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領主の息子と相談事

「紹介状には書いてあったが、本当に若いんだな……」

 宿屋の食堂へ入ると、椅子に座っていた若者が、少し驚いた風な顔をこちらに向けた。そこへ、紅茶を持った女将がやって来る。


「はい、どうぞ。お客さんからもらったこの紅茶、おいしいですねぇ。若……使者さんも気に入ったでしょう」

 若、とは、若様と続くはずだったのだろう。騎士の言うとおり、この若者は領主の息子のようだ。

 この宿屋には、いや、この街のあちらこちらに、領主に会いたいと願い出ている者がいる。だから若者は、使者ということにして来たのだろう。


 ついうっかりの失言に肩をすくめた女将を見て、領主の息子は楽しげに笑っている。立派な体つきをしているが、まだ少年らしさも感じられる笑顔だ。

 どうやら彼は、こちらに正体を隠すつもりはないらしい。それに。


(領主家と街の人々は仲が良いんじゃのぅ)

 かつては小さく貧しかったアンガンシアだ。人々は身を寄せ合い、力を合わせて暮らしてきたのだろう。領主家の尽力、大地の魔法使いの貢献によって、人々の結びつきはさらに強くなったに違いない。

 近年発展したことで街のあり方も変わってきただろうが、築いてきた関係は揺らいでいないようだ。

 良い街じゃ、とティンクルスは頬をゆるめる。


「もうわかっていると思うが、私はアンガンシアの領主の息子だ。あなたは大地の魔法使いが認めた、見識ある立派な魔術師だと書いてあった」

 だから相談したいことがあると、領主の息子は表情を引き締めた。

「ほぅ、何ですかの?」

 魔術師と言ったからには、魔術薬師か魔道具職人の工房で、何か困ったことでもあるのだろうか。

 老魔術師はずぃっと身を乗りだす。すると領主の息子も真剣な顔を、ぐっとこちらに寄せてくる。


「私が姉のように慕っている娘と、父上が結婚するために知恵を貸してほしいんだ」

 思いも寄らぬ相談に間を空けることしばし。

「ふぉっ?」

 ティンクルスの目と口が、まん丸になった。



 話を聞いてみると、こういうことであるらしい。

 領主家の、領主夫人はずっと以前に亡くなっており、彼は乳母に育てられた。乳母の子供たちとともに育った。その子供たちが、姉のように慕っている娘と、今は大地の魔法使いの弟子でもある少年の、姉弟だそうだ。


「もしかして、その娘さんも魔法使いですかの?」

「ああ。彼女は大地の魔法使いに魔法を教えてもらったし、王都から来た魔術師にも魔術を習ったんだ」

 今は立派な魔術師だと、工房で魔術薬師や魔道具職人を教えながら、自らも魔法薬を作っていると、領主の息子は目を輝かせて言う。


 ふむ、と老魔術師はうなずいた。

 おそらくその姉のような娘が、王都の商人たちの噂の元となった、領主の愛人なのだろう。息子の様子から察するに事実は違うようだが、傍から見ればそう思う者もいた、ということか。


「つまり、領主様とその娘さんは互いに想い合ってるのに、なかなか夫婦にならないということですかの?」

 こう言って領主の息子を窺うと、なぜだかその顔が曇った。切ないような、寂しげなような、少し苦しくも見える表情だ。


(まさか、この息子さん……)

 これは、叶わぬ恋に悩む男の顔、ではなかろうか。彼は姉のような娘に恋を……


 こうした話にはトンと縁のなかった老魔術師だ。どう対応すればいいのか。いささか動揺を覚え、ゴクリとのどが鳴る。

 いや、まずは本当にそうなのかと、ちらっちらっとクロードを見る。

 友の顔が、そうだろうと縦に揺れ、ティンクルスの眉が、どうしようとへなっと下がった。

 が、顔をうつむけていた領主の息子は、こんな二人のやり取りには気づかなかったらしい。気を取り直すように息をつき、再び口を開く。


「娘のほうは父上を想っていると思う。父上も、たぶん……」

 領主は一見、この娘をわが子のように慈しんでいるそうだ。けれど娘はもうすぐ二十歳はたち。それなのに結婚話を持ち出さない。


 なるほどと、老魔術師は思った。

 彼女は乳母の娘として領主館で暮らしている。こうした場合、領主か侍従長か、上の者が結婚の世話をするものだ。それをしないために、愛人として囲うつもりなのでは、という憶測が生まれたのだろう。

 しかし息子の見解は違うようだ。


「きっと父上は、彼女を想っているから結婚を勧められないんだと思う。だが、彼女との年の差や、私のことを気にして……」

 ここでまた、悩める若者は息をついたが、それを振り払うように力強く顔を上げる。

 それでは娘の結婚が遅れてしまうと、心配そうに訴える。領主にも愛人がどうのといった芳しくない噂が、一部にある。父上の名にも傷がつくと憤る。このままではいけない。二人には幸せになってほしい。

 ぐぐぐぐっ、と気合の入ったの息子の顔がこちらに迫った。





「むぅぅ、ぅぅ……」

 ティンクルスは、困っていた。

 朗らかに笑う女将が紅茶のお代わりを注いでくれ、食堂を出ていく。さすがは客商売だ。言っては何だが、騎士が淹れてくれた物よりおいしい。

 そして、目の前には領主の息子の真剣な顔――悩める若者は、どうしても『見識ある立派な魔術師』の意見を聞きたいようなのだ。


 老魔術師にはこれまで、何組かの恋人たちを結婚に導いた実績がある。

 優しげな顔の隊員と、母が結婚式につけて欲しいと願った大切なネックレスを売ってしまった娘。

 誰ともわからない黒い瞳の父を求め、結婚に際して奇妙な条件を出した姫と、彼女を見守っていた騎士。

 そして、おっちょこちょいな隊員と、魔術薬師工房で働く黒いローブの娘だ。


 だが、彼らはみな、互いに想い合っていた。ティンクルスはそれを少し後押ししただけのこと。いや、最後の二人に至っては、おっちょこちょいな隊員に結婚を申しこむ際の、正しい剣の捧げ方を教えただけか。

 けれど、このたびは違う。領主の息子は姉のような娘を想っているのに、二人のために身を引こうとしている。その娘は、どうやら領主を想っているらしい。そして領主は。


(結婚を勧めないというだけじゃと、何とも言えないのぅ……)

 老魔術師は口を尖らせ腕を組む。

 女性は子を産むと魔力を失うことがある。もし娘が、生涯を魔法使いとして生きると決意していたら。身分違いの恋を捨て、アンガンシアのために生涯を捧げようと覚悟していたら。

 領主は彼女の意を汲んで、結婚を勧めないだけかもしれない。

 だとすると、娘と領主は結ばれず、息子はいつまでも踏ん切りがつかない、ということになりはしないか。


「むぅぅん」

 唸るティンクルスの横で、クロードが面倒臭そうな顔を領主の息子に向けた。おそらく、ティンクを悩ませるな、とでも思っているのだろう。


「後妻にしないのかって、正直に聞いてみればいいじゃないか」

「だから父上は、彼女との年の差や、私のことを考えて躊躇っていると言っただろう。それを後押しする方法を教えてほしいんだ!」

 恋に悩む若者は勢いがある。なかなか鋭くなったクロードの眼差しを、物ともせずに迫ってくる。


「む、むぅ……じゃあ、こういうのはどうですかの?」

 老魔術師は王都での出来事を、伯爵夫人を企みを、話して聞かせた。

 この事件は、言うなれば領主の悪い噂が元となって起きたこと。市井の人々に心砕ける領主なら、きっと何らかの行動をとるはずだ。

 それが姉のような娘を、後妻にするのか、独り立ちさせるのか、他の者との結婚を勧めるのか、それはわからないが。


「そっ、そんなことが……その巻きこまれた娘は無事だったのか!?」

 領主の息子が一番に気にかけたのも、やはり庶民の娘、子爵家の娘の身代わりとして狙われた、黒いローブの魔法使いの娘だ。


「もうそんなことが起きないよう、父上に話そう。そうすれば父上も、彼女とのことをハッキリさせるはずだ」

 力強くうなずいた領主の息子は、礼を述べると帰っていった。

 はたして若者の望むとおりに事が進むのか。老魔術師ははなはだ不安であった。



「ふぅ……」

 慣れない相談を受けて散々悩んだティンクルスは、くたりと椅子にもたれ、手は自分の頭をさすっている。『あんまり悩むとハゲるらしいぞ』という、友の言葉を思いだしたためだ。


「ティンク、大丈夫か? まったく! 変な相談を持ってきやがって」

 クロードはいささか言葉が荒い。老魔術師を心配してのことだろう。


「ですがティンク様のご提案は、良いものだったと思います」

 長らく、騎士らしく微動だにせず控えていたジャンが、ここでようやく口を開いた。

 どうなるにせよ、それぞれの想いが明らかになれば、領主の息子も次へと目を向けることができる。噂を払拭すれば伯爵夫人のようなやからが寄ってくるのを防ぐことができ、アンガンシアのためにもなる。

 こう言って騎士はうなずく。

「そう、じゃの」

 少しだけホッとしたティンクルスが、頬をゆるめたとき。


「お客さん、お疲れ様でしたねぇ。若様の悩み事を解決してあげたんですってね」

 やけに楽しげな女将の顔が、食堂を覗いた。

「いや、解決するかどうかはわからないんじゃが……」

「大丈夫ですよ! 結果はもう、わかりきってますからね」

「ふぉ?」

 ポカンとしたティンクルスが、クロードを見、騎士を窺う。二人はそれぞれ首をかしげる。

「今日は特製スープ、大盛りにしときますね」

 紅茶のカップをお盆に乗せ、女将が上機嫌な様子で出ていく。


「……ここの女将さんも、王都の女将さんみたいに物事を見通せるのかのぅ?」

 ポツリとこぼしたこの問いに、答える者はいなかった。



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