老魔術師と庶民街
怒鳴り散らした店主を、クロードがギロリと睨んでいる。驚きすぎたティンクルスは、口をまん丸に開けている。
すると、店の奥から眉を吊り上げた女性が出てきた。
「何なのよ、店で大声なんか出して。こっちは捜査のために、わざわざ店を貸してあげてるのよ。それなのに店番もできないの?」
「こっちは店を守ろうと……」
「お客様を怒鳴り散らしておいて、守るですって? 評判が落ちたらどうしてくれるのよ」
「店番は俺の仕事じゃ……」
女性は声を抑えつつ、しかしものすごい速さでしゃべっている。老魔術師にはできない芸当だ。店主だと思われた男は完全に押されている。
ともかく、ティンクルスにわかったのは、女性が本当の店主らしいこと。体格の良い男は、おそらく街の治安を守る警備隊員というもので、何らかの捜査で店主のフリをしていたようなこと。
「わし、余計なことをしてしまったかのぅ?」
「騙されそうな人間を助けようとしたんだ。ティンクは悪くない」
眉を下げたティンクルスに、クロードがしっかりと首をふる。
「いや、俺が悪かった、悪かったから。ちょっと外に出よう」
と、ここで二人は、女性店主から逃げたいのだろう、男に巻きこまれるようにして慌ただしく外へ出た。
「あー、さっきは悪かった。最近ちょっとイラついててな」
店にチラリと目を向けた男が、その顔を思いっきりしかめた。よほど女性店主が苦手なのか、これまで散々こき使われていたのか。
「いや、わしも捜査とやらの邪魔をしてしまったようじゃし」
「ティンクが謝る必要はないぞ」
クロードがフンッと鼻を鳴らすと、男は頭をかきながらしゃべり始めた。
やはり、彼は王都警備隊の隊員だった。
庶民街ではこのところ、魔宝玉を質の悪い宝石と偽って、店に買い取らせる事件が起きている。その犯人を捕まえるために潜入していたらしい。
こうした事は昔からあったと隊員は言う。ただし。
以前は中央街で起きる類のものだったそうだ。宝石と見まごうほどの上質な魔宝玉を用意し、いかにも大商人や貴族然とした人間が高値で売りつける。
「だが、ティンクルス様のおかげで魔道具が使えるようになっただろ」
自分の名前が出たことに、老魔術師はぎょっとする。
中央街では魔道具を用い、魔力を調べるようになったため、この手は使えなくなった。名の知れた商家が偽物を売っていたとわかり、大騒ぎになったこともあるそうだ。
「こういう話を聞きつけたんだろうな。これを真似て、庶民街でまだ魔道具のない店を狙う、小悪党が出てきたってわけだ」
魔道具は高いだろ、と隊員が苦笑いを浮かべた。
(そうか……わしが取り組んだのも遅かったからのぅ)
魔石に魔術文字を刻む――以前なら、この作業は魔術師にしかできなかった。刻むとは、魔石の魔力に魔術文字を書くことであり、この作業にも魔力が必要だからだ。だが、今は魔道具を使って刻むこともできる。
この方法を確立し、さらに魔道具職人を育てる仕組みが整ったのは数年前のこと。王宮にこもりきりだった老魔術師は、なかなか魔道具の値段にまで考えが及ばなかったのだ。
「ティンクはがんばった。職人はこれから育っていくし、そうすればみんな魔道具を使えるようになる」
へなっと眉を下げたティンクルスの、心が伝わったのだろう。クロードが力強くうなずく。
「そう、そうじゃの。民は逞しいからの」
気遣ってくれた友ににっこり笑って目を戻すと、隊員が何の話だと首をかしげていた。すっかり忘れていた。
「ま、あの女は店にいた仲間がつけてるから、いずれ捕まえられるだろ。でだ、ものは相談だが、お前、魔宝玉を見抜いたんだから魔法使いだよな?」
尋ねられ、ティンクルスはうなずく。
「貴族、じゃないよな? ちっとも威厳がないもんな。結構いい商家の息子……あ、中央街に急に越してきたって奴じゃないか? で、爺ちゃんっ子だろ!?」
ティンクルスは……うなずく。
推測が当たったと思い気をよくしたのか、隊員はニッと笑った。
「今晩な、ちょっと大きな仕事があるんだ。相手は盗賊なんだが、魔法使いも混じってる。だからティンクだったか、協力してくれないか?」
「ふぉ?」
「それは何時だ?」
突然の申し出にティンクルスは驚いたが、クロードの返答を唐突に感じたのか、隊員も首をひねる。
「八時に集まる予定だが」
「ダメだ。ティンクの寝る時間だ」
「お前、そんなに早く寝てるのか? 本当の爺さんみたいだな」
ここでもティンクルスは……うなずいた。
*
「ティンク、疲れてないか?」
「うむ、大丈夫じゃ……や、ちょっと疲れたかのぅ?」
ティンクルスはあれから、庶民街の宝飾店を巡り歩いていた。
気をつけてみると、客の中に警備隊員ではないかと思われるような者がいた。この辺り一帯を捜査しているのだろう。ただ、店を手伝わされている隊員、というのは見当たらなかったが。
女神像のように強い魔力を持つ、精霊が囚われているであろう品は、まだ見つかっていない。
途中、老魔術師は初めての買物を経験した。
大通りから少し入ると水路が流れており、それに沿って屋台がいくつか並んでいる。
「こっ、これを二本、売ってくれないかのっ」
ピンと伸ばした指で串焼きを指し、緊張のためか、高らかに注文してしまったティンクルスに、屋台の親父はポカンと口を開けた。
「これはどうやって食べるんじゃ?」
ティンクルスは串焼きの食べ方がわからず、クロードがかじりつくのを見て、まさか犬だったときのクセが出たのでは、と、ちょっと心配になったりもした。
次の屋台では「六シディンスだよ」と飲み物を渡したニヤけ顔の男が、クロードの鋭い眼差しに晒され、結局、その半値で手に入れることができた。
老魔術師は『ぼったくり』というものを学んだ。
大通りに戻るとすぐ、ティンクルスの後ろで人が飛んだ。
物音にふり返ると男が転がっており、クロードの振り上げられた長い足が元に戻っていくところだった。
「こ、これっ、どうしたんじゃ?」
「こいつ、スリだ」
ティンクルスは慌てて腰の革袋を探り、ほぅ、と安堵の息をつく。入っているのはホンの小銭程度。こうした事態を予測していたのだろう、ほとんどはクロードが持っている。
それでも革袋を預けたのは、初めて小銭を手にしたティンクルスが、ニコニコしていたからだろう。
「何だ、ケンカか!?」
ここで大声を上げて踏みこんできたのは、先ほどの隊員だった。
「お前たち、また騒ぎを起こしたのか!?」
また、ではないんじゃが……とティンクルスが困った顔をすると。
「違うよ。あの男がこの坊ちゃんの革袋を盗ろうとしたのさ。それをこっちの兄さんが蹴飛ばしただけだよ。あんた、図体ばっかり立派になって、おっちょこちょいなのは昔から変わらないねぇ」
どこぞの中年女性が助けてくれた。ありがたいことだと、人の優しさに触れた老魔術師の、心がほっこりと温まる。
が、それから延々と続いた女性の説教。彼女はこの隊員を、幼い頃から知っているようだ。
ようやく終わったとき、ゲンナリと萎びてしまった隊員を見て可哀そうになり、ティンクルスは思わず「わし、夜の仕事とやらを手伝いに行こうか?」と口走っていた。
さまざまな経験を積み、楽しくも少し疲れた老魔術師は、あと一軒だけ寄って帰ろうと手近な店へ入った。
「いらっしゃいませ」
落ち着いた女性の声が二人を迎える。やはり、やる気のなさそうな低い声よりずっといい。ティンクルスの自然とゆるんだ頬は、しかしすぐに強張った。
店主だろう、女性の後ろにネックレスがあった。奥まったところに大切そうに飾られているのだから、きっと魔宝玉の質が良く、装飾も上等な物なのだろう。
それは銀で出来ているのか。首周りの細かな細工に、一粒垂れ下がった小さな玉は黒くきらめく。
そして、ティンクルスはそこから強い、女神像と同じ、魔物の魔力を感じていた。
「ク、クロード……あれじゃ」
「ああ、間違いない」
目をぱっちりとこじ開けたティンクルスが、厳しい顔つきになったクロードが、ネックレスに歩み寄る。
「店主! あれを、あれをぜひ、わしに売ってくれんかの!?」
二人の形相に驚いたのか、老魔術師の爺言葉に戸惑ったのか。女性はパチパチと目を瞬かせていたが、一度ネックレスを向くと小さくほほ笑んだ。
「あのネックレスですね。お客様が大切にしてくださるなら、お売りいたします」
なぜだか、女性の声が寂しげに聞こえた。