懐かしの部屋と姫の父
シン、と静かな部屋は、魔光灯の柔らかな光で包まれている。窓の向こうでは月明かりの中、時計塔の針が動き、正しい時を刻んでいる。
ここは懐かしの、老魔術師の塔。主のいなくなった部屋ではあるが、綺麗に整えられており、愛用の、濃紺のローブもそのまま壁にかかっている。
王の配慮なのだろう。この部屋だけは彼が出て行ったときから、時が止まっているような。
懐かしい空気を目いっぱい吸いこんだティンクルスは、ほわほわ笑いながら丸テーブルに着いた。
そして。
「嫁いでもよろしいですか……か。それで父というわけですね」
向かいに座る王がうなずき、そばに控えた筆頭魔術師も「なるほど」ともらす。老魔術師はちょっとだけ小さくなっている。
彼はこれまでの事を王に話していた。姫のつぶやきと奇妙な条件の意味。姫には想う相手がいるようなこと。これについては少々力説した。それから、十六年以上も前、兄王に……
「叔父上は先王に、私の父上に嘘を吐いたんですね?」
「ぅ……すまんのぅ」
王にジッと見つめられ、ティンクルスの体がますます縮こまった。すると、クロードが「ティンクをからかうな」と睨み、王は笑みをこぼす。
「ティンクルスの嘘くらい、私が見抜けないはずはないだろう」
「ふぉ?」
「父上はお見通しでしたよ」
幼い頃によく見せた、いたずらっ子のような笑みを浮かべた王を見て、老魔術師の口が、まん丸になった。
王は、兄王が亡くなる前、その話を聞かされたと言った。ティンクルスが姪の味方になったことを、姫を守ったことを、感謝しているとも兄王は言ったそうだ。
だが、このことを話してはならないとも口止めした。
「父上曰く、王に対する嘘を許すわけにはいかないからな、だそうです。ですが、叔父上も一度は亡くなったわけですから、もう良いですよね」
「あいつ、最後まで固いな」
「父上らしいと思います」
クロードがふんっと鼻を鳴らし、王は懐かしげに笑う。老魔術師はといえば、ぼろぼろ涙をこぼし、鼻をぐずぐず啜っていた。
兄王が心を痛めていなくて良かった、と思ったのだ。それに、姪と姫、そして父を守ったのも兄王だと思う。
いくらティンクルスが嘘を吐いても、兄王が父親探しはしないと、この件には触れるなと言わなければ、守れなかったはずなのだ。
ということは。
「先王は、こっそりと姫の父のことを調べたんじゃないかの?」
娘と息子が、と思えば尻込みするかもしれないが、そうではないのだから、兄王は相手を知っておこうとしたはずだ。
考えてみれば、王も姫を養女にしたのだ。何も調べていないということはないだろう。もしかすると、兄王から何か聞いているのではないか。
老魔術師はこぼれる涙もそのままに、グッと身を乗りだす。
――ポタリ、ポタリ、ずっ、ずずっ
「……叔父上、まずは涙と鼻を」
筆頭魔術師がサッと布を出し、それをクロードが受け取る。
ティンクルスの顔を、友がせっせと拭きだした。
*
懐かしくも、いろいろとあった王宮での一夜が明け。
ティンクルスは中央街を歩いていた。頬に当たる風は冷たいが、体を包んでくれる濃紺のローブが暖かい。隣を歩くクロードも、老魔術師が贈った黒のマントを羽織っている。
すれ違う者から咳が聞こえ、今年も風邪が流行らなければ良いのぅ、と、ローブを寄せて首元を隠す。
「ここじゃのぅ」
足を止めたのは一軒の家。
中央街の家は商家が多いこともあって、まずは建物があり、庭は持っていたとしても裏にある。が、この家は美しく整えられた前庭が広がり、その奥にこじんまりした家が見えた。
腕の良い、貴族の邸や王宮の庭も作ったことのある、庭師の家だ。
昨晩、老魔術師の部屋で、王はこう言って笑った。
『父上も最初、姫の父は当然貴族だろうと、調べるのに手間取ったようです。まさか庭師だったとは。我が妹もやりますね』
『庭師……じゃが、そうなるとあの奇妙な条件は、姫の父の耳には入ってないかもしれないのぅ』
話を聞いて、しばし呆気にとられた老魔術師であったが、すぐに眉が下がる。
結婚の条件である『黒水晶のごとき玉の、言葉を届けてくれる者』は、貴族の間では知れ渡っている。だが、庶民となるとどうか。
落ち着いた感じの隊員が教えてくれた噂話は、『王に溺愛されている王女』だった。もし父の耳に入ったとしても、これでは誰だかわからない。それに、王宮にいる姫に、父は伝える術がない。
姫もきっと父は貴族だと思い、必死になって考えたと思うのだ。それなのに。
『わし、姫の父にこのことを伝えてもいいかのっ?』
ティンクルスがずぃっと詰め寄ると、王は笑ってうなずいた。
「……何て言えばいいんじゃろ?」
昨晩は気合を入れて申し出たものの、老魔術師は困った風な顔になって首をかしげていた。
庭では、おそらく姫の父だろう、庭師が葉を整えている。思ったとおり、彼の瞳は黒のようだ。
姫の想い人であろう騎士は、黒の瞳ではなかったから、『黒水晶のごとき玉』は庭師の父で間違いないだろう。しかし。
彼のそばには妻らしき女性がいる。庭師に似た、十歳ほどの少女までいる。
「むぅぅ」
姫の父に家族がいることなど、想定していなかったティンクルスは、思わず唸りをもらす。
「あら、何かご用でしょうか?」
妻らしき女性に気づかれてしまった。にこやかな顔で、一家そろってやって来る。
「や、その……ご、ご主人に似て、可愛い娘さんじゃの」
本当なら庭の話をして、それから王宮の話題へ、と考えていた老魔術師だったが、焦ったためかまったく別のことが口をついて出た。
「いえ、この子の父親はこの人の弟です。みんなよく似た顔ですけど」
「……じゃあ、庭師さんのご家族は」
よく間違えられるのか。楽しげに笑った女性と少女の横で、庭師の黒い目が遠くへ逸れる。
その先にあるのは――王宮だ。
「もし、もし庭師さんにも娘さんがいたら、娘さんが結婚することになったら、どんな言葉をかけてあげたいかのぅ」
ポツポツともらしたティンクルスの言葉に、女性と少女はきょとんとしたようだが、庭師の目は王宮に向けられたままだ。
彼は何を想っているのか。唇がゆっくりと動く。
「おめでとう。幸せになることを、いつも、願ってる」
陽を受けて、黒水晶のように透けてきらめく瞳が、優しげに細められた。
*
「ちょっと人が少ないかのぅ?」
「今日は寒いからな」
いつもなら人で賑わう自由市場が、今日は少し空いている。コンコンと、咳をしている者もいる。
「ロイクもちょっと咳をしてたのぅ」
ティンクルスは眉を下げつつ目的の場所へ向かう。
今日は魔法薬を作ろうと、材料を買いに来た。老侍従のために、そして元女将の、宿屋の向かいにある薬屋にも置いてもらうためだ。
「あ、ティンクさん!」
「おお、お嬢さん。魔術薬師の工房はどうかの?」
声をかけてきたのは、黒のローブを羽織り、幽霊にも間違えられた、魔法使いの娘だ。
工房でどんな魔法薬を作っているか、どれだけ作れるようになったか。娘は元気よく話す。
「自分でも作ってみようと思ったんですけど、今の時期って薬草もちょっと少ないですよね。失敗したらもったいないし、どうしようかと思って」
「わしと一緒に作るかの?」
「え? 本当に!?」
「ティンク、幽霊女と一緒に作ったら質が落ちるんじゃないか?」
「なっ、何ですって!」
クロードと娘の視線がぶつかり、バチリと火花が散る。相変わらず、気が合わないようだ。
二人をなだめつつ、薬草を買い、では中央街の家へ行こうかというとき。
「ここにいたか!」
市場に鳴り響いたのは、おっちょこちょいな隊員の声だ。
ズカズカと近づいてきた彼は、娘の前に立つといきなり剣を抜き、サッと片膝をついた。そして。
「俺の剣をお前に捧げる! 結婚してくれ!」
実は今、街にはこんな噂が広がっている。
王宮で催された煌びやかな舞踏会。美しい姫には多くの求婚者が現れた。みな、若く美しい青年だ。だが、姫の表情は浮かない。誰の手も取ろうとはしない。
そこへ一人の男が現れた。ずっと姫を守ってきた騎士だ。彼は姫に剣を捧げる。
途端、姫は輝くように笑った。姫の想い人も騎士だったのだ。二人は手を取り、優雅に踊り始めたという。
……妙な方向に大きく脚色されてしまっている。
事実は、老魔術師が聞いた庭師の父の言葉を、王が姫に伝え、姫と騎士の結婚を許した。
姫は父の言葉に涙をこぼし、騎士との結婚にもやはり泣き、そして幸せそうに笑ったそうだ。
噂を真似たらしい突然の求婚に、ティンクルスの口は半開きだ。
この国では、騎士が剣を捧げる相手は王以外、許されていないだとか。切っ先を相手に向けてはいけないだとか。立てる足が逆だとか。いろいろとおかしい。
しかも、隊員の目がギラギラしていてちょっと怖い。
(……警備隊員じゃし、これで良いのかの?)
首をかしげたまま、今度は娘を向く。
「なっ、なっ、なっ……」
娘の唇はわなわなと震え、いや、体も震えているか。顔どころか首も真っ赤に染まっている。
一見、怒っているように見えなくもないが。
「確かこの娘さんは、これで照れてるんじゃの?」
以前、貴族街で攫われそうになった娘に、隊員が「俺の胸で思いっきり泣けばいいんだ!」と言って、ぶ厚い胸板をバシンと叩いたときと同じ反応のようだ。
ひょいと見上げると、クロードがうなずく。
「この二人も姫と騎士みたいに、幸せになるんじゃのぅ」
老魔術師がにこっと頬をゆるめたとき。
「ちっ、違うわよ!」
よほど恥ずかしかったのか。娘がおっちょこちょいな隊員にも負けないほどの大声を出したために、ティンクルスの体が、ぴょん、と跳ねた。




