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野営の話と少年の言葉

 パチパチとぜる焚火を囲い、ティンクルスはうんうん唸る。クロードが「あんまり悩むとハゲるぞ」と言えば、小さめの手が自身の頭をなで、それを見た騎士から笑みがもれる。


 辺りには、兵士たちが毛布に包まり寝転がっている。風に乗ってときおり届く花のような香りは、周囲に撒いた魔物避けの薬だ。

 彼らはまだ森の中。今は野営中であり、見張り番をしている。

 クロードは当然のごとく「ティンクは寝てていいぞ」と言ったが、老魔術師は見張りというものを経験してみたかった。それに、考えることもある。


「二人とも、フェルとノアをどう思うかのぅ?」

「嫌な感じはないな。でも、本人が悪いと思ってなきゃ、俺は感じ取れない」

 寝息を立てる若者たちを向き、クロードの鼻が小さく鳴った。

 たとえば、今回は実害がなかったからさして罪悪感もない、とか。しかし、そんな人間とは思えないが。

 首をかしげたティンクルスに、騎士が口を開く。

「ノアは自らがなれなかった猟師に対して、何らかの屈託があるかもしれません」

 ですが、と続く。だからといって、猟師を殺そうとまでは思わないのではないか。

 騎士の意見に賛成だ。


「むぅぅん」

 老魔術師はまたまた唸った。引っかかっているのは、二つだ。

 フェルはなぜ、倉庫の穴のことを総隊長に報告しなかったのか。

 ノアには、森を焼いてよどみを消したいという、動機らしきものがある。これは禁止されている行為だ。実は……


「ティンク様。交替の時間です」

 焚火のそばで、細い煙をたなびかせる香が燃え尽きようとしている。見張り番の交替だ。次はフェルとノア。

「……わし、ちょっと二人に聞いてみていいかのぅ?」

 窺うと、クロードが力強くうなずく。

「任せろ。俺が締め上げてやる」

「やっ、やっ、穏便に、ちょっと探るだけじゃ」

 ティンクルスは、息巻く友を慌てて止めた。



「澱みに着くのは明後日くらいかのぅ。火を使うわけにもいかないから、さらうのは時間がかかりそうじゃが」

 ちらり、ちらり。少々寝ぼけた感じの若者二人を、老魔術師は窺う。

「ああ、そうだろうな。だが、火を使えば森まで燃えてしまう」

 フェルが仕方ないという風に首をふる。


(やはり……)

 ティンクルスの口から、小さな溜息がこぼれた。

 澱みを焼くことは禁止されている。が、これは森が燃えるからではない。澱みを焼けば一旦は消える。けれど時が経つと、さらに大きな澱みが現れる。生みだす魔物も増えてしまうのだ。

 禁止されて長らく、試す者もいなかったために、若者たちは理由を知らないのだろう。だからノアは……


「フェル。火を使っちゃいけないのは、森が燃えるからじゃなくて、澱みが大きくなるからだよ」

「ふぉっ?」

 目をこすりながら、のんびりとした口調でしゃべったのはノアだった。

 知っていたのか、とティンクルスの目はまん丸になり、フェルは知らなかったらしく目がパチパチと瞬く。

「そうなのか?」

「子供の頃、マテオの爺ちゃんが教えてくれたよ。フェルも一緒だったと思うけど」

「そ、そうか……」


 ノアは知っていた。となると、森ごと澱みを焼き払うという動機が消える。ではフェルは……

 忘れていたと頭をかく彼を見て、そういえば、と老魔術師は思いだす。討伐の際、フェルは魔術武器があと何発放てるか、ちっとも覚えていなかった。

 もしかして。


「ところで、倉庫に穴が空いてたらしいのぅ」

「……あ!」

 フェルの目がカッと見開かれた。どうやら彼は、忘れていただけのようだった。


「お前、大丈夫か?」

「いや、その……いつもノアが覚えていてくれるから」

 クロードに半眼を向けられ、フェルは情けなさそうな顔をする。その姿は昼間、組を率いているものとは違いとても若者らしい。その横で、頼られたのが嬉しかったのか、ノアの頬はゆるんでいる。


「フェルにとって、マテオが良きライバルなら、ノアは心を許せる友なんじゃのぅ」

 引っかかっていた疑念が二つ、晴れたティンクルスはほんわりと笑う。

 チラリと目を合わせ、すぐに逸らした若者たちの頬が赤く見えたのは、焚火だけのせいではないだろう。





 黒く立ちこめる霧。黒く濁った泥沼。霧のように見えているのは魔力であり、泥のように凝り固まった魔力が『澱み』だ。


 二日経ち、ティンクルスたちはようやく澱みに辿りついた。

 途中、魔人には二度、遭遇した。こればかりは人を惑わす声が聞こえる前、老魔術師がいち早く倒した。

 森にはいくつもの澱みがある。が、最初に猟師が出くわした魔人も、二度の遭遇も、この澱みの近くだった。おそらくここに、人の亡骸なきがらがあると見て良いだろう。


 魔法使いである老魔術師をこの組に入れたのは、魔人に対抗するためだ。魔法使いは魔人の声が効きにくく、魔法で遮ることも可能だからだ。

 若いフェルに組を率いさせたのは、総隊長がよほど信頼している証だと思う。これまでの討伐を見て、老魔術師も納得している。

(ちょっと忘れっぽいようじゃが……)

 ノアがいるから大丈夫、なのだろう。


「ティンク、頼む」

 フェルにうなずき返したティンクルスは、「クロード、良いかの?」とささやいた。

 手のひらから広がる、きらめく光が黒い霧を消してゆく。光にはクロードの魔力が混ざっている。人の魔法で霧が晴れる。精霊の魔力が覆う間、澱みから魔物は生まれない。

 精霊の放つ清浄な気は、澱みを払うというが、そう簡単なものではない。時をかけ、ゆっくりと減っていくのだそうだ。


(少年のお父上は見つかるかのぅ)

 手をかざしたまま、ドロリとした黒い澱みを浚う兵士を眺める。ティンクルスは幼い少年の、母のために父の体を見つけたいという、健気な言葉を思いだした。

 じん、と目頭が熱くなる。見つかったら怒られるかもしれないと思っても、なお少年は夜の倉庫に……


「ん?」

 ここで、老魔術師の顔が傾いた。

 あの晩、少年はそわそわと体を揺らしながら、「前、見に行ったら穴があって、おもしろそうだから入ろうとした」という風なことを言った。

 だが、たとえば倉庫の裏で遊んでいて見つけたとしたら、『穴を見つけた』と言うはずだ。『見に行ったら穴があって』では、何かあると知っていて向かったようではないか。


「ぬっ」

 抜かった。くわっ、とティンクルスのまぶたが開く。

 少年は誰かから何かを聞いたか、見たかしたのだ。だから確かめに行った。つまり、他にも穴の存在を知る者がいる。

 フェルの名が出たことに、すっかり気を取られてしまった。

(わし、まだまだじゃのぅ……)

 老魔術師がゆるゆる首をふったとき。


「あったぞ!」

 澱みから、一人の男の亡骸が、ゆっくりと引き上げられていくのが見えた。



 ――数日後。


 魔人討伐を無事に終えたヘスタの村は、人々の笑顔で溢れていた。兵舎の食堂に村人が集まり、酒を片手に魔物肉にかぶりつく。


「わし、食べてみようかのぅ」

 ティンクルスの眼前には、おいしそうに焼けた魔物肉の塊がある。目はじぃっと釘づけで、のどはごくりと音を立てる。

 魔法使いは魔物の魔力を感じてしまうため、魔物肉を好まない者が多い。老魔術師も同様であり、王都や内村にいた頃は、家畜や獣の肉を食べていた。が、外村にあるのは魔物肉ばかり。

 酒にじっくりと漬けこみ柔らかくなった岩熊の肉から、魔物の魔力は感じない。久しぶりに肉を食べたいと思う。ごくり。


 ――ぱくり


「むふっ」

 たいそうご満悦な顔になった老魔術師から、変な声が出た。同じく、魔物肉を好まない精霊のクロードも、岩熊の肉の消費は早かった。


(やはり、農民はちょっと遠慮があるようじゃのぅ……)

 口はもぐもぐ動かしながら、くるりと周囲を見まわす。

 食堂では、兵士と猟師が酒を酌み交わしている。畑を耕す人々は、酒を飲み肉を食べて笑っているが、端のほうに座っている者ばかり。

 似た光景を、兵舎の風呂場でも見た。あのときはまだ、誰が誰だかわからず気づかなかったが、端にいたのは農民だったと思う。


 魔術武器が広まり、兵士と猟師の交流が増える以前は、みなそれなりに親しかったものの、兵士、猟師、農民、それぞれに距離があったそうだ。

 それが、兵士と猟師が近づいた。農民は取り残され、稼ぎにも差が出てきた。


 総隊長がそっと席を立ち、一人の農夫を外へ連れだす。


 討伐を終え、村に戻ったティンクルスは少年に会っていた。

『どうして倉庫の裏を、見に行ったのかのぅ?』

『近くであそんでたら、おじちゃんが出てきたんだ。ちょっと前に見たとき、だれもいなかったのに、パッて出てきたんだ』

 こう言って、少年はパッと両手を広げた。


 倉庫の裏は行き止まりだ。少年が最初に見たとき、そこには誰もいなかった。それなのに、男が突然現れた。不思議に思った少年は探索し、それで穴を見つけたわけだ。

 少年が見たのは、倉庫に忍びこんでいた男が出てきたときの姿だろう。


『そのおじちゃんは、誰かのぅ?』

『向こうの畑のおじちゃん』


 火の魔石を風の魔石の箱に入れたのは、おそらくこの農夫だ。

 総隊長に聞くと、彼は猟師になりたいと申し出たが、実力に不安ありと、魔術武器の貸出を兵士に断られたそうだ。

 村人を守るためであり、食物の生産量を維持するため、猟師が増えすぎないようにとの対策でもあるのだろう。


 白い印のついた火の魔石は、猟師の手に渡る可能性が高い。けれど今回のように、兵士が使うこともある。農夫は稼ぎの良い猟師を妬んだのか、猟師になる道を阻んだ兵士を恨んだのか。

 きっと総隊長は、村全体を見据えた上で、良い判断をしてくれるはずだ。


「まほう使いのおじちゃん。これ、ありがとう」

 にこにこ笑う少年が、とことこ走り寄ってきた。首からぶら下げた鈍色のペンダントを持ち上げて見せる。


 このペンダントは、澱みの亡骸に引っかかっていた物だ。そこには小さな小さな手のひらが彫ってある。少年が生まれたときに作ったのだと、彼の母が教えてくれた。

 これまで父の体を、魔物から守ってくれたお守りなのだと思う。父はようやく息子の下へ帰れたのだと、老魔術師は思った。


「あ、マテオ兄ちゃん、フェル兄ちゃん、ノア兄ちゃん。ありがとう」

 少年はみなにお礼を言って回る。ほわりと笑ったティンクルスは、ふと、首をかしげた。


「のぅ、わしと若者たち、見た目は同い年くらいじゃろ? 何でわしがおじちゃんで、あの三人は兄ちゃんなんじゃ?」

「ティンク様が落ち着いていらっしゃるからではないでしょうか?」

 六十年以上を生きてきた者と若者ではやはり違うと、子供は鋭いと、騎士は納得した様子でうなずく。しかし、クロードは真顔で首をふる。

「爺言葉だからだろ」

「ふぐっ」

 直すべきだろうか。ティンクルスはものすごく真剣な顔になって、うんうん唸り始めた。



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