アンガンシアと領主の評判
「茶色じゃのぅ」
「ああ、茶色だな」
ティンクルスはちょっとばかり呆気にとられながら、くりくりと首を回す。
長年この地を漂ってきたクロードも、人の高さで眺めてみれば思うところがあったのか、目がちらりちらりと辺りをさまよう。
茶色い土の道に、赤茶色の家が列を作って並んでいる。一方を茶色い山々に囲まれたアンガンシアは、まさに茶色の街だった。ついでに今は夕方、空まで茜色に染まり茶を強調している。
バーモナなど、農村を通ったときは、畑が広がり緑の望める土地があった。赤茶色の家々も、間を空けて建っていた。ここまで茶に囲まれた感じではなかったのだが。
道行く人々の服装もどことなく茶が多いか。仕事を終えた鉱夫たちが、茶の服を着て歩いているからだろう。かつては不毛の地と言われたアンガンシアだ。布の染料となる草花が、少ないせいでもあるのだろう。
爽やかな水色の上着を着た、のんびりした風な坊ちゃんと、黒尽くめの護衛青年はわりと目立つ。ゆえに。
――ドゴッ
ティンクルスの後ろで人が飛んだ。
物音にふり返ると男が転がっており、クロードの振り上げられた長い足が元に戻っていく。慌てて腰の、相変わらず小銭ばかりの革袋を確かめて、ふぅ、と息をつく。
老魔術師は久しぶりに、スリの被害に遭うところであった。
「ティンク、そろそろ宿に戻るか?」
「お、そうじゃの」
きゅる、と鳴ってしまった腹を擦りながら、ティンクルスはうなずく。
彼らはつい先ほど、アンガンシアに着いたばかり。馬と馬車を宿に預け、二人はちょっとした散歩に出た。精霊が囚われているであろう玉を本格的に探すのは、明日からだ。
アンガンシアの大地で採れたおいしい野菜をいただき、久しぶりの湯船にとっぷりと浸かろう。
にこっと笑った老魔術師はもう一度、茶色の街を見まわし、やはり茶色い宿へと戻った。
「領主様は今、ご令息の花嫁を探してらっしゃるそうですなぁ」
「どうでしょうね。この街も大きくなりましたので、売りこむ商人が多くて領主様はお困りのようですよ」
宿の食堂で、隣のテーブルの会話が耳に入った。たっぷりとチーズのかかったほっくりと甘い野菜をつついていたティンクルスは、その手を止める。
チラリ、横を見た。
テーブルには商人の父と娘だろうか、二人が並んで座り、向かいに腰を下ろしているのはもう少し若い男性。こちらも身なりから見て商人のようだ。
商人の父は、娘をご令息の花嫁に、と考えているようでもある。対する若い商人は、笑みを作りながらも牽制している風に見える。
「お父様、私は嫌です。領主様は出世を望んでいらっしゃるのでしょう? 魔法使いの血筋が欲しいとか。しかもご令息ではなく、ご自分の愛人になさると伺いました」
それに領主は醜い男らしいと、その息子ならやはり醜いのだろうと、娘が眉をひそめる。
(……どこかで聞いたことがあるのぅ)
ティンクルスはちょんと唇を尖らせたあと、お、と口を開けた。
王都の魔術薬師工房に、魔法使いの娘を紹介したときのことだ。黒いローブを羽織った、クロード曰く幽霊女である。
彼女は伯爵夫人に狙われた。自らに火傷を負わせた憎い娘を、その罪で捕われ幽閉されていた子爵家の娘を、密かに入れ替え『とある男』に与えるためだ。
その、とある男が――爵位は低いが羽振りは良く、出世のために魔法使いの血縁を欲しがっている当主、中年のひどく醜い男、だった。
(まさか、その男がアンガンシアの領主……)
いや、と老魔術師は首をひねる。
バーモナで楽しい時間を過ごした、大地の魔法使いから聞いていた領主の人柄とはほど遠い。ただ、魔石採掘によって羽振りが良くなったことと、醜い――魔物討伐による負傷だそうだ、は当てはまるかもしれない。
そういえば、と思いだした。あのとき、伯爵夫人の身勝手な企みを教えてくれたのは、騎士のジャンだ。
どうなのかと、ティンクルスはこそこそ問う。
「はい。あの伯爵家が娘を使ってつながりを持とうとしていた相手は、アンガンシアの領主です」
「む……」
実は、老魔術師には領主館を訪ねる予定があった。
この街で黒水晶のごとく美しい魔宝玉を持っているのは、王都から来た商人か領主くらいだろうと、大地の魔法使いから聞いたためだ。
もし領主が、精霊が囚われている玉を持っていたなら、譲ってもらえるよう交渉しなければならない。だから領主の人となりは気になる。
しかし。
『領主様はそんな物に金をかけるような方ではないんじゃが、つながりを持ちたい貴族や商人から、贈られとるかもしれんのう』
とも大地の魔法使いは言った。
やはり、出世目当てに魔法使いの娘を愛人にする、そんな人物とは思えないのだが。
「むぅ……」
「ティンク。まずちゃんと食べて、風呂に入ってから考えろ」
「お、そうじゃの」
友に心配顔を向けられて、ティンクルスはニンジンの手前で止まっていたフォークを、ぷすりと突き刺し口に運ぶ。
「むふっ」
アンガンシアの野菜に魅了され、あっという間に領主のことは忘れたのか。老魔術師はいたくご満悦な顔になった。
*
「ほほぅ、何だかやる気が出てくるのぅ」
朝、ベッドを抜けだし窓を開けたティンクルスは、清々しい空気を思いきり吸った。
青空に映える赤茶色の街並み。昨日は夕焼けに溶けてしまいそうだった街が、今は生き生きとして力強く見える。眺めていると元気が湧いてくるようだ。
さて、精霊が囚われているであろう玉を探すぞと、小さめの拳をぐっと握る。
その後ろでは、クロードが服を選んでいる。毎日黒尽くめの彼の物ではなく、ティンクルスの『本日の装い』を、だ。
着替えは自ら行うようになった老魔術師ではあるが、まだ服を選ぶまでには至っていない。いや、選べないこともないのだが、散々唸った末に結局は爺好みな濃紺に落ち着いてしまう。
「今日はこの服がいいんじゃないか?」
声にくるりとふり向くと、友が選んでくれたのは、春らしく鮮やかな若草色の上着だった。
いつもなら素直にうなずくティンクルスだが、今朝は眉がちょっぴり下がる。
「クロードよ。申し訳ないんじゃが、もう少し地味な服のほうがいいんじゃないかのぅ?」
昨日は着いて早々スリに遭った。あまり目立つ恰好をして、友の手を、いや、足を煩わせるわけにはいかない。
そう思い、クロードを見上げるも、にこやかな顔で首をふられる。
「ティンクは明るい色のほうが似合うって言っただろ。大丈夫だ。今日はジャンも一緒だから、スリはあいつが蹴飛ばしてくれる」
「……そう、かの?」
どう考えても蹴飛ばすより、目立たないほうが良いと思う、が。
毎朝、楽しそうに服を選ぶ友の姿を思いだし、ティンクルスは首を斜めに傾けたまま、ほんわりと笑った。
「あら、おはようございます。よく眠れましたか?」
若草色の上着を羽織り食堂へ行くと、女将に挨拶を返して席に着く。老魔術師はちょっとばかり情報収集というものをしてみようと、口を開いた。
「領主様はどんな方かのぅ?」
「そりゃあ、すばらしい方ですよ!」
女将の声が妙に大きい。それに何だか体が反れ、顔も明後日のほうへ向いてしまったような。その先にいたのは、昨晩、領主は醜い男だと言って眉をひそめた娘の一行だ。
そして、女将の領主自慢が始まった。それによると。
領主家は先代から、大地の魔法使いとともにアンガンシアのために尽力してきたそうだ。魔石の採掘量が増え、鉱夫が集まるようになってからは、警備隊を編成して街の治安を維持している。
領主館を新築した際は、古い領主館を一部改修して神殿とした。つまり孤児院にしたということだ。
この街は鉱夫が多い。採掘中の事故で父を失う子供もいる。この神殿ではこうした子たちを母が働いている間、預かりもするし、街の人々に文字の読書きや計算を教えたりもするそうだ。
「ほぅ、それは立派な方じゃのぅ」
発展し始めたとはいえ、この街はまだまだ小さい。それだけの組織なり施設をいち早く整えるとは、なかなか熱心な領主だ。
ティンクルスが感心した顔になると、女将はわが意を得たりとニンマリ笑う。
「ええ! ですからね、領主様は変な娘さんを若様の嫁になんてしませんよ!」
腰に手を当て高らかに言い放った女将の向く先では、商人父娘が頬を引きつらせている。
その後、運ばれてきた朝食を眺めれば、領主を褒めたからだろう、父娘のテーブルの物よりずっとずっと大盛りだ。
「……」
王都の元女将が『一目で物事を見通す賢者のごとき者』なら、アンガンシアの女将は『客商売でありながら客を怖れぬ兵』だ。
宿屋の女将とは、みな只ならぬ者ばかり――老魔術師は重々しくうなずく。世間知らずな彼はまた、妙な知識を仕入れてしまった。
ともかく、女将の態度を見れば、民に慕われているのだろうと察せられる。しかし一方で、まだ真偽のほどは不明だが、出世目当てに魔法使いの娘を愛人にするという、あまり芳しくない噂もあるということか。
首をかしげつつ、ティンクルスは今朝も野菜を頬ばると、にこっと笑みをこぼした。




