騎士の訪問と舞踏会
落ち着いた感じの隊員が、噂話を教えてくれた翌日のこと。
「ティンクルス様。お久しぶり、というほどでもありませんが、お変わりなくお過ごしのようで」
「おお、いつもすまんのぅ。王宮のみなは元気かのぅ?」
ティンクルスがにっこり笑うと、元は老魔術師付だった騎士が、今は定期的にこの家を訪れてくれる騎士が、ほほ笑みながらうなずく。
が、今日は定期的な訪問日ではない。彼も何だか楽しげな顔をしている。ということは、きっと舞踏会のことに違いない。
老魔術師がソファを勧めると、騎士は一礼し、遠慮なく腰を下ろす。そばに控えている老侍従も誘うと、遠慮がちに、それでも嬉しそうな様子も見せながら同じテーブルに着いてくれた。
「舞踏会の話を聞いたんだけどな。レイヴンスの奴、ティンクを姫の夫にしようなんて考えてないよな?」
まず、口火を切ったのはクロードだ。よほどこの事を気にしているらしい。老侍従も真剣な顔になって騎士を見つめる。
(……二人とも、わしに結婚してほしいのかの?)
老魔術師は一度目の生で、妻を娶っていない。王子ならばまず、あり得ないことだ。
だが、彼には多くの兄弟姉妹がいたので、政略的な結びつきの、いわば駒は足りていた。父王は彼だけでなく、子供たちに関心がなかった。
魔力が目覚めたティンクルスは魔法と魔術に没頭したし、そばに寄り添うクロードは嫌な者を遠ざけた。
竜人語の解読のため、古代神殿にこもる魔法使い王子の評判が、『愚鈍』から類まれなる魔力を持つ者へ、しかしそれは『変人』へと、変わっていたせいもあっただろう。
縁談も持ち上がらないままに、ティンクルスは若かりし時を過ごした。
そんな彼の才能を、魔術の可能性を、いち早く見出したのはまだ王子だった兄王だ。ティンクルスに近づき、研究を支援し、助けもしながら『聖人』に仕立て上げもした。
大精霊は夫なくして精霊を生みだす。騎士が信仰すべき忠誠の神、誰もがいずれは召されるであろう天国の神、伴侶を持たない神も多い。主神によっては神官もこれに倣い、生涯を独身で通す。だから。
実績を出し始めたこの国初の魔術師への、縁談は全て、兄王が取り下げた。
(それに、わし、今さら結婚なんて……)
若返ったことで、気持ちも明るくなってはいるものの、爺気分だって抜けないのだ。
ティンクルスの眉が、困った風にへなっと下がった。そんな彼を見た騎士は、小さな笑いをこぼす。
「ティンクルス様がお望みでしたら、陛下もお考えになられるでしょうが、このたびのことは、そうではありません」
この言葉に、老侍従の肩は少し下がった。ガッカリしたようである。
一方、クロードは満足げな顔だ。五十年もの間、ティンクルスに近づけて良い人物かどうかを、小姑のごとく吟味してきた守護精霊だ。おそらく、自身が認めた女性でなければ納得しないだろう。
対照的な二人に、再び笑みをもらした騎士が話を続ける。
『黒水晶のごとき玉の、言葉を届けてくれる者』という奇妙な条件は、姫自ら言い出したという。だが、その理由を語ろうとはしない。
姫は大精霊のことも、老魔術師が生き返ったり若返ったりしたことも、知らないはずだ。となると、これは何を示しているのか。
王も困惑したようではある。しかし一方で、老魔術師が探している、精霊が囚われている玉を見つける手助けになる、とも考えたそうだ。
「ですから、ティンクルス様とクロード殿が王宮にお入りになれるよう、手はずを整えております」
テキパキと説明しだした騎士の顔は、やはり楽しそうだ。
老魔術師は何となく、王もこんな顔をして、二人が王宮に入る方法を考えていたのでは、と思う。
「絶対そうだ。あいつ、ティンクを王宮に呼べるから喜んでるんだろ。わざわざ俺たちを呼ばなくたって、この家に持ってくれば簡単……」
友が面倒臭そうな顔になったので、ティンクルスはちょっとばかり縮こまる。
実は、王や筆頭魔術師に会えると思うと、懐かしい王宮へ行けると思うと、わくわくする気持ちもあったのだ。
「まあ、いいけどな」
小さくなった老魔術師を見て、言葉を切ったクロードは、仕方ないという風に笑った。
*
しばらくが過ぎ、今日はついに舞踏会の日。
ティンクルスとクロードは、抜けだしたときと同じく、筆頭魔術師の馬車で王宮入りを果たした。久しぶりに会った愛弟子に、もう来ることはないだろうと思っていた王宮に、じわっと目頭が熱くなる。
今度は、やはり今日も楽しげな顔をした騎士と一緒に、そっと一室へ。用意されていたのは、明るい紺色の上下と青と白の服。侍従と騎士の装いだ。
「変装するみたいじゃのぅ」
目を輝かせながら着替えに取りかかった老魔術師を見て、手を貸そうとしていた騎士の目が、ギョッと見開く。一人で着替えられるとは思ってもいなかったのだろう。
のそのそ、もたもた。着替えていく様子にハラハラしたような顔を向け、ズボンを穿こうとして、ヨロリとよろけたティンクルスをクロードが支えると、騎士は差し伸べた手を引っこめながらホッと息をもらした。
「似合うかの? わし、侍従みたいかの?」
鏡に映っているのは、侍従服を着てニコニコしているティンクルスだ。ちょっとのんびりした感じではあるが、おかしくはない。みなが立派な体格の、騎士の恰好よりはよほど似合っている。
クロードも騎士も優しげな顔で見守っているが、ここに老侍従がいたなら、ティンク様が侍従服を着るなんて、と嘆いたかもしれない。
ちなみに、いつも黒一色のクロードは、青と白の騎士服がお気に召さないようだった。
それから、老魔術師たちは舞踏会が開かれている広間の、とある場所へと赴いた。
煌びやかな魔光灯が天井からぶら下がり、広間を明るく照らしている。姫の夫探しの場であるから、列席している女性たちは既婚者だろう。ドレスも控えめだ。
音楽が奏でられ、酒を片手に笑みを貼りつけ互いの腹を探り合う。これまでならちょっと苦手な催し。
だが、今日の老魔術師は違った。
「ふぉぉ……こんな風になってたんじゃのぅ」
「狭くて申し訳ありません」
「や、大丈夫じゃ」
「ティンク、腹が空いたら食べ物もあるぞ」
「お、あとでもらおうかの」
広間の、天井に近い壁には、凝った透かし彫りがぐるりと巡らされている。その一部は、人が潜めるようになっている。中の様子を窺い、いざというときは細工の壁を外して中に踏みこむこともできる。
ティンクルスたちは、ここにいた。
広間から漏れる光は薄暗く、大人なら中腰で立てるほどの高さ。しかし座っている分には問題ない。お尻にはふっかりとしたクッションが敷かれ、飲み物も食べ物も、昼寝の時間でもないだろうに毛布まである。
「陛下、ちょっと白髪が増えたかのぅ」
王の頭頂部を見下ろしながら、老魔術師はお気楽だ。
王が声をかけると音楽が止み、何人かの青年が前に出てきた。彼らが姫に求婚するのだろう。
青年たちは一人ずつ、それぞれが用意した品を手に、みなが示し合わせたように、美しい言葉の並んだ詩を朗読している。
『黒水晶のごとき玉の、言葉を届けてくれる者』の、言葉を詩と解釈したようだ。競うための課題として、王が与えたとでも思っているのかもしれない。
「これは違うのぅ」
「こいつはダメだな」
ティンクルスとクロードは、どうも別のものを見ているようだ。
「おっ、あれじゃの」
「ああ、あれだな」
何人目かの青年が持っていた剣の、柄の先に、黒くきらめく玉がついていた。強い魔力を感じる。精霊が囚われている玉だ。
その青年は、この剣で姫を守るといった風な詩を詠んでいる。
「でも、こいつもダメだな」
どうやら、クロードのお眼鏡には適わなかったらしい。
「ティンクルス様、ここを出ましょう」
全ての青年の求婚が終わると、騎士が声をかけた。贈られた品は、姫に与えられた一室へと運ばれる。今のうちに、精霊を解放してしまおうというわけだ。
ティンクルスがふり返ろうとしたとき、ふと、姫の膝元が目に留まり、ハッと息をのんだ。
大きな背もたれのある椅子に座っているので、姫の姿はほとんど見えない。けれど膝元に置かれた彼女の手が、小さく、小さく、震えている。
これまで、姫は王宮の隅でひっそりと生きてきた。それが突然、王の養女となり大勢の人の前に晒されている。
(わし、みたいじゃ……)
かつては誰も顧みることのなかった愚鈍な王子が、魔力の目覚めによって、多くの人々に取り囲まれることとなった。あのときの自分と同じだ。
「ティンク」
そばに行ってあげたいと思う。大丈夫だと声をかけてやりたいと思う。
胸が苦しいような、もどかしいような、そんな心を感じ取ったのだろう。クロードが心配そうに窺う。
「……まずは、精霊が先じゃの」
胸に手を当てジッと姫を見つめた老魔術師は、少しして、そっとこの場を離れた。




