若夫婦とお金のゆくえ
家を出たティンクルスは、一軒の店の前に立っていた。ここは優しげな隊員への贈物として、魔光灯を買ったところだ。
「まさかあの若夫婦が、ここの息子さん夫婦じゃったとはのぅ」
お金を盗まれた若夫婦は、この店の次男とその妻なのだそうだ。ではなぜ、中央街に自宅があるのに、庶民街の宿屋に泊まっていたのか。
王都に近い街の一つに――といっても間にはいくつもの農村があり、馬車で何日かを要する、アンガンシアがある。この街は鉱山都市とも呼ばれている。
老魔術師が魔術を成功させ、魔道具が普及し始めたことで魔石の消費も増えた。これに伴って発展してきた街だ。
若夫婦はこのアンガンシアに出した支店を、任されているそうだ。彼ら曰く、久しぶりの王都を夫婦水入らずで過ごし、それから実家に顔を出す予定だとか。
(普通なら、先にご家族に挨拶するじゃろうのぅ……)
ティンクルスは首を傾けつつ、アーチ型の入口をくぐった。
「いらっしゃいませ」
老魔術師のことを覚えていたらしい。壮年の男性がニコリと笑って出迎えた。彼はこの店の長男だそうだ。
「わし、いずれはアンガンシアへ行くつもりなんじゃが、この店の支店があると聞いてのぅ。そのときはぜひ、立ち寄らせてもらおうと思うんじゃ」
「それはありがとうございます。その店は弟夫婦がやっておりまして」
ここで長男は両手をギュッと合わせ、身を乗りだし気味にして、ちょうど今日辺り弟夫婦が王都に来るはずだから、時間があれば挨拶をさせたいと続ける。
(……やはり、若夫婦がもう王都に来てることを知らないんじゃの)
この長男は、ずいぶん弟を可愛がっているようでもある。年が離れているせいだろうか。
元女将に聞いたところ、この店の次男は遅くに出来た子で、幼い頃は病弱でもあったため、両親はたいそう大事に育てた。街の噂になるほどの可愛がりようだったそうだ。
つまり、甘やかされてもいた、ということではないか。
「弟さんはお若いそうじゃが、もう一人で店を持つなんて偉いのぅ」
こう言って褒めてみると、長男は嬉しげに笑った。
アンガンシアの店は、弟自ら、ぜひやってみたいと言ったそうだ。家族は心配だったのだろう、これに反対した。しかし弟はあきらめず、親から借りた金を一年で返せなければ王都に戻ってくる、とも豪語したので渋々ながらも認めたという。
「ほぅ。じゃあ、今回王都に来るのは、そのお金を返すためかの?」
「ええ。一年で本当に稼いだんですよ!」
落ち着いた男性だと思っていたが、弟のこととなると別なのか。長男はいっそう破顔する。
ここでティンクルスは、クロードや王がたまに見せるニヤリとした笑みを思いだし、わざと意地の悪そうな顔を作ってみた。とはいえ、どこまでも穏やかでのんびりとした顔だ。にこっと笑った風にしか見えなかったが。
「じゃが、稼いだと言っても、十アンサルスも貯まったわけでもないんじゃろ?」
「いえいえ、弟は十アンサルスと五十クレインスも稼いだんです!」
勢いこんだ長男を横目に、ティンクルスとクロードはちらりと目を合わせた。
『あの若夫婦、外の人間が犯人だろうってことになったら、ホッとしたような顔をしたんです。普通なら、なおさら盗まれたお金は返ってこないと思って、ガッカリするはずですよ』
これが先ほど、元女将から聞いた言葉だ。
今回の盗難騒ぎ。老魔術師は、外から何者かが忍びこんだとは思えない。けれどクロードの感じでは、みなにそれほどの動揺はなく、中の者も犯人ではなさそうだ、という奇妙な状況だった。
だが、どちらも正しいとしたら……残るは一つ。
おそらく、こういうことなのだ。
可愛がられて大事に大切に育てられてきた弟は、一人前の男として認められたかったのか、支店を任せてほしいと名乗り出た。
ところが、一年で親から借りたお金を稼ぐことはできなかった。
いや、アンガンシアから王都までは、魔物に遭うかもしれない道中だ。護衛を雇ったりしたはずだから、それなりの稼ぎはあるのだろう。だからこそ、もっと店を続けてみたい。けれどお金を返すほどの余裕はない。このままでは王都に戻されてしまう。
そこで、思いついてしまったのだろう。
庶民街で宿を借り、お金を盗まれたことにする。そうすれば約束の金額は稼いだことになり、しかし、それは盗まれてしまったので今は返せない、と言える。
つまり――十アンサルスと五十クレインスというお金は、最初から無かったのだ。
若夫婦が家族に会う前に、その家族にも知らせず宿屋に泊まったのは、この騒ぎを起こすためだ。可愛い弟が帰ってきたと知ったら、家族はすぐ家に来いと言っただろう。
宿でお金を探した際、クロードは若夫婦から不安や怯えといった心を感じ取っていた。これはお金を盗まれたからではなく、嘘がバレるのを恐れたため。
このとき、盗まれたことへの怒りや悔しさはないのだろうか、と老魔術師は首をひねった。が、そもそも盗まれていないのだから、そんな気持ちが湧くはずもない。
*
「どうしようかのぅ……」
店を出た老魔術師は、大通りを庶民街に向かって歩く。その眉はへなっと下がっている。クロードを見上げると、彼は不思議そうな顔で首をかしげた。
「若夫婦を警備隊に突きだせば良いんだろ?」
「そう、なんじゃが、のぅ……」
犯人に間違えられた猟師親子をかばったり、外から忍びこんだ、誰ともわからない者が犯人となったらホッとしたり。若夫婦は悪い人間ではなさそうだ。だが、盗難騒ぎを起こしもした。
結局のところ、弟は甘えているのではないかと老魔術師は思う。本人のためを思えば、ここはガツンと叱ってやるべきだろう。本来なら、家族に任せるべきでもあるのだろう、が。
(あの様子じゃあのぅ……)
長男が甘いなら、両親はきっともっと甘いはず。あまり期待できない。
やはり、ここは爺の出番か。ティンクルスはピタリと足を止めると、ぐっと眉の辺りに力を入れてみた。
「クロードよ。わしの顔、ちょっとは迫力あるかの?」
「……や、まぁ」
ダメだったらしい。かくっ、と老魔術師の肩が下がる。元々滅多に怒ることもなく、怒ったとしても迫力のない、穏やかでのんびりとした顔なのだ。ガツンとするには相応しくないかもしれない。
ならば精悍な若者になったクロードに頼む……今、かすかだが、眉間にシワが寄った。やりたくなさそうだ。となると、おっちょこちょいな隊員の大声で叱ってもらうか。迫力は十分にある。
考えてみれば、今回の騒ぎは本当の盗難ではないのだから、罪に問われることもないはずだ。警備隊舎に行き、もし落ち着いた感じの隊員がいたら、彼に頼んでみるのも良いかもしれない。うまく叱ってくれそうな気もする。
いや、しかし。まずは人に頼らず、自分の力でやってみるべきか。むぅ、と老魔術師が唸ったとき。
「失礼いたします。私は先ほどの店の者ですが、お客様方のお話が聞こえまして」
声をかけてきたのは、ティンクルスよりよほどキリリとした女性だった。
「ねっ、義姉さん、ごめんなさい!」
「申し訳っ、ありません……」
「謝って済むことじゃありません! あなた方は人を騙したんです。商人として、しちゃいけないことをしたんですよ!」
宿屋の二階にある一室から、若夫婦と女性の声が聞こえてくる。この女性は長男の妻であり、いとこでもあるそうだ。家族で唯一、叱ることのできる人物でもあるらしい。
老魔術師はドアの外で耳をそばだてながら、なかなかの声量だと、妙なところで感心する。
長男の妻は、街でとある噂を聞いたと言った。十アンサルスと五十クレインスが盗まれたという話だ。これは弟が借りた金額と同じ。しかも盗まれた客というのが、まだ王都に来ていないはずの弟夫婦らしい。
そこへティンクルスたちの登場だ。彼の家には盗難騒ぎのあった宿屋の、元女将が通っている。
『すぐにピンと来ました』
大通りで話した際、長男の妻は力強くうなずいた。
「でっ、でも、義姉さん。アンガンシアの店は少しだけど、ちゃんと儲かってるんだ。だからもう少しだけ」
「そんなこと、わかってます! 甘い甘いお父様とお母様のいる王都に、あなたを置いたりはしません」
「え? じゃあ……」
「あなたはまず、今回のことをみなさんに謝って、お父様たちにも話すんです。自分が何をしたいのかも、ちゃんと伝えなさい。それから私と一緒にアンガンシアへ行くんです! しっかり監督しますからね!」
「……わし、出番ないみたいじゃの」
ドアの外にいるにも関わらず、長男の妻に気圧された老魔術師は、すごすごと部屋を離れた。
だが、この若夫婦も、彼女がいればもっとしっかりするかもしれない。いつかアンガンシアを訪れたとき、店に寄ってみても良いかもしれない。
また一つ、旅の楽しみが増えた。ティンクルスの頬がゆるむ。
「お、猟師さん、もう発つのかの?」
一階へ降りていくと、旅支度を整えた猟師親子と会った。
「ああ、もう持ってきた物は全部、売れたからな。旅に出たら必ず寄れよ」
「なあ、ティンクって魔法使いだよな? クロードも護衛なら戦えるんだろ? じゃあ村に来たら狩り、一緒に行こうぜ!」
父がニカッと笑えば、息子も似た笑顔で肩を叩いてくる。
「や、わし、魔物討伐はずいぶん昔にやったきりなんじゃが」
「昔って、ティンク、お前まだ二十歳にもなってないだろ? 何歳のときの話だ?」
「ぬぉっ」
老魔術師は、思いっきり詰まった。




