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老魔術師は二度目を生きる  作者: とうあい
終わりの章
61/88

竜の棲み処の谷の底

「ティンク、大丈夫か!?」

「ふぉっ、ほっ、ほ……」

 草むらについた両手が、両膝が、がくがくと震える。心臓のばくばくと跳ねる音が、さらに体を震わせる。吐く息は乱れ、友の問いかけに満足に答えることもできない。


 竜につかまれ大空を舞ったティンクルスたちは、人の住まう地から深く大きな谷を越え、竜の棲み処へ運ばれていた。


「おい、お前! ティンクに何するんだ!」

 ――私は大精霊に頼まれたとおり、印ある人間をここへ運んだだけだ


 頭に響いたのは、子供とも大人とも老人とも、男性とも女性とも思える、幾人もが話しているような声だった。それでいて、声が聞こえている間、竜はグググとくぐもった音ももらしていた。

 のどを鳴らしながら、この不可思議な声を紡いでいるのだろうか。竜が言った言葉も気になる。

 老魔術師がヨロヨロと顔だけを上げると。


 白く艶めくうろこに覆われた、美しく大きな竜がゆったりと座る姿があった。

 また、ティンクルスは何も聞こえなくなる。自身の乱れる息も、うるさい心臓の音も。ただただ竜を見つめる。

 竜の顔はこちらを向いている。黒い瞳はただ静かに感じられ、何を思っているのかわからない。いや、精霊よりもさらに強い力を持つという彼らだ、人のことなど何も気にしていないのかもしれない。

 目を合わせていたのは一瞬だったのか、それとも、もっとずっと長かったのか。


「空を飛ぶなんて、ティンクが落ちたらどうするんだ! 爺さんのままだったら心臓が止まってたぞ!」

 いきり立つ友の声で、ティンクルスは我に返った。


 精霊と竜は仲が良いのか。それはわからないが、悪くはないのだろう。クロードは遠慮なく猛然と竜に抗議している。竜のほうは何となく、しれっとしている風に見えなくもない。

 クロードは宙を漂う精霊だ。空を飛んでも恐れを感じなかったのだろう。元気そうな姿を見て、無事で良かったとも思う。

 どうやら竜は、大精霊に頼まれて、老魔術師を竜の棲み処に運んでくれたようでもある。文句を言い続けている友を止め、お礼を言わなければ。


「こ、これ、クロ……ふぅ」

 体中が落ち着かず、持ち上げていた頭がカクリと垂れると、クロードの文句はピタリと止まり心配顔を向けてきた。



 クロードがどこからか持ってきてくれた水を飲んだり、少しばかり横になったりすることしばし。

 ティンクルスはようやく落ち着き、辺りを見まわす余裕ができた。

 彼らのいる場所は案外広く、一面緑に覆われている。けれど少し薄暗い。周りには崖が切り立ち、はるか上に青空と少し傾いた陽が覗いている。


「ここは、あの裂目の中かのぅ?」

 竜の棲み処から流れ落ちる滝と滝の間に見えた、亀裂の奥だろうか。一方を見れば崖は途切れており、そちらから水音がかすかに聞こえてくる。もう一方は木々が茂り、森になっているらしい。


「嫌な魔力を感じるのは、こっちだな」

 クロードが森の方向を指し、眉をひそめた。

 ティンクルスにはまだわからないが、森の奥で、大精霊の娘が囚われているのだろう。おそらくだが、王都の古代神殿にあった、女神像のような物があるのだと思う。

 ふむ、とうなずいた老魔術師は、そっと竜をふり返る。


「わしたちを運んでくれて、ありがとうのぅ」

 まずはお礼だ。丁寧に頭を下げるも、竜はただこちらを向いているばかり。

「その、ちょっと聞きたいんじゃが、千年前、何があったのかのぅ?」

 これにも竜は答えない。

 ここでクロードが「ティンクが聞いてるだろ!」と文句を言いだし、老魔術師は慌てていさめた。


「あの……さっき言ってた印ある人間とは、わしの気配のことじゃろうか?」

 ――お前は大精霊の匂いがする

「ぉ……」

 ――それが印だ 印ある人間が来たらここへ運べと、大精霊から頼まれていた

「おぉ……」

 ようやく、幾重にも重なる不可思議な声が返ってきた。


 くんくん、と腕の辺りに鼻を押しつけ匂いとやらを嗅いでみるが、ティンクルスにはちっともわからない。竜が匂いとして感じているものは、大精霊の力のようなものだろうか。

 ともかく、生き返り若返ったとき、老魔術師の体には大精霊の匂いが残った。

 これが、クロードには気配の違いとして感じられたのだろう。そして、匂いのする者をこの場所へと運ぶよう、大精霊は頼んでいた。

 つまり、老魔術師の気配が変わったのは、この竜への目印だったわけだ。


「そうじゃったのか、ありがとうのぅ」

 竜が答えてくれたことが嬉しくて、ティンクルスの頬がゆるむ、と。


 ――きゅるるるるぅ


「……」

 聖獣と呼ばれる、美しく雄々しい竜を前にして、腹が鳴るのはいかがなものか。

 しかし、今日は竜の谷に圧倒され、竜の姿に息をのみ、空を飛んではとんでもない思いをした。それから、竜が運んでくれたと知り、竜と話すこともできた。

 ホッとして、少し気が抜けてしまったのかもしれない。


「ティンク。もう、だいぶ昼を過ぎてる。ちゃんと食べないとダメだぞ」

 ここで友が心配顔を向けてきた。いつもどおりのクロードに、老魔術師はさらにホッと安心する。

 グググ、と、もれ聞こえたのは竜がのどを震わせている音か。

 それが笑ってくれているように思えて、照れつつも嬉しく感じて、ティンクルスはほわりと笑った。





 ティンクルスとクロードは、亀裂の奥へと進んでいた。

 竜がひょいと首を動かし、奥を指し示したからだ。老魔術師の腹の音を聞き、食べ物は向こうにあると教えている風にも見えたし、先に進めと言っているようにも思えた。

 ふり返れば、その竜は今、降り立った場所にうずくまりまぶたを閉じて休んでいる。老魔術師が成すべきことを終えるのを、待っているようにも感じる。

 よし、と一つうなずき、ティンクルスはつまずきつつ助けられつつ、さらに奥へと歩みを進めた。


「のぅ、これ……」

 森を歩いている途中、ふと見ると、茂る葉の下に石が見えた。手を伸ばすと、それより早くクロードが魔力でもって葉を散らす。

 そこには、石の積まれた壁があった。葉に覆われた周囲をよくよく眺めてみれば、入り口があり窓があった。


「これは……家じゃ。人の家じゃ」

 こんなところに――ぐるりと顔をめぐらせる。森と見えていたのは全て、長い年月放置され、緑に呑みこまれてしまった人の家なのか。誰の住まいかと考え、竜人と呼ばれた人々だろうと老魔術師は思う。


 千年前、姿を消した竜人たち。彼らはここに移り住んでいたのか。支配していた地上を捨て、この谷底にひっそりと隠れるようにして……

 なぜ捨てたのか。何から隠れたのか。千年前、いったい何が起きたのか。

 捨て置かれ、葉に埋もれた家々に囲まれていると、恐ろしいことがあったのではと想像しまう。不安を覚えたティンクルスが、わずかに眉をひそめたとき。


「ティンク、リンゴがあるぞ。あれは黄金のリンゴだな」

「ふぉ?」

 友の指した先には、木に実る、赤く艶めくリンゴがあった。



「これが黄金のリンゴ、かの?」

 一日に一つ食べれば命をつなぐことができ、二つ食べればどんな病も治り、三つ食べれば寿命が延びる。竜の棲み処にのみ実ると伝わっている、黄金のリンゴ。

 クロードから手渡され、小さめの手に納まっているリンゴは芳しい匂いを放ち、鮮やかに艶めき、しかし赤い。

 ティンクルスは首をかしげた。黄金のリンゴなのだから、黄金に輝いているものだと思っていたが。それとも『黄金』は、その効能に相応しい比喩なのだろうか。


「金色に光らないな……」

 けれど、クロードも手にしたリンゴを陽にかざすと、同じように首をかしげた。

 聞いてみれば、黄金のリンゴは赤ではあるが、陽の光が当たると金の光を放つらしい。以前、この崖の上に生っている実を見たときは、確かに輝いていたそうだ。


「ここは光が弱いからかのぅ?」

「そうかもな。でも、魔力も少ないぞ」

 リンゴからは十分に植物の魔力を感じるが、それでも崖の上の物に比べると少ないと、クロードは続ける。

 陽光が足りないせいで、効能も少ないのかもしれない。

「ほぅ、そうかの。どれどれ」

 それでも十分においしそうだ。

 シャリリ。かぶりついた老魔術師の唇が、きゅう、とすぼまった。


「ティンク、大丈夫か!?」

「……すっ、ぱい」

 かぶりつけば芳香が鼻を抜け、爽やかな甘みが口いっぱいに広がると聞く、黄金のリンゴ。

 だが、これも陽光不足のせいなのか、残念ながらひどく酸味が強かった。



 崖の上から覗く陽は、まだ夕暮れ前のようだ。けれど谷の底はもう暗い。

 柔らかな草むらに腰を下ろし、魔法で出した淡い光に包まれながら、今日は休むことにした。


「竜人と呼ばれた人々は、こんなところで暮らしてたんじゃのぅ」

 ティンクルスは森とも家ともつかない、暗い周囲を眺める。

 手の中のリンゴは、半分ほど食べただけで腹を満たしてくれたものの、とてもじゃないがおいしいとは言えない。

 この黄金のリンゴは、崖の上の、竜が自由に羽ばたくのであろう地上から、竜人が手に入れたのだろうか。そして谷底に植えたのだろうか。きっと彼らの貴重な食料だっただろうとも思う。


 こんなに薄暗い場所で――

 おいしくもない実を食べて――

 彼らはどれほどの時を生きたのか――


 老魔術師の口から、深く長い溜息がこぼれた。


「わしたちは、同じ過ちを繰り返してはいけないのぅ」

 千年前、竜人と呼ばれた人々にいったい何が起きたのか。それはまだ、わからない。だが、彼らと同じ道を辿ってはならないことだけは、わかる。

 千年前の出来事が、この谷底のどこかに記されているのか。よみがえるか新たに出現するであろう、大精霊に聞けばいいのか。とにかく知らなければならないと思う。


「うむっ!」

 我知らずうつむいていた顔を上げ、ティンクルスは小さめの拳をぐっと握る。そんな彼を、クロードが優しげな顔で眺めている。

 谷底の夜は、静かにゆっくりと更けていった。



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