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老魔術師は村人たちと交流する

 魔力が戻り、ベッドから解放されたティンクルスは、若者たちが採ってきた薬草を用いて魔法薬作りに勤しんでいた。いや……


 石で組んだかまどの上で、魔法で出した水が煮立ち、中で葉が踊っている。

 陽射しは強くなってきた。火のそばにいるとなかなか暑い。ふぅ、と息をもらした老魔術師が、そろそろと鍋を覗くと。

「ティンク、もういいか?」

「うむ、そうじゃの。わしが」

 言い終えるより前、騎士がもうもうと湯気の立った鍋をザルに空け、湯がいた葉を取りだした。そのザルを、クロードが持ち上げてザッと湯を切る。

 今度はこれを板に移し、一枚一枚、棒を使って広げていく作業だ。


「……わしもやる」

「まだ熱いから、もうちょっと離れてろ」

「……や、わしも」

「ティンク様、火傷でもしたら大変です」


 ここに、外見だけは青年の将来をおもんばかり、本人にもやらせろと言ってくれる元女将はいない。

 ティンクルスは相変わらず、ポツンと立って見学させられていた。

 と、そこへ。


「坊ちゃんてさ、王都に住んでたんだろ? どんなところなんだ?」

 猟師見習いの若者たちが声をかけてきた。

 今はまだ、森の入口付近に魔物がいない。森の奥へ連れていってもらえない彼らは、村の雑用をいろいろと頼まれているようだ。少しつまらなさそうな顔もしているので、旅人の変わった話を聞きたいのだろう。


「ティティリアには行ったことがあるかの? あの街をもっと大きくして、落ち着いた感じにすると、王都に近いかのぅ」

 王宮があり時計塔がそびえ、貴族街、中央街、庶民街があること。アーチ橋から一望する街並みが美しいこと。人々はみな、明るくて優しくて……

 ここまでを話した老魔術師はちょっぴり郷愁にかられて、目頭がじわっと熱くなる。手は自然、いつも胸に忍ばせている、大切な二人の侍従の遺髪へ伸びる。


「王様や騎士がいるんだろ? かっこいいか?」

 が、そんな爺の心の機微に、若者たちは気づかなかったらしい。まだまだ少年らしく目を輝かせながら聞いてきた。

「うむ、そうじゃの。陛下は賢くて冷静で、それでいて優しいところもある立派な方じゃ。それに、ちょっといたずら好きなところが可愛いのっ」

「可愛い?」

 思いっきりの身内自慢だ。言っているうちに、ぐっと薄い胸の反り返ったティンクルスに、若者たちが首をかしげる。

「うむっ。騎士も強くて優しくて恰好いいぞっ」

 老魔術師の手が、湯気の立った葉をいじるジャンを指したものだから、若者たちの首はさらに斜めに傾いた。


 王宮の様子、中央街や庶民街のこと、王都警備隊の活躍などをひとしきり話してやると、若者たちは、やっぱり騎士だな、とか、警備隊員もいいな、などと言い合っている。中には、たくさん奥さんをもらえる王様がいい、などとのたまう者もいる。


「……みなはその、猟師より他の仕事に就きたいのかの?」

 ティンクルスがちょっとばかり眉を下げながら問う。すると、若者たちの顔は大きく横に揺れた。

「一番かっこいいのは猟師さ!」

「俺、父さんよりもっと腕のいい猟師になるんだ!」

 これを聞いた老魔術師は、うむうむ、と満足げな顔だ。


「えー、猟師なんてかっこ悪いじゃない」

「なんだと!?」

 ここで口を挟んできたのは、おそらく魔物の内臓やら目玉なのだろう、かめを運ぶ猟師の娘たちだった。


 娘たちの言い分はこうだ。

 猟師はしょっちゅう酒を飲み、家では何ともだらしない。それに比べて農民は、夫婦そろって畑を耕し夫は家事も手伝っている。

「畑のおじさんたちのほうが、よっぽど働き者だし優しいよねぇ」


 一方、若者たちから見てみると。

 魔物に立ち向かう、勇ましい猟師たちの背中は憧れの的だ。ときに厳しく叱責し、ときに優しく褒めてくれる、頼もしい指導者でもある。ケンカをすることがあっても、酒を酌み交わせばすっきりと水に流す、何とも気持ちのよい男たち。

「猟師は男の中の男だ!」


 娘たちと若者たちの、どこまでも平行線な小競り合いは続く。

「……こんな風じゃったかの?」

 ティンクルスは、これまでの旅で世話になった猟師たちを思いだし、しかし、年頃の娘とは接していなかったことに気がついた。ダメだ、参考にならない。

 ここはどう言って双方をなだめればいいのか。うんうん唸っていると、そっと腕を引かれた。ふり向けば、友のしかめっ面がある。


「ティンク、関わらなくていい。放っておけ」

「だ、大丈夫かの?」

 クロードは、老魔術師をもうこの村の厄介事に近づけたくないのだろう。

 心配顔になりながらも、ティンクルスはそっとそっとこの場から引き離されていった。





 薬作りに区切りがつき、ティンクルスはひと休みしようかと猟師の家へ戻った。


「坊ちゃん。今日の夜はみんなで集まって、飲んで食って、するからな!」

 猟師がニカニカッと笑う。

 詳しく聞いてみると、本当は森の封鎖が解けた日に催すはずだった宴を、『幽霊討伐』の主役である老魔術師が寝こんでいたために、日延べしたのだそうだ。

 楽しみなのだろう、猟師の顔が盛大にゆるんでいる。


「……その、また娘さんが嫌がるんじゃないかの?」

 これには妻が首をふった。

 今回は村中の人々が集まるので、宴は兵舎の食堂で行うことになっている。女たちは手伝うが、たくさんいるから平気だと言って彼女は朗らかに笑った。

 ならば大丈夫か、とティンクルスはホッとする。


「よぉし。坊ちゃん、夜に備えて風呂に行くか!」

「ふぉ?」

 今はまだ、夕方にもなっていない。兵舎の風呂も開いていないと思うのだが。

「こういう日はな、早く風呂場が開くんだ。男たちは全部先に済ませておいて、あとは思いっきり飲む!」

 猟師が気合の入った拳を突きつけてきた。よほど酒好きなようだ。

 そういえば、とも老魔術師は思う。今日、猟師たちはやけに早く猟を切り上げてきた。それは全ては夜の宴のため。

 何となく、そこはかとなく、娘たちの気持ちもわかるような気がした。


 それから、ティンクルスたちは猟師とともに兵舎の風呂場へ。

 ドキドキ、わくわく。老魔術師の目はきらきらと輝く。いつもより、さらに足元がおぼつかないのは心が浮き立っているせいなのか。

 彼が楽しみにしているのは夜の宴、ではなく……


 ティティリアを発つ直前、彼は、小さな子供たちが海で使うという『浮き袋』を入手していた。しかし、内村には大きな風呂がなかった。ヴェリダに着くと、森の封鎖により人々に元気がなかったので、能天気に風呂で泳ぐのははばかられた。

 つまり、今日、ついに泳ぎの練習ができるのだ。


「わし、うまく泳げるかのぅ」

「浮き袋があるんだろ? なら、誰だって泳げる!」

 猟師が請け負い、ティンクルスはにこっと笑う。

 その隣で、クロードがかすかに眉をひそめたのは、やはり心配だからだろう。騎士がそっとうなずいたのは、森では守れなかった老魔術師を、風呂場では必ず守ってみせようという意志の表れか。


 そして。

「おぉ、浮いてる……」

 広い湯船にぷかぷかと浮いているのは、ティンクルスではなく浮き袋である。この丸くて少し平らな袋を抱くようにして、胸を乗せれば体も浮くはずだ。

「よ、よし」

 ふぅと呼吸を整え、ぎゅっと浮き袋を抱きこみ、つま先でそろりと湯船の底を蹴る。


「ふぉっ?」

 何が起きたのか。胸にあったはずの浮き袋が、なぜだか宙をヒュッと飛ぶ。沈むはずの体は、しかしクロードと騎士がしっかりと支え、ついでに猟師たちの腕も伸び。

「……わし、浮いてるかも」

 そのおかげで、老魔術師は何となく湯船に浮かぶ恰好となった。


「坊ちゃん、足はもっと動かしたほうがいいな」

「おっ、おっ」

「ティンク、無理しなくていいんだぞ」

「坊ちゃん、息継ぎの練習もしないと」

「ゆ、湯に顔をつければ、いいのかのっ?」

「ティンクにはまだ早い。お前は余計なことを言うな!」


 この後、ティンクルスはたくさんの腕に支えられながら、多くの声を浴びせられながら、バシャバシャと必死になって足を動かし泳ぐ気分を味わった。

 浮き袋はちっとも役に立たなかったが、老魔術師としては、初めてにしてはがんばったのではないかと満足している。



「乾杯!」

「かっ、乾杯っ」

 宴が始まると、ティンクルスは相変わらず、みなからひと呼吸遅れてコップを掲げた。

 集まった面々からは感謝の言葉を伝えられ、ちょっぴり照れつつ嬉しく思う。


「坊ちゃんはすごいなぁ。幽霊まで退治できるなんてなぁ」

「い、いや……」

 森にいた何ものかの正体は、結局『魔法使いの幽霊』だったということになっている。

 精霊の仕業だとは思ってほしくない。そう考えた老魔術師が嘘を吐いたためだが、少々居心地が悪い。


「しかし、その魔法使いって誰だったんだろうな?」

 一人の猟師がこう言うと、そんなの知るかと男たちが笑う。と、ここで、なぁなぁと、みなの視線を集めた者がいた。

「あの幽霊、偉大なる魔術師だったんじゃないか?」

「ふぉっ?」

 目と口をまん丸にしたティンクルスをよそに、男は続ける。


 ものすごい魔法使いだったのだから、きっと半年も前に亡くなったという偉大なる魔術師に違いない。

 他に名の知れた魔法使いを知らない、ということもあるのだろう。男たちはなるほどと、納得した風な顔になった。

 これを見た、クロードの額に雷光のごとき青筋が浮き、騎士の眉間には渓谷のようなシワが寄る。

(……これはまずい、かの?)

 そんな二人を老魔術師がなだめようとしたとき。


「偉大なる魔術師がそんなことするか! だいたい、縁もゆかりもないヴェリダに出るわけないだろ!」

「魔術武器を作り、我々に多大なる恩恵を与えてくださったティンクルス様が、民を害するはずはない!」

 鋭い二対の眼光が村人たちを射すくめる。

 腹の底から鳴り響くような、迫力ある怒声に挟まれた老魔術師の体は、器用にも座りながらに、ぴょん、と跳ねた。



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