老魔術師は誕生パーティを催す
「むぅぅん……」
居間のソファに座るティンクルスは、腕を組み、珍しくも眉間にうっすらシワを寄せ唇まで尖らせていた。
熟考している議題は、老侍従の誕生日をどのように祝うか、だ。
「ティンク、あんまり悩むとハゲるらしいぞ?」
「そうなのか?」
クロードがニヤリと笑ったものだから、思わず、老魔術師は自分の頭に手を乗せる。大丈夫だ、まだふっさりしている。
思いだしてみれば、竜人語の解読や魔術の実現にうんうん唸った一度目の生も、たくさん悩んだつもりだが髪はそれなりに残っていた。
「まあ、大丈夫じゃろ。ところでクロードも、人になったからハゲたりするのかのぅ?」
ティンクルスにまったく悪気はなかったのだが、クロードの頬が、ヒクリと震えた。
今日は光の日、老魔術師の休日だ。神殿に行かなければならないし、居間でうんうん唸っていても良い案は浮かばないだろうと、クロードと二人、家を出た。
が、頭は誕生日のことでいっぱいだ。神の前で『どのような誕生日にすれば良いのか、どうかお導きを……』と一心に祈り、見知った人々には「誕生日はどんな風に祝ってるかのぅ?」と聞きまくる。
「やはり贈物を用意して、料理と歌で祝うのが普通みたいじゃのぅ」
中央街の大通りをてくてく歩きながら、ティンクルスは考える。
実はもう、贈物は準備している。老魔術師お気に入りの、濃紺のローブに似た軽くて暖かいマントだ。店に仕立てを頼んでいるので、あとは取りに行くだけ。これから旅に出るからと、クロード用に黒のマントも頼んでしまった。
となると、あとは料理と歌か。
自分で料理を作ってみるのは良い考えだと思う。まだ簡単なスープくらいしか作れないが、元女将がいつでも教えると言ってくれたため、今もたまに習っているのだ。そのとき、老侍従の好きな物を……
「ふぉっ?」
「どうした?」
「わし、ロイクの好きな物、知らない……」
出だしから大きくつまずいた。
王宮で主従がともに食事をとることはなく、中央街に越してからも同じテーブルに着いたことのない、老魔術師と老侍従だ。知らなくても仕方ないのかもしれない。けれど四十年以上の付き合いなのに……と自分にガッカリしてしまう。
これについては元女将や、そろそろ家にやって来るであろう、老魔術師付だった騎士にも聞いてみよう。
クロードにも慰められて気を取り直したティンクルスは、次は歌かと辺りを見まわす。
誕生日の歌など、庶民ならほとんどの者が知っているだろうが、王族や貴族となるとそうでもない。
煌びやかな広間に、名のある歌い手による祝福の歌が朗々と響く。続いて美しい音楽とダンス、そして政治的な駆け引き。こんな具合なので、心温まるも簡素な歌の、入る余地はないのだ。
「みな、忙しそうじゃから、庶民街にでも行ってみるかのぅ」
ちょっとした会話ならいいだろうが、歌を教えてもらうとなると仕事の邪魔になりそうだ。
庶民街なら、自由市場の近くで、一緒に劇場にも行った少年たちが元気に遊んでいるだろう。元女将の、宿屋の隣にある広場なら、子供たちやご隠居方がいるかもしれない。
うむ、とうなずいた老魔術師はアーチ橋に向かって、てくてくてくてく歩きだした。
「ティンク! クロード!」
自由市場を通り抜けようとしたティンクルスは、大きな声にふり向いた。いや、見なくとも誰かはわかっている。おっちょこちょいな隊員だ。今日は紺色の、そろいの隊服を着ていない。
「隊員さん、今日は休みかの?」
「ああ、俺の神様は、拳闘の神バルライトスだからな!」
グッと振り上げた大きな拳と逞しい体を見て、老魔術師はものすごく納得した。
ちなみに、彼が一番に信仰しているのは太陽の神だ。他家に出でもしない限り、王族はみな、この神に祈りを捧げている。
「ということは、今日は時間があるのかの? 誕生日で歌うとかいう、歌を教えてほしいんじゃが」
「お前……歌ってもらったことないのか?」
おっちょこちょいな隊員の、声が曇り、眉毛が思いっきり下がる。何か誤解をしているような。
確かに歌ってもらったことはない。けれど。
幼い頃は老いた侍従――クロードが、ささやかな贈物とともに誕生日を祝ってくれた。
魔力が現れてからは、盛大なパーティが開かれるようになった。慣れない場では犬のクロードが寄り添ってくれ、疲れて部屋に戻ると老侍従のロイクが労ってくれた。二人して「おめでとう」と言ってくれた。
王に筆頭魔術師、騎士たちも、口々に祝いの言葉を述べてくれた。だから十分、幸せだったのだが。
「よし! 任せろ! 俺がいっぱい歌ってやる!」
気合の入った隊員の、大きな大きな歌声は、ティンクルスがすっかり覚えてしまっても、なお自由市場に鳴り響いていた。
*
「クロードよ。しっかり見張っててくれっ」
「ああ、わかってる」
頬をゆるめたクロードが、台所の入口に立つ。クスクス笑う元女将が、食材やらを用意する。きりりと眉を上げたティンクルスは、さて、と袖をまくって手を洗い始めた。
今日はついに老侍従の誕生日。老魔術師としては、こっそり準備を終わらせて驚かせたいのだ。
作る物も決めてある。今のところ唯一作れる野菜たっぷりのスープと、あとは肉料理だ。
『ロイクさんは意外と肉が好きみたいですねぇ』
『侍従長は……私の印象では、よく肉を食べていたと思います』
元女将と、家を訪れてくれた騎士からこう聞いたとき、近年すっかり食の細くなっていた老魔術師は、ロイク、若いのぅ、とちょっと驚き感心したりもした。
そして、クッキーだ。
これは幼い頃、老いた侍従――クロードがくれた、誕生日のささやかな贈物。彼の家に仕えている者が作ったとかで、孫である老侍従のロイクも食べていただろうから、きっと好きなはず。
「じゃあ、まずはクッキーから作りましょうか」
「シーッ! 女将さん、ロイクに聞こえてしまうっ」
焦るティンクルスを見て、また、元女将がクスクス笑う。クロードも笑いながらこちらを向く。
「大丈夫だ。ロイクももう爺さんだからな。耳も遠くなって」
「私が何か?」
「ふぉぉぉっ!」
クロードの肩から、ぬっと老侍従の顔が現れた。慌てふためいた老魔術師は、思いっきり奇声を発したにも関わらず、元女将の背中に隠れていた。
「よし! 準備万端じゃのっ」
窓の外が薄暗く、そろそろ魔光灯を点けようかという頃。テーブルの上には温かな料理が四人分、整っている。ティンクルスとクロードと老侍従、それに元女将の分だ。彼女も今日は一緒に祝ってくれる。
贈物も用意した。マントの包みとクッキーを入れた小箱だ。
「じゃあ、ロイクさんを呼んできますね」
「うむっ」
老侍従と出会ってから四十年以上。もちろん、祝いの言葉くらいはかけていたものの、誕生パーティはこれが初めてのこと。
だいぶ気合の入った老魔術師は、ピンと背筋を伸ばして立ち、歌に備えて「あ、あー」と声を確認する。
――ガチャリ
老侍従の姿が見えると、すぅ、と息を吸い、ティンクルスは歌いだした。
王宮で歌われる祝福の歌が、神に祝福されたすばらしい方だと讃える歌なら、誕生日の歌は、生まれてくれてありがとうと感謝する歌だ。
老魔術師にとって、老いた侍従――クロードが祖父であり親でもあるなら、守護精霊のクロードは初めての友、老侍従のロイクはしっかり者の弟だ。
そばにいてくれて、ありがとう。感謝の気持ちをこめて精一杯、歌った。相変わらず、音は外れているが。
「ティンク、様……」
「ロイク。誕生日、おめでとう」
目を潤ませた老侍従に、ティンクルスはほんわりと笑う。
「これ、女将さんに手伝ってもらって、わしが作ったんじゃ。さ、一緒に食べよう」
ティンクルスはこの日、やっと、初めて、老侍従と同じテーブルを囲むことができた。




