魔法使いの話と騒動 ~魔法屋編3~
魔法屋の入口に掲げられた看板の、『ティンク魔法店』という洒落た文字が陽を浴びてキラリと輝く。開け放たれた窓からは心地よい風が吹きこみ、作業場で机に向かい魔石を握るティンクルスの、頬をそよとくすぐる。
「ティンク。薬は全部、小瓶に分けていいか?」
なみなみと魔法薬の入った鍋に手をかざし、もう冷めたから容器に移そうと、クロードがこちらを窺ってくる。
「うむ、そうじゃの」
顔を上げたティンクルスは友に礼を述べると、開いた窓から外を見やった。
少し前、王都で一番大きな祭り、建国祭が終わり、街は落ち着きを取り戻しつつある。終わった翌日はまるで夢から覚めたように、ボンヤリと、ゆったりとした時が街にも人にも流れていると感じた。
街での祭りは初めてだった老魔術師は、なおさらぽやっとし、隠居したご老人のごとく魔法屋にちんまり座って外を眺めたりしていた。
が、それも数日のこと。今はしゃきりと仕事に取りかかっている。
しかし今、いつもどおりの王都に戻ったかというと、少し違うと思う。まだ、人が多い。まだ、少し騒がしい。そのほとんどは行商人であったり、旅芸人の一座であったり。
旅には金がかかる。特定の拠点を持たない彼らは、王都で稼げるだけ稼いでから次の街へ行くのだろう。
毎年、夏いっぱいは人が多いのだと、だから厄介事も多いのだと、これは警備隊員から聞いた。
「……うむ」
外を眺め、意味もなくうなずいたティンクルスは再び机に向かう。
祭りで賑わう街は歩くのも大変だったが、とても楽しかった。最終日の夜、みなで見上げた夜空の花火はとても美しかった。
そう思いだしては頬がゆるむ。
「ティンク。それ、魔力測定器用の魔石じゃなかったか?」
「……ふぉっ!?」
ハッとして見てみれば、手に握った魔石にはまったく用途の異なる、光の魔術文字が刻まれていた。しかも、これでは花火が打ち上がってしまうので魔光灯にも使えない。
「わし……」
久しぶりの失敗に、老魔術師の眉と肩が、へなっとしょぼんと下がった。まだ、ボンヤリが完全には抜けていないようだ。
*
――カラン、カラ~ン
「今日も暑いな! ティンク、クロード、元気か?」
「おぉ、隊員さん。何だか大変そうじゃのぅ」
涼しげな音色とともに顔を出したのは、汗をだらだら滴らせ、警備隊のバッジのついたシャツをじっとりと濡らした、いかにも暑苦しそうなおっちょこちょいな隊員だ。
「ささ、こちらへどうぞ」
にっこり笑ったティンクルスは、お決まりのセリフとともにソファを勧める。
クロードは、こちらも決まり事なのか、眉間にシワを寄せて「忙しいわりには毎日来るな」とこぼし、それでも元女将に果実水を頼む。
おそらく汗だくな隊員のためではなく、来客としゃべるティンクののどが乾かないように、とでも考えているのだろう。
「ハーッ、うまい! おかわり!」
老魔術師が冷たい果実水に口をつけた直後、のどを鳴らして一気に飲み干した隊員がグッとコップを突きだした。
「ない!」
それを、クロードがすばらしい速さで却下する。
ティンク魔法店では、相談事がありそうな、話をしたい様子の客には飲み物をふるまうことにしている。ただし、一杯だけとも決めてある。
『ここは宿屋や食堂じゃありませんからね。お金も取らないんだし、ただ世間話をしに来る人にはそれで十分ですよ』
これは店を開いて初めて、おっちょこちょいな隊員がおかわりを所望したときのこと。元女将からこう、言い含められたのだ。
以来、老魔術師は心を鬼にして要求を跳ね除け……その役はクロードが買ってくれている。
「まだ忙しいのかの?」
「やっぱり人が多いと、何だかんだ騒ぎも起こりやすいからな」
ティンクルスがテーブルに、まだ果実水の入ったコップを置くと、隊員のさも羨ましそうな目が注がれる。非常に居心地が悪い。だが、ここは心を鬼にして……
老魔術師の少し小さめの手が、ぐっとコップをわし掴む。
「ティンク、無理して一気に飲まなくていいんだぞ。お前も、ティンクを困らせるな!」
結局、クロードに助けられた。
「それで、まだ街は落ち着かないのかの?」
果実水騒動も何とか収まり、老魔術師がこう聞くと、隊員は顔をしかめてうなずいた。
「ああ。今年は建国祭のあと、魔法使いの話が広まっただろ」
「魔法使いの話?」
首をかしげたティンクルスに、隊員は「知らないのか?」と、今度は得意げな顔になって話しだす。
祭りが終わった今、大きな見世物はもうないが、庶民街の小さな広場へ行くと、ちょっとした芝居や曲に乗せた詩人の語り、人形劇など見ることができる。
その中でも人気の話があるという。それが――
『輪投げで恋人たちを結ぶ、縁結びの魔法使い』
『森に棲みつく恐ろしい悪霊を退治した、勇敢な魔法使い』
『竜を従え大空を舞う、聖なる魔法使い』
「……」
何だか、どこかで聞いたことがあるような。それぞれ詳しく聞いてみると。
縁結びは、アンガンシアの酒場で鉱夫たちと酒を酌み交わし、輪投げの技を習得したときのこと。
勇敢な、は、ティティリアの外村ヴェリダでの『何ものか』の討伐――その正体は大精霊の魂と娘について、教えてくれた精霊であったが。
聖なる、は、竜の谷を訪れた際、竜に連れ去られ、そして再び戻ってきたこと。
全て老魔術師の所業であった。
話が大きく美しく、脚色されているからだろう。魔法使いの話が三つ、重なったこともあるのだろう。おとぎ話のような、けれど実話らしいとも噂される物語が、庶民街の人々に好評なのだそうだ。
隊員は勢いこんで話を続ける。
「縁結びなんて、モテる俺にはどうでもいいがな。悪霊を退治した魔法使いは、魔法だけじゃなくて剣の腕もすごいらしいぞ! それに竜を従えるなんて、それこそティンクルス様みたいな、すごい魔法使いなのかもな!」
脚色しすぎだ。
実際は、剣どころか森を歩くのもやっとだったし、竜は従えたのではなく、大精霊が『印ある人間を運んでほしい』と頼んでいただけだ。大空を舞う老魔術師はひたすら叫び、降りればふぅふぅ言っていた。
そして、ティンクルス様みたい、ではなく本人だ。
しかし、作り話かもしれないと言いつつ、妙に目を輝かせている隊員の夢を壊さないためにも、本当のことは言えない。
「……そう、じゃ、の」
老魔術師はかなり詰まり気味に、ようやくこれだけを返した。
*
「むぅ……」
おっちょこちょいな隊員が去った魔法屋で、ティンクルスは口を尖らせ腕を組み、難しい顔になって唸りをもらしていた。
「別にティンクが気にしなくていいと思うぞ」
「そう、なんじゃが、のぅ」
クロードが首をふるも、老魔術師の返事は鈍い。
隊員の話には続きがあった。いや、元々『まだ街は落ち着かないのか』という話だったのだ。そこから魔法使いの話が出た。つまり――
今、街ではある物が売れているそうだ。
それは、縁結びの魔法使いが魔法をかけた、輪投げの輪。勇敢な魔法使いの魔力がこもった、魔宝玉や石。これらは、魔法使いが魔物討伐に用いる魔石に見立てたのだろう。そして、聖なる魔法使いの力を帯びた、竜の牙や爪の代わりらしい骨。
それぞれ、恋愛成就、悪霊退散、福運招来の効果があるという。
もちろん老魔術師はそんな物に心当たりがないし、恋愛成就だの何だの、そんな力もない。
要は魔法使いの話に便乗して、ただの輪っか、安い魔宝玉にその辺の石ころ、動物や魔物の骨を、ささやかな値で売っているわけだ。
多くの者は話半分、ちょっとした話題にと品を求めているらしい。だが、例年にはない出来事でもある。警備隊では警邏中、これらに目を配り、詐欺まがいの輩やイザコザがあれば取り締まる。
今のところ大きな問題は起きていないそうだが、この小さな騒動の元となってしまった老魔術師としては、気になる。
「わしも警邏、してみようかの」
ポツリとこぼすと、クロードがギョッとした風な顔を向けた。
わざわざそんな事をしなくても、と思ったのか。それとも、老魔術師と警邏という言葉が、あまりにも不釣合いだったせいか。
「ティンクが、か?」
「うむっ」
どこまでも穏やかでのんびりとした顔をキリリと引き締め、ティンクルスは気合を入れてうなずく。
「まあ、ティンクが気になるなら……そうだな。警邏も散歩も同じようなものだから、いいか」
「や……違う、つもりなんじゃが」
自身の言葉に納得した様子のクロードを見て、へなっと、老魔術師の眉が下がった。




