魔人討伐と若者たち
兵舎の訓練場に、兵士と猟師が集まっている。彼らの目は、一人ポツンと端に立つティンクルスに注がれている。
魔人討伐、および、澱み浚いか。老魔術師が昨日、これに同行したいと申し出ると、総隊長は実力を確認しておきたいと言った。
みなの命がかかっているのだ。いくら魔法使いであっても、足手まといになるなら連れては行けない。当然のことと老魔術師は了承していた。
そして今が、力を試されるとき。
みなに注目されたティンクルスは、ちょっとばかり緊張している。だが、少年に父の体を見つけると約束した。それに。
横を向けばクロードが、大丈夫だとほほ笑む。
(よし!)
ふぅ、と息を吐きだすと、合わせた手から白く渦巻く風を出す。放つとそれは宙を駆け、ぶら下がって揺れる的に見事、命中した。続けて右の的、左の的。
ずいぶん厚みのある魔物肉――これが的だ、が、スパスパスパッと二つに切り裂かれた。
「おお、全部当たった! 魔術武器より速いな」
「岩熊の肉も簡単に切れたぞ。あれ、まだ酒に漬けこんでない、硬いヤツだろ?」
見ていた男たちから感嘆の声が上がる。やっぱり魔法使いは違う、だの、ついでだからもっと切ってもらうか、などといった声まで聞こえてくる。
「治療も上手いみたいだし、討伐の経験もあるっていうから大丈夫だろ」
猟師が満足そうに笑えば、総隊長も力強くうなずく。
「そうだな。ティンク、クロード、ジャン。同行をよろしく頼む」
ホッとしたティンクルスは、ほわりと頬をゆるめた。
ちなみに、クロードと騎士は槍と弓の実力を披露している。騎士のジャンは当然だろうが、人になってそう時が経っていないはずのクロードも、ずいぶん華麗な動きだった。
老魔術師は首をかしげつつも、犬のときから華麗じゃったのぅ、と『嫌な奴』に踊りかかっていた友の昔を思いだし、懐かしんだりもしていた。
兵舎の横を、兵士と猟師が慌ただしく通りすぎる。みな、森に入るための準備に忙しい。老魔術師は薬作りを請け負っている。
「ティンク、熱いから下がってろよ」
「湯が跳ねるかもしれません。ティンク様、もう少しお下がりください」
「ぉ……」
もうもうと湯気の立った鍋を、騎士がザルに空ける。しんなりとした薬草を、クロードがザルごと持ち上げ、ザッと湯を切る。
いつもなら「わしもやる」と言うはずのティンクルスは、反応が薄い。その目はちらりちらりと動き、口からはときおり唸りがもれる。
(やはり兵士と猟師の仲は良さそうじゃのぅ)
気になっているのはもちろん、火の魔石に白い印がついていたことだ。
老魔術師は先ほど、昨晩の出来事を総隊長に話した。彼は、幼い少年のがんばりを聞いては頬をゆるめ、倉庫に開いた穴を見ては険しい顔をした。
注意深く見てみると、灰白色の壁に削ったような、人の手で壊した跡があったのだ。
こうなると、やはり魔石も何者かの仕業と思える。猟師に害意を持つ兵士がいるのなら、一緒に森へ入るのは危険だ。しかし。
『延期するとなると、みなが不審に思うだろう。猟師からは不満が出る。それに、魔人を放っておくわけには……』
こう言って、総隊長は渋面を作った。
魔人討伐が終わるまで、森への立ち入りは禁止される。その間、猟師は猟ができない。
今、魔人が森にどれほどいるのか不明だが、もし村に現れたとしたら。多くの者が操られたとしたら。この事態は何としても避けなければ。
結局、魔人討伐は予定どおり行われることとなった。ただし、信頼できる者を選出し、兵士と猟師を組ませることもしない。
これが精一杯の対策なのだろう。
「ティンク、一緒の組になったな。よろしく頼む」
にこりと笑った総隊長の息子、フェルが握手を求めてきた。
総隊長にとって、息子は当然『信頼できる者』だろう。ティンクルスも彼が穴の存在を知っていたことは、総隊長には話していない。
フェルが猟師の息子マテオと言い争っていたとき、クロードが感じたのは、憤りと少しの高揚感だったそうだ。
これはマテオを良きライバルだと思っているからではないか。老魔術師の目から見ても、彼が犯人だとは思えない。
しかし一方で、フェルは昨夜の少年に、穴のことを口止めしたとも聞いた。確かに広めて良い話でもないが、総隊長に報告していないのはなぜか。
そして、その横で優しげな笑みを浮かべているのは兵士のノア。猟師に白い印のついた火の魔石を渡したのは、この若者だ。
何者かが仕込んだ魔石を、彼が偶然手に取っただけかもしれない。だが、フェルとは幼馴染だというから、穴のことを聞いていた可能性もある。
「……うむっ、よろしく頼むのぅ」
ともかく、もしフェルかノアの仕業だったとしたら、信頼しきっている他の者と組ませるより、老魔術師が組んだほうが良い。監視するようで、いささか心苦しいが。
差しだされた手を握り返したティンクルスは、何も起こらなければ良いが、と、心の中で祈りを捧げた。
*
「むっ、ふっ、ふぉ」
快晴であっても、なお薄暗い森の中。
老魔術師の口からは、ちょっとマヌケな声がもれている。草が生い茂るデコボコとした土の上を、進む足取りはおぼつかない。
クロードに半ば抱えられ、必死になって歩くティンクルスに、兵士たちの呆れた風な顔が向く。
そんな彼らをクロードが睨みつけたとき。
「ティンクが遅れてるわけじゃないだろう。みな、周りを警戒しろ」
こう言って兵士を諫めたのは、フェルだった。
森を見まわし、少々怯えた様子を見せているノアにも、彼は「大丈夫だ」と励ます。
(なかなか頼もしいのぅ)
頬をゆるめつつ、やはりこの若者が犯人とは思えない、とも首をひねる。
ともかく今、老魔術師は歩くことに専念した。
「ティンク、向こうにいる」
いち早く魔物に気づいたのだろう、クロードが耳元でささやいた。
ティンクルスはみなに警戒するよう伝え、少しあと、魔物の魔力を感じ取る。こちらに近づいてくる。
「いた、あそこじゃ!」
「よ、よし! ティンク、魔法!」
声なき声が鋭く飛びかう。兵士たちは魔物を捉えたかどうか。目がさまよっている者もいる。
その間にも、老魔術師の手から風の刃が放たれ、ドサリ、魔物は倒れた。
「魔法使いがいると楽だな」
「ああ、このぶんだと魔人も、声を聞く前に倒せるな」
(……まずいのぅ)
しばらくこんな調子で進んだために、兵士たちに気の緩みが出てきたらしい。少しの休息を取る間、彼らは周囲の警戒も忘れ、水でのどを潤している。
これを注意したのは、やはりフェルだ。
「ティンク。申し訳ないが、兵士たちを主体に討伐してもいいか?」
兵士を見まわした彼は、キリリとした眉を少し下げ、こんなことも言う。
この状態が続けば彼らはさらに油断し、惨事を招きかねないと危惧しているのだろう。
「うむ。わしも、そのほうが良いと思う」
ティンクルスがにっこり笑うと、フェルもホッとしたように笑った。
「フェルは立派に組を率いてるのぅ」
「いや、私はまだまだだ。討伐はマテオのほうがずっと上手い」
「それはそうじゃ。マテオは猟師じゃし、兵士の仕事は魔物の討伐だけじゃないんじゃから」
兵士は盗賊が出れば捕縛に向かうし、橋が壊れれば補修に出向く。村同士のイザコザを仲裁することだってある。
それに、と老魔術師は続ける。
「魔術武器の的当てで、マテオに勝ったんじゃろ?」
「ああ。この間、初めて勝ったんだ!」
年相応の若者らしく、フェルが嬉しそうに笑う。
その横で、魔物を恐れているのか、落ち着かない様子のノアが、口から小さな溜息をこぼした。
「あそこじゃ。左の、太い木の向こう」
「……よし、魔術放て!」
休憩が終わると、今度はフェルの指示の下、兵士たちが討伐を始めた。
魔術武器から放たれた風は、素早い魔物の体をかすめる。
老魔術師の命中率が高いのは、放った魔法をある程度制御できるからだ。あとは魔物の動きを、経験から予測しているためか。こちらはきっと、猟師のほうが上手いだろう。
鋭い風が何発か当たると、魔物の動きが鈍った。兵士は槍を構えて近づき、とどめを刺す。
「はぁぁ……」
槍を握りしめ、思いきり息を吐きだしたのはノアだ。怖かったのか、眉根を寄せて大きな呼吸を繰り返している。どうやら彼は討伐が苦手なようだ。だが。
「ノア。済まないが、私が何発放ったか、覚えてるか?」
「あ、うん。フェルは三発だったから、あと十六発、残ってるよ」
「ノア。俺、今四発だったんだけど、残り八発でいいんだっけ?」
兵士たちの問いに、ノアは考えるようにして答えていく。
彼は地図を見るのも得意なようで、フェルは「ノア、ノア」と何度も確認していた。
「ノアも優秀じゃのぅ」
ティンクルスが感心の声を上げると、ノアは「え?」と驚いた顔をした。
「みな、ノア、ノアと頼ってるぞ」
「……俺、これくらいしか出来ないから」
それが大切なのだと、魔物に立ち向かうだけが討伐ではないと、老魔術師は首をふる。しかしノアの眉は下がったままだ。
彼は猟師の息子なのだそうだ。けれど魔物が怖い。畑を耕して暮らしたいとも思ったが、土地がない。だから兵士になったとつぶやく。
「ティンクも、その、最初は魔物が怖かった?」
「うむ。怖かったのぅ……や、わし、森を歩くのに必死で、怖がる余裕もなかったかも、ふぉっ?」
昔を思いだすように、くきっと首をかしげた弾みに、くきっと足もけつまずく。
クロードに支えられ、ふぅと息つくティンクルスを見て、ノアの顔にようやく笑みが浮いた。
「いつかは俺も慣れるかなぁ。でも、それより魔物や澱みなんて、無くなればいいのにって思うんだ」
もしかするとノアは、恐ろしい魔物を生みだす澱みを、森ごと焼き払ってしまおうと考えたのか……
不安そうな顔で森を眺めながら、兵士のあとを追う若者の背を、老魔術師はジッと見つめた。




