新たな家と魔宝玉
王宮を出た翌朝。ティンクルスは若返ったおかげで元気よく、せっせと食事をとっていた。クロードは人になったばかりのはずだが、器用にスプーンを使いこなし、老侍従は、もう王宮ではないのに部屋の隅に控えている。
ティンクルスは一緒に食べようと誘ったが、彼は嬉しそうにほほ笑みながらも静かに首をふった。侍従としての矜持なのかもしれない。
ここは筆頭魔術師が用意した家。こじんまりしているが、室内は落ち着いた家具や調度で整えられており、かつての老魔術師の部屋によく似ている。
王の指示なのか、筆頭魔術師の心配りなのか。初めてこの家に来たとき、ティンクルスの胸はじんわりと温かくなったものだ。
「さて、どこを探せばいいかのぅ……」
朝食をおいしく食べ終えたティンクルスは、腕を組んで唸る。考えているのは、もちろん『囚われている精霊たちの解放』について。
テーブルの上には、何かの役に立つかもしれないと、王からもらった女神像の欠片が乗っている。
「人は何でこんな物を喜ぶんだろうな」
嫌そうな顔をしたクロードが、欠片をピンと弾いた。
「ふぉ?」
それは弧を描きながら宙を飛び、ちょうど部屋に入ってきた家政婦の、ふくよかな胸にポスンと当たる。跳ね返ると、食後の紅茶だろう、彼女が運んでいたお盆の上に落ちてカランと音を立てた。
家政婦は筆頭魔術師の手配により、今朝からここに通っている。息子夫婦が家業を継ぎ、もう孫も手がかからなくなったという『お婆ちゃん』ではあるが、元は宿屋の女将だけあって年の割に元気そうな女性だ。
そう、女性なのだ。欠片を胸に当てるなど、老魔術師の常識では無礼極まりない行為。これが王宮なら、三年に渡って陰口を叩かれる所業だろう。人の好き嫌いが激しいクロードもせっかく気に入ったようなのに、怒って辞めてしまったらどうしよう。
ティンクルスの顔から、サァッと血の気が引いていく。
「お……こっ、これは、も、申し訳ないのぅ」
「いえ、ちょっと驚きましたけどね。でもね、もし当たった人がケガでもしたらどうするんです?」
おろおろしているティンクルスを、しれっとした顔のクロードを、目を瞬かせている老侍従を、元女将は少し厳しい顔になってぐるりと見まわす。
「クロードさん、こういうことはしちゃいけませんよ」
「おぉ……女将とはすごいもんじゃのぅ」
宿屋の女将とは、一目で物事を見通す賢者のごとき者――世間知らずな老魔術師は妙な知識を仕入れてしまった。
「あら、綺麗ですねぇ。もしかして宝石ですか?」
ティンクルスが違うのだと首をふると、黒くきらめく欠片をつまんだ元女将は、納得したようにうなずいた。
「ああ、魔宝玉ですね」
「ん? それは何じゃ?」
元女将が説明を始め、クロードも負けじと口を挟む。長い年月を生きてきた、知識も豊富なはずの精霊は、賢者のごとき元女将――あくまで老魔術師の見解だ、に対抗心でも燃やしているのだろうか。
狩った魔物の肉や毛皮、牙に角など。これらは人々が食し、羽織り、家具や調度品に、武器や防具にも使われている。魔力は残っているが、女神像に比べればずっと微量なので害もない。
そして『魔宝玉』だが、これは老魔術師が認識しているところの……魔物の目玉だった。
魔石のように魔力を引きだすこともできず、魔術文字を刻めるわけでもない。女神像にあった謎の文様も、やり方の問題なのか、施すことはできなかった。
つまり使い道のない代物だ。
「……それを娘さんが首から下げたり、髪に飾ったりするんじゃの?」
「ええ。綺麗だし、宝石よりはずっと安いし、人気がありますよ」
クロードが「悪趣味だ」と鼻を鳴らす横で、元女将はおおらかに笑った。
「民とは逞しいもんじゃのぅ……」
ポカンとしたティンクルスの、知識は順調に増えている。
*
「ふぉぉぉ……」
ティンクルスは忙しく首を動かし、口をぱかりと開け、ひたすら感嘆の声をもらしていた。
通りには灰白色の、石造りの建物が並んでいる。アーチ状の広い入口に、戸を開け放っているのが店だ。
中を覗きながら歩くと、色とりどりの布や艶やかな毛皮、きらめく宝飾品も置かれている。凝った作りの魔光灯。冷風や温風が出る、一方に穴の開いた送風箱にも、細かな彫りが入っている。
「ずいぶん賑やかになったんじゃのぅ……おっ」
「ティンク、気をつけろ」
きょろきょろしていた老魔術師は、石畳のささやかな段差にやはりつまずき、いつもどおりクロードに助けられた。
ここは貴族街と庶民街の間にある、中央街。比較的裕福な人々が暮らし、貴族も利用するために、質の良い、値段もちょっとお高い店が多い。
老魔術師の家も、この大通りを少し入ったところにある。治安の良い、そして彼らが溶けこめそうな場所として選ばれたようだ。
落ち着きなく辺りを見まわそうが、石畳につまずこうが、ティンクルスは生粋の王族。どうがんばっても庶民には見えず、せいぜい地方から出てきたばかりの箱入り坊ちゃんだ。クロードは立派な青年護衛のよう。老侍従も良家の家令といったところか。
庶民街では目立ってしまうし、泥棒に目をつけられても困る、といった配慮だろう。まさに至れり尽くせりだ。
「この先じゃの」
「ああ、家からそんなに遠くなくて良かったな」
大通りをまっすぐ、彼らの向かう先には、人や荷を運ぶための水路がある。そこを越えると庶民街だ。
行きかう小舟をもの珍しげに眺め、何度かつまずき助けられ、アーチ橋を渡り終えた老魔術師は、一軒の店へと入った。
「いらっしゃいませ……」
なぜだか低い声が二人を迎えた。声の主は妙に体格の良い騎士のような男だ。店主だろうか。
何となくこの店にそぐわない。そう思いながら、ティンクルスはじっくりと店内を見まわす。
ペンダントにブローチ、髪を飾るピンや、小物を入れるのだろう小箱。それらは魔宝玉で飾られている。中央街の店が宝石を扱っているなら、ここは魔宝玉を使った庶民のための宝飾店だ。
魔物は増えているものの、綺麗な魔宝玉となると、それほど出回る物でもないらしい。だから店は、デザインが古くなった物などを買い取り、魔宝玉は新たな品に生まれ変わる。
ならば、古い古い、女神像に似た物も紛れこみ、庶民街で売られているかもしれない。そう考え、ティンクルスはこの店に足を運んだのだが。
(娘さんと魔物の目玉……)
女性の耳元で揺れる、小ぶりな赤い玉が、老魔術師には目玉にしか見えない。事実、目玉だが。女性の楽しげな笑顔が、なぜだか獰猛な笑みに見えるのは気のせいか。気のせいなのだろうが。
「クロードよ。ここには無いようじゃし、そろそろ次の店に行こうかの……」
何となく、そこはかとなく、微妙な心持ちになったティンクルスが外へ出ようとしたとき。ふと、若返った耳に店主と女性客の会話が届いて、その足を止めた。
「ほぅ……魔宝玉じゃなくて宝石なのか」
「ええ。でも見てくださいな。ここ、傷がついてるでしょ? それに色も曇ってて良くないらしいんですの。だから中央街では買い取れないって言われたんですわよ」
残念そうに首をふった女性客の、手のひらに乗った玉を、店主がジッと見つめている。
ティンクルスもじぃっと見つめながら、我知らず、にじにじと近寄っていく。
「……何ですの?」
気がつけば、彼は女性客の横にピタリと張りついていた。
「そ、その……それは宝石じゃなくて魔宝玉なんじゃが」
「なっ、何ですって!? あたくしは貴族ですわよ。そのあたくしが嘘を吐いてるって言いますの!?」
女性客が眉を吊り上げ、怒りだす。ティンクルスはおろおろしつつも考える。
彼女が持っているのは、魔物の魔力を感じるのだから確かに魔宝玉だ。となると、誰かに騙されて本当に宝石だと思っているのか、それとも店主を騙そうとしているのか。
それに、爺言葉の老魔術師が言うのも何だが、彼女の言葉遣いもおかしい。こんなしゃべり方をする貴族が周りにいただろうか。
ティンクルスの首がくきっと傾いたとき。
「嘘吐き女。お前、貴族じゃないだろ。貴族ならどこの家か言ってみろよ」
鋭い目をしたクロードが、ティンクルスをかばうように前へ出た。迫力があったせいか、女性客は「ぶ、無礼ですわ」と頬を引きつらせている。
「ティンク。王都にいる貴族、全部言ってみろ」
「お、おぉ」
ティンクルスがすらすらと、貴族の家名をずらずらと並べたてた。魔法と魔術一筋だったとはいえ、これくらいは覚えているのだ。
「お前の家はあったか? 家まで送ってってやるよ」
クロードがニヤリと笑うと、目をさまよわせた女性客は「け、結構よ」と、そそくさ出ていってしまった。
やはり、彼女が店主を騙そうとしていたようだ。貴族の名を挙げ連ねたことで、こちらを本物の貴族か、彼らに関わる者だと思い、分が悪いと考えて逃げたのだろう。
ほぅ、と安心したティンクルスの、体から力が抜けた。
「クロード。助けてくれて、ありがとうのぅ」
ずいぶん高くなってしまった友の頭を、老魔術師は手を伸ばしてなでる。嬉しげに笑ったクロード。ほわほわとした、幸せな何かが二人を包みこむ。
と、ぬぅぅ、と奇妙な唸りが聞こえてきた。
「なんで邪魔したんだ!」
「ふぉっ!?」
店主ののどから鳴り響いた轟音に、ティンクルスの体が、ぴょん、と跳ねた。




