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老魔術師は二度目を生きる  作者: とうあい
始まりの章
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始まりの一日

「お、おぉ……」

 魔光灯まこうとうが照らす中、ティンクルスは鏡に映る顔を見て、感嘆の息をもらした。二十歳はたち前だろうか。若き日の自分がいる。ひょいっと右を向き、くりっと左を向いて、こんな顔だったかと確認する。

 今度は鏡から離れ、体を動かしてみた。腕を回せば肩コリもなく、膝を曲げても痛くない。腰もまっすぐ伸びている。体がものすごく軽い。

 浮き浮きしてきたティンクルスは、ぴょんと小さく跳ね、ヨロリとよろけ、見守っていたクロードにガシリと抱えられた。


「ティンク、飛び跳ねちゃダメだ。危ないだろ」

「お、おぉ……そうじゃった」

 実はこの老魔術師、ものすごく運動神経が鈍いのだ。これは生き返ろうと、若返ろうと、変わるものでもない。

 真剣な顔つきで首をふったクロードに、ティンクルスはここしばらく寝付いていたこともあり、すっかり忘れていたと素直にうなずく。


「叔父上、そろそろ話を始めてもいいですか?」

 丸テーブルに着いていた王が、温かいような、気の抜けたような、ぬるい笑みを浮かべていた。そばに控える筆頭魔術師も、同じような顔だ。

 ティンクルスはあせあせと、クロードは悠々と、二人はそろってテーブルへ向かった。



「叔父上、これからのことですが」

 王が切りだすと、ティンクルスは居住まいを正した。

 夜の夜中に四人が集まっているのは、生き返ってしまった老魔術師が今後どうすべきかを話し合うためだ。

「うぅむ……」

 ティンクルスは腕を組んで考える。

 まず、なぜこのようなことが起きたのか、これを調べたい。手がかりはクロードが言っていた『大精霊の力』だ。


「のぅ、クロード。あのときの力は大精霊なんじゃの?」

「ああ、それは間違いない」

 クロードがしっかりとうなずいた。


 大精霊は今から千年も前、ある日突然消えたと伝えられている。

 精霊は大精霊から生まれる。クロードはちょうどこの頃に生まれたそうだ。彼が知っているのは、大精霊の力と、突然その存在が感じられなくなったこと。同じ頃、精霊が急に減ったと、こちらは後になって、古くからいた精霊に聞いたそうだ。


「もし大精霊なら……」

 つぶやきをもらした筆頭魔術師の、表情が明るい。

 大精霊が精霊を生み、精霊は清浄な気を放つ。この気が、魔物を生みだす『澱み』を払う。

 今、魔物は少しずつ増えている。千年前、大精霊が消えたことにより、新たな精霊は生まれなくなった。それまでにいた精霊たちも、歳月を経て、徐々に減っている。これが原因だろう。

 その大精霊が現れ、再び精霊も増えたなら。筆頭魔術師はこれを期待しているようだ。


「となると、古代神殿しか心当たりがないのぅ」

 この王宮の一画には古代神殿がある。これは竜人が建てた物だ。老魔術師が解いた竜人語も、この神殿の壁に彫られている。

 そして、ここには黒水晶のようにきらめく女神像があり、この像に大精霊がいると記されてもいるのだ。

 この後、王たちと話し合い、ティンクルスは古代神殿を調べることになった。


「では、叔父上には明日、少しがんばってもらわなければなりませんね」

「ふぉ?」

 王にニッコリと笑われたティンクルスは、何のことかわからずにマヌケな声を出していた。





「ティンク様、今日はこちらをお召しになってください」

 翌朝。四十年以上も仕えてくれている老侍従が、朗らかにほほ笑んだ。老魔術師が生き返ったことが嬉しいのだろう。近頃は静かにほほ笑みつつも、ふとした拍子に沈うつな顔を見せることのあった彼が、今日は笑顔が絶えない。

 老侍従が手にしていたのは真新しい白のローブ。この国の、葬列の装いだ。


 今日は偉大なる魔術師ティンクルスが亡くなった、ことにする日。老魔術師のひつぎが霊廟に運ばれる。この葬列に混じり、ティンクルスは数十年を過ごしてきた、慣れ親しんだ塔を『脱出』する手はずになっていた。

 塔は幾人もの騎士が守っている。偉大なる魔術師の安らかな最後を祈ろうと、魔術師たちも足を運ぶ。そこを見慣れぬ青年が通れば、すぐに見咎められてしまう。

 それに、もし若かりし日のティンクルスを知る者に会ってしまったら。生き返っただの、若返っただの、そんなことが知れたら大騒ぎになる。

 というわけで、老魔術師は自身の葬列に紛れて、こっそりと抜けだすことになった。昨夜、王が「がんばれ」と言ったのはこのことだ。


(丈が長いのぅ……)

 ティンクルスは足元を見下ろし、不安そうに眉を下げた。

 老侍従が羽織らせてくれたローブは、足首まですっぽりと覆われている。これから霊廟まで歩くのに、踏んづけて転ばないかと心配なのだ。

 若返った今、足腰に不安はないものの、運動神経にも自信がない。


 ティンクルスの部屋に集まった面々、王に筆頭魔術師、老侍従や騎士たち、そしてクロードも、みなが白一色に染まっている。偽の柩もある。

 少しして、時計塔の鐘が王都に鳴りわたった。時刻は午前八時、しかし鐘は三度鳴る。一つ目は、神に魂が向うことを告げるため。二つ目は、故人が天に昇るため。最後の鐘は残った者が、故人の安らかな眠りを祈るため。


(妙な気分じゃのぅ)

 いつもより間を空けてゆっくりと鳴る鐘のに、ティンクルスは耳を傾け、首も傾けていた。

 つい胸に手を当ててしまったが、さて何を祈ればいいのやら。彼の死を悼む鐘だから、当人はピンピンしているから、祈る必要はないのだ。クロード以外の者も祈る形をとっている。はて何を祈っているのやら。


 三つ目の鐘の音が空に消えた頃、王はみなを見まわし、最後にティンクルスへと目を向けた。

「叔父上、行きましょう」

 ティンクルスは、もう来ることはないだろう、長い歳月を過ごした部屋をもう一度見わたす。

 竜人語がわからず、かじりついてうんうん唸った机。クロードといつも一緒に寝ていたベッド。転ぶといけないので、と老侍従がわざわざ丈を短く作ってくれた愛用のローブ。

「うむ」

 たくさんの思い出を胸に、ティンクルスはうなずいた。



 葬列が進む。こうべを垂れる人々は一様に沈痛な面持ちで、涙を浮かべる者もいる。フードを深く被ったティンクルスに、その姿は見えないが、嗚咽おえつが聞こえてくれば目頭は熱くなる。


(わし、生きてるから、みな泣かないでくれ!)

 一度は爺になったせいなのか、彼の涙腺はゆるい。じんわりと涙が浮かび、視界はぼやける。

「っ」

 危惧していたとおり、ティンクルスはローブの裾を踏み、転びそうになった。すぐにクロードの腕が伸びたおかげで、倒れることはなかったが。

 これで涙は引っこみ、老魔術師は歩みに集中することとなった。



 長い長い、祈りの儀が終わると、ティンクルスたちは無事、霊廟をそっと抜けだした。

 行く先は古代神殿、そのそばにひっそりと建つ魔術師用の作業場だ。以前、竜人語の解読に当たった彼が、散々入り浸っていた場所でもある。ここで寝泊りしながら、大精霊がいるという女神像を調べる。

 魔術師たちは今日から三日間、老魔術師の喪に服す。古代神殿やこの作業場には、誰も近寄らないというわけだ。

 守衛の騎士はいるが、こちらは偉大な魔術師を生むこととなった、神聖な神殿を祀るとか何とかで、この三日間は彼にゆかりのあるティンクルス付の騎士たちが回されている。


(三日か……足りるかのぅ)

 灰白色のどっしりとした古代神殿を見、ティンクルスは首をかしげた。たった三日でわかるだろうか。かといって、長引かせるためのうまい口実も思いつかない。

 やってみるしかないと、うなずいたとき。


 ――きゅるるるるるぅ


「今の、ティンクの腹の音か?」

 クロードが、ティンクルスの腹をジッと見た。

「そう、みたいじゃの」

 老魔術師も自分の腹をじっと見下ろす。

 ここ数年、すっかり食が細くなっていたので、こんなに元気よく腹の虫が鳴ったのは実に久しぶりのことだ。わし、本当に若返ったんじゃのぅ、と妙に感慨深い。

「ティンク、まず昼だ」

 ちゃんと食べなきゃダメだぞ、とクロードが続け、老侍従は嬉しげな顔になっていそいそと支度にとりかかる。


 この日、昨日まで犬だったはずなのに、ずいぶん器用に食事をとるクロードの横で、ティンクルスは何年かぶりに少し硬めのパンをかみ締め、歯の健康もかみ締めた。



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