カーヴィアと魔女の月 ~旅後編1~
これは竜の棲み処の谷底で、大精霊の娘を解放し千年の終わりを見届けた――そのあと続く旅での出来事。
「ティンク様、そろそろカーヴィアに到着します」
心地よく揺れる馬車の前方から、騎士ジャンの声が響いた。
「ティンク、ティンク、街に着くぞ」
クロードの声がすぐそばで聞こえ、大きな手に肩をそっと揺すられる。
「ん……ぉ、おぉ」
うつらうつらと昼寝をしていたティンクルスのまぶたが開くと、クロードが窓に下がった日よけの布を巻き上げる。
と、老魔術師は思わず、感嘆とも怖れともつかぬ声をもらした。
窓の外に見えたのは、カーヴィアの街をぐるりと囲う灰白色の壁、これは王都とそう変わりない。違うのは街の向こう側だ。
塔がいくつもそびえ立ち、それらをつなぐようにして、こちら側よりはるかに高い防壁が張り巡らされている。どっしりとして重々しく、押し迫ってくるようだ。
老魔術師の口から、ほぅ、と息がこぼれる。
この街は今から三、四百年ほど前、中世の終焉と呼ばれる時代に、百年も続いた魔物の大侵攻に晒されながらも耐え抜いた――
「ティンク、身分証だ」
「おっ、おぉ」
紙をひらりと差しだされ、遠い過去に思いを馳せていたティンクルスはハッと我に返る。少し慌てつつも門番に身分証を見せ、通行料を払うと、馬車はカーヴィアの街へ入った。
「魔物ばかりじゃ、の……」
「そうだな……」
馬車の窓から顔を出し、店をきょろきょろ眺めるティンクルスの口は、若干半開きだ。隣に座るクロードの眉間には、うっすらシワが寄っている。
店の露台に並んでいるのは魔物肉に魔物の毛皮、魔物が吐きだした糸で織られたのだろう魔物布に、魔物の骨で作られた器など。魔物製品ばかりだ。
多くの街は、その周辺に農村が広がり、一番外側に猟師や兵士のいる外村がある。そのさらに外側が魔物の生息地だ。が、カーヴィアは違う。
この街の向こう、いくつもの塔と高い防壁の外には、魔物の巣くう大森林が広がっている。だからカーヴィアには猟師が住み、兵士も多く、魔物製の物があふれている。別名、魔物都市とも呼ばれる、都市と外村をくっつけたような街なのだ。
ゆえに。
「このぶんじゃと、しばらく肉は……」
「食えないな」
老魔術師の眉はへなっと下がり、クロードの目はジトリと据わった。
魔物の魔力を好まない魔法使いと守護精霊にとっては、残念ながらあまり相性の良い街ではないのだが……
「いえいえ、この街にも魔法使いはいますからね。魔物肉を使わない食事だってちゃんと用意できますよ。少し値段は高くなりますけど、いいですか?」
「そうか、では頼む」
騎士がうなずくと、宿の女将らしき女性が老魔術師のほうを向き、顔のシワを深めてニコリと笑う。
「クロードよ、この宿なら肉が……」
「食えるみたいだな」
ここは魔物都市カーヴィアだ。これまで通ってきた、高い防壁のこちら側にある村々も、やはり魔物肉が多かった。つまり、二人にとっては久々に味わえるであろう肉料理――
ティンクルスとクロードは顔を見合わせ、むふむふと、にやにやと、しばし笑いが止まらなかった。
*
「ティンク様、陽射しが強いので帽子を被りましょう」
「おお、ありがとうのぅ」
騎士の手からクロードへ、クロードの手からティンクルスの頭へ。涼しげな網目の帽子が移動する。
宿でさっぱりとした果実水をいただき、一息ついた老魔術師らは外へ出た。
この街には、竜都市フィシディアで知り合った商家の若者たちがいる。本家の跡取りになる条件として、竜の牙か爪を相場の半値という無理な金額で、存在すら定かではない本物の竜の目を、それぞれ買付けに来ていたファビオとレジスだ。
帽子のつばを持ち上げて、右を向けば店がずらりと建ち並び、先ほど通った門も見える。左には、なかなか立派な邸があった。あれが領主館だろう。若者たちの商家はその近くだそうだ。
「こっちか」
「うむ、二人は元気かのぅ」
クロードに促され、ティンクルスはニコニコしながら歩きだす。
やはり目を奪われるのは、領主館のずっと向こうにそびえ立つ、いくつもの塔と防壁だ。守られているとも思えるし、圧迫感というのか、閉じこめられているような錯覚も覚える。
外が魔物の生息地だからだろう、防壁付近は猟師街になっているそうだ。外村のような趣きなのか、それともアンガンシアの鉱夫街に似た感じなのか。精霊が囚われている玉を探し終えたら、行ってみたいと思う。
「ねえ、聞いた? 猟師街で若い奥さんが姿を消したんですって」
物騒な話が聞こえ、老魔術師の足が止まった。見れば客と店員だろうか、年配の女性たちが店先で立ち話をしている。
「それって、もしかして……」
「ええ。魔女エリーズの仕業ですってよ」
「もう魔女の月なんですねぇ」
女性たちは防壁を向き、眉をひそめて溜息をもらした。
(魔女……)
ティンクルスの目も防壁へと吸い寄せられる。かつて習った、この地の歴史も思いだす。
エリーズとは、中世の終焉、このカーヴィア一帯を納めていた女性領主だ。
竜人と称した人々が、この地を支配した千年前までが古代。彼らが姿を消して以降、国が統合と分裂を、一時の平和と長い戦争を繰り返した、およそ六百年間を中世と呼ぶ。
この間も、大精霊が閉じこめられたことにより、精霊は減ってゆき魔物は増えていった。人々が争い続けている間、魔物は少しずつ人の住まう地へと迫っていた。
そして四百年ほど前、大きな戦争が起きた。人がたくさんの火を使ったことで、広大な森が焼けた。魔物を生みだす澱みのある、焼いてはならない森が、だ。
澱みは焼けば一旦は消える、が、その後さらに大きくなってしまう。加えて、森がほぼ焼失してしまったことが、最悪の事態を招いた。
四百年前、焼かれた澱みは少しの時を経て急速に広がり、多くの魔物を生みだした。しかし、森が再生するには長い年月を要する。
通常、魔物は森にいれば草木を、岩場ならば苔を食す。これらに含まれた魔力を得て生きているようだ。人を襲うのも、人が魔力を持っているからだと考えられている。
つまり、このとき生まれた魔物には本来あるべき食糧がなかった。ならば何を喰らうのか――間近にいた、人間だ。
ここから、魔物の大侵攻が始まる。
森がその姿を取り戻すまでの約百年、魔物は人を襲い続け、多くの街や村が消えた。これが中世の終焉だ。
エリーズはこの過酷な時代にカーヴィアを守り抜いた一族の、最後の領主だ。魔法使いだった彼女はその力で魔物に立ち向かい、そして、多くの人間も殺した。
(じゃが、それは……)
難しいような切ないような顔になって、考えを巡らせていると。
「魔女の月とは何のことでしょう?」
騎士が首をかしげた。老魔術師も聞いたことがない。つられた首が斜めに傾く。
「また幽霊とか悪霊とか、そんな話じゃないのか?」
女性たちを眺めながら、ふふんと鼻で笑ったのはクロードだ。しかし老魔術師には笑い飛ばせず、ぷるっと体が震えてしまう。
「ティンク、大丈夫だ。エリーズって初代王と同じ時代の人間だろ? 初代王の魂は疲れて天国へ行ったんだから、エリーズの幽霊も、いたとしてももう消えてるはずだ」
「そうですね。それに、こういった話は大抵人の仕業です。人攫いではないでしょうか?」
「そ、そうじゃのっ」
すばらしい速さで慰めてきた二人に、ティンクルスはギクシャクしながらうなずいた。
実際に初代王の魂を見てしまったせいか、老魔術師はさらに幽霊話が苦手になっているようだ。
*
「おぉ、立派な店ばかりじゃのぅ」
街中を通る水路を越えて領主館のほうへ近づくと、並ぶ店がみな大きい。王都でいう中央街といったところか。だが、受ける印象は違う。
アーチ状の入口が店の前面に三つも四つもあり、より開放的な感じがする。カーヴィアの夏は蒸し暑く、冬もあまり寒くないらしい。こうして開け放っているほうが過ごしやすく、客も入りやすくて良いのかもしれない。
ふむふむ、と老魔術師はうなずきながら、つまずきつつ助けられつつ歩みを進めていく、と。
「おお、ファビオ!」
「あっ、ティンク!」
道からも見通しの良い店の奥で、真面目な様子で話しこんでいた若者が、少し気の強そうな顔に快活な笑みを浮かべた。「レジス! レジス!」と奥のほうへ声を投げかけ、こちらへ駆け寄ってくる。
ティンクルスもニコニコ笑い、自分なりに精一杯、一歩だけ駆け寄る。
「久しぶりじゃの。わし、カーヴィアに来たんじゃ」
「遅かったじゃないか! 旦那様に話して、ティンクたちが泊まれるように部屋を用意して待ってたんだぞ」
「ふぉ? わし、もう宿を取ってしまったんじゃが」
驚いた老魔術師が目を丸くすると、ここでまた「ティンク!」と呼ばれた。見れば、大人しげな顔をほころばせたレジスだ。
「おお! レジスも元気そうじゃのぅ」
一見、同世代の若者三人が店先で再会を喜ぶ。その様子はなかなか賑やかで。
「ファビオさん、レジスさん」
店員だろう女性が近づきそっとささやくと、二人の口がピタリと閉じた。バツが悪そうな顔を店の奥へと向けてもいる。
「ぉ……これは申し訳ないのぅ」
爺にしては年甲斐もなく、はしゃいでしまった。眉を下げたティンクルスもそろそろ奥を見やる。
(……何だか深刻そうじゃの)
店では、職人風な男と店員らしき男性が、沈うつな面持ちで何やら話し合っていた。眉間にシワを寄せ、溜息をもらし、痛ましい顔になって首をふったりもしている。
何かあったのだろうか。心配になった老魔術師は若者たちに聞いてみる。
「あの職人さん、うちが世話になってる人なんだけどな。奥さんがいなくなったんだ」
「もしかして、猟師街で姿を消したとかいう奥さんのことかの?」
ファビオの話を聞き、パチパチと目を瞬かせたティンクルスに、レジスがゆるく首をふる。
「それはたぶん、違う人かも」
「じゃあ、行方不明の奥さんが二人もいるのかの?」
「や、もう三人はいるらしいぞ」
「うん、魔女の月だからね」
また、魔女の月――
「そ、それは何なのかの?」
ゴクリとのどを鳴らしたティンクルスは、ずぃっと顔を突きだした。しかし、その言葉の不気味な響きのせいか、体はおどおど引けている。
聞きたいのか聞きたくないのか。老魔術師は店先で、変な恰好になっていた。




