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侵入者とその目的

 ――ギィ、ギィ、カタ、カタン


 音が聞こえた気がして、ティンクルスの意識はゆらゆらと浮上していく。軋んだのは人の足音だろうか。何かを開けたような音もした。

 クロードか騎士が用足しにでも行ったのか。いや、この部屋で何かが動いているような。

 うつらうつらと考えながら、重いまぶたを持ち上げようとしたとき。


 ――ぎゃっ!


「むふぉっ!?」

 突然の悲鳴じみた声に、老魔術師はがばりと跳ね起きヨロリとよろけ、よく知る気配に支えられた。

「ティンク、大丈夫だ」

 すぐに聞こえたのはクロードの声だ。すぐに感じたのは、こちらを守るように広がるクロードの魔力だ。

 そして、何かが動く音もする。


「お……あ、灯り」

 うっすらとした月明かりだけでは、何が起きているのかわからない。老魔術師は両手を合わせ、そこから光の玉を出す。

「う」

 少し慌てていたようだ。明るすぎた光に目をつむりつつ光を弱めつつ、再びまぶたをゆっくりと開く。

 その目に映ったのは……


「……お嬢さん?」

 騎士に腕を取られ、痛がっているのか、怖がっているのか。顔を歪めて震える、この家の猟師の娘だ。

 いったいどうした事なのか。ティンクルスの首が、くきっと傾いた。



「落ち着いたかのぅ?」

 優しく声をかけてみると、猟師の娘は手にしたコップをテーブルに置き、小さくうなずいた。

 これに、老魔術師はホゥと安堵の息をつく。

 最初、騎士に捕まっていた娘は涙を浮かべ、怯え、「ごめんなさい」と何度も繰り返した。こちらが声をかけても混乱しているのか、彼女はひたすら謝り続け、逆にティンクルスのほうがうろたえてしまったのだ。


「それで、どうしてこんな事をしたのかの?」

 チラリと目を向けた先には、フタの開いた、上質な革製の荷箱がある。綺麗にしまってあったはずの老魔術師の服が、少し乱れている。

 つまり、娘はこの箱を漁り何かを盗もうとした、となるのだろうが。


(年頃の娘さんが、男物の服なんて欲しくないじゃろうしのぅ……)

 ここは大きな街でもないのだ。服を売り捌くこともできない。いったい何が目的なのかと首をかしげて目を戻すと、老魔術師はぎょっとした。


 娘の目に、また涙が浮かんでいる。両手で自分の体を抱くようにして、震えてもいる。

 一度は落ち着いたはずなのに、なぜなのか。ティンクルスは焦りつつも娘の視線に気がついた。その先にあるのは――友の鋭い眼差しだ。

「クロードよ。もうちょっと、その、優しげな目になってくれるかのぅ?」

「ああ」

 しかし友は目を和らげるのではなく、恐いままの顔を娘から逸らした。

 どうやらクロードは、真夜中に忍びこみ、老魔術師の眠りを妨げた彼女を許せないでいるようだ。


 気を取り直したティンクルスは、もう一度、娘を慰め、なぜこのような事をしたのかと聞いてみた。

「……私、ティティリアに行きたいんです」

「ふぉ?」

 いきなり話が飛んでしまったような。きょとんとする老魔術師に、猟師の娘は話しだす。


 いつか村の男と結婚し、猟師の妻になって一生を終えるのが嫌なのだ、と娘は言った。大きな街で暮らし、多くの人と会ってみたいのだそうだ。

 ただの若者らしい夢、なのだろうか。だが、娘の話を聞いていると、何だか猟師を嫌っている風にも思える。

 ティンクルスはその辺りを促してみた。


 娘が言うには、猟師たちは家に集まり酒を飲み、大騒ぎして帰る。その世話をするのが嫌だ。

「猟師さんたち、いつもこの家に集まるんです。母さんも、おばさんたちが手伝ってくれるって言うのに大丈夫だって断って、でも私には手伝わせて……」

「ふむ……」

 老魔術師は先ほどの、盛大な歓待の夕餉を思いだした。楽しむ猟師たちを横目に、彼女は迷惑そうな顔になって溜息をついていた。

 娘にしてみれば、自分の家だけが面倒を引き受けているようで、不公平に感じているのかもしれない。


「それに、魔宝玉まほうだま作りも気持ち悪くて嫌いだし……」

「う、うむ……」

 一度だけだが手伝った経験のあるティンクルスは、これにはちょっと同意する。


「で、お前が猟師の妻になりたくないのと、この部屋に忍びこんだのは、どう関係してるんだ?」

 娘の長話にしびれを切らしたのか。老魔術師の睡眠時間が着々と削られていくことに、腹を立てているのか。

 クロードが低い声を出すと、また、娘の目には涙が浮き、ティンクルスはうろたえた。





「このっ、大バカ者っ!」

 翌朝。昨夜の出来事を知った猟師の大声が、居間を震わせ、老魔術師を震わせた。怒られているのはもちろん、娘のほうである。

 客の物を盗もうとするなんてどういうつもりだ、何でそんなことをした、と猟師の怒声は続く。


 昨夜、彼女が部屋に忍びこんだ目的は――魔法使いが持っているであろう、魔石を盗むことだった。

 魔物討伐の際、多くの魔法使いは魔石を準備しておく。自身の魔力が減ったとき、魔石の魔力を使うためだ。

 魔術武器の普及により魔法使いの討伐はめっきりと減ったが、娘は旅人から話を聞き、このことを知っていた。そして、魔石が無くなれば、魔法使いは森に現れた『何ものか』の討伐を止めるのではないか、と考えた。

 するとどうなるか。猟師は猟のできない期間が続く。いずれは街へ出稼ぎに行こうという話が出るかもしれない。街で暮らしたい娘は、このとき自分も行くと言うつもりだったそうだ。


 これを聞いたティンクルスは、珍しく渋い顔になった。

 まず、討伐を担う魔法使いは、魔法院や領主に仕える者が多い。つまり、地位のある者だ。そんな魔法使いから魔石を盗めば、厳しい罰に処せられる。

 次に、外村の戦力は、猟師の数を加味して定められている。魔石の輸送を担わないヴェリダは、兵士の数も少ないはずだ。そんな中、猟師たちが街へ行ってしまったら、そこへ魔物の群れでもやって来たら……

 この辺りは昨夜、娘にきっちりと説明しておいた。


 そして、娘の要望を両親に聞いてもらうべきではないか、とも思った。娘のわがままと一蹴するのは簡単だ。しかし、客の部屋に忍びこむくらいには思いつめているのだ。

 今回の相手がもし、老魔術師ではなく領主に仕える魔法使いだったなら、娘はどうなっていたかわからない。


「じゃからの、猟師さんと奥さんも、ちょっとだけでいいんじゃ。娘さんの気持ちを考えてやってくれないかのぅ」

 猟師の怒声が止んだ頃、ティンクルスはそろりそろりと口を挟んだ。

 娘が一番嫌がっているのは猟師たちの宴のようだ。何回かに一度、他の者の家でやるとか、よその妻たちにも手伝ってもらうとか、ちょっとしたことで改善すると思うのだ。


「そ、そんなのは、こいつが甘えてるだけ、だ……」

 これを聞いた、猟師の歯切れは悪い。娘から目を逸らしてもいる。そもそもの原因が自分たちにあるからだろう。

 妻はというと、彼女自身は苦にしていないせいだろう、ここまで娘が嫌がっているとは思っていなかったようだ。驚いた風な顔をしている。

 ここはもう一押し、必要か。


「今、娘さんにがまんをさせて、本当にこの村が嫌になったらどうするんじゃ? 悪い旅人に引っかかって家出でもしたら、取り返しがつかないじゃろ?」

 ティンクルスが窺うと、なぜだか、猟師の顔色はサァッと失せ、妻の目はハッと開いた。

 もしかすると、過去にこの村を出ていった娘でもいるのだろうか。

「そうだったねぇ。あんたにばっかり手伝わせて、ごめんね」

 いろいろと思うところがあったのか。ほぅと息をもらした妻が優しげな声で謝ると、猟師の口もモゴモゴと動いた。何を言ったかわからないが、彼なりに謝ったのだと思う。


 猟師に怒鳴られ散々泣き、けれど自分の言い分を聞いてもらえたからだろう。話し合いを終えたとき、娘の顔はスッキリとして見えた。

 老魔術師としては、朝っぱらからひと仕事、終えた気分である。



 それから、ティンクルスたちは明日に予定されている、何ものかの討伐準備に取りかかった。

 魔法使いとしての実力を見せるため、兵舎の訓練場で魔法の的当てもした。みなの注目を集めた老魔術師は、相変わらずちょっと緊張気味だったし、ぶら下がっていた的は、やはり硬くてぶ厚い魔物肉だった。

 明日、対峙する何ものかが本当に幽霊だったらどうしよう、と、ぷるっと震えたりもした。


「ティンク。準備も終わったし、猟師の家へ戻るか」

「うむぅ……そうじゃのぅ」

 クロードが心配そうに覗きこんでいるのは、ティンクルスの、まぶたの半開きになった顔である。真夜中に起こされ、それから長々と話をしていたために老魔術師は眠いのだ。

 ぽやっとした顔で、のたりのたりと歩いていると。


「まったく、厄介な娘だな」

 昨夜のことを思いだしたのだろう、クロードが文句をこぼした。これに騎士は苦笑いを浮かべる。

「ええ、迷惑でしたね」

「……」

 ティンクルスのまぶたがパチッと開き、足がピタッと止まった。

 今の言葉は騎士の口から出たのだろうか。友の口が少々悪いのは知っているが、ジャンも意外と遠慮ないのだろうか。


「ティンク、どうした?」

「大丈夫ですか?」

 クロードと騎士が、気遣いを含んだ優しげな顔を向けてくる。

(……聞き間違い、かの?)

 寝不足だからかもしれない。

「うむ。大丈夫じゃが、わし、ちょっと昼寝でもしようかのぅ」

 穏やかな昼下がり。老魔術師のまぶたは再びとろりと下がり、足はのたのた動きだす。

 部屋に着き、ティンクルスがさも幸せそうな顔になってベッドにもぐり、うつらうつらとし始めたとき。


 ――バンッ

「ちょっと、あんた! 待ちなって!」

 玄関の開いた音だろうか。続いたのは妻の声だ。荒い足音がこちらに近づいてきて。

 ――バタンッ

「お前が魔法使いのティックだな!?」


「ふぉっ!?」

 老魔術師は、またまたがばりと跳ね起きた。



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