王と父の決着
「ここじゃ……」
細い路地の突き当たり。少々古びた家の前に立ったティンクルスは、重苦しい胸にそっと手を当てた。
「では、叔父上は外で待っていてください」
薄く笑った王がうなずく。騎士が戸を叩く。老魔術師はただ、見ていることしかできない。
「ティンク、大丈夫だ。こいつ、恰好つけたいだけだ」
「ふぉ?」
「クロード殿、どうして言うんですか……」
王をジロリと睨んだクロード。はぁ、と溜息をついた王。ティンクルスの口は丸く開いている。
もしかして、端から少女の父を捕まえるつもりなど、なかったのだろうか。また、ちょっとからかわれただけ、かも。老魔術師が首をかしげたとき。
――ドンッ
「ふぉっ!?」
何度目かのノックで戸が開いた途端、騎士が押し入り、父を組み伏せると腕をひねり上げた。
「おっ、やっ……」
「ティンク、大丈夫だ……たぶん」
クロードの声が低い。慌てふためくティンクルスを尻目に、王は踏みこむ。
「私が誰か、わかるか?」
こちらに背を向けた王の表情はわからない。が、その声は冷え冷えとしていた。おそらく彼の目も、老魔術師には一度として向けられたことがないほどに、冷たいものなのだろう。
ティンクルスののどが、ごくりと音を立てる。
騎士に腕を取られ、呻きをもらしていた父が顔を上げて、しばし。片方の目が大きく見開かれ、唇は震える。
「へい、か……」
「戴冠式でのこと、そして今回のこと。お前の知っていることを全て話せ」
低い、冷たいままの声が響くと、父の体は一度だけ大きく跳ねた。それから、これまで胸に溜めこんでいたものを吐きだすように、重く、長い、吐息をもらした。
十五年ほど前。魔物討伐に失敗し、家を追われた青年魔法使いは、ただ金のためだけに毒薬を作った。最初は何も知らなかったという。あとになってから王に使ったと教えられ、恐ろしくなり、身を潜めるようにして暮らしていた王都を逃げだしたそうだ。
青年魔法使いは、確かに野心もあっただろう。けれど王に仕え、国に貢献したいという忠誠の心も持っていたはず。それなのに、その仕えるべき王の暗殺に加わってしまった。
彼はどんな気持ちだったのか。途中、何度も詰まった父の声を聞きながら、ティンクルスの心はまた、苦しくなる。
今回のことは、娘がどうなってもいいのか、と脅されたために協力したそうだ。
家に見放され、王都を離れて旅をしてきた父にとっては唯一の大切な家族。従うしかなかったのだろう。
二つの件に関わっていた貴族、その企み、用意した毒薬など。話し終えた父は最後に、「どうか、どうか娘だけは……」と声を絞りだすようにして、このことだけを願った。
シン、と静まった家。父を見下ろす王の顔は、老魔術師からは窺えない。
自分を殺そうとした男を、この甥はどんな思いで見ているのだろう。心を感じ取ることのできるクロードは、「大丈夫だ……たぶん」と付け加えた。きっと今、複雑な思いが、王の心に渦巻いているのだ。
自ら望んだわけでもなく、それでも命をかけてこの国を背負ってきた王に、父を見逃してくれとは、ティンクルスには言えない。
じんわりとにじむ涙を堪えながら、ただ、その背中を見守るのみ。
「許す」
一言を残し、王は家を出た。
「おぉ、おぉ……偉いのぅ、がんばったのぅ」
「お、叔父上。そんなに泣かなくても」
ティンクルスはがまんしていた涙をボロボロとこぼし、鼻をぐずぐず啜っている。一度爺になったせいか、涙腺が弱いのだ。いや、これは昔からかもしれない。
「叔父上のおかげで、今日はなかなか良い情報を得られました」
老魔術師に涙ながらに褒められ、嬉しそうでもあり照れているようでもあった王が、今度は、これからやりやすくなりそうだと言ってニヤリと笑った。
全てを罰するのではなく、利用できるものは残し、使うということだろう。逞しくなったものだと、ティンクルスはほほ笑む。
「では、やることも終わりましたし、叔父上、今日は街で遊びましょう」
「ふぉ?」
「お前、時間がなかったんじゃないのか?」
「ええ。叔父上と遊ばなければなりませんからね」
クロードがハァと溜息をつくと、「王にもこれくらいの息抜きはあっていいでしょう?」と、王は楽しげな声を上げる。
ティンクルスはしばらく、王宮に残されハラハラしているであろう筆頭魔術師を思い、叱るべきかどうかを真剣に悩んでいた。
*
「わし、今日はあのお嬢さんと、庶民街の劇場に行くからの」
今日も元気に朝食をとり終えたティンクルスが、老侍従に顔を向けた。そこへ、紅茶を持った元女将がやって来る。
「あら、ティンクさん。デートですか?」
「ふぉ?」
「ティ、ティンク様……ど、どちらのお嬢様でございますか?」
「ふぉっ?」
にこにこ笑った元女将と、なぜだか慌てた老侍従に、こちらも焦ったティンクルスが違うのだと首をふる。
まだ十二歳にもならない少女だと言うと、元女将はそれは残念だと苦笑いをこぼし、老侍従のほうは「ですが十二ならもう婚約くらいは……」などとブツブツつぶやいていた。
どうやら彼は、若返った老魔術師を毎日見ているうちに、本当の若者のように感じ始めているのかもしれない。
老魔術師からしてみれば、少女は孫のようなもの。体が軽くなったためか、気持ちも明るくなったと感じるものの、爺という自覚も残っている。
今日は光の日。ティンクルスは神殿に寄って祈りを捧げ、それから庶民街を目指した。大通りを折れて自由市場へ、ここも越えると劇場がある。
この劇場は、王がこっそりと王宮を抜けだした日、彼に教えてもらった場所だ。中央街にあるものとは違い、それなりに値も安く、話もわかりやすく、誰でも気軽に入れる場所だそうだ。
王とともに入ってみようと近寄ると、ちょうど入口に、少女と少年たちがいた。すっかり仲良くなったらしい。
『今、勇者レイガスと囚われの姫っていうお話をやってるんです』
『レイガスが魔物をたっくさんやっつけるんだ! お姫様も助けるんだぞ!』
『レイガスって王様のことなんでしょ? じゃあ、お姫様はお后様かな?』
『王様にはたくさんお嫁さんがいるぞ』
『えー、やだぁ』
純粋な子供たちの言葉に、王はいろいろと思うところがあったらしい。この日の観劇は見送られることとなった。
ただ、興味深そうな顔で劇場を覗きこむ子供たちを見て、次の光の日、ティンクルスと一緒に行くようにと、お小遣いをくれたのだ。
「あ、ティンクさんたちだ」
にっこりと笑った少女が大きく手をふる。少年たちは早く劇場に入りたいのだろう、手招きをしている。
「お、今行く、っ」
老魔術師は相変わらずつまずき、クロードに助けられ、急がなくていいと首をふられ、それでも彼なりの早足で劇場へ向かった。
劇は、話は単純だが、だからこそ引きこまれた。王宮で上演されるのは、歴代の王を讃える話や難解な神話ばかり。それはそれで良いのだが、いささか面白味がない。老魔術師は子供たちと一緒になって目を輝かせた。
レイガスが魔物と戦う場面は、実際の魔物討伐とは全く違う。けれど動きが派手で華々しい。口をまん丸にして勇者を目で追いかけ、絶対に真似できないと感心した。
市場で魔法の炎を見ていた少年たちは、劇場の魔物は迫力がないと文句を言い、ちょっと申し訳なく思った。
そして最後はレイガスが姫を助け、熱い抱擁……子供たちの話を聞いていたせいか、王と后を思いだしてしまい、なぜだろう、老魔術師はそっと目を反らした。
「あー、おもしろかった。今日はありがとうございました」
「いやいや。お礼は陛……叔父に伝えておくのぅ」
楽しげに笑う少女に、ティンクルスは詰まりながらうなずく。
王が街に来た際、老魔術師は甥、王が叔父、という設定だったのだ。このとき、彼は話しかけるたびに何度も口ごもったが、王はとても楽しそうだった。
「ところで、お父上はまた旅に出るのかの?」
「はい。王都でやることは全部終わったって。また村を回るんだって」
少女の唇が少し尖った。年若い娘には、さまざまなものがある王都のほうが楽しいのだろう。
「でも、旅も楽しいし。でも……父さん、最初は嫌がってたみたいなのに、王都も楽しかったって。またいつか来ようって、笑ってました」
「そう、か……良かったのぅ」
王に許されたことで、父の心は多少なりとも晴れたのかもしれない。少女と父の旅は続く。老魔術師もいつかは旅立つ。いずれどこかで会うことも、もしかするとあるかもしれない。
そんな未来を思い巡らし、ティンクルスはほんわりと笑った。




