竜の街と竜職人
「竜の谷の近くまで村はありますからね。そっち側は魔物も出ないし、そばまでならすぐに行けるはずですよ」
「おお、そうかの」
ティンクルスが礼を述べると、にこりと笑った宿屋の女将が、肉と野菜のたっぷり乗った大皿をドンッドンッと威勢よくテーブルに置いていく。
それを見て、きゅるっと鳴ってしまった腹を擦りつつ、老魔術師は考えた。
すぐに行けるのなら、慌てて向かう必要もない。街で精霊が囚われている玉を探し、それから竜の谷へ向かっても良さそうだ。
「女将さん、しばらくこの宿で世話になりたいんじゃが」
老魔術師が見上げると、女将はうなずきながら破顔する。
「ええ、ええ。いくらでも泊まって、たくさん食べてってくださいな」
「ありがとうのぅ」
ここの女将は『客には存分に食事をふるまうこと』を主義として掲げているようだ。さらに大皿が運ばれてくる。
(食べ過ぎには気をつけないと、の……)
つい最近、ヴェリダの村で「満腹じゃ」と腹を擦っていたのを思いだしたのも束の間のこと。
ティンクルスはさて、と気合を入れて夕食に取りかかる。かぱりと大口を開け、幸せそうな顔になって、かぷりと肉に噛りついた。
結果、彼はちょっとだけ食べ過ぎてしまい、やはりちょっと反省した。
翌日は精霊が囚われているであろう玉を探して、フィシディアの街をめぐり歩いた。
「竜の目と呼ばれてるようじゃが、見かけないのぅ」
何軒目かの店に入り、くるりくるりと見まわすが、それらしき玉は見当たらない。ティンクルスが首をかしげて見上げると、クロードもここには無いといった風にゆるりと首をふる。
「もう千年も前の物だからな。やっぱり一番人が集まる王都に、玉も運ばれたんじゃないか?」
「じゃが、竜の目だと騙して売る者がいるということは、玉もあるということじゃろ?」
「どうでしょうか。ティンク様がお探しの玉ではなく、質の良いただの魔宝玉を、竜の目と言って売る者もいるかもしれません」
騎士の答えに、なるほど、と老魔術師はうなずいた。
魔力を感じない、目利きでもない人々なら、最近作られた魔宝玉だろうが、千年前からある魔竜の目だろうが、区別はつかないだろう。
それに。
「おっ、クロード、あれじゃ!」
強い魔力を感じ、黒いきらめきを見つけて、ティンクルスはつまずきつつ助けられつつ、店先に飾られている派手な鎧を目指す。
光の加減によっては金色にも見える――黄金トカゲの皮だそうだ、鎧の両肩には黒い玉が光っている。
「でも、この玉、何の気配も感じないぞ?」
「もしかして、これはもう削られてるのかの?」
「一つの玉を二つに割って、両肩に嵌めこんでいるようですね」
竜都市フィシディアには、竜の亡骸を加工する技術を持つ竜職人がおり、加工するための道具には竜の牙や爪が用いられている。
だからか、竜の目も装飾として使う際、削られ割られ、意図したわけではないだろうが精霊も解放され、といった状態の物が見受けられるのだ。
「せっかく見つけたのにな」
ふんっと鼻を鳴らしたクロードに、ティンクルスはにこっと笑う。
「中の精霊が早く解放されたんじゃ。よかったのぅ」
こう言うと、それもそうかと友が笑った。
それから、老魔術師は目的の玉を探しつつ、街を楽しみつつ、てくてくてくてく通りを歩いた。
相変わらず、ティンクルスの後ろで男が飛び、クロードの長い足は振り上げられている。慌てて腰の、小銭ばかりの革袋を確かめて、ふぅ、と息をついた。
のんびりした風な坊ちゃんが、新しい街に着いて早々スリに遭うのは、もはや恒例行事となっているようだ。
「しかし、どの鎧も派手じゃのぅ。何だか目がチカチカするんじゃが」
「あれなんて金と赤だぞ。趣味が悪いよな」
「店先に飾られている品は、客を呼びこむための物でしょう。動きづらそうです」
この国一番の武器職人が気合を入れて作ったであろう鎧も、地味好みな爺と、黒尽くめの守護精霊と、実用性重視の騎士には評判が悪い。
「お、何だかいい匂いじゃの」
小さな広場に出ると、食べ物を売っているらしい屋台が並んでいた。駆けまわる子供たち、端の長椅子には老人方が腰を下ろし楽しげにしゃべっている。
「あれは何かの?」
ちょっとばかり小鼻をひくひくさせながら、広場を見てまわる老魔術師の足が、一軒の屋台の前でピタリと止まった。
細い棒の先に、色とりどりの玉がついている。
「飴のようですね」
「食べるか?」
「む……」
ここで、老魔術師はさも真面目な顔になり、口を尖らせ腕を組む。
陽はだいぶ低くなってきた。もうすぐ夕暮れ、宿に戻って夕食の時間だ。女将はきっとたくさんの食事を出してくれるに違いない。
今、ここで食べてしまっては女将のせっかくの好意を……
小さな子供が飴をなめ、嬉しげに笑う姿を見ると、のどがゴクリと上下する。だがしかし。
「もう、夕方じゃから……あ、明日の早い時間にでも食べようかの」
ティンクルスは一日だけ、がまんをすることにした。
*
「たくさん食べてくださいよ」
にっこり笑った宿屋の女将が、今晩も大盛りの大皿をドンッドンッと威勢よくテーブルに並べていく。
「ありがとうのぅ」
調子よく、きゅるりと鳴った腹の虫に、飴をがまんして良かったと老魔術師は心から思う。
「じゃあ、頂こうかのぅ」
胸に手を当て祈りを捧げ、さて、とフォークを掴んだとき。
「おい! ここに魔法使いは泊まってるか!?」
突然の大声に、ティンクルスの肩がびくっと跳ね、握るフォークがポロリと落ちた。
「この中に魔法使いがいるだろ! 誰だ?」
夕暮れ時の和やかな食堂にズカズカと入ってきたのは、紺色の上下に身を包んだフィシディアの警備隊員と、職人風の厳しい老人だった。
女将が客に迷惑だと、なかなか鋭い声を放つ。
これに、二十代半ばと思われるガッチリとした隊員は少々頬を引きつらせたが、老人のほうはそんな女将など眼中にないようで、老魔術師一行と、もう一組の商人らしき者たちを、怖い顔で眺めまわしている。
「その、わしじゃが」
ティンクルスがおずおず立ち上がると、クロードと騎士が守るように両脇を固めた。二人の目が厳しかったせいだろう、ここでも、隊員の頬が引きつった。
隊員の用件はこうだった。
今日、老人の工房から竜の爪が盗まれた。老人は竜職人であり、盗まれた爪は商品ではなく竜の亡骸を加工する仕事道具のほうだそうだ。
そこで。
「ここに泊まってる魔法使いが竜の爪を持ってるはずだ、っていう情報が入ったんだ。誤魔化しは効かないぞ」
隊員が長方形の小箱――偉大なる魔術師考案の魔力測定器である、を突きつけながら、こちらをグッと見据えた。
なぜそんな情報が、と首をひねったティンクルスであったが、心当たりは一つしかない。
昨日、騎士に宿を取ってもらっている間に入った店の、親切な女性店員だろう。
あのとき、老魔術師は女神像の欠片を見せた。竜の牙か爪でなければ傷つけることのできない、その欠片だ。だから彼女は、老魔術師が欠片を削った道具も持っているかもしれない、と考えたのだろう。
泥棒ではと疑われたのはちょっと、いや、かなりガックリとくるが、市民が警備隊員に情報を提供するのは正しい行動だと思う。やはりガックリではあるが。
「わしが持ってるのは、爪じゃなくて牙なんじゃが……」
魔力測定器もあるのだし、隠し立てをするのは得策ではないだろう。
ティンクルスが首にかけていた細い鎖をもたもたしながら引きだすと、途端、隊員は「やっぱりお前か!」と竜の牙に手を伸ばす。
「こっ、これはわしの大切な」
焦った老魔術師が身を引こうとするより前、ガツン、と大きな音がして、隊員はうめきを漏らしうずくまる。
彼の頭を殴ったのは、竜職人の老人だった。
「坊ちゃん、これをどこで手にいれなさった」
しばらく、竜の牙をまじまじと見つめ、ティンクルスをしげしげと眺めていた老人は、思っていたよりずっと優しげな声を出した。
細められた目は、何だか懐かしいものでも見ているように感じられる。こちらに伸びてきた大きな手は、鎖の先にぶら下がる、装飾された金の持ち手と小指の先ほどの牙を丁寧にすくう。
もしかして。
「この品は、ご老人が作ってくださったのかの? これはロイクが……」
老魔術師の今の身分は、地方の商家の息子である。思わず、貴族である老侍従の名を呼び捨ててしまい、慌てて口をつぐむ。機転を利かせた騎士が、貴族から賜った品だと、祖父に贈られ孫が受け継いだのだと答えた。
「おお、やはりあの方から」
「ロイク、様をご存知ですかの?」
「いや、実際に会ったことはないが、手紙をもらったんですな」
もう三十数年も前か。若き日の、竜人語の解読に成功したティンクルスへ。竜の牙を贈るために、老侍従は何度も竜職人に手紙を出したそうだ。
とても心のこもった手紙だったと、老人はほほ笑む。贈る相手をとても大切に思っているのだろうと、そう感じられる手紙だったと老人はうなずく。
「だからわしも、こんな小さな品だが心をこめて作ったんですな」
(ロイクが……)
竜の牙を見、老人の顔を眺めて、老侍従の想いを改めて知り、ティンクルスの目にじわりと涙が浮いてきた。
「坊ちゃんは、この牙を贈られた爺様に似とられますか?」
「お、おぉ……」
一瞬、何のことかと迷ったが、竜の牙は老侍従から祖父へ、そして孫が譲り受けたという設定だったと思いだした。実際は当の本人であるから、似ているかと言われれば老魔術師はうなずく。
「やはりそうですか。だから坊ちゃんを見てると、ロイク様の手紙にあった、贈る相手の方と重なるんですな」
老人が今のティンクルスを見て、かつて老侍従が手紙につづった、若かりし日のティンクルスと重ね合わせた。それほど手紙には、老侍従の想いがこもっていたのだと思う。
老人の優しげな笑みこそ、老侍従のほほ笑みに重なったような気がして、老魔術師はぽろりぽろりと涙をこぼした。




