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父の過去

『私は今度の魔物討伐に参加いたします。ですから、しばらくティンクルス様の講義を休ませていただきます』

 魔法院に通う青年魔法使いは、偉大なる魔術師を、両の目でしっかりと捉えた。若々しい、意欲に満ちた強い目だ。若いからこそ、未来への欲を孕んだ危うい目だ。

『……今、無理をしなくても、魔物討伐は魔法院で学び終えてからでも、いいんじゃないかのぅ』

 ティンクルスの言葉に、しかし青年は首をふる。すでに参加すると、名乗りを挙げたとも言った。


 彼はいずれ王に仕え、この国に貢献したいという夢を持っているようだ。だが、家の爵位はそれほど高くない。だからこそ討伐に参加し、魔法使いとしての地位を上げたいのだろう。

 かつては魔法使いも動員された魔物討伐。が、ティンクルスが魔術を確立し、魔術武器が兵士に行き渡ってから、その機会はずいぶん減った。

 喜ぶ魔法使いは多かった。しかし一方で、戦闘を得意としていた魔法使いの活躍の場が減り、若き魔法使いが名を上げる機会も減ってしまった。

 だからこそ、彼はこの機会を逃したくないのだろう。


(難しい、もんじゃのぅ……)

 偉大なる魔術師の返事を待つことなく、去っていく青年の後ろ姿を眺めながら、ほぅ、と溜息がもれる。膝に置いていた手に鼻先を擦りつけてきたクロードを見て、ティンクルスは少し悲しげに笑った。


 その後、青年の姿を魔法院で見ることはなかった。

 参加した魔物討伐で大火傷を負ったという。それは顔の半分を覆うほどの、ひどいものだったそうだ。

 周りの者は青年の容姿を嫌悪した。彼を実力のない魔法使いと見た。実家にも見限られ、やがて青年は王都からも消えた。

 これらを知ったとき、ティンクルスの胸は苦しくなった。


 これが十五年ほど前のこと。それから少しして、ティンクルスは思わぬ場所で青年と、いや、青年の魔力と出会うことになった。それが『あのとき』――



「それでね。この人が助けてくれたの。父さんの薬もいい物だって! そしたら行商人のおじさんが、全部買ってくれたんだよ」

 朗らかな少女の声が耳に届き、昔を思い起こしていた老魔術師はハッと我に返った。


「魔法使い、ですか。それは、ありがとうございました」

 あまり人と関わりたくないのか、それともティンクルスを貴族だとでも思ったのか。父は少々戸惑った様子だ。開いている片方の目に、若かりし頃の強さはない。しかし少女に向けられる優しさがあった。

 姿を消してからの、青年のこれまでに思いを馳せながら、ティンクルスはじぃっと父を見る。


「この顔、驚かせてしまいましたか?」

「あ、いやっ、そうじゃないんじゃ! その、ティンクぅ……じゃ、です」

「……ティンクー、さん?」

 老魔術師は焦ったせいか、ちょっとマヌケな挨拶をしてしまった。

 『ティンクルス』は王族特有の名であり、偉大なる魔術師の名だ。これを名乗ることはできないので、王宮を出てからはティンクで通している。けれどまだ、慣れていないのだ。

 それにもし、もし顔と爺言葉から正体がバレてしまったら。首をかしげた父に見つめられ、老魔術師の心臓はドキドキうるさい。若返っていなければ、止まっていたかもしれない。


「父さん、違うよ。ティンクさんだよ。ティンクさんってお爺ちゃんみたいにしゃべるの。おもしろいでしょ」

「こら、失礼だろう」

 少女の朗らかな笑いと、困った風な、けれど娘の頭をなでながら慈しむ父の姿を見て、ティンクルスはホゥッと胸を撫で下ろした。


 考えてみれば、人が若返ったなど、そうそう思いつくことでもないのかもしれない。ここは王宮でもないし、老魔術師のそばにいた黒い犬も、人の姿に変わっている。ティンクルスと偉大なる魔術師を結びつけるものは、ほとんどないのだ。

 もしかすると、大精霊が老魔術師を若返らせ、守護精霊を人にしたのは、こうした配慮もあったからだろうか。

(うむ、ありがたいことじゃ)

「勝手に生き返らせて頼み事までしたんだ。それくらい当然だな」

 クロードがボソリとつぶやく。

 人から見れば大精霊は精霊の母だと思うのだが、案外この息子は、母に厳しいようだった。





 ティンクルスは中央街の自宅に戻ると、小さな裏庭で薬作りに勤しんでいた。いや、正しくはポツンと立って見学させられていた。

 石で組んだかまどの上で、魔法で出した水が煮立ち、中で葉が踊っている。

「ティンク、もういいか?」

「おお、わしが」

 老魔術師が言い終える前に、クロードがもうもうと湯気の立つ鍋をザルに空け、湯がいた葉を取りだした。そのザルを老侍従が持ち上げて、ザッと湯を切る。

 今度はこれを板に移し、一枚一枚、棒を使って広げていく作業だ。


「……わしもやる」

「まだ熱いから、もうちょっと離れてろ」

「……や、わしも」

「ですが、火傷でもしては大変でございますから」

「あのねぇ。あなた方、こういうことはちゃんと本人にもさせないと。いざというときに困るでしょう」


 様子を見に来たのだろう。溜息をついた元女将が、自分の仕事をしろと言って老侍従を連れ去る。ブスッとしたクロードの横で、ティンクルスは嬉しげな顔になって葉を広げ始めた。


「クロードよ。あの青年、いや、あのお父上、どんな感じじゃったかのぅ?」

「嫌な気は感じなかった。でも、自分を責めてるとか、後ろめたいとか、スッキリしない感じだったな。まあ、昔あんなことしたんだ。当然だろうけどな」

「むぅ……」

「よし、全部広げたぞ」

「ぉ……」

 ティンクルスは胸元で合わせた手から、炎になる前の赤い揺らめきを出し、板に広げた葉に当てていく。なかなか加減の難しい、細やかな作業だ。おおよそ魔法は、戦闘ならば威力が求められ、医療は加減が大切だ。

 けれど老魔術師の目は、板に広がる葉ではなく、過去を遡るように遠くへと向けられていた。


 ――十五年近く、前か。


『レイヴンス、それは毒じゃ!』

 全ての神々の像が、一堂に会する大神殿に、偉大なる魔術師の声が響く。聖泉の湧きだす聖堂で、ただ一人、杯に口をつけようとしていた新たなる王、レイヴンスの手がピタリと止まった。

 何者かが王に向かって突き進む。

『陛下をお守りしろ!』

 怒声と剣を抜く音。駆ける騎士たちの姿。

 ティンクルスは、王に迫る刃に向けて、強い、強い、風を放った――


「ティンク、葉っぱが飛ぶぞ!」

「ふぉっ!?」

 いつの間にか、目の前にあったはずの赤い揺らめきは白く渦巻き、板に広げられた葉は、風に乗って庭に撒き散らされることとなった。

 いくら偉大なる魔術師であっても、他のことに気を取られていては、うまくいくはずもない。

「わし……」

 老魔術師は何十年かぶりの失敗に、しょんぼりと肩を落とした。



「陛下の戴冠たいかん式で、杯に塗ってあった毒を作った魔法使いが、王都に現れたのでございますね?」

「うむ、そうなんじゃ」

 居間のソファに腰を落ち着けたティンクルスは、これまでのことを老侍従に話していた。ちなみに、魔法薬は残念ながら作り直しである。


 兄王が亡くなり、現在の王が即位したのは十五年近く前。毒を作った魔法使い、つまり少女の父が、魔物討伐で大火傷を負って姿を消したのは、この少し前。

 父は自暴自棄になり、王の暗殺に手を貸したのか。それとも、生活に困窮し、金のために毒薬を作ったのか。

 だが、きっと彼は、このことを後悔しているのだ。だから村を回り、人々に治療を施しているのではないか。娘の年齢を考えれば、生まれたのは暗殺未遂のあとのこと。すでに母はいないそうだが、この女性との出会いも大きかったのかもしれない。


 そして今回、農村の被害状況を確認しに行った貴族がこのことを知っており、父を脅して良からぬ相談を持ちかけた、となるのでは。

 十五年前、王の暗殺を企てた首謀者は捕まっている。が、取りこぼしがあったということだ。事実、毒を作った少女の父も逃れている。

 兄王から甥のレイヴンスに王位が移って十五年、状況は昔とは違う。『良からぬ相談』も王の暗殺ではなく、別の企みかもしれない。

 そう、昔のことより、これから起きることのほうが重要なのだ。


「じゃからの、この手紙を陛下か筆頭魔術師に届けてほしいんじゃ。わし、もう王宮に入れないしのぅ」

 この家には、ティンクルス付だった騎士が定期的に訪れることになっている。暮らし向きのこともあるし、王と筆頭魔術師は、街で過ごす老魔術師が心配なのだろう。

 だが、それを待っていて何かあってからでは遅いのだ。

「かしこまりました」

 ティンクルスが差しだした手紙を、老侍従はうやうやしく受け取った。



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