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精霊の言葉と想い

「クロード! クロード!」

 ティンクルスは必死に友の体を揺する。目を開けてくれ――思うのはただ、それだけだ。

「クロード! クロード!」

 息はしている。体に目立つ傷は見当たらない。どうか目を開けて――


「ん……」

 クロードのまぶたが何度か震え、うっすらとだが、開いた。

 二つの魔力がぶつかった衝撃により、飛ばされ、木に体を打ちつけて気を失っていたのだろう。

 老魔術師の口から、深く、長い、安堵の息がこぼれる。体からはへなへなと力が抜けていく。それでいて、友を失ってしまったら、という恐怖がこみ上げてきて、指先が震える。

 しかし。


 ハッと、ティンクルスはふり返り森の奥へ目をやった。また、強い魔力を感じるのだ。

 今まで人を傷つけなかったはずの精霊が、なぜこちらを狙うのか。なぜ何もしゃべってくれないのか。老魔術師の考えはまったくの見当違いで、森に入ったのは軽率だったか。

 さまざまな考えが一瞬のうちに湧いてきて、けれどそれは霧散する。


 ――今は、友を守らなければ。


 ティンクルスは手を合わせ、ありったけの魔力を使い光の壁を張り巡らせる。

 同じ精霊であっても力の差はあるのだろう。長く生きたものほど、強い力を有するとも聞く。先ほど、二つの力がつぶかったときはクロードが飛ばされた。

 だから、人である老魔術師の魔法など……それでも。


 精霊の魔力がさらに強くなっていく。

 ティンクルスは精一杯の壁を作ると、友に覆いかぶさった。



「ティンク、ティンク」

「……ん?」

 クロードの声が聞こえ、老魔術師は固くつむっていた目を開けた。友の腕に支えられ、ゆっくりと身を起こす。

 もう、精霊の強い魔力は感じないが、こちらに放った様子もない。いったいどうした事なのか。

 きょとんとしていると、クロードが笑った。

「ティンク、守ってくれてありがとう」

 何だか知らないが、危機は去っているらしい。何よりも、友の嬉しそうな顔を、無事な姿を眺めていると、ティンクルスの目はぽろりと涙をこぼし、顔は自然と笑みにあふれる。

 そこへ、精霊の声が響いた。


 ――大精霊の魂を、娘の下へ連れていけ 大精霊の娘を解放しろ


「……だ、大精霊の魂はどこにいるんじゃ? 大精霊の娘は? わしらはどうすれば」

 老魔術師は辺りを見まわし声の主を探す。精霊が消えてしまう前にと慌てて問いを連ねる。


 ――魂はお前の中にある 娘は竜の住まう谷のそばだ 行け

 これだけを残し、精霊は去った。


 ティンクルスは、自分の胸に手を当てた。大精霊の魂は『お前の中にある』、つまり、ここにいるのだろうか。

 一度目の生を終え、生き返り若返ったときか。クロードも老魔術師の気配が変わったと……いや、その後も古代神殿の女神像に、大精霊はいた。

 とすると、『囚われている精霊たちを解放してほしい』と頼まれたときか。直後、大精霊の存在は消えた。老魔術師はその力の大きさに気を失ったが、このとき、大精霊の魂が中に入ったということか。


 何だか、あまりの事に信じられないような思いがして、ティンクルスは自分の胸に目を落とす。

 守護精霊が契約者の魂を取りこむのに似ているとも思う。初代王の魂のように、大精霊の魂もこの胸の中にいるのだろうか。

 だが、なぜ――


 ここで、ティンクルスは以前、疑問に感じたことを思いだした。

 精霊の解放は、大精霊にもできたはずだ。それなのに『なぜ老魔術師に託したのか』だ。


 先ほどの精霊が言った、『大精霊の娘』とは新たな大精霊のことなのか。それはわからないが、呼び方からして特別な存在ではあるはずだ。精霊は解放しろとも言ったので、娘は『竜の住まう谷のそば』で囚われているのだろう。

 ならば、大精霊の娘を閉じこめたのも、おそらく竜人と呼ばれた者たちだ。

 そして、彼らはこの特別な存在に対して、何らかの理由があって、人なら入れるが大精霊や精霊は近づけない、そんな結界を張ったのではないだろうか。


「のぅ、クロードよ。竜の谷の近くに、精霊が入れないところはあるかの?」

「そういえば……行ったことはないけど、嫌な魔力を感じる場所があったな」

 眉をひそめたクロードに、老魔術師はうなずく。


 つまり、こういうことだ。

 大精霊が願った『精霊たちの解放』には、娘のことも含まれている。娘は、大精霊や精霊が入れない場所にいる。だから人である老魔術師に託した。

 娘を解放するには、大精霊の魂が必要なのだろう。だから結界をくぐり抜けるために、老魔術師の中に入った。


「わしの一番の役目は、きっとこの胸の中にいる大精霊の魂を、娘のところへ連れていくことなんじゃの」

 そして娘を解放する。これにより、大精霊がよみがえるか、新たな大精霊が出現するか、するのだと思う。


「うむっ」

 やるべき事がわかってきたと、老魔術師が気合を入れて立ち上がろうとしたとき。

「お……わし、魔力、ない」

「ティンク!」

 くらりと目が回り、目の前が真っ暗になった。それでも、友の腕が支えてくれたことだけはしっかりと伝わってきて、ティンクルスは、とても、とても、安心できた。





「ん……ん、ん?」

「ティンク、気がついたか」

 目を開けると、友のホッとした風な顔が飛びこんできた。目をくるりくるりと動かすと、ここが猟師の家だとわかる。

「わし……そうじゃ」

 森で精霊と対峙した際、魔力を使い果たして気を失ってしまったのだと、ティンクルスは思い至った。


「クロードがわしを運んでくれたのかの? ありがとうのぅ」

 手を伸ばし、友の頭をなでなでする。五十年も犬の姿であったためか、なかなかクセは抜けないが、クロードも喜んでいるようなので、これはこれで良いのだろう。

「おっ、クロードよ、ケガはないのかのっ?」

 そういえば、友は精霊に吹き飛ばされてしまったのだ、とも思いだした。慌てて起き上がった老魔術師は、目がくらりと回り、体はぽすりと布団へ倒れる。


「ティンク、まだ自分の魔力が足りないんだ。もう少し休んでろ」

「おぉ、これが魔力切れ……」

 魔力が発現してから、ずっと守護精霊とともにいたティンクルスだ。常なら魔力を分けてもらえるものだから、使い果たしてしまったのはこれが初めてのこと。何だか妙に感慨深い。


「クロード殿は軽い打ち身です。ティンク様の薬を塗ったのですぐに良くなるでしょう」

 すぐそばに控えていた騎士も顔を出す。

「おぉ、ジャンも、いろいろとありがとうのぅ」

 友の無事を知り、騎士の穏やかな顔を見て、老魔術師はようやく全てが終わったのだと安堵した。


「それにしても、この家の娘も、娘が家出したとかいう男も、森にいた精霊も、この村は厄介な奴ばっかりだな」

 クロードが思いっきり顔をしかめた。

 みな、ひと括りにしてしまう物言いが何だかおかしくて、ティンクルスはくすりと笑う。

(じゃが、あの精霊は……)


 森で感じた精霊の気配は、けっして嫌なものでも怖ろしいものでもなかった。ただ静かだった。心を閉ざしているようにも思えた。

 あの精霊は、きっと千年前の出来事を、精霊たちが囚われ大精霊が閉じこめられたことを、見て、知っているのだろう。だから人を嫌うのだ、いや、信じられないのかもしれない。

 それでも、人に近づいてきてくれたのだ。言葉を伝えてくれたのだ。こちらに魔力を放ってきたのも、大精霊に願いを託された人間がそれに相応しい者なのか、見極めるためだったと思う。

 思えば、これまでに解放した精霊たちも、人の仕業であるにも関わらず、こちらに怒りをぶつけるものはいなかった。


「人と精霊が仲良く暮らせる、そんな世を目指したいのぅ」

 老魔術師はポツリとこぼす。クロードが、騎士が、優しげに笑った。



 それからの数日、ティンクルスはベッドの上で生活を送ることとなった。魔力を使い果たすというのは、なかなか大変なことである。


「ティンク。スープ、もっと飲むか?」

「お」

 甲斐甲斐しくも、クロードが口元に運ぶスプーンを、老魔術師はこれまた素直に受け入れる。

 元々世話をされることに慣れているためか。一度目を生を終える前、散々介護してもらっていたせいか。両手はしっかり動くしスープくらいは自分で飲めるのだが、彼はそのことにはまるで気づかずとっくりと世話を受けている。


「ちょっと昼寝でもしようかのぅ」

 暇だからか、眠くなった。ティンクルスは友に背を支えられ、ゆっくりと身を倒す。騎士が布団をかけてくれ、幸せそうな顔になって目をつむる……


「坊ちゃん、トゥキ草を持ってきたぞ!」

 バタンッと扉が開き、猟師、というよりは猟師見習いの、まだ少年らしさの残る若者がやって来た。この大声に、老魔術師はまぶたをパチッとこじ開ける。


 精霊が去り、晴れて封鎖の解けた森には、やはり魔物がいなかった。とはいってもそれは森の入口付近、精霊がいた辺りだけだ。奥に入れば魔物は変わらずいるという。

 しかし、猟師見習いを連れていくのは少々危ない。すると彼らの仕事がない。

 これを聞いた老魔術師は、元々魔法薬を作る予定であったため、薬草採取を若者たちにお願いしたのだ。


「もっと静かに入ってこい!」

 クロードがギロリと若者を睨む。騎士の目も厳しい。

 まあまあと、二人をなだめたティンクルスは、若者が持ってきた袋を覗き見た。

「……ちょっと、トゥキ草とは違うようじゃが」

「えっ」

 うなだれてしまった若者を、誰にでも間違いはあると優しい声で元気づける。


「わし、ちょっと昼寝を」

 若者が去り、さて寝ようかとティンクルスが布団に潜りこんだとき。

「坊ちゃん、パナの根を持ってきたぞ!」

「もっと静かに入ってこい! ちゃんとパナの根だろうな!?」

「……」

 別の若者がやって来た。こんなことを何度か繰り返したのち、老魔術師はまたまた寝転び目をつむる。


「まったく、この村の奴らは本当に厄介な奴が多いな」

「ええ、迷惑極まりないですね」

「……」

 聞き間違いではなかったらしい騎士の遠慮ない物言いに、ティンクルスのまぶたはぱっちりと開いた。



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