老魔術師と収穫祭
カラリと晴れた青空の下。老魔術師の両足はしっかりと畑を踏みしめ、前屈みになると、両手でニンジンの根本をわし掴む。
そして、腕に力をこめ……
「ふ、ふっ、ふぉっ?」
すぽっ、とニンジンが抜けた勢いで、ぐっと体が反り返る。
ティンクルスの目に映ったのは、澄みわたる空の青と、土にまみれながらも艶めくニンジン色の、鮮やかな対比――ガシリ。
そして、後ろから支えてくれたクロードの心配顔だった。
「おじちゃん、だいじょぶか?」
「こら! おじちゃんじゃなくて、ティンクさんだろ。ティンクさん、俺たちが抜くから休んでていいよ!」
「バカね! ティンクさんもやりたいのよ。あ、ティンクさん、カボチャならヘタを切るだけだから、転ばなくていいかもしれませんよ」
幼い男の子が、少し年上の少年が、一番年長の少女が、さまざまなことを気遣ってくれる。良くできた子供たちだ。
「ありがとう、のぅ」
ティンクルスとしては嬉しくもあり、ちょっとだけ情けなくもあり。けれどやはり嬉しくて、ほわりと笑って素直にうなずく。
今度は薬作りに使っている愛用のハサミを持ちだして、やる気満々、カボチャの畝へと向かっていった。
――今日は光の日。老魔術師の休日であり、待ちに待った収穫祭の日でもある。
ティンクルスは今朝、早くに目が覚めて、まず青空を見てホッと胸をなで下ろした。雨では収穫ができない。逸る気持ちを抑えつつ中央街の神殿を訪れ、『おいしい野菜が採れますように』と心をこめて祈りを捧げる。
それから、元女将とカボチャクッキーの作り方をおさらいすると昼食もそこそこに、つまずきつつ助けられつつ自由市場の裏の、この神殿へとやって来た。
「おじちゃん、ありがとー」
「ティンクさん、ありがと!」
来た途端、子供たちが一斉に感謝の声を上げたのは、贈物の本を事前に届けたためだろう。
「みなはもう、本を読んだのかの?」
ティンクルスがにっこり笑ってこう聞くと、小さな女の子の笑顔が縦に大きくゆれる。
「くろい犬って、ティンクルスさまのせいれいなんでしょ?」
「おお、それはティンクルス、様の大切なお友達じゃのぅ」
この子供が読んだ本は、老魔術師も気に入った『ティンクルスさまのぼうけん』のようだ。
うむうむ、と満足げにうなずくと、見上げてくる女の子の顔が斜めに傾いた。
「せいれいってどこにいるの? どうしたらお友だちになれるの? せいれいって犬なの? 犬でもお話できるんでしょ? まほうつかいの犬がせいれいなの?」
ものすごく精霊に興味を持ったらしい。目を輝かせた女の子がずいずいと迫り、矢継ぎ早に質問を繰りだしてくる。
精霊に興味を持ち、友達になりたいと思ってくれるのは嬉しい。この機会に、いろいろと話して聞かせてあげたいと思う。しかし。
ティンクルスはどこで割りこみ答えていいのか、ぱくぱくと、口を開けてはまたつぐむ。クロードが大人げなく、少々鋭い眼差しを向けるも、女の子は気づかないのかその口は止まらない。
「ほら、畑に出るよ」
神官が止めるまでそれは続き。
(わし、まだ何も答えてないんじゃが……)
老魔術師の眉と肩はひどく残念そうに、へなっとしょぼんと下がっていた――
サクリ、サクリ。
ティンクルスは畑にしゃがみこみ、カボチャのヘタを切っていく。
クロードが後ろに張りついているのは、バランスを崩してヨロけた際、速やかに助けるためだろう。
「あれ? ティンクさんのハサミ、すごく切れ味がいいですね」
ここで感心した風な声を上げたのは、刃物を握る神官だ。そう言われ、ハサミを眺めた老魔術師の、胸がぐっと反り返る。
「うむっ。実はの、このハサミ、わしの甥……いや、叔父上からの贈物なんじゃ」
陽を受けて、ハサミがキラリと輝いた。
この品はもう三十年ほども前か。今の王、そのころはまだ王子だった甥のレイヴンスが、贈ってくれた物だ。
それ以前は刃物に手を伸ばすと、心配性な若き侍従ロイクに止められ、過保護な犬のクロードが魔力でスパッと切っていた。そして、ティンクルスの眉は下がる。
こんな光景を見たからだろう。レイヴンスは、ハサミなら彼らもそれほど反対しないだろう、と用意したらしい。
これにより、ティンクルスが案外不器用ではなかったと認識を改めたのか。心配性やら過保護やらがホンの少し鳴りを潜める、という効果ももたらした。
名工の手による切れ味抜群の、それでいて安全にも十分配慮された、小さめの手に合う自分だけのハサミ。とても大切な物だし、今でも手入れは欠かさない。
「むふふ……」
嬉しげな顔のティンクルスが、ハサミをちょきちょき軽快に動かしていく。
「あっ、ティンクさん! そのカボチャはまだですっ」
「ふぉっ? おっ、おっ」
神官から制止の声がかかると、老魔術師はビクリと跳ねてヨロリとよろけ、しかし後ろを陣取るクロードにしっかりと支えられる。
もたもたとした手つきのおかげで、カボチャはまだ無事である。ティンクルスは、ふぅ、と安堵の息をつく。
この後、神官から『食べごろなカボチャの見分け方』を教えてもらい、老魔術師としてはとても有意義な時間を過ごした。
*
「よぉし! お前ら、遊ぶぞ。鬼ごっこだ!」
収穫を終えると、小さな子供たちは歓声を上げながら、空き地を元気に駆けまわる。それを追いかけるのは、収穫祭を手伝いに来たおっちょこちょいな隊員だ。
彼らを見守る神官も、楽しげにほほ笑んでいる。
「うん、もう少し塩を入れてもいいわね」
孤児院の厨房には、大きな子供たちと近所の奥さん方が集まり、料理に勤しんでいる。奥さん方の口は忙しく動き、なかなかに賑やかだ。もちろん彼女たちの手はそれ以上に早く、テキパキと動いている。
そんな中、ティンクルスは真剣な顔でもたもたと、クッキーの生地を捏ねたり丸めたりしていた。
「ティンクさんは男の人なのに料理が好きなんて、珍しいですねぇ」
「……そぅ、かの?」
奥さん方に声をかけられるも、一生懸命な老魔術師の反応は遅い。その間にも奥さん方の会話は進む。
「あら、いいじゃない。うちの亭主なんて何にもしやしないわよ!」
「うちもよ! 言ったって動かないんだから!」
「あの、うちは手伝ってくれますけど……」
そろりと口を挟んだのは、黒いローブを羽織ったおっちょこちょいな隊員の妻だ。
「あんたのうちは、まだ新婚さんみたいなもんだし、初めての子供も生まれたばっかりだからねぇ」
「今だけよ、今だけ!」
けらけらと笑う奥さん方に、黒いローブの妻の口がホンの少し、尖った。
「ティンクさん、クロードさん。ちょっといいかしら?」
ここでサササと寄ってきて、ヒソヒソとささやいたのは、少々派手な装いの女性だった。彼女は庶民街の大通りにある、ちょっとばかり大きな店の奥様、であるらしい。
「ぉ……お? なんじゃろ?」
クッキーの生地と真剣に向き合っていたティンクルスも、奥様がすぐそばまで来たものだから、さすがに気づき顔を上げる。
「ティンクさんとクロードさんは、そろそろご結婚なんてものをお考えじゃないかしら?」
「ふぉ?」
突然の言葉にきょとんとし、隣のクロードを見上げることしばし。
「はいはい、奥様、その鍋見ててくださいな」
「そうね! 奥様にお願いしましょうかね!」
「え? あら、ちょ、ちょっと……」
また奥様へ目を戻す、と。
「お?」
妙に手際のよい奥さん方により、奥様の姿は消えていた。
今のはいったい何だったのか。きょとんとしたままのティンクルスに。
「あの人、何で孤児院の収穫祭に来たんだろって、みんなで話してたんですけど、ティンクさんが狙いだったんですよ」
と、黒いローブの妻が教えてくれる。
老魔術師は地方の商家の息子、ということになっている。坊ちゃん風な外見と上品な装いから、実家は裕福に思えるのだろう。本人も中央街に店を持ち、魔道具職人工房の仕事を引き受ける魔術師でもある。
庶民街の商家からしてみると、とても条件の良い結婚相手だ。娘と結婚させて支援を取りつけ、あわよくば中央街に店を出すことを目論んでいたのだろう。
「じゃが……さっきの奥さんは、クロードも、と言ってなかったかの?」
「それはきっと、ティンクさんのついでですよ」
クロードは護衛ということになっているが、老魔術師とは親友のように仲が良い。もし相手がクロードだったとしても、「ティンクさんから援助が受けられると思ったのよ」と黒いローブの妻は言う。
「あんたはついでよ、ついで」
妻がふふんと笑うと、クロードの眉間にシワが寄った。
この二人はかつて――黒いローブの妻が幽霊騒ぎを起こしたときの事だが、互いに『幽霊女』『犬男』とやり合った仲である。今でも顔を合わせれば、バチリと火花が散ったりする。
このままでは、と心配したティンクルスが止めるより、前。
「お前、毎日黒いローブばっかり羽織って、他に着る物がないのか?」
「あんたこそ、いっつもティンクさんにくっついて。少しは他の人にも優しくしないと結婚できないわよ」
「俺は結婚なんてしない。お前こそ、黒いローブばっかりじゃ結婚……」
彼女は結婚済みだ。グッと詰まったクロードを見て、黒いローブの妻のあごがググッと持ち上がる。
(……クロードの負け、じゃろうか)
それはそれで悲しいと、老魔術師の眉は下がる。が……
「私は結婚できたわよ。それにね、この黒いローブはティンクルス様を倣ってのことなの。すばらしい魔法使いになるっていう、私の決意の表れなのよ!」
「偉大なる魔術師のローブは、黒じゃなくて濃紺だぞ?」
「……え?」
黒いローブの妻が――固まった。
この勝負、どうやら引き分けに持ちこめたようだ。
それから、ティンクルスはみなと一緒においしい野菜を頬ばり、楽しいひと時を過ごしたのだが。
「わし、濃紺のローブを贈ってあげようかのぅ?」
「……そう、だな」
よほど衝撃的だったのだろう。黒いローブの妻はまだ、意気消沈中だった。




