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幽霊との対話

「ティンク様。ローブをどうぞ」

「うむ、すまんのぅ」

 ふんわりと、肩にかけられたローブが暖かい。ティンクルスは申し訳なさそうな顔になって、老侍従を見上げる。


「ロイクよ。先に寝てて良いからの」

 じっと見つめると、「お気遣いいただきまして、ありがとうございます」と、いつもの穏やかな笑みを返された。

 本当に寝ていてくれるだろうか……怪しい。さらに、じぃっと見つめる。

「かしこまりました。では、あまり遅いようでしたら、お言葉に甘えて先に休ませていただきます」

「うむっ」

 少し困ったような。けれど主人の心配りが嬉しかったのか、それとも若返ったティンクルスを見ているうちに、孫のように思えてきたのか。慈しむような笑みを浮かべた老侍従に、老魔術師もほんわりと笑った。


 家を出たティンクルスは、ぷるっと体を震わせた。これは思いのほか夜風が冷たかったせいであり、これから遭遇してしまうかもしれない、幽霊が怖いからではない。

「クロードよ。もし、幽霊だったらすぐに逃げようのっ」

 いや、やっぱり幽霊は怖かった。


 アーチ橋を越えて庶民街へ。大通りから外れると、弱々しい月明かりだけが夜道を照らす。ティンクルスは小さな光を出し、クロードのそばをぴたりと歩く。

 今の気持ちとしては、真昼のごとく煌々とした光を出したいくらいだが、さすがに近所迷惑だろうと遠慮している。


「ぉ……」

 暗い道を曲がると、空き地からボンヤリとした光が、かすかに漏れているのが見えた。

「ティンク。あれは人間の魔力だ」

 空き地までは少し距離がある。まだ老魔術師にはハキとはわからないが、精霊のクロードが間違うはずもない。となると、空き地にいるのは魔法使いか。いや、幽霊が魔法を使ったら、やはり人の魔力を感じるのだろうか。


 ドキドキと騒がしい音を立てる胸。ごくっと鳴ったのど。ティンクルスは魔法の光を消し、クロードの腕にしがみつきながら、そぉっとそぉっと近づいていく。

 そろっと空き地を覗いてみると、確かに、何者かがうずくまっていた。ブツブツと唱えているのは呪文らしい。が、その合間に何かを言っているような。


「……ルス……私も、ティンクルス様みたいな……」


(わしみたいな?)

 女の声のようにも聞こえるが、小さくてよくわからない。老魔術師が首をかしげたとき。

「おい、お前。そんなところで何してるんだ?」

 何の怖れも感じていない風なクロードの声が、夜の空き地にこだました。

 ちょっと驚いたティンクルスの肩が、ぴくっと跳ねる。うずくまっていた何者かが、こちらをグルッとふり向く。


「私が……ないのは、お前たち……男のせいだぁ!」


「ぬおおおおおっ!」

 ゴォッ、と襲いかかる影。

 恐慌をきたしたティンクルスは、友の腕をがっちりと、つかんで引いて逃げようとする。もちろん第一歩目でつまずき、やはり抱えられるようにして助けられた。それでも足は止まらず、宙をスカスカ蹴っている。


「ティンク、大丈夫だ、落ち着け。こいつは人間だ。見てみろ」

「ふぉっ……ふぉ?」

 クロードの声に、少しだけ落ち着きを取り戻した老魔術師は、ゆるゆるとふり返った。

 そこにいたのは、暗がりでハッキリとは見えないが、ローブを羽織った若そうな娘。彼女は何かに怒っているのか。どう見ても幽霊とは思えない勢いで、何事かをわめいている。


「こんな時間に、また外で魔法の練習かい?」

 突如、別の方向から声が聞こえた。ティンクルスは器用にも、クロードに抱えられたまま、ぴょん、と体を跳ねさせた。





 ちらちらとランプの火が揺れる。テーブルにはコップが四つ。そこから湯気が立ち上っている。

 ブスッとした十七歳くらいの娘に、苦笑いを浮かべている中年の男性。首をかしげたティンクルスと、いかにも面倒臭いといった顔のクロードが、座っていた。


 ここは空き地の隣にある、神殿の孤児院。娘はここの子供ではなく、家は近くにあるという。中年の男性は、彼女を幼い頃から知っている神官だ。

 静かな夜。老魔術師が奇声を上げ、娘が大声を出していれば、彼の耳に届くのも当然のこと。顔を出した神官は慣れた様子で娘をなだめ、「ご迷惑をかけまして」と二人を招き入れた。


「私、もう亡くなっちゃったけど、大伯母さん(祖父母の姉)から魔法を習ってたの。だから魔法は使えるのに、薬だって少しは作れるのに、女はいらないって。みんなそう言うのよ!」

 ほほぅ、と老魔術師はうなずく。

 これが先ほどの『私が……ないのは、お前たち男のせいだぁ!』につながるわけだ。

「お嬢さんが弟子入りできないのは、世の中の魔法使い、つまり男のせい、ということじゃの?」

「そうよ!」

 ダンッ、とテーブルを叩いて身を乗りだした娘に、ころっ、とティンクルスはのけ反りクロードに支えられた。


 魔法を使えるほどの魔力を持つ者。十歳を過ぎた辺りで魔力が目覚める者のことだが、この数に男女の差はないと言われている。しかし、魔法使いとして仕えるなり、街で魔法屋を営むなりして生計を立てている者、となると圧倒的に男性が多い。

 これには明確な理由がある。女性は子を産むと、魔力を失うことがあるのだ。

 せっかく育ててようやく一人前になろうかという頃、その弟子は結婚して子をもうけ、魔法が使えなくなる。師匠としてはあまり歓迎できない事態だ。

 この場合、魔力は子に引き継がれる可能性が高い。ならば魔法使いにさせるより、良い家に嫁がせたほうがいい。こう考える親も、特に貴族には多い。


「お嬢さんは全ての魔法屋で、弟子入りを断られたのかの?」

「……そうよ」

 娘の答えに、ティンクルスの首がちょっと傾いた。

 いくら何でも全員が断るのはどうだろう。魔力を失ったとしても、それまでの知識はある。何より魔法を知っている。魔法屋はこうした女性に、助手として働いてもらうと聞いたこともある。


「今、警備隊が契約してる魔法使いが村へ行ってるんじゃが、お嬢さんは警備隊舎を訪ねてみたかの?」

「行ったわよ! でも、女は要らないって……」

「む……」

 ティンクルスの首が、もっと傾いた。


 警備隊は、盗賊の捕縛と薬作りを老魔術師に頼んだ。

 予算の都合というものがある警備隊は、中央街の魔法屋にとって『上客』ではないのだろう。庶民街にいる数少ない魔法使いは、患者を診るのに忙しい。隊員は、仕事を請けてくれる魔法使いがいなくて困っていた、とも言っていた。

 こんな状況なのに、女という理由だけで断るだろうか。


「このままじゃ私、魔法使いになれないし、貴族のお嬢様になっちゃう……」

 娘の口から、大きな溜息がもれた。

 貴族が魔力のある娘を養女にし、つながりを持ちたい他家に嫁がせるのは、そう珍しいことでもない。だが。

 ここでもティンクルスは首を傾けようとして、これ以上傾かなかった。


 養女にしてから礼儀作法やら何やらを学ばせ、お披露目するまで、数年はかかるだろう。

 娘は今、十七歳くらい。これから二、三年かかったとすると、十九か二十歳はたち。これは貴族としては遅すぎる年齢だ。普通ならもっと若年の、それこそ魔力が目覚めたばかりの少女を、引き取るものではないだろうか。


「将来、食べる物に困ることもないだろうし、病気になっても魔法薬が手に入る。貴族のお嬢様になるのも、そう悪い話じゃないと思うけどね」

 ここで静かにほほ笑んだのは、神官だ。娘は盛大に言い返すかと思ったが、一度ぎゅっと口をつぐむ。

「私は、ここの子たちより恵まれてるって思うし、もし妹が貴族の子だったら……風邪で死んだりしなかったかもって、考えることもあるけど」

「だからご両親は君に、貴族の娘になってほしいんじゃないかな?」

「でもっ、だから私は魔法使いになりたいの。妹みたいな子を助けたいの!」


 おそらくその妹は、数年前、王都で流行った風邪で亡くなったのだろう。だから両親は娘を、流行り病に罹ったとしても生き延びられるであろう、貴族の養女にしたい。娘は妹のような子を助けるため、魔法使いになりたい。

 娘は昼間、食堂で働き、夜になると家で魔法の練習をしていた。だが、養女の話があってから、両親はそれを禁止した。どうしても魔法使いになりたい彼女は、こっそりと家を抜けだし、空き地に通っていたという。

 いろいろと不満が募っていたせいか、ずいぶん騒がしかったが。


(お嬢さん……)

 娘の健気さに、両親の想いに、涙もろい老魔術師の目頭が熱くなる。


「わし、ちょっと心当たりがあるんじゃが」

「ほっ、本当!? 私、ティンクルス様みたいな、みんなを助ける魔法使いになりたいの! お願い! 紹介して!」

 頼りないランプの火が揺らぐ中、黒いローブ姿の娘が、幽霊のごとくゴォッと迫った。おののいた老魔術師は、ころっと転がりクロードに助けられる。

 肩を揺さぶられ、ガクガクうなずきながらも、ティンクルスの頭には先ほどの疑問が引っかかっていた。


 魔法屋にも、人を雇うわけだから都合はあるだろう。だが、全ての魔法屋が娘の弟子入りを断ったのは、ただの偶然なのか。

 魔法使いを必要としていたはずの警備隊が、娘を断った理由は、本当に女性だからなのか。

 養女を望んでいる貴族はなぜ、もっと年若い少女ではなく、十七歳の娘に目をつけたのか。


「お前。いい加減、ティンクから離れろ。怖がってるだろ! 幽霊女!」

「なっ……あんたこそ、ティンクさんにくっついて犬みたいじゃない! この犬男!」


 ティンクルスは、どうやらクロードと娘は気が合わないようだと思ったし、友のかつての姿を言い当てるとは、この娘はなかなか鋭い、とも感心していた。



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