守護精霊と友
ガタゴトと走る馬車の中、ティンクルスとクロードが二人。いや、ふわふわとした気配が宙に浮いている。
「精霊さん、どうしたんじゃ?」
老魔術師がそっと話しかけると、優しげな、けれど沈んだような、男性のようにも女性のようにも思える声が頭に響いた。
――私の中の彼が、ずっと目を覚まさないのです どうか力を貸してください
この精霊の中には人の魂があるのだという。守護精霊として『彼』とともに過ごし、『彼』が亡くなると魂を取りこんだ、ということだ。
「言われてみればそんな気もするけど……魂の気配が薄くないか?」
首をかしげたクロードに、それは『彼』が消えかかっているからだと精霊は言った。
「消えるとは、どういうことかの?」
ティンクルスもそろって首をかしげ、精霊は続ける。
精霊が取りこんだとしても、人は長い時をこの地で過ごすことはできない。天国で眠りにつく、休息が必要だという。
その時がくれば、魂は精霊から抜けだし天へ向かう。そして、いつか新たな命として生まれ変わる。
――でも、私が寂しがっていたから彼は留まってくれたのです だから疲れ、眠ってしまった このままでは、彼の魂そのものが消えてしまう
「……ずっと、一緒にいられるんじゃないのか?」
震える精霊の声に、クロードの声が重なった。
老魔術師は『取りこまれた魂は、精霊の中でともに生き続ける』とだけ聞いていた。精霊が生きている間、魂もずっとともにあり続けると思っていた。きっとクロードも、そう思っていたのだろう。
だが、実際は違うのだ。いつかは精霊にも、大切な人間との別れがやってくる。
「クロードよ……」
老魔術師はうつむく友を見た。
何十年か先のことだろう。二度目の生を終えてしばらく、友の中で生きたとしても、やはりティンクルスは彼を残して天国へ行く。それからも、人から見れば気の遠くなるような長い時を、クロードは生き続ける。
クロードは初めての友だ。寂しい思いをさせたくはない。人の好き嫌いの激しい彼が、新たな友を見つけられるか心配でもある。
しかし、精霊の中に留まれば『彼』のように消えてしまう。クロードはきっと、もっと悲しむと思う。
こんなとき、どんな言葉をかければいいのか。きつく握られた友の手を、少し小さな手で包む。
元気を出してほしい、友が心配だ、悲しませたくない――さまざまな気持ちが湧いてくる。
少しして、クロードはゆっくりと顔を上げた。ぎこちなく、けれど笑みを浮かべてくれた。
それから、二人は精霊の話を聞いた。
精霊は何とか『彼』を起こそうと、天国へ行ってもらおうと、生まれ育った王都を、思い出の地を巡ったそうだ。しかし『彼』は目覚めない。
「じゃあ、精霊さんがそばにいた、あの商家の娘さんは関係なかったのかの?」
――いえ あの娘は彼の妻だった者の一人、その生まれ変わりです
「ふぉ?」
――ようやく見つけたのですが、彼は起きませんでした
「当然だな。あんな女じゃ、会いたいと思うわけがない」
クロードがふんっと鼻を鳴らす。
相変わらずの言い草だが、老魔術師は友が少し元気になったことが嬉しくて、にこにこ笑いながらつい、うなずいていた。
「じゃが……」
精霊は思いつく限りのことを試したそうだ。となると、どうすれば『彼』を起こすことができるのか。もし、これが自分だったとしたら。
むぅ、とティンクルスは唸る。
老いた侍従クロードや、老侍従のロイクが現れたなら、起きるかもしれない。だが、『彼』の妻は生まれ変わっている。ならば親しい者たちも、もう生まれ変わったかもしれない。そもそも、天国から魂を呼び寄せるなんて無理な話だ。
それに。
(わしなら、やはり一番気にかかるのはクロードじゃのぅ)
家族のように大切な二人の侍従は、天国で仲良く暮らしているだろう。いずれ休息のための眠りにつくのか。そして生まれ変わるのだと思う。老魔術師としては、一人残していくクロードのほうが心配だ。
おそらく『彼』も同じだと思う。だから精霊の中に留まった。
「……うむっ」
きっと、鍵となるのはこの精霊自身なのだ。一人でも大丈夫だと思えば『彼』は目覚め、安心して天国へ向かうのではないか。
宙に浮いた精霊を、老魔術師は唸りを上げてじぃっと見つめる。それがあまりに真剣だったためか。精霊が、ビクリと揺れた。
*
「よし、今日はここで野営だ!」
総隊長の息子、フェルのかけ声で一行は止まった。
陽は地平線より少し上。兵士たちは馬を労い、草原にテントを張っていく。クロードと騎士もテキパキと動いている。
「わしも……」
ここで手伝いたいと言ったら。明らかに動きの遅い老魔術師だ、絶対に邪魔になる。ちょっと寂しくも自らを弁えたティンクルスは、昼間、乗せてもらった魔馬の背をなで宙を見た。
「精霊さん。みながケガをしたりしてないか、見まわってきてくれるかのぅ?」
――あ、はい
そばにいた、ふわふわとした気配が遠ざかっていく。
老魔術師は精霊に、しばらく一緒にいないか、と提案していた。一人でも大丈夫だと『彼』が思えるようになるには、精霊が外へ目を向けこの地を楽しむことが一番ではないか、と考えたのだ。
うまくいってほしい。精霊と『彼』のためにも。いつかはティンクルスとの別れがくる、クロードのためにも。
「ティンク、夕飯作るぞ」
「おお!」
老魔術師は気合を入れて友に応え、もたもたと袖をまくり始めた。
アンガンシアまでの道中、一行は何度か料理をする計画を立てていた。老魔術師の「ちょっとくらい料理もできるかも」という言に、フェルが乗ったのだ。
猟と同じく魔石輸送でも料理はしないそうだが、やはり温かい食事をとりたいと思ったのだろう。
何人かの兵士が集まり、楽しげに野菜の皮をむいて……いや。
――じりっ、じりっ
みなティンクルスの、遅々として進まないナイフ捌きに釘づけだ。精霊まで、何だか心配そうな様子で彼の頭上を漂っている。一番ケガをしそうに見えたのかもしれない。
陽が半分以上も沈んだ頃になると、老魔術師が味つけした鍋を、みなで囲んで食べた。なかなかおいしいとの声が上がり、ティンクルスは照れつつも、頬をゆるめて薄い胸は反り気味だ。
フェルは苦手な野菜があるようで、隣に座るノアの器にそっと移した。ノアは楽しげに笑って別の野菜を差しだす。
そんな二人のそばを、精霊が漂う。
「あの精霊、フェルかノアのことが気に入ったのか?」
「うむ……もしかすると、仲の良い友、というのが好きなんじゃないかのぅ」
イモをつついたティンクルスに、空の器を置いたクロードが納得した顔でうなずく。
「あの女たちのところには近寄りもしないもんな」
女たちとは、商家の娘とその侍女だ。
先ほど、老魔術師が遠慮がちに勧めた鍋を見て、娘は、ふん、とそっぽを向いた。
年頃の娘でもあるし実家は裕福だろうから、野趣あふれる食事は好まないのだろう。元女将直伝の、ちょっとばかり自信作でもあったので、残念だけれど仕方がないとも思った。
が、兵士たちはそうは感じなかったようだ。あからさまに顔をしかめ、舌打ちする者もいた。クロードの額には雷光の青筋が、騎士の眉間には渓谷のシワが、くっきりと浮いていた。そして。
ティンクルスは人の輪から外れた、二人の女性を見る。
(あの侍女、娘さんのことがあまり好きじゃなさそうに見えるんじゃが……)
みなが苛立ちをあらわにしたとき、侍女は娘をたしなめるでも庇うでもなく、厄介者でも見るような目を向けていた。
この一行に女性は二人しかいない。こちらには気の回らないこともあるだろうから、いささか心配だ。
――あの若者たちは仲が良いのですね
「お? おお、そうじゃのぅ」
いつの間に戻ってきたのか。精霊に声をかけられ、老魔術師の目は二人の女性から反れた。
フェルとノアは、かつての『彼』と自分のようだと精霊の声は弾む。
「ほぅ。もしかして精霊さんは守護精霊だったとき、人の姿をとってたのかの?」
――はい 彼が私に与えてくれたのは、人間の、女の姿でしたが
「ふぉ……」
ティンクルスの口が、ポカンと開いた。
精霊は守護精霊になるとき、契約者が思い描いた姿をとる。だから女性の姿をした守護精霊というのは、過去の文献を見ればそう珍しくもない。
だが、精霊は先ほど、『生まれ育った王都』とも『あの娘は彼の妻だった者の一人』とも言った。『彼』は王都生まれで複数の妻を持ち、女性の姿の守護精霊がいた者ということだ。
老魔術師は王宮の、とある立派な銅像を思いだす。
「まさかと思うが、精霊さんの中にいる人はこの国の王様じゃったとか……」
――はい 彼はこの国の初代の王でした
「……」
どうやら『彼』はご先祖様であったらしい。
ティンクルスは精霊に向かって胸に手を当て、どうか安らかに、いや、目覚めてから天国で安らかに、と祈りを捧げていた。
陽もすっかり落ち、静寂に包まれた草原で、老魔術師はクロードと騎士に挟まれ、ふっかりとした毛布に包まりぬくぬくと眠っていた。夜の見張りは兵士の役目、同行者である彼らに出番はない。
途中、クロードに腕を掴まれたと思う。いつかは別れがくると知り、やはり寂しさを感じているのか。ティンクルスは寝ぼけまなこで友の手をしっかりと握った。騎士のイビキも聞いたような気がする。それに女性の声、だろうか。
そして朝――
「お嬢様が……いらっしゃらないんです」
青ざめた侍女が、唇を震わせた。




