ティティリアへの旅
「女将さん、世話になったのぅ」
「いえいえ。若様たちの仲を取り持ってくれたんですから、こっちこそお礼を言わなきゃ」
女将からたっぷりと昼食を持たされ、道行く人々に「気をつけて」と声をかけられ、おそらく『縁結びの魔法使い』だからだろうが、若い娘に祈りまで捧げられ、老魔術師は馬車へと乗りこむ。
アンガンシアを出た馬車は一路、次の目的地である、交易都市ティティリアへ向けて走りだした。
御者台には騎士が座り、窓からひょこりと出ているのはティンクルスの顔だ。クロードはその横でゆったりとしている。
(どんな街かのぅ)
海に面したティティリアには港があり、周辺に多数ある島々との交易で賑わう街だ。
山を背にした茶色い街、アンガンシアをふり返りつつも、この街の発展と人々の幸せを願いながらも、海辺の街を想像しては顔がニコニコしてしまう。
「海はどこまでも広くて、波がザザンと押し寄せてくるんじゃろ? ティティリアの人々は夏になると、海で泳ぐらしいのぅ」
絵画でしか見たことのない海。大空を仰ぎながら、砂浜に寝転がってみたいと思う。
真っ青な海に入るのはどんな気分だろう。波もあると聞くから、やはり風呂とは違うのだろうか。泳ぐ自信はまったくないが、浮かぶくらいならできるかもしれない。
「だいぶ暖かくなってきたけど、海に入るにはまだ早すぎるな」
心が伝わったのだろう。すかさず友に首をふられ、ティンクルスの眉が思いっきり下がった。
「……足だけなら入っても大丈夫だぞ?」
また心が伝わった、いや、眉が自己主張したせいだろう。クロードが元気づけるように窺うと、老魔術師の眉は持ち上がっていく。
「ティンクは若返ったから大丈夫だと思うけど、冷たい海に入ると年寄りはよく心臓が止まるからな」
危ないとつぶやくクロードに、眉は再びへなっと下がった。
(わし、大丈夫かの……)
海というものをまったく知らないティンクルスは、いまひとつ青年になったという自覚にも欠ける老魔術師は、ちょっと怖くなり、ぷるっと体を震わせた。
数日をかけ、馬車はアンガンシアの内村を抜けて、外村ガレータへ。
赤茶色の家々と、赤茶色の兵舎に赤茶色の防壁が伸びている。開いた門の向こうには荒涼とした大地が広がり、遠くには黒味を帯びた岩の連なりが見える。そこが魔物の生息地だ。
(何だか人が少ないのぅ)
ティンクルスは村を見まわし首をかしげた。
まだ陽は高いので、農民は畑に出ているのだろう。防壁の見張り台に兵士の姿はあるし、訓練でもしているらしく勇ましい声が聞こえる。どこかで子供たちが遊んでいるのだろう、明るい声も響いている。しかし。
「今日は土の日じゃが、ガレータの猟師さんは猟を休まないのかのぅ?」
王都の外村ヘスタでは、木の日は森を休める日だと言って、猟師は猟を休んでいた。ガレータの猟場は岩場なので、今日、土の日が休みなのだろうと思っていたのだが。
それにしては猟師らしき者の姿が少ないように思う。
「どうなんだろうな」
クロードも騎士も知らないらしく、二人そろって首をひねる。
老魔術師は村長宅へ赴き挨拶を終えると、これについて聞いてみた。
「猟師たちは護衛を頼まれて、ティティリアへ行ってるんですよ」
村長が言うには、近々ティティリアの商人組合の長が代替わりするそうだ。その披露目のパーティに出席するため、商人一行が護衛を雇い向かったのだという。
アンガンシアとティティリアの間でも、魔石の輸送は行われている。兵士たちに同行することもできる。ただ、王都間ほど頻繁ではないため、ガレータでは護衛を雇う旅人がまだまだいるようだ。
「アンガンシアの領主様も、ご子息の結婚が決まったようですなぁ。帰りは祝いに来るティティリアの商人でも、護衛してくるんじゃないでしょうか」
猟師たちや村が潤うと、ありがたいことだと、村長は朗らかに笑った。
「そういう理由なら大丈夫じゃの」
村長宅を出ると、老魔術師は頬をゆるめた。猟師が少ないのはケガでもしたせいだろうかと、ちょっと心配だったのだ。
今度は明るい声に惹かれ、つまずきつつ助けられつつそちらへ歩みを進める。そして、懐かしい人物を見つけた。
「えっ、ティンクさん!?」
追いかけっこをしていた子供たちの一人、少女が足を止め、目と口を丸くして顔をこちらに向けてくる。
彼女は、顔に火傷を負い、かつては王の暗殺未遂に加担してしまった魔法使いの娘だ。
「お嬢さん、久しぶりじゃのぅ。お父上ともども元気かの?」
老魔術師はニコニコしながら、少女の驚いた風な顔を眺めた。
実は、これまで通った内村で、ティンクルスは『親切な火傷の魔法使い』の噂を聞いていた。父娘がこの外村にいると知り、再会を楽しみにしていたのだ。
かつての罪を王に許され、王都を発った魔法使いの父娘は、村々を巡りながらアンガンシアまでやって来たのだろう。一つ一つの村で腰を落ち着け、人々の治療に当たっていたのだろう。
数ヶ月遅れで王都を出発した老魔術師一行は、追いついたというわけだ。
「お嬢さんたちもティティリアへ行くのかのぅ?」
「はい、魔石を運ぶ兵士さんたちと一緒に。でも、ティティリアの街には行かないと思います」
きっとまた、周りの村だけを回るのだろうと、少女の口が尖る。
「ふむ、街には魔法使いがいるから村を巡るんじゃの。わし、お父上は立派じゃと思うのぅ」
ティンクルスが笑いかけると、少女も父を誇りに思っているのだろう、尖っていた唇が横にニッコリ広がった。
*
ガレータの村で、ティンクルスたちは数日を過ごした。魔法使いの父娘と一緒に、次の魔石輸送に同行するためだ。
その間、少女の父とともに人々を診ながら、ちょっとばかり農作業を手伝ったりもした。
「ふっ、ふぉ、ふぉっ」
ものすごく運動神経の鈍い老魔術師だ。畑の畝に足を取られ、とてもじゃないが歩けない。
農夫は呆れを通り越し、心配顔を向けてくる。
「坊ちゃん、危ないですよ。止めたほうがいいんじゃないですかい?」
残念ながら、薬草の苗の植替え作業は、ティンクルスには無謀な挑戦だった。だが、ちゃんと役立つこともあった。
「水はこれくらいかの?」
手のひらをかざし、苗を植える穴の一つ一つに水をたっぷりと注ぐ。
厳しいアンガンシアの大地に撒くのは、魔力含みの水だ。農夫ならば農業用の魔法薬を水に混ぜなければならないが、魔法使いならすぐに出せる。
「おお、十分です。魔法使いってのは便利なもんですなぁ!」
喜ぶ農夫の顔を見て、ティンクルスも嬉しくなった。
ちなみに、彼は足元が危うかったために、クロードに抱えられ運ばれながらの水やりとなった。
そして、旅立ちの日。
「同行者は五人。うち二人が魔法使い、二人が護衛だそうだ。だからってお前ら、気を抜くんじゃないぞ!」
隊長のかけ声に、兵士たちが勇ましい声を上げる。鉱夫たちの集うアンガンシアの気質なのだろうか。彼らはみな逞しい。
雄たけびに驚いたティンクルスの体は、ぴょん、と跳ねていた。
「馬車に乗せてもらって、ありがとうございます」
向かいの座席に腰かけた少女が、嬉しげな顔で礼を述べた。老魔術師はいやいやと、にっこり笑って首をふる。
御者台には騎士と少女の父が座り、何かを話しているようだ。ときおり笑ってもいるから、案外気が合うのかもしれない。
魔石輸送の隊列が進むと、茶の大地は少しずつ緑に覆われていく。
この間、一行は幾度も魔物に遭遇した。ティンクルスの出番が多い。かつては魔法院で学び、魔物討伐にも赴いたことのある、少女の父も活躍した。
「アンガンシアからティティリアへの街道は、王都とアンガンシアの間より魔物が多いんじゃのぅ」
「だから兵士さんたちも、あんまりティティリアへ行かないのかな?」
少女が首をかしげ、ティンクルスはなるほどと納得する。
ティティリアは王都より小さいので、魔石の需要も少ない。だが、それだけでなく魔物が多いという理由もあって、輸送の回数を最小限に止めているのだろう。
ガレータの猟師たちが少なかったのも、この危うい街道を進むのに、護衛として多くの者が雇われたためか。
「兵士さんも猟師さんも、大変なんじゃのぅ」
老魔術師の口から、ふぅ、と吐息がこぼれた。
しかし、他人事ではないのだ。魔物がこの先もっと増えれば、いつか外村はのみこまれ、内村が脅威に晒される。やがて魔物は街に迫り……
これは千年も前、竜人が、いや、竜人と呼ばれた人間が、精霊たちを捕らえたからだ。大精霊を閉じこめたせいだ。
(わし……)
この旅で、精霊たちを解放し、魔物の増加を少しでも抑えなければならない。
この旅が、大精霊が甦る、または、新たな大精霊の出現につながることを心から願う。
そして魔術の行く末を、老魔術師は見極めなければならない。人が精霊を利用するのではなく、友として暮らせる、そんな未来を作りたいと望む。
「わし、がんばるっ」
気合の入ったティンクルスは、突如、小さめの拳をぐっと天井にふり上げる。その姿を見て、クロードは優しげにほほ笑み、少女はポカンと口を開けた。
それから何日か。
「ティンク様、ティティリアの外村が見えてきました。テルダの村です」
「お! うっ、海は、海はどこじゃろ?」
御者台から届いた騎士の声に、老魔術師は窓からずぃっと首を出す。少女の顔もそろって並んで飛びだしている。
「もっとティティリアの近くに行かなきゃ、海は見えないぞ」
すぐそばを馬で駆けていた兵士が、おかしそうに笑う。ティンクルスと少女の眉は、仲良くそろってへなっと下がった。
見えてきたテルダの村は灰白色の防壁で囲われていた。周りは草原と森。王都の外村ヘスタに似ていると、老魔術師はちょっぴり懐かしく思う。
大きく開いた門に着くと、ガレータの隊長とテルダの兵士が話し始める。同行者の有無や入村の許可を得ているのだろう。
テルダはどんな村だろうと、早く入ってみたいと、胸を弾ませ目を輝かせたとき。
「おい、あいつだ! 捕まえろ!」
「ふぉ?」
何があったのか。恐い顔をした兵士たちがこちらへ向かって駆けてくる。
老魔術師の馬車は、テルダ兵に囲まれてしまった。




