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老魔術師は二度目を生きる  作者: とうあい
その後の章
76/88

妻の真意と魔女の想い

 ――バサリ


 騎士が薄い掛け布団を勢いよく剥ぐと。

「何も、いませんね」

「気配は何も感じないけど、な」

 ふり向いた騎士に、見下ろすクロードに、ティンクルスは首をひねった。確かに掛け布団が動き、妙な音も聞こえたはずだが。


「変じゃのぅ……」

「あ……そうだ」

 本人は急いでいるつもりだが、もたもたと寝室へ向かう老魔術師のあとを、今は覇気がないせいか、のろのろと職人が続く。

「壁のここ、穴が開いてるんだ」

「穴?」

 一見してもわからないが、職人が指した場所に近づいてみると、ヒュ、ヒュ、という音が大きくなった。手をかざせば確かに風を感じ、手で塞ぐと音も消える。積み重ねた石と石の間に、隙間ができているようだ。

 これは、つまり……


 職人の妻の要求は、『寝室の壁の穴を直してほしい』ではなかろうか。

 この時期は夜になると風が強くなる。ヒュ、ヒュ、と今は小さな音も、夜になればもっと大きくうるさいはずだ。穴の位置は寝ればちょうど顔の辺りか。これでは音も、吹きこんでくる風も、かなり気になると思う。


「のぅ、職人さん。奥さんが寝てるのは、この穴のある壁側のほうかの?」

「あ? あぁ……あいつ、壁側じゃないと落ち着いて寝れないんだ」

 ここで職人以外のみなと目が合い、老魔術師はうなずく。


 妻が書き残した『魔女エリーズを退治して』は――防壁から魔女のうめき声が聞こえた、この話になぞらえたのだろう。

 寝室の壁の穴と同じく、魔女のうめき声も、きっと古くなった防壁の隙間を通る風の音だ。実際、防壁には新たな石で補修した跡があったし、精霊であるクロードもその様子を見ている。

 大きくぶ厚い防壁だ。低く不気味な音が鳴り、それこそ人のうめき声のように聞こえたのだと思う。


 つまり、妻は寝室の穴のせいで寝不足になり、それで塔へ避難したわけだ。

 暗号のようなわかりにくい文章を残したのは、夫が気づくのに時間がかかるように、少しでも長く家を空けたかったからか。しばらくゆっくり寝たかった、ということになるのか。


「そういえばこの穴、あいつにずっと直せって言われてたのに、忘れてたな」

 職人は妙にたそがれた風な物言いで、宙にうつろな目を向ける。

「……職人さん、この穴を塞げば奥さんは帰ってくるんじゃないかの?」

 老魔術師はポツリとこぼした。



 ――そして夕方。


「寝室の壁の穴は塞いだぞ! だから帰ってきてくれ!」

 誰が置いたか知らないが、台の上に立った職人が、防壁の塔に向かって大声で叫ぶ。

 シン、と周りは静まり返る。人々が見守っているのは、塔の窓辺に見える妻の姿だ。昨日、彼女が一言も答えなかったために、本当に離婚してしまうのかと不安に思っているのかもしれない。


 ティンクルスも、ドキドキしながら妻を眺めた。もし彼女の残した文章の、解釈を間違えていたらどうしよう。そんな不安が心をよぎる、と。

 妻の顔に笑みが浮かんだ。

「お、おぉ……良かった、これで奥さんも帰ってくるのぅ」

 老魔術師の口からホッと息がもれる。


「やっと私が大変だったこと、わかってくれたのね!」

「あ? 大変って何がだ!?」

「何がって……一人で寝て気づいたわよね!? だから壁も直してくれたんでしょ!?」

「何のことだ!?」


 何だか、雲行きが怪しくはなかろうか。

 妻が毎晩悩まされていた音と風に、職人はまったく気づいていないようだ。妻の寝不足に思い至らず、妻が何度も直してくれと言った心情も、まったく理解していないということだ。

 確かに、老魔術師もわかると思って説明しなかったが。


「なあ、もう家に帰ろう!」

「……」

「おい、どうしたんだよ!?」

「……」


 これは、マズイ。

 そう思ったとき、ティンクルスは思わず声を上げていた。

「奥さん! ご亭主は奥さんの大変さはまったくわかってないが、奥さんがとっても大切じゃということは、心の底から理解したんじゃ! じゃから、戻ってきてくれ!」


「……お?」

 気がつけば、辺りは再び静まり返り、見れば職人の、それから妻の、顔は夕日よりも赤い。そして。

「おお、仲が良いねぇ! 奥さん、もう戻ってやれよ!」

「そうだよ! 亭主はあんたのこと、とっても大事だってさ!」

 周りから次々声をかけられて、職人と妻の顔はさらに赤く染まっていった。


「うまくいって良かったのぅ」

 帰りがけ。少し寝不足なためか、ティンクルスはのたのたと歩き、ほわっと笑い、ついでにあくびを、あふ、とこぼす。

「手間のかかる職人だったな」

「まったくです」

 クロードと騎士は、実に不機嫌そうな声を出した。





「ティンク、帽子だ」

「おお、ありがとうのぅ」

 涼しげな網目の帽子が、騎士の手からクロードへ。クロードの手からティンクルスの頭へ。

 宿に迎えに来てくれた、ファビオとレジスに挨拶をして外へ出る。


 あれから数日。老魔術師は若者たちの案内で、街を巡りつつ、精霊が囚われている玉を入手しつつ、カーヴィアの街を楽しんでいた。

 『魔女の月』の奥さん方の篭城は、まだ続いているようだが、ほとんどの女性は数日で家に戻るという。やはり祭りのようなものなのだ。みなでパッと騒ぎ、あとは仲良く暮らしていこう、ということらしい。

 妻に謎の書置きを残され、途方に暮れていた職人も、今は元気に働いているようだ。


「今日は少し遠いから舟で行こう」

「用意してくれたのかの? すまないのぅ」

 宿屋から少し歩いて水路へ出ると、一行は小舟に乗りこむ。

 ティンクルスは相変わらず、クロードに抱えられ、座らされ、ゆらゆら揺れる体を支えられる。

 ファビオが竿を操ると、小舟はゆらりと動きだした。


「ティンク、明日、うちの店に来るよね? そうしたら近くの湖まで遊びに行かない?」

 舟先に座ったレジスがこう聞いてきた。

 老魔術師はご老体の招きにより、明日、宿屋から若者たちの商家へ移ることになっている。その上、遠出まで計画してくれているようだ。

 礼を述べつつ、なぜこれほど良くしてくれるのか、疑問に思い首をかしげる。


「一番驚いたのは、魔女の話をしたのに怒らなかったことだよね」

「そうそう。俺、ティンクが魔女の月のことを旦那様に聞いたとき、ギョッとしたよ」

 ファビオが肩をすくめると、レジスはおかしそうに笑ってうなずく。

「最初から好意は感じたけど、それが強くなったのはエリーズの話のあとだな」

 断言したのはクロードだ。ご老体の感情を感じ取ったのだろう。すると。


「おそらく、ティンク様のエリーズに対するお言葉や、お気持ちの違いではないでしょうか?」

 騎士は思いだすように宙を見つめ、話を続けた。

 みながエリーズを魔女と呼ぶのに対し、老魔術師は『エリーズ殿』と言った。彼女を哀れむような気遣うような様子も見せた。なぜかはわからないが、ご老体はそこが気に入ったのではないか。


「ふ、む……」

 エリーズは多くの人の命を奪った、恐ろしい領主として伝わっている。かつ、今の国からしてみれば、敵対した勢力だ。

 国に仕えるジャンにとっても、老魔術師の言動は不思議なものとして映ったのだろう。窺うようにこちらを向く。

(それは……)

 ティンクルスは小舟の向かう先、押し迫ってくる防壁を見た。


 王宮には、一通の書簡が残されている。三百年以上も前、エリーズが書いたとされる、初代王に宛てた物だ。

 そこには、ただ一文――


『カーヴィアの未来を託す』


 彼女の意思であると示す魔法印とともに、こう記されていた。

 この書簡を届けた、エリーズに仕えていた者は、彼女は自害したと言い涙をこぼした、とも残っている。


 領主エリーズは、確かに良いとは言えない決断もしたのだろう。犠牲になった者からすれば決して許されない行為だっただろう。しかし彼女は、ただただカーヴィアを守りたかった。全てを捨て、その一つだけを望んだのではないか。

 エリーズは精一杯、街を守り抜いた。そして、これから訪れるであろう平和には不要と判断した自身を、葬った。

 こんな風に、老魔術師は思うのだ。


(そういえば……)

 ご老体もエリーズを魔女とは呼ばなかった。ならば、きっと同じような気持ちを抱いているのだろう。彼女のことを詳しく知っているはずだ。

 もしかするとご老体は、エリーズに近しい者の、最後の想いのこもった書簡を初代王に届け彼女のために涙した者の、子孫――

 これは、少し考えすぎだろうか。


「案外、そうかもしれないな」

 心が伝わったのだろう。クロードが小さくつぶやくと、ティンクルスは気恥ずかしげに「ふぉふぉっ」と笑った。



「ふぉぉ……高いのぅ」

「ティンク、俺から離れるなよ」

「ティンク様。帽子は飛ばされると危ないので、こちらへ」

 老魔術師は今、カーヴィアにそびえ立つ防壁の、一番左の塔に登っていた。魔女の月、妻たちがこもるのとは反対側にある塔だ。ここは兵に断れば、誰でも入り見学できるという。

 クロードが横に、騎士が後ろにピタリと張りついているのは、老魔術師がうっかりつまずき転げ落ちてしまうのを、心配しているためだろう。ものすごくあり得る事態だ。


 防壁の外を望めば、どこまでも森が広がっていた。中世の終焉、魔物が大挙して押し寄せた、今は猟師たちの狩場になっている、森だ。

 元々はこちら側にも農村が広がっていたという。遠くには街もあっただろう。それらは全て呑みこまれ、今は木々に覆われている。

 ティンクルスは胸に手を当て、静かに祈る。


 くるりとふり向きなびく髪を押さえれば、カーヴィアの街が賑わっているのがわかった。エリーズが、多くの人々が、守り繁栄した街だ。そのエリーズが今は魔女と呼ばれている。

「ふぅ……」

 何だか切ない気持ちになり、老魔術師の頭が垂れる、と。


 防壁の下に並び、祈りを捧げる老人と幼い子供の姿があった。老人はしゃがむと何事かを話し、幼子は何度もうなずいている。祖父と孫だろうか。

 たとえ魔女と呼ばれようとも、街を守ったエリーズの、多くの人々の、その行いはこうして語り継がれているのだろうか。

 老人は幼子を抱き上げ、優しげに、楽しげに、笑いながら去っていく。


「エリーズ殿は民が幸せなら、どう呼ばれようと気にしないかもしれないのぅ」

 人で賑わう街を眺め、まぶしい青空を仰ぎ、ティンクルスはほほ笑む。隣でクロードがうなずき、しかし首をかしげもした。

「でも、あの女たちの篭城のことは、見たらどう思うんだろうな?」

「魔物と戦った勇ましい女性じゃからのぅ。案外、応援するんじゃないかの?」

「それは、いけませんね」

 また、渋い顔になった騎士を見て、老魔術師はくすりと笑った。



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