噂の姫と奇妙な条件
「ティンク様、ただいま戻りました」
「おお、お帰り。家族のみなは元気じゃったかのぅ?」
ティンクルスがにっこり笑うと、穏やかにほほ笑んだ老侍従はうなずき、休みをもらったことへの礼を述べる。
休みと言っても、彼は主人である老魔術師と同じく光の日に神殿へ行き、その足で実家に寄ると、数時間で中央街のこの家へ戻ってくる。
「もう王宮ではないんじゃから、明日の朝まで家でゆっくりしてて良いんじゃぞ?」
「いえ、私は今のままで十分でございます」
「ロイクはティンクのそばにいるのが好きなんだ。気にしなくていい。それに、もう老い先短い人生だしな。好きにさせとけ」
「こっ、これ、クロード。そんなことを言うもんじゃ……」
ティンクルスは、ちょっと口の悪い守護精霊を慌ててたしなめた。ふふんと笑ったクロードに、ジトリと据わった老侍従の目が向く。けれど、その口元はわずかにゆるんでいる。
休日の、穏やかな午後。
――コン、コン、コン、コン
玄関のほうからドアノッカーを鳴らす音がした。老侍従は一礼し、居間を出ていく。
このとき、開いた扉の向こう、廊下の棚の上に、丁寧に置かれている物が見えた。誕生日に贈った、老魔術師お気に入りの、濃紺のローブに似たマントだ。
(ロイク、羽織ってくれてるんじゃのぅ)
ティンクルスはほんわりと笑った。
「落ち着いた感じの、いい家だな」
ソファに落ち着いた様子で腰を下ろした男が、ゆるりと居間を見まわし、落ち着いた声でしゃべる。
やって来た客人は、落ち着いた感じの隊員だった。
「隊員さん、今日はどうしたんじゃ?」
警備隊員とは親しくさせてもらっている老魔術師ではあるが、彼らがこの家を訪れたことは、これまでになかった。何かあったのだろうかと首をかしげる。
「実はな、ちょっと気になる話を聞いたんだ」
元女将が淹れてくれた紅茶を一口飲むと、中央街の商家から聞いた噂だけどな、と隊員は話しだした。
王宮の奥深くには、たいそう美しい姫がいる。王が溺愛し、これまで誰の目にも晒すことのなかった王女だ。
その姫も十六歳になり、王はついに手放すことを決めた。近々、夫を決めるための舞踏会を開くのだという。
ここでティンクルスの首が、ちょっと傾いた。
父王より兄王のほうが、兄王より現在の王であるレイヴンスのほうが、ずっと子供たちのことを気にかけているとは感じる。が、人前に出すのも嫌がるほど溺愛している王女、などという者はいないはず。
(……あの姫のことじゃろうか?)
一人思いついたのは、王の異母妹の娘、老魔術師にとっては姪の娘だ。
しかし、これまで結婚の話がなかったのは、王が溺愛していたなどといった理由ではない。実は、この姫には少々ややこしい事情があるのだ。
まあ、商家の噂話だというから、事実とは異なる部分もあるのだろう。
「それでな。おもしろいのが、その姫の夫になるための条件が一つ、出されたっていうんだ。それが」
――黒水晶のごとき玉の、言葉を届けてくれる者。
「ふぉ……」
ポカンと口の開いた老魔術師に構わず、「まるでティンクが探してる魔宝玉みたいだろ」と隊員は続ける。
「その美しい姫を射止めたい貴族が、黒水晶や綺麗な魔宝玉を物色してるらしいんだ。姫に贈るつもりなんだろうな。きっと舞踏会に魔宝玉が集まる。だからティンクも潜りこんでみたらどうだ?」
ここで隊員は、ニヤリと笑ってティンクルスを見た。
「たぶん、ティンクなら何とかできるんだろ?」
老魔術師はこの間、伯爵夫人の企てに巻きこまれた娘を助けるため、貴族街で決着をつけた。騎士を動かしてみせた。老侍従の身分も、ことさら喧伝してはいないが、隠しているわけでもない。
つまり、ティンクルスにそれなりの伝手があることを、この隊員は察している。
とはいえ、王宮に入るのは難しい。いや、老侍従の従者のような顔をして、入ることはできる。
ただ、もし若かりし頃のティンクルスを知る者に出会ったら。老いた侍従クロードによく似た、老侍従と並ぶ姿を見たら、なおさら偉大なる魔術師を連想しそうな気もする。
それに、老侍従の家には十六歳の姫に見合う、年頃の、未婚の男子はいなかったはず。その彼が夫選びの舞踏会に行くのも妙だ。
「うまく入れるといいな」
むぅ、と考えこんだティンクルスに、がんばれと笑った隊員は、ひらりと手をふり帰っていった。
*
「ロイクも舞踏会のことは聞いたんじゃの?」
今日、実家に帰ったばかりの老侍従は、ティンクルスの問いを肯定する。
「私の家には相応しい男子がおりませんので、条件のことまでは話題になりませんでしたが、もう一つ」
一度、言葉を切った老侍従は、王がその姫を養女にした、と付け加えた。
「ふむ……」
老魔術師は腕を組み、重々しくうなずく。
実は、姫には父がいない。父が誰かもわかっていない。
もう十六年以上、前になるのか。姫の母は「私は子を授かりました。産ませていただきます」と、臣下も居並ぶ前で堂々と言ってのけた。
このときは何かのパーティだったと思う。当時はまだ、未婚の王女だった姪の発言に、ティンクルスは飲み物を思いっきり噴きだした。彼女の父である兄王は烈火のごとく怒り、パーティはすぐにお開きとなった。
『相手は、誰だ?』
『おりません。私は大精霊の加護を賜りました。大精霊のごとく、ただ一人で懐妊いたしました』
幾人かの者の、厳しい顔が並ぶ中、姪は怯むことなくこう述べた。
大精霊は消えて久しい。この場には大精霊の力を知り、人の心を感じ取ることのできる、守護精霊のクロードもいた。ここで彼女は平然と嘘を吐いた。
つまり、相手のことを言う気はないという意思表示であり、姪なりの宣戦布告だったのだろう。
兄王はさらに厳しく追求した。すると。
『父上様。事を明らかにしてお困りになるのは、父上様ではないでしょうか?』
『何だと?』
『もし、もし子の父が兄上様方のお一人であったとしたら。神々に祝福されることのない、忌まわしい関係だったとしたら……父上様は、罪深き娘と息子をどうなさいますか?』
つい先日まで少女だと思っていたはずの、姪が艶然とした笑みを浮かべる。
兄王を脅してみせた気迫に、子を宿し母になろうとする者の強さに、ティンクルスはひどく驚き圧倒された。
そして、気づいたこともあった。だから、このとき――
昔を思いだしたティンクルスの、口から溜息がもれる。
結局、姪は幽閉に近い形となったが、それでも元気な姫を産んだ。臣下の前で子がいると暴露したのだ。もう誤魔化しようもない。
少しして、兄王から甥のレイヴンスに王位が移ると、姪と姫の幽閉は解かれた。それから母娘は王宮の隅で、ひっそりと生きてきた。
この姪も今は亡くなり、姫は十六歳。いつまでも王宮にいれば、なおさら肩身が狭くなる。だから王が養女にすることで後ろ盾になり、縁談を進めることにしたのだろう。
隊員から聞いた噂話では『王女』となっていたが、これは間違いでもないわけだ。
「ふむぅ」
一部は納得したティンクルスではあるが、しかし首をひねりもした。
『黒水晶のごとき玉の、言葉を届けてくれる者』とかいう、奇妙な条件は何なのか。
老魔術師がすぐに思いつくのは、精霊が囚われている玉だ。『言葉を届けてくれる者』とは、解放した精霊が、返してくれた言葉のことだろうか。
これはごく少数の者しか知らない。王と筆頭魔術師、それに数人の騎士。もしかすると騎士の中に、姫の夫にしたいと思う者がいるのか。または、これと思う者にそっと教えることもできるか。
けれど……
精霊が返してくれた言葉といえば、『大精霊は、竜人に囚われた精霊を解放したために、自らも囚われた』くらいのものだ。
舞踏会でこの言葉を姫にささやけば、夫として認められる……おかしすぎると思う。
まさか、精霊がクロードに発した『うるさいわ! 小童が!』では、断じてあるまい。
やはり、精霊が囚われている玉とは、まったく別のものを指しているのか。
「むぅぅ」
ひとしきり唸ったティンクルスは一息入れようと、老侍従が注ぎ直してくれた紅茶を口に含む。
「まさかレイヴンスの奴……若返ったティンクをその姫の夫にしたい、なんて考えてないよな?」
「ぶふっ」
クロードがものすごく妙なことを、ずいぶん真面目な顔でのたまってくれたものだから、老魔術師は思いっきり噴きだす破目になった。




