真犯人と騒ぎの顛末
宿屋の狭い一室で、娘が声を押し殺しながら泣いている。彼女は、この宿屋の娘だ。
「お嬢さんが、この薬を飲み物に混ぜたんじゃの?」
黒ずんだ液体が、わずかに残る小瓶を持ち上げて、ティンクルスが優しく声をかけると娘の頭が小さく揺れる。
「縁結びの魔法使いの秘薬じゃと言われて、男から買ったんじゃの? 毒だとは知らずに入れたんじゃの?」
「はい……飲ませれば恋が叶うって。でも、まさかこんな事になるなんて」
娘の声は詰まり、震えてもいる。
「あんたねぇ!」
ここで剣舞の女性がいきり立った。火吹きの若者も、加勢のつもりか恐い顔で立ち上がる。
毒を盛られたのだ、怒るのは当然だろう。しかし、このままでは争いになってしまう。焦った老魔術師は二人を止めようと腰を浮かす。が……
女性はグッと唇をかみ、振り上げた拳は自身の足を叩きつけた。
「……あたしも、あんたの気持ちを知ってて、あんたの前でこの人との仲を見せつけたからね」
ボソボソとしゃべる女性に、若者がポカンとした風な顔を向ける。
「姉さん……そんな根性悪いこと、してたのか?」
「だって! こんな若い子があたしの亭主のこと、ジッと見つめるんだよ。不安になるじゃないか! なのにこの子、あたしにも親切にしてくれて……」
剣舞の女性はもちろん怒っているだろうが、娘に対して好意もあり、罪悪感も抱き、これまでの行動を後悔してもいるようだ。うつむいている。
火吹きの若者は女性と娘を見比べて、何と言えばいいのか、微妙な表情だ。ベッドに横たわる男性は、もういい、という風に首を小さくふっている。
「ふむ」
みなを眺め、ティンクルスはうなずいた。
一座は王都に来ると、ここを定宿にしているそうなので、娘との付き合いも長いはず。このままでも、いずれ仲直りするように思える。これも男性が無事だったからであり、娘に害意がなかったからだろうが。
ならば、ここは矛先を変えてみたほうが良さそうだ。
「ちょっと気になることがあるんじゃが」
こう言うと、みながこちらをふり向いた。老魔術師は指を一本立てて、その顔を見まわす。
「お嬢さん。その秘薬はいくらで買ったのかの?」
「い、一クレインスです」
消え入りそうな娘の答えに、剣舞の女性が「え?」と声を上げる。
「毒にしては安く、ないかい?」
「うむ」
毒薬とは往々にして値の張る物だ。普通なら、失礼ながらこの宿屋の娘が買える代物ではないと思う。
毒を秘薬と偽って売った男は、もっと稼げる相手がいるはずなのに、この宿屋の娘を選んだ。それはなぜか。
ここまでを聞いた、女性が、娘が、若者が、先ほどのことは忘れたかのように顔を合わせる。
「もし治療がもっと遅かったら、ご亭主はたぶん、痺れが残って体が不自由になったと思うんじゃ」
男性の体から感じた毒の魔力、小瓶の大きさを見ても、こんな感じだろう。
「それって……命は無事ってことかい?」
「そうなんじゃ。毒を使うにしては中途半端じゃろ。それでの、もしご亭主がそんな状態になったら、この一座はどうなるのかの?」
「そりゃ、みんなは稼がなきゃいけないから旅に出るよ。あたしはここに残って、この人の面倒を……」
ここまでを言って、女性がハッと息をのんだ。
「まさか……狙いはあたし、かい?」
おそらく、とティンクルスはうなずく。
王都に頼る者のない、体の不自由な夫を持つ女性が、どうやって暮らしていくのか。
剣舞の女性は裏宿通りで、「客なんか取らなくても芸で食べていける」と言っていた。つまり彼女は今、身を売らないのだ。だから何者かは、彼女が困窮する状況を作ろうとした、とは考えられないか。
「じゃ、こっ、この子の恋心を利用して、あっ、あたしをっ、ゆ、許さなっ」
あまりの怒りで言語不明瞭になっているのか。剣舞の女性の顔が真っ赤に染まっていく。そして……
老魔術師は生まれて初めて、女性が吠えるさまを見た。
それからしばし。
「そ、それでの、お嬢さん。その男を捕まえないと、また何をするかわからないからの。どんな人物じゃったか教えてほしいんじゃ」
ようやく落ち着いた部屋で、こちらもクロードに背を擦ってもらい、それなりに落ち着きを取り戻したティンクルスが尋ねる。
娘はこう答えた。
刺繍や飾りのついた黒い洒落たローブに、静かな声と穏やかな笑み。何だか覚えがある。
さらに詳しく聞いてみると、広場で会った詐欺まがいの輩、クロードが嫌った怪しげな男、これと一致する。
「お、お嬢さん。もしかして、その男は青い布を持ってなかったかの?」
「そういえば……確か、薬を包んでた布が青で、綺麗なレースがついてたと思います」
ティンクルスはクロードと、目を合わせてうなずいた。
*
――数日後のこと。
「今回はティンクのお手柄だったね。ありがとう」
「い、いや。わし、役に立てて良かった」
優しげな顔の隊員に優しげな笑顔を向けられて、ティンクルスは照れながらもホンのちょっとだけ、薄い胸が反り返る。
ティンク魔法店のソファで、隣に座るクロードはほほ笑ましげにそんな彼を眺めている。
老魔術師が警邏に勤しんだ日。
警備隊は彼の通報を元に、怪しげな男を捜索した。建国祭以来、若い娘が行方をくらます事件が起きており、その最初の被害者が青いドレスを着た娘だったからだ。
しかし、どこに潜りこんだのか、男の所在はわからない。そこで、老魔術師の二度目の通報が役立った。
剣舞の女性に目をつけていた男は誰か、だ。
これは女性本人から聞きだした。彼女は怒り心頭といった恐ろしげな顔になりながら、これまで言い寄ってきた男たちのことを話してくれた。
警備隊はその中から、怪しげな男を動かせる、そんなつながりと金を持つ男を絞りこみ、そこから辿って悪党一味の捕縛に至ったわけだ。
行方不明だった娘たちも無事、見つかっている。
「あの男は娘さんたちを攫って、どこかへ売り飛ばすつもりじゃったのかのぅ?」
「うん。王都じゃバレるから、他の街に売る気だったらしいよ」
最近、少し涼しくなっただろうかと感じる日が増えてきた。温かい紅茶をすすり、ティンクルスは首をかしげる。
「じゃあ、どうして剣舞の奥さんのことは、攫わなかったんじゃろ?」
「彼女、美人だし芸も派手だから建国祭で目立ったんだ」
だから男は彼女を妾にして、この王都でみなに自慢したかったのだと、隊員は首をふった。
「む……」
彼女が行方不明という扱いではみなに自慢できない、ということか。老魔術師も眉を寄せて首をふる。
「案外、あの女が強そうだから、攫うのが怖かったんじゃないか?」
ふんっと鼻を鳴らしたクロードに、隊員はくすりと笑みをこぼす。
けれどティンクルスは、あの剣舞はすごかったと、吠える姿はもっとすごかったと、納得顔でうなずいた。
ちなみに、なぜ怪しげな男は攫った娘のドレスなどという、自らの罪が露見しそうな布を持ち歩いていたのか。
「誰も気づかないと思ったみたいだよ。その娘もこの辺りの住人じゃなかったからね」
隊員はこう、教えてくれた。
親しい者でもなければ娘のドレスなど、覚えていないということか。確かに、ティンクルスもいまだハッキリとは思いだせない。
そして、クロードは。
「あの男、見栄えのいい布だから使おうと思ったんだろ。ただの貧乏性だ!」
老魔術師を騙して石ころを高値で売りつけようとした男を、芸人に毒を盛ったことで、結果的に、老魔術師の警邏を長引かせ夕食の時間を大幅に遅らせた男を、決して許さないに違いなかった。
――さらに幾日か経った頃のこと。
「お姉ちゃん、すごかったー」
「兄ちゃん、どうやって火、吹くんだ?」
「おじちゃん、あたしにも笛、吹かせてー」
神殿の食堂で、頬を上気させ顔いっぱいに笑みを浮かべた子供たちが、剣舞の女性に、火吹きの若者に、楽器を持つ男性たちに、群がっている。
その様子を、老魔術師はニコニコ笑って眺める。
「ティンクさん。今日は素敵な催しを開いてくれて、ありがとうございました」
こう言って、神官がほほ笑む。
ここは自由市場の裏手にある神殿の、孤児院だ。今はおっちょこちょいな隊員の妻――黒いローブを羽織ったクロード曰く『幽霊女』だ、が独身時代、幽霊騒ぎを起こした空き地の、隣の神殿である。
ティンクルスは治療費と魔法薬の代金を払うと言う芸人一座に、こう提案していた。
『お金の代わりに、孤児院で子供たちに芸を披露してやってくれないかのぅ?』
剣舞の女性は夫の身を案じていただろうに、その間も広場で働いていた。つまり、金銭に余裕があるわけではないのだ。
剣舞の女性も、火吹きの若者も、孤児院育ちだという。ならば彼らの時間を少しもらって、子供たちを喜ばせてやってほしい。そう頼んだのだ。
それに。
食堂には、少し遠慮がちに、けれど子供たちと笑い合う、裏宿通りの宿屋の娘の姿もある。
実は、彼女はこの孤児院の出、宿屋の養女なのだそうだ。
剣舞の女性が妹のように思っていたのは、自身と似た境遇でもあったからか。それでも、少々の嫉妬からいじわるもしてしまったらしいが。
この催しで、また仲良くなってほしいと思う。
「ところで、あの娘さんのお義父上とお義母上は、今回のことを知ってるのかの?」
娘は養女だ。もし宿屋を追いだされてしまったらと思うと心配だ。しかし、神官はにこりと笑う。
「散々叱られたらしいですよ」
「じゃあ、娘さんは追いだされないんじゃのっ」
ティンクルスがほわっと笑うと、神官は穏やかにうなずいた。
「これも、ティンクルス様のおかげです」
「ふぉ?」
突然出てきた自分の名に、老魔術師は首をかしげる。
偉大なる魔術師ティンクルスは、孤児たちに魔術薬師や魔道具職人という、新しい道を拓き与えた。
それは孤児たちに夢や希望を与えた。子供たちの様子が変わった。そして人々の、孤児に対する見方も変わってきた。
「たとえ魔術薬師や魔道具職人になれなかったとしても、子供たちは以前より良い仕事に就けるようになりました。裏宿通りの宿屋であったとしても、養女にもなれるんです」
――子供たちはきっと、幸せになります。
神官の声を聞き、子供たちの笑顔を眺め、じんわりと、ティンクルスの胸が温かくなっていく。
「そう、そうじゃの……」
目には涙が浮き、鼻はぐずつき……
「みんな! 近所のお母さんたちが、ご馳走作ってくれたのよ!」
ここで登場したのは、大皿を両手に持ち、無事に出産を終えてすっかり動きも良くなった、黒いローブの幽霊女、いや、おっちょこちょいな隊員の妻だ。
その後ろには、やはり大皿を持った、夫である隊員もいる。
「ほら、お前ら、行儀よく座れよ!」
隊員の大声に、子供たちが声を上げて席に着く。
夕暮れ時の小腹の空いてきたこの時間、老魔術師の目は涙も引っこみ、大皿の料理に釘づけだ。
「……じゃが、もうすぐ夕飯じゃし」
しょぼんと肩を落とすと、クロードがいたずらめいた顔で笑う。
「ティンク。あの隊員もいるから、これから何が起きるかわからないぞ。今のうちに食べよう」
「お……そうか、そうじゃのっ」
ティンクルスもにこっと笑う。
さあ食べよう。二人は意気揚々と子供たちの輪に加わった。




