老魔術師は猟師の仕事を体験する
「ティンク、今日は何してるんだ?」
朝食を終えた猟師が、老魔術師の持ってきた茶葉で淹れた紅茶を啜り、慣れない味だったのかどうか首をかしげた。
「そうじゃのぅ」
騎士が淹れてくれた紅茶は、ちょっと渋かった。ティンクルスはそんなこと、おくびにも出さず考える。クロードは遠慮なく苦情を申し立てているが。
ヘスタに着いてすぐ、魔人が出没し、魔石騒ぎまで起きた。数日が慌ただしく過ぎてしまったが、この村での目的は二つ。
まず、精霊が囚われている玉を探す。元女将の宿屋で盗難騒ぎがあった際、それらしき魔宝玉を探しておくと言ってくれた猟師に聞いてみると、見つからなかったとのこと。
偏屈爺ちゃんらしき精霊が言っていた玉のありか、『人の多いところ』は、どうやら街を指しているらしい。
もう一つは、薬草採取を体験しつつ魔法薬を作る。王都から持ってきた薬は、ずいぶん減ってしまった。
これから護衛を雇い、魔物の生息する地を旅する。次の目的地――鉱山都市アンガンシア周辺の農村にも、食料の対価として配りたいと思う。
「今日は薬草採取じゃの」
うむ、とティンクルスがうなずくと、猟師の息子、マテオがニカッと笑った。
「じゃあ俺、案内してやるよ」
「ティンク、今日くらい休んだらどうだ?」
心配顔を向けてきたクロードに、「爺ちゃんじゃないんだから大丈夫だろ」とマテオが横槍を入れ、二人の間に火花が散る。
「マテオ。今日は木の日、森を休める日だ。それに他の仕事があるだろ。ティンク、明日だったらこいつに案内させてやれるから、それでもいいか?」
農村では、農民は土の日に祈りを捧げる。森を狩場にする猟師ならば木の日、猟を休むそうだ。
とはいえ、王都の民のように、街で遊んだり友人と会ったりするわけでもない。畑を耕し獲物を捌き、みな働いているという。
「なるほどのぅ。じゃあ明日、よろしく頼むのぅ」
猟師の言葉を聞き、ティンクルスは素直にうなずく。森に入りたかったらしいマテオの唇は尖り、逆にクロードの口はニンマリとした弧を描いた。
「わし、今日はちょっと猟師さんの仕事を手伝ってみたいのぅ」
「……まあ、ティンクが疲れない程度ならいいぞ」
目を輝かせた老魔術師に、さすがのクロードもダメとは言えなかったようだ。
村外れの小川が幾筋もの赤で染まる。猟師の操るナイフが魔物の皮を剥ぎ、内臓を取りだしていく。
「お、お……」
魔物討伐は散々経験したし、医療に携わっていたので多少の血には慣れているはずのティンクルスだったが、ここまで見事にかっ捌かれた腹を見るのは初めてのこと。口はまん丸に開き、体はピシリと固まっている。
「ティンク、やってみるか?」
「む、む……」
マテオがニヤリと笑いながら、ナイフを差しだしてくる。老魔術師がぎこちない手つきでむんずと掴んだとき。
「ティンク、やめろ」
「ティンク様、いけません」
彼から、ためらいやら何やらを感じ取ったのだろう。クロードが思いっきり首をふる。騎士は王族に解体などさせられない、とでも思ったのか。こちらも厳しい顔が横に揺れている。
「う、うむ……」
心の望むまま、素直に言うことを聞いてしまったティンクルスは、わしって軟弱者……と、ちょっとばかり落ちこんだ。
ついでながら、マテオは猟師に怒られた。
「これはお前の仕事だろ」
「でも俺、魔物の解体で、フェルとノアに勝ったんだぞ!」
「当たり前だ! 兵士なら討伐すれば、それで終わりだけどな。俺たち猟師は獲物をうまく捌けるかどうかで稼ぎも変わってくるんだ。それに早けりゃいいってもんじゃない。お前、ノアより出来は悪かったぞ」
どうやらこの解体は、マテオの修行の場でもあるようだ。邪魔をしては悪いと立ち去ろうとすると。
ドン、ドン、と老魔術師の前に、大小二つの甕が置かれた。
「こっちは内臓だ。毒があるからヘタに触るなよ。小さいほうは目玉だ。家に持っていってくれるか?」
大きな甕を覗いてみれば、赤黒い何かがゴロゴロと水に沈んでいる。小さな甕には濁った玉がコロコロと浮き、水もトロリとしているような。
「う、うむ……」
ティンクルスの首が、カクカク揺れた。
魔物の内臓には毒を含む物があり、獲物によってはこれが良く効く。猟師は弓矢の鏃に塗って使う。
弓は火の玉や風の刃を放つ魔術武器より、ずっと当てるのが難しい。毒が効かなければ威力もグッと落ちる。けれど。
「最近は猟師が増えましたけどね。魔術武器がなきゃ猟ができないようじゃ、猟師とは言えませんよ」
これは内臓をわし掴み、にこやかに笑った猟師の妻の談だ。猟師も、猟師の妻も逞しいと、老魔術師は口を半開きにしつつ感心する。
目玉は魔宝玉になるのだが、少しばかり加工が必要だ。
薬草から作った液体に浸しておくと、石のように硬くなる。液体の配合や浸す時間を変えると、より美しい色が出たり、透明度が増したりする。猟師の妻たちの、腕の見せどころであるらしい。
内臓は毒があるから危ないということで、ティンクルスはこちらの作業を手伝った。
「ぬふぉぅ」
ぬるっとしてぷよっとした目玉を掴むと、ゾワリとしたものが背筋を駆け抜け、ものすごく変な声が出た。
それでも老魔術師は根性をふりしぼり、何とか作業をやり遂げる。
「わし、猟師は無理じゃが、猟師の妻ならなれるかのぅ」
ぽやっと笑ったティンクルスは、きっと疲れていたのだろう。妙なことを口走り、クロードと騎士から心配顔を向けられた。
*
「この辺はマルフ草が多いんだ。向こうにはサランの花もあるし、奥に行けばシニルの木もあるぞ」
「マルフ草は茎を切ると汁が飛びだすんじゃったの?」
「そうそう。かかると痒くなるから、葉っぱだけ切ったほうがいいぞ」
魔物の腸にギョッとし、目玉にゾワッとした翌日のこと。
老魔術師は森近くの草むらで、薬作りに使っている愛用のハサミをちょきちょき動かしながら、マルフ草の葉を集めていた。
知識はあっても薬草採取は、こちらも初めてのこと。昨日とは打って変わってニコニコ顔になっている。
「ティンク知ってるか? この花の蜜、甘いんだぞ」
マテオが小指の先ほどもない、小さな白い花を摘まみ「吸ってみろ」とティンクルスに渡した。
首をかしげつつ、言われたとおりに吸ってみる。
「ふぉ……本当じゃ、甘い」
老魔術師の頬がほころぶ。
次にマテオが差しだしたのは、赤い花だ。これはどんな甘さだろうと、わくわくしながら口をつけたとき、クロードが「待てっ」と言ったがもう遅い。
「ぐっ……すっぱい」
老魔術師の唇が思いっきり窄まる。ニマッと笑ったマテオに頭に、クロードの拳が遠慮なく落ちた。
森に入ると、ティンクルスはナイフを握り、シニルの木の皮をじりっじりっと剥いでいく。相変わらず、その手は遅い。
クロードと騎士だけでなく、マテオまで、心配そうに見守っている。ある意味、人を惹きつける手つきだ。
「ふぅ……取れたんじゃが」
老魔術師がものすごく満足げな顔になって、ぐっと皮を突きだす。見守る三人の口から、安心したのだろう、ホゥッと大きな息がもれた。
腹の虫がきゅるっと鳴いた頃、辺りを警戒しつつ簡単な昼食をとることになった。
今日はパンと、茹でた野菜の詰め合わせ。マテオと騎士は、魔物の干し肉も食べている。調理することで、肉に残る魔力はずいぶん減ったはずだが、それでも老魔術師はいささか苦手だ。精霊のクロードは見向きもしない。
「そういえば、この間の野営では料理をしなかったのぅ。討伐のときはいつもしないのかの?」
元女将に習った料理の腕を披露できるだろうと、ちょっと期待していたティンクルスは、少しガッカリだったのだ。
「討伐だけじゃなくて、猟でも料理なんかしないぞ?」
マテオが不思議そうな顔で首をふる。
「ふぉ?」
老魔術師は、きょとん、とした。
かつての魔物討伐では、いつも騎士が何がしかを作ってくれた。簡単な物で申し訳ないがと、具だくさんの温かなスープを出してくれた。もしかして。
(わしがいたから、みな気を使って作ってくれてたのかの?)
討伐を担っていたとき、ティンクルスは王子であり、古代神殿にこもる変人ではあっても類まれなる魔力を持つ者だった。王弟になる頃には、国で初めての魔術師でもあった。
もちろんベッドなどなかったが、ふっかりとした寝床も用意されていた。雨が降れば天蓋が張られ、風が冷たければ風除けもあった。
「ジャンよ。いろいろと、ありがとうのぅ」
ティンクルスは真顔になって礼を言う。
「……は?」
騎士のジャンが彼に仕え始めたのは、十五年ほど前のこと。老魔術師が魔物討伐に忙しかったのは二十年以上も前の話。彼はボケたわけじゃなく、全ての騎士に向けて礼を述べたつもりだ。
けれど、何の事かわからなかっただろうジャンはポカンとし、心が伝わるはずのクロードも、突然の言動に首をかしげたようだった。
ともあれ、老魔術師は猟師の仕事を、慄きながら楽しみながら無事にこなすことができた。とても勉強になったとも思う、が。
(わし、やはり猟師の妻になるのはちょっと……)
相変わらず妙な感想を抱いたのは、昨日の衝撃がまだ、抜けていないせいかもしれない。




