竜人と老魔術師
「我ら竜人が極めた魔術、知りたくはないか?」
声は、暗い部屋の奥から聞こえた。若くはない、男のもののようだ。誰もいないと思っていたのに何者かがいたらしい。しかも、竜人語を話している。
あまりの驚きにドキドキと騒ぐ胸を押さえつつ、魔法の光を奥へ向ける、と。
「う」
突如まばゆい光が射し、老魔術師は顔を背けて目をつむった。
「精霊の力をわが物とし、不老をも可能にした竜人の魔術、お前は知りたいか?」
再び竜人語が響く。そろそろとまぶたを開けたティンクルスは、その男の姿を捉えた。
(……竜人の、王?)
部屋の奥は玉座になっていたようだ。高い位置に男がゆったりと腰を下ろしている。
男は、鎧兜を身に着けていた。頬と額が黒いうろこに覆われている。兜には竜の装飾があり、肩からはマントが垂れている。手に持っているのは剣の形をした魔術武器だ。その玉が光を発し、暗い部屋を明るく照らしている。
この男は本当に竜人と称した者なのだろうか。不老をも可能にしたということは、千年も前から生き続けているのだろうか。まさか……
「ふ、不老の魔術とは、か、壁に刻まれてあった永遠の命のことかの?」
しゃべってみて初めて、口の中がカラカラに乾いていると気がついた。しゃべり慣れない竜人語に、なおさら舌が回らない。知らぬ間に握っていた手を広げると、じっとりと汗がにじんでいるのにも気づく。
ゴクリとつばをのみ、老魔術師は恐る恐る男を窺う。
「そうだ、永遠の命だ。精霊の力で地上をわが物とし、老いることなく生を謳歌し続ける」
男は悠然とこちらを眺めていた。それは自信に満ちた王の姿……しかし、ティンクルスは首をかしげる。
自国の王、レイヴンスとは何かが異なるのだ。彼の笑みは、国を背負い、国を守り、国を育ててきた、そんな自信と誇りを感じる。が、男はただ、力だけを誇示しているような。
そんな風に思うのは、たった一人、武器も持たないひょろりとした青年に、この部屋の中では弱々しい光しか放てなかった魔法使いに、強力な魔術武器を突きつけているからか。
はたしてこの男は、魔術武器を手放したときも同じ顔でいられるだろうか。そう思うと、体からこわばりが消えていく。
「我ら竜人の魔術、お前は知りたいか?」
答えを促すように、男が問うてくる。これに。
「わし、知らなくていいのぅ」
ほわりと、老魔術師は笑った。
精霊はこの地を自由に漂ってほしい。人の前にときおり現れ、仲良く楽しく過ごしてほしい。
クロードの笑顔を思い浮かべ、にっこりと笑みを深める。
(それに永遠の命なんて、のぅ)
今度はゆるりと首をふる。
一度目の生を終えるとき、老魔術師はとても穏やかな気持ちだった。もちろん、やり残したと思うことはあった。もっとこうすれば良かったと悔やんだこともあった。けれど、精一杯生きたと思った。満ち足りた人生だったと感じた。
きっと、老侍従も同じだったと思う。家族に守られながら柩に眠る彼の顔は、とても穏やかに見えた。幸せそうに見えた。
こうした気持ちは、限られた生だからこそ感じたものだと思う。毎日が永遠に続くなら、こんな気持ちになれるだろうか。
守護精霊に取りこまれた人の魂は、いつかは天国で眠りにつく休息が必要だという。ならば永遠に生きるのは、ひどく疲れることではないのか。
だから――永遠の命など、いらない。竜人の魔術など、知らなくていい。
長くとも永遠ではない生を生きる、友を思い浮かべる。老侍従のロイクを、老いた侍従クロードを、兄王を、人生を懸命に生きた者たちを思いだす。王を、筆頭魔術師を、騎士を、これまで出会った人々を、今を精一杯生きている者たちを想う。
ティンクルスの顔には、ほわりほわりと柔らかな笑みがあふれる。
――カラリ
男が、魔術武器をこちらへ放った。疲れたように椅子にもたれ、そのまま目をつむってしまう。何だか少し笑ったようにも見えた。何事かをつぶやいたようにも聞こえた。
「あの、どうしたのかの? ……その、この魔術武器の精霊を解放してもいいかのぅ?」
老魔術師はそろそろと窺う。
男は何も答えなかったが、一度小さくうなずいた。
*
コリコリと、少女像を削る音が黒い部屋に響く。今、部屋を明るく照らしているのは、竜人が持っていた魔術武器から解放した精霊だ。
老魔術師が玉を削ると、飛びだしてきた精霊は光りながら少女像の周りを舞った。大精霊の娘を早く解放してくれと、言っているように思えた。
「ふぅ……もうちょっと待っててくれるかのぅ」
竜の牙がついた金の持ち手から、ティンクルスは指を離して疲れた腕をふるふると振る。小指の先ほどの小さな竜の牙では、少女像を削るのになかなか時間がかかりそうだ。
部屋を照らす精霊を申し訳なさそうな顔で見上げると、ゆらりゆらりと揺れ動く。がんばれと励ましてくれているように感じる。
「お、がんばるからのっ」
老魔術師は再び金の持ち手を握り、少女像に向かった。
「私は……」
どれくらい経ったのか。玉座から、静かな声が響いた。ハッとしてそちらを向いたティンクルスに、男は続けろという風に顔を動かす。
返事はいらないということか。ただ、誰かに聞いてほしいだけなのか。老魔術師は少女像に向きなおり、男の声は静かに続く。
男は、やはり竜人の国の王であったそうだ。
生まれつき体が弱かったという。病がちだったという。国を守りたかった。父王の力になりたかった。それには強い体が必要だ。
だから、精霊を身に取りこむ術を密かに研究した。
(まさか……)
ティンクルスは思わず男に目を向けた。
彼は、壁に刻まれていた『精霊に愛された王』の息子なのだろうか。王が『どうか王子の、大切な息子の病を治してほしい』と精霊に願った、その王子なのだろうか。
密かに研究したのなら、やはり王は精霊を閉じこめるのを良しとせず、かといって、竜の棲み処に実る黄金のリンゴを手に入れることもできなかった、ということか。
その研究の過程で、男は精霊を閉じこめる玉を作りだした。竜の亡骸を用いて魔竜を生みだし、精霊を捕え閉じこめた。
「父上はこれに激怒した。私は……父上と争い、そして勝った」
こう言って男は嗤う。その表情とは裏腹に、声はわずかに震えている。
国を守り父王の力になりたいという思いから、始めた魔術の研究が、結局は父を滅ぼすことになってしまった。男は自分を嗤っているのかもしれない。
ここから、強大な魔術武器を持つ竜人の支配が始まった。魔術はさらなる発展を遂げた。
「その少女像に閉じこめた大精霊の娘の力、我らの体に取りこんだ精霊の力、これらによって不老を得る」
どのような仕組みなのか、老魔術師にはわからないし知らなくとも良いことだ。だからだろう、男もこれ以上を説明することはなかった。
「だが……」
ここで男はまた、自嘲気味に嗤う。
「不老を得た我らは、子孫を生すことができなくなった」
「……それは、つまり、子供が産まれなくなったということかの?」
男はうなずき言葉を続ける。
この魔術は、不老ではあるが不死ではない。人には永遠と思えるほどに長いというだけで、真の永遠でもないのだそうだ。
身のうちにいる精霊の寿命が尽きるか、体が傷つくかすれば、その者は死ぬ。けれど子孫は残せない。戦いにより竜人は数を減らしていく。
「我らは、傷つくことを怖れるようになった。体の中の精霊がいつ死んでしまうのかと怯えるようになった」
武力でもって栄華を極めた竜人が、戦いを恐れるようになった。老いることのない彼らは、徐々に死を受け入れていくための心の準備ができない。突然やって来るであろう死に日々怯えるようになった。
そんな支配者を見て、支配されていた人々はどう思っただろう。これまで虐げられてきた人々は、どのような感情を向けただろう。どのような行動に出ただろう。
「だから、我らは地上を捨てた」
そうして、この竜の棲み処の谷底に、ひっそりと隠れるようにして暮らし始めたのか。それから千年も――ここで暮らしているのか。
男は疲れたように目をつむり、口をつぐんだ。
(もう、終わりにしたいんじゃの……)
ティンクルスの口から、ほぅ、と溜息がもれる。
竜人は、精霊を解放する力を持つ大精霊を女神像に閉じこめ、少女像の周りにも大精霊や精霊が近づけない結界を張った。
これほど強固に守ったのだ、不老の魔術にはこの少女像が重要なのだろう。一度この魔術を使ってしまった彼らの体は、もう少女像がないと生きてゆけないのではないか。
それなのに男は、老魔術師が削ることを阻まなかった。むしろ続けるようにと、そんな素ぶりも見せた。
先ほど、男が魔術武器を放ったときに聞こえたつぶやきは、「父上」だったように思う。
彼はきっと、この生を終わりにして父に会いたいのだ。それでも自分の手で少女像を壊せなかったのは、この谷底で誰にも知られず果てることが、あまりにも寂しかったからなのか。
(……よし)
老魔術師は金の持ち手を握りなおし、少女像をコリコリと削る。そして、ふと思う。
大精霊が願いを託す相手に、老魔術師を選んだのは、いや、わざわざ生き返らせたのは――
千年前のことを伝えるため、同じ過ちを繰り返さないため、竜人語を知る者であり、魔術を再現した者でもあったからだろう。
だが、それ以上に、一度目の生を満足に終えたからではないだろうか。
もし、若い頃だったなら、新たな魔術を知りたいという欲求に負けていたかもしれない。老いを感じ始めた頃であれば、不老という言葉に惹かれていたかもしれない。老いて人生の終わりを実感し始めた頃ならば、死を怖れ逃れようとしたかもしれない。
不老の魔術を選び取ってしまったなら、大精霊の娘は解放されず、精霊は減り続けて魔物が増える。やがて人間も――
だから大精霊は、一度目の生の終わりを心穏やかに迎えた老魔術師を、訪れる死と折り合いをつけた、あきらめの心もありはしたが、それでも最後は安らぎとして受け入れることができた、そんな者を、選び生き返らせたのだ。
ティンクルスは、そう、思った。




