老魔術師はみなに感謝を捧げる
一、二、三……
今日も元気に朝食をとったティンクルスは、紅茶を片手に指を一本ずつ折っていた。
幽霊騒動から魔法使い志望の娘へ、果ては伯爵夫人の身勝手な企みへと辿りついてしまったこのたびの件では、たくさんの人々の世話になった。老魔術師は何かお礼をしたいと思う。
工房の女主人、警備隊員の二人、騎士たち。いろいろと動いてくれたであろう王と筆頭魔術師。
身のまわりの世話をしてくれ、何かと手伝ってくれる老侍従にも。おいしい食事を作ってくれ、作り方まで教えてくれる元女将にも。おっちょこちょいな隊員だって……世話になっているような、なっていないような。
そして、いつもそばにいてくれるクロードだ。
ティンクルスはこの友がいるから、厳しい視線に晒されても、その場に立っていることができた。胸に不安がよぎっても、新たな一歩を踏みだすことができた。
こんな風に、思っている。
(どんなお礼がいいかのぅ)
カップを置いた老魔術師は、腕を組んで宙を見据えた。何だか徐々に眉が寄り、口も尖っていく。
「むぅぅん……」
ダメだ。相変わらず、ちっとも思いつかない。
うんうん唸るティンクルスを見て、クロードがくすりと笑う。
「ティンク、そういうのは気持ちだけでいいんだ。ティンクはいつも、何かしてもらったら感謝してるだろ。それは相手にもちゃんと伝わってる」
「そう、かの?」
首をかしげたティンクルスにクロードはうなずき、それに、と続ける。
魔術薬師工房の女主人には、半人前とはいえ魔法使いの娘を紹介した。いずれ独立するにしても、工房の役に立つ。
隊員二人が庶民街の娘を守るのは、仕事のうちだ。
伯爵夫人の企みを掴んだことは、王にとって有利に働くだろう。筆頭魔術師も同じく。騎士たちはやはり仕事だ。騎士の一人は楽しいとも言っていた。
元女将も給金をもらっているのだし、老侍従はティンクルスが感謝してくれる、その気持ちこそが一番の喜び。それはクロードも同じこと。
「だから、特別なお礼なんて、なくてもいいんだ」
「そう……かの」
クロードが自信満々な様子で言い切ったものだから、何だか老魔術師もそんな気分になってきた。おっちょこちょいな隊員のことは、頭から抜けている。
(何か思いついたときにでも、お礼をすれば良いのかのぅ?)
ひとまず納得したティンクルスは、クロードとともに家を出た。
出る際、心をこめて感謝の言葉を述べた彼に、老侍従は嬉しげにほほ笑み、元女将は一瞬だけキョトンとしたあと、にっこりと笑った。
今日もまたまた光の日、老魔術師の休日だ。
中央街の神殿で、よい人々とめぐり会えたことに感謝を捧げると、散歩がてら大通りを歩く。
「どこに行く?」
「そうじゃのぅ。まず、アーチ橋まで行ってみようかのぅ」
中央街に住むようになって、いつの頃からか、アーチ橋から王都を見わたすのがティンクルスのクセになった。
行きは建物のひしめく、活気溢れる庶民街を眺め、帰りは洒落た感じの中央街と、その向こうにそびえる、美しく懐かしい王宮を見る。どちらの景色も好きだ。
中央街からアーチ橋へと進んだティンクルスは、庶民街を見まわす。目立つのは、まず左手にある円形状の大きな建物。自由市場だ。
(あの娘さんは大丈夫かのぅ)
伯爵夫人の企みを阻止するためとはいえ、貴族街で怖い思いをさせてしまった娘は、元気にしているだろうか。
娘が通う魔術薬師の工房は、今日、光の日が休日だ。これは創立者である偉大なる魔術師に合わせている。
彼女の家は自由市場の裏手にある。行ってみようと老魔術師はうなずく。
首を回すともう一つ、角ばった大きな建物が目立つ。警備隊舎だ。その右手に広がる家々も他より大きい。広い工房を擁する、職人街である。
「お、そうじゃ!」
ティンクルスは、ポンと手を打った。
職人街には魔道具職人の工房がある。
魔術薬師なら、薬草と魔道具があれば薬を作ることができる。が、魔道具職人が作るのは魔術文字を刻んだ魔石のみ。道具そのものは職人が作っている。道具に魔石を嵌めこめば、魔道具になるというわけだ。
だからこちらの工房は、職人街に建てられた。
「隊員さんたちへのお礼に、魔道具用の魔石はどうかのぅ?」
確か、優しげな隊員は『警備隊にも魔道具はあるけれど、高いからあまり使いたくない』という風なことを言っていた。これが予算の都合というものだろう。
店で売っている替えの魔石は、魔術文字が刻まれているために値が張る。しかし、魔道具職人工房で魔石を手に入れれば、あとは自分で刻める。
この工房も老魔術師が創立者ではあるが、今日は休みでもない。職人街全体が、休みを風の日と定めているからだ。
これは、職人に関わる神が風の日を司っていないこと。彼らは加護のある日、工房で祈りを捧げて仕事に精を出す。そして、一つの品を作るのに複数の工房が関わるため、同じ日を休みにしたほうが効率が良いといった理由もある。
警備隊員には、このたびの件だけでなく、魔宝玉探しもしてもらっている。やはりお礼をしたいと思う。
どうじゃろう、と嬉しげな顔で窺ったティンクルスに、クロードも「いいんじゃないか?」とほほ笑んだ。
*
ティンクルスたちはまず、魔道具職人の工房を訪れた。
「ティンクさん、お待たせしました。どうぞ。魔道具用に研磨した魔石が二十個、入ってます」
「おお、ありがとうのぅ」
「いえ、こちらこそ。半分は工房に納めてもらえるんですから助かります」
にこりと笑った工房長に、ティンクルスもにこっと笑い返し、魔石の入った布袋はクロードが受け取る。
老魔術師は以前、優しげな隊員の結婚祝いに魔光灯を贈った。このとき、魔術文字を自ら刻むため、魔石を入手したのがこの工房だ。
ここも魔術薬師工房と同様、魔石や魔道具を置いてあるので、誰でも入れるわけではない。
初めて来た際、魔術文字のない魔道具用の魔石を売ってほしい、と門番に伝えると、なぜだか、工房長がすっ飛んできた。
『あなたは魔法使い、いえ、魔術師ですね!? ぜひ、ここで働いてください!』
よほど人不足であるらしい。工房長の勢いはすさまじかった。
王都で売られている魔道具の大半は、この工房の品だ。魔法院でも作ってはいるが、主な物は魔術武器――これも魔道具の一種だ、であり、騎士や農村の兵士へと運ばれていく。
さらに、魔石に魔術文字を刻むのは時間がかかる。手のひらより小さな石に、ペンに似た魔道具を使って複雑な文字をビッシリと書くのだ。
一度目の生の晩年、老眼だった老魔術師にはできない作業である。まあ、魔術師なら、魔法を用いてもう少し楽に刻むこともできるが。
囚われた精霊を探さなければならないティンクルスは、工房長の申し出を、申し訳なさそうな顔で断った。
だが、時間のあるときは手伝ったり、魔石がほしいときは今回のように、何割かを工房に納品したりしている。
人不足に悩む工房長は、代金より魔術文字を刻んだ魔石のほうが嬉しいらしい。
「さて、次は娘さんの様子を見に行ってみようかのぅ」
工房長のためにも魔道具職人が育つことを願いつつ、ティンクルスは工房を出ると、自由市場のほうへと歩きだした。
「だから、怖くなんてなかったわよ!」
「攫われそうになったんだ! 怖かったに決まってるだろ!」
自由市場の端に、何やら見慣れた人物が二人、いた。
様子を窺おうと思っていた娘と、拳闘の神バルライトスを信仰しているので今日は休日なはずの、おっちょこちょいな隊員である。
「あの娘さんと隊員さんは、知り合いだったみたいじゃのぅ」
娘の家はこの近く。警邏中の警備隊員の姿も市場でよく見かける。顔見知りでもおかしくはない。
それにしても、なぜ言い争っているのか。大丈夫だろうかと心配になったティンクルスの、眉がへなっと下がったとき。
「こういうときはな、俺の胸で思いっきり泣けばいいんだ!」
おっちょこちょいな隊員が、むんっと胸を張り、ぶ厚い胸板をバシンと叩いた。
「ばっ、バカじゃないの、あんた! だっ、誰が、あんたの胸でっ」
ずいぶん慌てた様子の娘が、大声で怒鳴り返す。ひどく怒っているのか、頬は真っ赤に染まっている。
「おぉ、止めないと」
「大丈夫だ。幽霊女はたぶん、照れてるだけだな」
「ふぉ?」
クロードに言われ、ティンクルスはじぃっと娘を見つめた。隊員に目を移し、そういえば、と思いだしたこともあった。
この前。魔術薬師の工房を紹介するために、アーチ橋で待ち合わせたときのことだ。娘はクロードに見とれていた様子だった。おっちょこちょいな隊員ほどではないが、人の姿になった友も、騎士のように立派な体つきをしている。
「あの娘さん、ムキッとしたのが好きなんじゃの」
「……」
隊員と比べられたことに、何か思うところがあったのか。頬を引きつらせたクロードの横で、ティンクルスは、ふむふむ、と納得する。
おっちょこちょいな隊員がいてくれたなら、きっと娘も大丈夫だろう。娘もよい人とめぐり会えて良かった。
一人、結論を出した老魔術師は、ほわりと笑って胸に手を当て、神に感謝を捧げていた。




