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老魔術師は二度目を生きる  作者: とうあい
その後の章
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商家の主人と魔女の月

「ティンク様、帽子を」

「お、そうじゃった」

 ティンクルスが手を伸ばすより早く、網目の帽子はサッと取られ、クロードから騎士へと手渡される。ついで、クロードの手は老魔術師の頭に伸び、ふわふわとして少し乱れた髪が手ぐしでササッと整えられる。

「ありがとうのぅ」

 店の奥に通されたティンクルスは、にこりと笑って椅子に腰かけようとし、扉が開いたために慌てて立ち上がろうとして、ヨロリとよろけてクロードに支えられた。


「おお、あなたがティンクさんですか。フィシディアでは若い者が世話になりましたな」

 入ってきたのは、小柄ながら風格のある紳士然としたご老体だった。彼がこの商家の主人、旦那様と呼ばれている人物だ。

 ファビオの顔は引き締まり、レジスの背筋は伸びたようでもある。けれど。

「いや、こちらこそ仲良くしていただいて、旅の途中で友ができたようで嬉しかったですのぅ」

 王宮で生まれ育った老魔術師だ、風格ある人物は見慣れている。それとも、相手も爺だったからか。気負いなく、ほわりと笑い心をこめて挨拶を述べる。

「ふむ、どうぞ」

 そんな青年、に見えるティンクルスに気を良くしたのか。ご老体はほほ笑みながら椅子を勧めた。



「ところで、魔女の月とは何のことですかのぅ?」

 これまでの旅の様子やフィシディアでの出来事をひとしきり話したのち、老魔術師がこう聞くと、若者二人が息をのんだ。

「……ティンクさんはかつてカーヴィアを治めていた領主エリーズを、どの程度ご存知ですかな?」

 ご老体は紅茶のカップをテーブルに置くと、こう問いかけてくる。どことなく、目つきが鋭くなったようにも見える。


 何だろう、聞いてはいけなかったのだろうか。だが、口に出してしまったものは仕方ない。ちょっとばかり緊張しながらティンクルスはしゃべりだす。

 知っているのは中世の終焉、彼女が先頭に立ち、魔物の大侵攻からカーヴィアを守り抜いたこと。そして、多くの人の命も奪ってしまったこと。

 ここまでを答えると、また、老魔術師は難しいような切ないような顔になった。


 エリーズが人々を殺めたのは事実であるらしい。だが、それはどのような者たちであったのか。

 たとえば、混乱に乗じて罪を犯した者かもしれない。みなが一丸となって魔物に立ち向かおうというとき、その気勢を削ぐ振る舞いをした者かもしれない。

 もしかすると、この街に救いを求めて逃げてきた、善良な人々だったかもしれない。しかし、戦いの最中さなかにある街に、彼らを受け入れればどうなるか。さらなる混乱と食糧不足を招いた恐れもある。

 彼女の行為はカーヴィアを守るための、苦渋の決断だったのではないか。

 老魔術師がこんな風に思うのには理由があって――


「ティンクさん?」

「おっ、おぉ、これは失礼しましたのぅ」

 ご老体に見つめられ、ついつい考えこんでしまっていたティンクルスは、慌てて話を再開する。


 大侵攻が終息を見せ始めた頃、生き延びた各領は一つの国にまとまろうとしていた。このとき、誰を王とするのか。

 候補に上がったのが、街を守り抜いたエリーズと、土地を失った人々を受け入れ、各領にも支援を惜しまなかった初代王だ。

 大勢の人の命を奪った女性領主と、守護精霊のいる、精霊に愛された領主。後者を支持する者が多かった。

 しかし、エリーズ派の者たちは譲らなかった。自分たちが戦い抜いたからこそ魔物をカーヴィアで食い止めることができた、という自負があったのだろう。政治的な野心もあったかもしれない。

 このままではまた争いが、というとき――エリーズは急死した。


 こうしたことを話すと、ジッとこちらを眺めていたご老体が言葉をつなぐ。

「それがちょうど今頃、三百年以上も前の、この夏の月にあった出来事ですな」

「ほほぅ、エリーズ殿が亡くなられた月のことですかの」

 それを『魔女の月』と言うのか、と老魔術師はうなずいた。だが、それと姿を消した奥さん方と、どう関わりがあるのか。

 かしげた首を前に戻すと、なぜだか、ご老体の顔には嬉しげな笑みが広がっていた。


「さて、私は失礼しましょうかな。若者たちが交友を深めるのは良いことです。ファビオ、レジス、ティンクさんに詳しい話を……おお、せっかくだから滞在している間、街も案内してあげなさい」

 笑みを深めたご老体は、しっかりとした足取りで立ち去ってしまう。ずいぶん話が中途半端だったような。

 あとに残されたのは、きょとんとしたティンクルスと、目をまん丸にした二人の若者。クロードと騎士も、よくわからないといった顔をしている。


「ティンク、何だか知らないけど、旦那様に気に入られたみたいだぞ」

「ふぉ?」

「旦那様、魔女の話をしたのに全然怒らなかったもんね」

「いつもは……怒るのかの?」

 ご老体は気難しい人物なのだろうか。商売人だからか、そんな風には見えなかったが。

 ファビオとレジスが妙にホッとした風な顔をしたものだから、ちっともわからないながらも、怒られなくて良かったと老魔術師はほほ笑んだ。





「それで、魔女の月と消えた奥さんたちと、どう関わってくるのかの?」

「それなら見たほうが早いかもな」

「見る?」

 ティンクルスが不思議そうな顔になって首をかしげると、ファビオは「ああ」と当たり前のようにうなずく。

「そうだね。今なら舟もあるから時間もちょうどいいんじゃないかな」

「時間?」

 にっこり笑ったレジスに、ティンクルスの首はさらに傾く。


 またまたよくわからないやり取りを経たのち、老魔術師らは二人の若者に連れられて、店の裏手にやって来た。

 水路が流れ、船着場があり、小舟が何艘かつながれている。見まわせば水路脇に並んでいるのは倉庫のようだ。この辺りの大きな店は、みな水路を使って荷を運んでいるのだろう。


「これで猟師街まで行こう」

 こう言って、ファビオがひらりと小舟に飛び乗る。

「そこから少し歩いてあの塔に行くんだ」

 レジスが指したのは、高い防壁の一番右端にある塔だった。


「お、おぉ……」

 いまひとつ状況がのみこめない。

 が、『魔女の月』にはエリーズが亡くなった月、という以外に別の意味もあるらしいとはわかる。若者たちはそれをこれから見せてくれるという。彼らの様子を見る限り、奥さん方が消えたことも深刻な事態ではなさそうに思える。

 ともかく見てみるのが早そうだ。うむ、とうなずいたティンクルスは、船着場につながれている小舟を見た。


 王都にも水路はあり、荷を運ぶ小舟が行き来している。人が乗っていることもある。しかし、これらは王宮や貴族、大きな商家の持ち物であることが多く、老魔術師は乗ったことがない。

 初めての小舟――胸がわくわく弾んでくる。頬をほころばせながら船着場へと一歩、踏みだしたとき。


「ティンク、待て」

「ふぉ?」

 クロードがササッと老魔術師を抱え、サッと小舟に飛び乗った。

 万が一に備えているのだろう。騎士もすぐに乗り移り、クロードが老魔術師を腰かけさせるまで、ピタリとそばに張りついている。


「お、おっ……ありがとう、の、おっ」

 座ったにも関わらず、ティンクルスの体はゆらゆらと揺れた。

(どれくらいの深さがあるんじゃろ?)

 水路を眺めてはみたものの、傾いてきた陽に照らされて水面がキラキラと輝き、よくわからない。ただ、人が溺れたという話を王都で聞いたことがあるので、足は届かなさそうだ。

 レジスも乗りこみ、ファビオが竿を操って小舟が動きだすと、老魔術師の体はさらに揺れる。


「ふ、む……わし、早く泳げるように、なったほうがいい、のっ」

 落ちることが前提の発言だったせいか。隣に座りしっかりと体を支えてくれている友が、「俺がティンクを落とすわけないだろ」とちょっと不機嫌な顔になった。



「舟もなかなか良いものじゃのぅ」

 猟師街に着くと、ティンクルスはニコニコしながら小舟を降りた、いや、クロードに降ろしてもらった。

 乗り降りや小舟が動きだしたときは揺れた体も、水路をスイスイ走りだせば、それなりに落ち着いていられた。熱気を帯びた風も心地よく感じた。

(王都でも舟に乗って、アーチ橋の下をくぐってみたいものじゃのぅ)

 そんなことを考えながら、猟師街を眺めながら、若者たちのあとについて歩きだす。


 猟師街は、外村よりはアンガンシアの鉱夫街に似た趣きだった。

 灰白色の同じような建物がずらりと並び、しかしところどころに抜けがある。覗いてみると木製の屋根だけがあり、大きな作業台と、上からは肉や毛皮が吊るされている。魔物の解体作業に使う場所のようだ。もわりと吹いてくる風が少々生臭いのは、これらが原因だろう。

 ふむふむ、とティンクルスはうなずき、今度は押し迫ってくるような高い高い防壁を向く。


 中世の終焉、この壁が魔物の大侵攻から人々を守ったのだ。いや、違う。老魔術師は防壁の上に立つ兵士を見上げる。この壁に集った多くの者たちが、命をかけてみなを守ったのだ。

 ところどころに新たな石が継ぎ足され、今もなお街を守る防壁に、この場所で命を散らしたであろう人々に、胸に手を当て祈りを捧げる、と。


「俺が悪かった! 戻ってきてくれ!」

「本当にそう思ってるなら、たまには布の一枚でも髪飾りの一つでも買ってよ!」


「……何じゃろ?」

 厳かな心持ちをすっかり吹き飛ばしてくれた罵声に、ティンクルスはポカンとした顔を持ち上げた。すると苦笑いを浮かべた若者たちが、向こうだ、というように指を一方へ向ける。

 見れば、防壁の塔のそばに人だかりがあった。台の上にでも上がっているのだろうか、少し高い位置から男がその塔に向かって叫んでいる。


「わ、わかったから、悪かったから帰ってきてくれって! みっともないだろ!」

「みっともないって何よ! あんた、私が帰るのと自分のメンツとどっちが大事なのよ!」


 怒鳴り返したのは、塔の中ほどにある窓から顔を覗かせている女性だ。

 これは……家出した奥さんと、連れ戻そうとして躍起になっているご亭主ではなかろうか。

 集まっている人々は、「奥さん、もう許してやれよ」だとか「まだまだ、もっとガツンと言ってやらなきゃ」だとか、楽しげに喚いている。

 これは、つまり……


「魔女の月とは、その、夫婦ゲンカの祭り、なのかの?」

「や……祭りじゃないんだけどな」

「でも、祭りに近いかも……ね」

 口が半開きのティンクルスに、ファビオとレジスはどことなく力の抜けた笑みを向けた。



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