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老魔術師と精霊の気配

「ティンク、あの精霊に気づいたんだな」

 猟師の家の一室に戻ると、すぐさまクロードが切りだした。

「うむ……」

 ティンクルスはいぶかしげな顔でうなずく。


 本来、精霊は人には感じ取れないものだ。彼らが強い感情を抱いたとき、その気配がわかる。または、彼らに姿を現す意思があるから、こちらも感じることができる。

 たとえば、囚われていた玉から解放され、喜び弾む精霊や、玉のありかを伝えに来た精霊たちだ。

 だが、先ほどの精霊は、これらに当てはまらないと思う。


「わし、生き返る前と今で、何か違うのかのぅ?」

 クロードは守護精霊として現れる前、何年も見守ってくれていたという。けれどティンクルスが、その気配を感じることはなかった。

 周囲から厳しい目を向けられたとき、励ましの気持ちを感じたかもしれない。老いた侍従クロードが王宮を辞し、一人で泣いていたとき、何かが寄り添ってくれたような気もする。

 最初は気のせいかと思うほど、かすかなもの。それが日々感じられるようになり、やがて声が聞こえた。

 その声はとても温かくて、安心できて嬉しくて、涙が止まらなかった。


 そんな友の気配も、声をかけてくれるまで定かではなかったのだ。それなのに、あの精霊を感じることはできた。

 精霊に違いがあるのか、それともティンクルスが変わったのか。細い体をペタペタ触りながらクロードを窺う。


「実はな……ティンクが生き返ってから、少し気配が違うんだ」

「ふぉ?」

 クロードは気遣うような顔で、生き返らせ若返らせた大精霊の力が体に残っているのではと言った。しかし魂は何も変わっていないとも、ティンクはティンクだとも、力強く続ける。


(そういえば、わしが生き返ったとき……)

 目を開けると、焦点が合わないほど近くにクロードの顔があった。あれは気配だとか魂だとかを確認していたのか。

 友の名を呼ぶと、クロードはぎゅうぎゅう抱きしめ、「ティンクにおかしなところがなくて良かった」とホッとしてもいた。


「クロードよ、ありがとうのぅ」

 気配が変わったことを、彼がこれまで言わなかったのは、ティンクルスを不安にさせないためだと思う。

 大丈夫だと友を安心させるように笑い、長年のクセで頭をなでると、クロードも心地良さそうに笑う。

 ほわほわとした、幸せな何かが二人を包みこむ。


「なるほど。大精霊の力が残っているから、ティンク様も精霊を感じることができるようになった、ということですね」

 納得した風な騎士の声に、老魔術師はハッと我に返った。



「ふぅ」

 ティンクルスは騎士が淹れてくれた、ちょっとだけ渋い紅茶をすすりつつ、考えを巡らしていた。


 生き返ってから気配が変わったらしく、精霊を感じ取れるようにもなった。これは大精霊の力が、ただ残っているだけなのか。それとも大精霊が意図して残したのか。

 意図したのなら、精霊を感じる力は必要なのもののはず。が、精霊は自らの意思で現れ、話すこともできる。こちらに力がなくともわかる。

 となると、気配が変わったことのほうが重要なのか。だが、何のために……ちっともわからない。


 王宮を出、旅を始めてから、かえって謎が深まってしまった気がする。いや、わかったこともあるのだ。

 千年ほども前、竜人は『魔物の体と謎の文様』を用いて精霊を捕らえ、魔術武器として使い、この地を支配したらしいこと。だから大精霊は精霊たちを解放し、逆に女神像に囚われてしまった。しかし。

 それならば、精霊を解放できたはずの大精霊が、なぜ老魔術師に『囚われている精霊たちを解放してほしい』と願ったのか。こちらもまだ、わからない。


「旅を続ければ、わかるのかのぅ」

 首をかしげ、けれど気を取り直して、うむ、とうなずく。

 今はもう一つ、気になっていることから考えるべきだろう。娘のそばにいた、あの精霊のことだ。


「さっきの精霊は、あの娘さんを見守ってたのかのぅ?」

 守護精霊として現れる前のクロードが、ずっと見守っていてくれたのと同じ状況なのだろうか。

 ティンクルスが顔を向けると、クロードはフンッと盛大に鼻を鳴らした。

「あんな女を見守るなんて、絶対にない!」

「そ、そうかの」

 息巻く友に、老魔術師はいささかのけ反る。彼に無礼な態度を取った娘を、相当嫌っているようだ。


 ちなみに、娘が「護衛として雇ってあげましょうか?」と言ったとき。

 額に青筋の浮いたクロードは、ギラリと睨みつけたあと、ひたすら無視を貫いた。眉間にシワを寄せた騎士は、地を這うような声で丁重な断りを入れた。

 ティンクルスはというと、精霊に釘づけだった。引きつった娘の顔も目に留まらなかったし、「しっ、失礼だわ!」と震え混じりに叫んだ声も、右から左へ素通りしていた。


「また現れてくれるのを、待つしかないかのぅ?」

 あの精霊は困っているようだった。心配だし、力になってあげたいと思う。老魔術師の眉がへなっと下がると、クロードは優しげに笑う。

「わざわざあんな女のそばにいたんだから、何か理由があるんだろ。それならきっと、また現れるはずだ」

 ずいぶんな言い草だ。

 だが、精霊のことで頭がいっぱいなティンクルスは、友をたしなめもせず、次こそは精霊の話を聞くのだと小さめの拳をぐっと握った。





「ティンク、また遊びに来いよ! 絶対だぞ」

「わし、また王都に戻ってくるから、マテオも王都に来たら顔を出してくれるかのぅ」

 力強くうなずいた猟師の息子マテオに、ティンクルスは笑って手をふる。

 見送りの猟師たちの中には、魔人の声に惑わされ老魔術師が治療した男の、元気な顔があった。母に手を引かれた少年が、父の残したペンダントを持ってニコニコ笑っている。いろいろ世話になったと、総隊長が礼を言う。


「みな、ありがとうのぅ。元気でのぅ」

 もう一度、人々に向けて大きく手をふる。

「出発!」

 総隊長の息子、フェルのかけ声で、一行はヘスタの村を出発した。


 魔物の生息する森を横目にしばらく進むと、広い草原に出た。ひたすら伸びる一本道に七台の馬車が並ぶ。

「ふぉぉ……どこまでも広いのぅ」

 ちょうど真ん中の馬車からひょこりと出ているのは、目を輝かせた老魔術師の顔だ。


 前を見れば馬車が三台と、馬に乗った兵士たち。フェルとノアの姿もある。荷馬車に混じって瀟洒しょうしゃな馬車が一台。これは商家の長男だ。

 後ろを向いても同じ光景だ。こちらの洒落た馬車には親戚の娘が……


「ちょっとあなた、覗かないで! 隣に並ばないでよ!」


 娘の怒鳴り声が聞こえてきた。どうやら兵士が並走していることに、文句を言っているらしい。彼は護衛の任を全うしているだけだと思うのだが。

「あの娘さん、大丈夫かのぅ」

 ティンクルスの眉がちょっと下がった。怒鳴られた兵士の顔が遠目にも、いらだっているように見えるのだ。


 実はあの娘、出発前にも問題を起こしていた。精悍な若者が好みなのか、フェルにも「雇ってあげましょうか?」とのたまったのだ。

 フェルは総隊長の、小さいとはいえ領主の息子だ。みなが気さくに接していようと貴族だ。だからこそ気づかなかったのだろうが、商人の娘が言って良い言葉ではない。

 この発言で、兵士たちは盗賊に対峙しているのかと思うほど怖い顔になり、猟師たちは獲物を仕留めるかのごとく、ギラリと目を光らせた。ちなみに長男は、顔色を無くしヨロリとよろけた。


 やはり兵士も人間だ。あまり嫌われてしまうと、いざというとき守ろうという気持ちが薄れてしまうと思う。それに。

「みなに嫌われたら、せっかくの旅も楽しくないと思うんじゃが……」

「これ以上、嫌われることもないから大丈夫だろ」

 クロードの言葉は、まるで救いにならなかった。



 それから、旅の一行は草原で昼食をとった。

 心地よい風がそよぐ青空の下、今朝、焼いてもらったばかりのパンを頬ばる。味の染みこんだ野菜に、魔力の抜けた岩熊の干し肉。花の蜜を垂らした、ほんのり甘い水がのどを潤す。

「むふぅ」

 老魔術師はたいそうご機嫌だ。


 少しの休憩もとった。この間、挑戦したのはもちろん乗馬である。

「よろしく頼むのぅ」

 馬に笑いかけると、そっと鼻先を寄せられた。感じるのは優しげな魔力だ。

 人に魔力があるように、動物も魔力を持っている。その中でも魔力の多い、強い馬を魔馬まばと呼び、こうした旅の供にする。

 彼らは人の魔力から、その者の性質でも感じ取るのか。実はティンクルス、なかなか魔馬に好かれるのだ。が……


「ふっ、ふぉっ、ふおぅ」

 馬はゆっくりと気遣うように歩くが、またがる老魔術師の体はぐらぐらと揺れ、その都度、馬の足も止まる。そばを歩くクロードが支えていなければ、もう転げ落ちているかもしれない。

 ハラハラと見守る騎士。兵士は魔人討伐で一緒だった者ばかり。魔法はものすごいけれど運動神経はからっきしな彼に、親しみでも湧いたのだろうか。心配らしく何か言いたそうに口を開け、助けようという気持ちの表れか、手が中途半端に伸びてもいる。

 とにかくみなが落ち着かない。


「ティンク、やっぱり俺と一緒に乗ろう」

「う、うむ。すまんのぅ」

 ひらりと飛び乗ったクロードが、ティンクルスをしっかりと抱えると、辺りからホーッと安堵の息が盛大にもれた。

 草原を馬で駆けるという老魔術師のもくろみは、こうして無事に果たされた。


「楽しかったか?」

「うむっ、いい気分じゃった」

 にこにこ笑い、友と魔馬に礼を述べる。ドキドキと騒がしい胸を静めるように手を当て、ふぅ、と息をつくと、目の端に娘の姿を捉えた。


 みなから離れ、洒落た馬車のそばで椅子に腰かけている。侍女だろう女性が日傘をかざしている。

 けれど娘の近くに、精霊はいない。

「あの精霊は、娘さんに用があるわけじゃないのかのぅ?」

「うぅん、昨日から一度も現れて……ティンク、あれ、わかるか?」

 クロードの指すほうから頼りなげな気配が、こちらに近づいてきた。



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