なかなか気苦労が絶えません」
「そうなのか……俺もしっかり娘を守らなきゃいけないな!」
こちらは、おっちょこちょいな隊員が腕の中のクルスを眺めて、何やら大きくうなずくと、父が「互いにがんばりましょう」と強く励ます。
(お父上、あまり隊員さんに変なことは……)
頭をよぎったのは――将来、クルスが連れてきた恋人を前にして、『俺を納得させるくらい、娘への愛情があったらな!』と太い腕をムキッと見せつける隊員の姿だ。
へなっと、老魔術師の眉は下がった。
「ティンクさん、今日はありがとうございました」
夫妻の家を辞すと、娘が頭を下げてきた。老魔術師は「いやいや」と笑う。それからの娘の話題は魔術薬師工房のことばかり。
工房では魔術薬師だけでなく、女主人が預かる魔法使いの女性たちも働いている。だからよりいっそう興味を持ったのだろう娘に、黒いローブの妻が「見学できるかどうか聞いてみようか?」と持ちかけたのだ。
庶民街の大通りまで来ると。
「魔術薬師の工房はここをまっすぐ、中央街の右奥のほうにちょっと高い建物があるじゃろ」
「あ、あそこですね!」
目を輝かせた娘に、ティンクルスはほほ笑む。それから横に目を移し、はて、と首をひねった。
父の目線が少しズレているような。その先にあるのは王宮か、いや――
火傷を負った魔法使いの父が王都にやって来たのは、年頃になる娘のため、だけではないのかもしれない。
老魔術師は父の視線の向かう先を、ジッと眺めていた。




