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狙われた娘と捕われた娘

「ご主人、この時計はちゃんと合ってるかのっ?」

「はい、王宮の時計塔とピッタリ合ってますよ」

 アーチ橋にほど近い店で、ティンクルスは売物の時計を確認し、ポケットをごそごそ漁って懐中時計を取りだすと、さらに時間を確認する。

 時刻は夕方の五時を少し、過ぎた頃。


「よ、よし。クロード、行こうかのっ」

「ティンク。いつもどおりでいいんだぞ」

「う、うむっ」

 ぐっと小さめの拳を握った老魔術師は、若干ギクシャクした足取りで店を出ると、大通りを歩きだした。


 あれから幾日かが過ぎ、娘は今、魔術薬師の工房に通っている。両親ともきちんと話し合い、昼間働いていた食堂を辞め、養女の話も断った。

 ならば、貴族は娘をあきらめるか。

『おそらく娘さんをあきらめることはないでしょう。私はおびき出して捕まえ、決着をつけるべきだと思います』

 これは女主人の言だ。彼女の言うとおり、答えは否であった。


 二、三日前から工房の行き帰り、男が娘のあとをつけているそうだ。これは優しげな顔の隊員と、落ち着いた感じの隊員に事情を話し、協力してもらったためにわかった。

 ティンクルスは貴族である老侍従と一緒に暮らしている。下手に見張って気づかれれば、相手はしばらく手を出さないかもしれない。他の娘に目をつけられても困る。というわけで、隊員二人の力を借りた。


「お嬢さん、今、帰りかの?」

 老魔術師が、さも偶然会った風に声をかけると、娘はものすごい勢いでしゃべり出す。

「ティンクさん! 聞いて! 私、明日貴族街へお使いに行くことになったんです!」

 用がなければ足を踏み入れることのない中央街どころか、許可証がなければ入れない貴族街へ行くことになり、彼女は興奮しているようだ。

「ほぅ、そうかの。貴族街へ!」

 ティンクルスもちょっと声を張り上げてみる。実は、これが相手をおびき出すための作戦である。


 隊員の二人とは、こんな会話もしていた。

『娘さんをさらうなら、たぶん人を雇うよね。捕まえたとして、その貴族まで辿りつけるかな?』

『難しいだろうな。その貴族の、たぶん使いだろうけど、そいつは隊舎に顔を出してる。ティンクが探っただけでも、魔法屋にも行ってるのがわかったよな。娘の家に行けば貴族の話が聞けるし、通ってる工房で聞けば、幽閉された女のこともわかるだろ』

『そっか、こんなに情報があるんだ。うまくやらないと、すぐつながりも見つかってしまう。だから相手は慎重になる、てことだね』


 おそらく貴族は、娘を養女にすると言えば庶民なら飛びつく、とでも考えていたのだろう。まさか断られるとは思いもせず、多くの情報を残してしまった。

 だから実力行使に出るに当たり、より慎重に、より巧妙になる、ということか。


『情報のぅ……ん? じゃあ、もし庶民街や中央街じゃなく、情報のない貴族街で攫われたらどうなるのかの?』

『もう俺たちの管轄外だ。庶民街や中央街で起きたことなら、問い合わせれば騎士が調べてくれる』

 握り潰される可能性もあるが、こちらにもいくつかルートはある、と言って、落ち着いた感じの隊員はニヤリと笑った。

 が、今度は顔を曇らせ、でも、と続ける。


『貴族街で起きた場合、まず攫われたって証明できない。金で嘘の証言でもされたら、娘は庶民街で行方不明になった、で終わるかもしれない』

『ふむ……逆に言えば、相手は貴族街のほうが楽ってことかの?』

『貴族街は人通りも少ないって言うし、騎士の見まわりは時間も道順も決まってるみたいだよね。それなら貴族街のほうが楽かもね』


 こうして、おびき出す手が決まった。

 ティンクルスは二通の手紙も書いた。一通は魔術薬師の工房へ。女主人は指示どおり、娘に貴族街への使いを頼んだ。もう一通は王宮へ。


「お嬢さん、明日は気をつけて、の」

 明日のことを思えば、ティンクルスの胸はそわそわとして落ち着かない。だが、そんなこととは知らない娘は楽しげに笑う。

「お使いくらいできますよ! それより私、何着ていけばいいかな?」

「その黒いローブでいいだろ。お似合いだぞ、幽霊女」

「なっ、幽霊じゃないわよ!」

 フンッと鼻を鳴らしたクロードと、頬を膨らませた娘を眺めながら、ティンクルスは小さめの拳をぐぐぐっと握った。


 明日はうまくいくと良い、いや、絶対に成功させなければならない。





「こんなに離れてたら、娘さんを見失いそうじゃが……」

「ここは人が少ないからな。下手に近づくと、相手も出てこないぞ」

「む……」

 いかにも上品な装いをしたティンクルスと、相変わらず黒尽くめだが、美しい布に包まれた荷物を持ったクロードが、貴族街を歩く。

 今日の二人は商人と使用人だ。現在の身分証は持っているし、貴族街への通行証は老侍従に用意してもらった。


 ティンクルスは道を曲がった娘の姿を確認すると、くるりと辺りを見まわした。

 中央街や庶民街とは違い、一軒一軒に広い庭があり、柵がある。邸がゆったりと並んでいる。

(懐かし、くはないのぅ)

 王宮にこもりきりで、魔物討伐や工房の視察など、外に用があるときは馬車で素通りしていた老魔術師だ。これといった感慨もない。

 思うのは、攫われやすそうじゃのぅ、といった心配のみ。自然、見えない娘を追って足は速まる。


「ティンク、今、かすかに幽霊女の魔力を感じた」

「ふぉっ? おっ」

 返事をする間もなく抱えられた老魔術師は、相変わらず「お」を発しながら、駆けるクロードに運ばれる。

 道を曲がると、一台の馬車がこちらに向かってきた。


「あれかの!?」

 馬車の後ろから走り寄る、男の姿がある。脇の道からも男が飛び出してくる。その顔を見れば、老魔術師付だった騎士だ。

 馬車は奇妙に揺れてもいる。おそらく娘はあの中だ。攫われる際、魔法で応戦しようとした勇ましい娘だ。大人しく捕まってはいないらしい。


「ティンク、車輪だ!」

「おっ!」

 胸元で合わせた手のひらから、ティンクルスは刃のような風を放った。



「手間を取らせてしまって、すまんのぅ」

「いえ。ティンクルス様がお若くなられてから、楽しいことが続いていますよ」

「そう、かの?」

 ティンクルスが首をかしげると、騎士がにこりと笑った。

 ここはまだ貴族街、そして馬車の中だ。彼は中央街にある老魔術師の家を、定期的に訪れてくれる騎士であり、王宮を出る前、女神像を削る者を探すため、古代神殿の見張りも一緒にしていた。


 娘は無事に助けられた。薬を嗅がされそうになったらしく、少しフラフラしていたが、騎士に捕われた男を見ると「何するのよ!」と大声で怒鳴った。やはり勇ましい。

 だが、今は怒りが強くても、あとで怖さを思いだすかもしれない。いや、彼女には両親がいる。神官がいる。友達がいる。工房の女主人もいる。多くの人が支えてくれる。きっと大丈夫だ。

 騎士に送られていく娘を見つめながら、老魔術師はそう、思った。



 馬車はゆっくりと進む。貴族街は塀で囲まれており、出入り口は一箇所。中央街につながっている。

 王宮を越えて貴族街の端へ行くと、騎士が「こちらです」と告げた。


 小さな、日当たりの悪い邸だった。庭の手入れもお座なりのようで、整えられているのではなく、ただ刈られただけの草。ここに、幽閉された女がいる。

 騎士が静かに話しだした。


 彼女は子爵家の娘。といっても愛妾の子であり、中央街で育ったという。魔力が目覚めてから、子爵家に引き取られた。

 そんな彼女には当然、縁談が用意されていた。相手は伯爵家だ。だが……


「娘は魔法使いになりたかったそうです。産みの母が病気になったとき、助けてくれた魔法使いがいたとか。貴族の生活にも馴染めなかったようです」

「その娘は、魔法使いになりたくて、結婚したくなくて、魔法で人を傷つけてしまったのかの?」

 傷つけた相手は、嫁ぎ先となる伯爵家の夫人だ。彼女を怒らせれば結婚は破談になるだろう。家からも追いだされるかもしれない。そうなれば自由だ。しかし。

 伯爵夫人のケガはちょっとしたもの、ではなかった。髪を燃やされ、首や肩にも火傷を負ったという。これはもう、内々で済む話ではない。事実、娘は罪人として捕われ幽閉されている。


「そうした理由もあったかもしれませんが、正式な妻として扱う気はない、といったことを、ずいぶん悪し様に言われたようです」

 魔法使いを産むためだけの女――こんな風にでも言われたのか。


 貴族として育った女性の中には、家を誇りに思い、家に対する自らの役割を見極め、家の隆盛を図る、といった逞しい者もいる。

 だが、愛妾の子として中央街で育った娘はどうか。きっとそうは思えなかったに違いない。


「しかし、そんな具合じゃと、幽閉されて終わりじゃないかの?」

 詳しい話を聞いてみると、子爵家が危険を冒してまで、娘を助けるとは思えないのだが。

 ティンクルスが首をひねると、騎士は溜息をついた。


「火傷を負った伯爵夫人の怒りは、幽閉くらいでは収まらなかったようです」

 伯爵家には今、つながりを持ちたい家があるという。爵位は低いが羽振りの良い家だ。その家の当主は魔法使いの血縁がほしい。

 これは、魔法使いは数が少ないこともあり、うまくすれば爵位に関わらず王のそば近くで仕えることができるからだ。


「その当主というのが中年の、ひどく醜い男、なのだそうです」

「……つまり、何かの? 醜い男に嫁がせるために、庶民街の娘さんを犠牲にしてまで二人の入れ替えを」

 あまりな理由に絶句した老魔術師に、先ほどより、さらに大きな溜息をついた騎士が「愛人だそうです」と付け加える。

「その伯爵夫人とやらには、厳しい裁きを下してほしいのっ」

 王がうまく裁いてくれるだろうが、ティンクルスはぷりぷり怒った。


「では、馬車を出します」

 馬車が動きだすと、老魔術師はもう一度、寂しげな邸を眺める。


 母を助けてくれた魔法使いのようになりたい、と願った子爵家の娘。魔法使いになって妹のような子供たちを助けたい、と言った庶民街の娘。二人の何が違ったのだろう。

 だが、子爵家の娘は、人を救うべき魔法で人を傷つけてしまった。他者にはない力を悪用してしまった。過ちは繰り返すとも聞く。けれど……


 老魔術師は少女の父を思いだした。一度は王の暗殺に加担してしまったが、今は農村を巡って人々を救っている魔法使いだ。

 やり直せる者も、いる。


「のぅ……もし、もしできたらじゃが、あの娘に魔法薬を作らせてみては、どうかのぅ」

 馬車の中、陛下にお伝えいたしましょう、と言った騎士の声が、優しげに響いた。



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