さまざまな友と友
商家の娘がいなくなった。
ざわめく兵士たち。商家の、長男の顔は強ばり、侍女は自身の体をきつく抱きしめ、しかし震えは止まらない。
「いつ、姿を消した? 最後に見たのはいつだ?」
総隊長の息子、フェルが強い目を向けると、侍女はなおさら震える。
昨晩、一緒にテントへ入った。寝て、起きたら姿がなかった。侍女はそれだけを繰り返す。
「夜明け前だったか。見張りのとき、あの娘の声が聞こえたと思うんだが……」
一人の兵士は遠慮がちな声を発した。幾人かがこれにうなずく。
侍女の名を口にしていたようだとも、ブツブツと文句を言っていたように聞こえたとも言う。歩く音もしたと、口々から出る。
(とすると……)
おそらく、まだ薄暗い中、目を覚ました娘は侍女を起こそうとしたのだ。しかし侍女は起きなかった。娘はテントを抜けだし、侍女への不満をもらしつつどこかへ向かった。老魔術師が聞いたのは、このときの声だろう。
では、と辺りを見まわす。ヘスタのほうをふり向けば、ひたすら草原が広がっている。アンガンシアの方角を望めば、少し先に森がある。
もしかすると娘は、用足しに行ったのではなかろうか。
こうした旅では布で姿を隠して済ませる。だが、侍女は起きなかった。布を持ってくれる者がいない。この付近では、見張りの兵士に気づかれるかもしれない。だから年頃の娘は、姿を隠せる森へ、魔物のいる森へと行った。
そして、たぶん。
(この侍女は、わざと起きなかったんじゃの……)
陽も出ていない薄暗い草原を、一人で出歩くのは恐いはず。娘は何度も侍女を起こそうとしたに違いないのだ。
侍女の顔は青白い。体の震えは止まらない。ちょっとした意地悪のつもりだったのか、反発だったのか。それが思いも寄らない事態になってしまったと、怖れているのではないか。
兵士たちの目も落ち着きがない。もし聞こえてきたのが機嫌の悪そうな娘の声でなければ、きっと彼らは様子を見に行っていたと思うのだ。
(今はまず、娘さんを探すのが先じゃの)
ふぅ、とティンクルスは息をついた。
この広い草原で、姿が見えないのなら森の中しかない。フェルがすぐさま指示を出し、捜索隊が組まれた。
*
ティンクルスはクロードと騎士と、そしてそばを漂う精霊と、森に分け入っていた。
彼らは三人で一組だ。魔人討伐に比べればずいぶん少人数だが、娘の足ならそう遠くへは行っていないだろうから、森の浅いところを探せば良いはず。そして、何より魔石輸送の人員が少ないのが理由だ。
だが、クロードの、精霊の力を隠す必要がないので、これは逆に都合が良い。
「クロードよ。何かわかるかのぅ?」
「……あの女、魔法使いじゃないからな」
さも迷惑そうに辺りを見まわしたクロードが、老魔術師には申し訳ないといった顔を向け、首をふる。
人は誰でも魔力を持っている。精霊なら、そのわずかな魔力も感じ取れる。それでも魔法使いよりはずっと少ないので、やはり感じにくいようだ。
「魔物も近くにいないんじゃろ? それなら娘さんもきっと無事じゃ」
ありがとうのぅ、と礼を述べると、クロードが頬をゆるめる。
――では、私が探してきましょうか?
「おお、いいのかの? よろしく頼むのぅ」
こんなときではあるが、精霊が自ら言いだしてくれたことが嬉しい。『彼』や、かつての『彼』と精霊に似ているという若者たちの他にも、目を向けてくれたことが喜ばしい。
ティンクルスはほわりと笑った。
精霊の気配がスッと消えて、しばらく。再び精霊が現れると、三人はあとを追う。
娘の居場所はわかった。やはりそう遠くではないようだ。彼女の近くに魔物の気配はなかったという。フェルとノアが捜索している方向でもあるから、いずれ合流するかもしれない。
(娘さんも無事らしいし、このぶんなら早く見つけられそうじゃのぅ)
ティンクルスがホッと息をついたとき。
――いけない、魔物です!
「ティンク、ジャン、走るぞ!」
「ふぉっ?」
元々クロードに、抱えられるようにして歩いていた老魔術師の足が、完全に宙に浮く。
どこに魔物がいるのか、まだティンクルスにはわからない。が、王宮を出てから友に担がれるのはもう慣れた。ここは舌を噛まないようにして、大人しく運ばれるべきだろう。
精霊のあとをクロードが駆ける。木々をすり抜け小川を飛び越え、やがて目に映ったのは。
草むらに屈み震えるピンク色の背中、商家の娘だろう。その向こうではフェルがうずくまっている。足が、赤い。
そして、さらにその向こう。息が乱れているのか肩が激しく上下し、それでも魔術武器を手に魔物と対峙する、男の後ろ姿があった。
魔人討伐のときは、魔物や澱みなんて無くなればいいのに、と怯えていたはずの、ノアだ。
「フェル、早く逃げるんだ!」
「ノア、ダメだ!」
ふり絞るようなフェルの制止をふり切り、ノアの向かった先には、人より大きな灰色の、風狐がいる。毛がなびき、白い渦もときおり見える。体に風をまとっているせいだ。あの風に襲われれば、人など八つ裂きになってしまう。
「いかんっ」
友に抱えられたまま、老魔術師は手のひらからまばゆい光の矢を放つ。それを追い越すように精霊が、強い、強い、魔力を発した。
精霊の力は木々をなぎ倒し、魔物を一瞬で消滅させるほどのものだった。
倒れた木を、抉れた土を眺めながら、ティンクルスの顔に気の抜けた笑みが浮かぶ。もしこれが猟だったなら、獲物が消えてしまったのだ、猟師が嘆いたに違いない。
足をケガしたフェルが、騎士に支えられながら歩きだす。娘を連れたノアは、友を助けるのに必死だったのだろう、少し足取りがおぼつかない。
「ノア、ありがとう」
「あの……風狐を倒してくれたのはティンクだから」
「いや、ノアが庇ってくれなかったら私はもうやられていた」
「でも……最初に俺を庇ってくれたのはフェルだし、友達なんだから、その、当たり前だよ」
しばらくこんなことを繰り返したあと、二人の若者は笑った。互いが互いを誇るような、気持ちの良い笑顔だ。
「友は良いのぅ」
若者たちの、後ろ姿を眺めてつぶやく。こちらはまったく無傷だが、いつものごとく友に支えられている。
ティンクルスはひょいと横を見上げ、ハッとした。
「ああ、いいな……」
うなずいたクロードの顔が、寂しげだったのだ。
もしかして、若者たちが羨ましいのだろうか。フェルとノアは互いに人、同じほどの寿命がある。精霊のように長い年月を、一人取り残されることはない。
「クロードよ、わしもいつかは天国へ行く。じゃがの、なるべく早く生まれ変わるから、そうしたら見つけてくれるかの? わし、何も覚えてないかもしれないが、クロードとならきっと、また友達になれると思うんじゃ」
「……また、友達になれるのか?」
「うむっ、絶対じゃ!」
根拠はまったくないが、自信は溢れんばかりにある。ティンクルスが力強くうなずくと、クロードは、嬉しそうに笑った。
――あっ
突如、後ろから声が聞こえてふり向くと。
宙に浮いた精霊を、手で包むようにした影があった。精霊の中で眠り、消えかかっていた魂だ。
もしかすると、老魔術師と友を見て、フェルとノアに接して、精霊の気持ちに多少なりとも変化が生じたのか。それで『彼』も目覚めたのか。
「おぉ……」
影は、初代王の銅像によく似ていた。けれど違うところもある。銅像は厳しい顔をしていた。この影は優しげにほほ笑んでいる。精霊からは、大きな大きな喜びを感じる。
影は優しげな手で精霊をなで、口を動かしたように見えた。もう一度、笑う。そして――木漏れ日の中に溶けていった。
――ありがとうございました
しばらくして、精霊も、静かな声を残して去った。
最後に感じたのは、『彼』が目覚めた安堵、再び会えた喜び、そして『彼』がいなくなった寂しさだろうか。
だが、きっと大丈夫だ。老魔術師はうなずく。
精霊は消えかかっていた『彼』に、また会うことができた。だから、また会えるのだ、と信じることができると思う。『彼』が言った言葉もたぶん、「また、会おう」だったと思う。
「ティンク。また友達になれるんだから、天国に行ったらゆっくり休んでいいからな」
「うむ。じゃが、わしも一人で眠るのは寂しいからの。あっという間に生まれ変わってしまうかもしれないのぅ」
目が合って、笑い合う。
ティンクルスはつまずきつつ助けられつつ、意気揚々と森を出た。
*
「お嬢さん。これ、食べてみてくれるかのぅ?」
あれから数日が経ち、今日は再び料理の日。
ティンクルスはおずおずと声をかけ、しかし、案外ずぃっと器を差しだす。突きつけられた娘は、何か言いたそうに口を動かしたものの、黙って器を受け取った。
侍女はぎこちない様子ながら、ちゃんと娘のそばにいる。
みなで森を抜けたあと、元気を取り戻した娘は、まず侍女に怒鳴り散らした。あなたが起きないから悪い。だから私はこんな目に遭った。
『いい加減にしなさい!』
これを大喝したのは、意外にも長男だった。
弟にはずいぶん甘いようだったが、彼にもいろいろあったからか、しっかりと怒ることができるようになったらしい。
すばらしい大声に、久しぶりに老魔術師の体が、ぴょん、と跳ねた。
長男は、なぜ侍女が起きなかったのか、なぜ兵士たちが声をかけなかったのか、それは誰のせいなのか、娘に言い含めもした。人を見る商人だからか、全て気づいていたようだ。
それから、娘はほとんど口をきいていない。が、文句も言わなくなった。兵士が疲れていないかと声をかけると、無愛想ではあるがうなずくようにもなった。
侍女の目も、心配そうな労わるようなものに変わった。
「もしかすると、意外といい友達になれるかのぅ?」
「あの女たちがか? どうだろうな」
ふんっと笑ったクロードの顔は、そう機嫌悪くもなさそうだ。
「ティンク。鍋のおかわりしてもいいか?」
「商家の坊ちゃんのクセに、結構、料理うまいよなぁ」
「手つきは怪しいが、味はいい」
みなから笑いが起こる。
「うむっ、女将さん仕込みじゃからのっ」
ティンクルスの薄い胸が、ぐっと反り返った。




