自由市場と少女
「トゥキ草にパナの根、あとシニルの皮ももらおうかの?」
「えーと、全部で三クレインスと十シディンスです」
今朝採ったばかりなのだろう瑞々しい葉、それに紫がかった木の根と黒ずんだ樹皮――全て薬の材料だ、を布袋に入れてもらう。
それをクロードが受け取り、ティンクルスは腰の小さな革袋を取りだして、もたもたとお金を払う。
「ありがとうございました!」
「うむ。ありがとうのぅ」
ニコリと笑った老魔術師は、さて久しぶりに魔法薬を作るかのぅ、と活気溢れる自由市場を歩きだした。
実は昨日のこと。めでたく結婚の決まった優しげな顔の隊員が、彼らの家を訪れていた。
『これ、ティンクが探してる魔宝玉じゃないかな?』
隊員が差しだしたのは鈍い銀色のペンダント。そこには黒くきらめく魔宝玉がぶら下がっている。そして感じた強い魔力、精霊が囚われている玉だ。
聞いてみると、これは老魔術師も協力して捕まえた、盗賊たちの家から見つかったそうだ。がんばった甲斐があったとティンクルスは喜ぶ。
『それでね、実はこっちもお願いがあって』
大精霊が囚われた千年前からだろう、魔物は少しずつ増えている。王都に害はないものの、周辺の農村には魔物が現れることもあり、魔術武器を持った兵士が守っている状況だ。
その彼らが、魔物の群れと戦ってケガ人を多く出したという。
『それで警備隊が契約してた魔法使いが、腕がいいからって、そっちに取られちゃったんだよ。このままだと隊の魔法薬が足りなくなりそうで』
だから売ってくれないか。正当な取引なのに、優しげな隊員はなんだか申し訳なさそうに頭を下げた。
というわけで、ティンクルスは元々作ってみようと考えていたこともあり、二つ返事で引き受けた。
ちなみに、ペンダントの精霊は無事に解放し、すると精霊は喜び勇んで飛び去った。やはり話は何も聞けず……まあ、彼らは自由なのだ。
「ティンク。あれ、見てみろ」
歩みを止めたクロードが指した先には、十一、二歳くらいだろうか、少女が地べたに座っていた。敷いた布の上には、売物だろう小瓶が並んでいる。
そして、木の板に『偉大なる魔術師ティンクルス様の弟子』という子供らしい文字。
「わし、あんな娘さん見たことない……」
ティンクルスの口が、ポカンと開いた。
多くの魔法使いを教え、導いた老魔術師ではあるが、弟子として認めているのはただ一人、筆頭魔術師だけだ。これは、彼が「お前など弟子として認められるか!」などと言ったはずもなく、政治的な理由による。
ティンクルスは父、兄、甥が王となった、極めて王権に近い王族だ。初めて魔術を成功させた魔法使いであり、国に貢献した偉大なる魔術師でもある。このご大層な身分と権威のために、下手な者に弟子を名乗らせ力を与えるわけにはいかない、ということだ。
つまり筆頭魔術師は、優秀で、王への忠誠も固く、王にとっても都合の良い家の出。さらには守護精霊のクロードにも気に入られ、老魔術師のそばに寄ることのできた、大変貴重な愛弟子だったりする。
ティンクルスは口を半開きにしつつ、少女のほうへ向かう。
売っているのは魔法薬だろうか。彼女の年齢を考えれば、まだ作れるとは思えない。となると『弟子』は少女の家族か知人。老魔術師が教えたうちの一人かもしれない。
が、弟子と名乗るのはおかしい。それはつまり、筆頭魔術師の名を騙るのと同義だからだ。
「あの……お嬢さん。これは魔法薬かの?」
「あ、はい! 父さんが作りました!」
パッと顔を上げた少女の瞳が輝いた。
布の上に整然と並べられた魔法薬は、減っていないようだ。売っているのは自由市場、そして大人でもない少女。以前クロードが言ったように、偽物だと思われ、人が寄りつかないのかもしれない。
少女もちっとも薬が売れないことに焦り、だからこんな看板を用意したのか。
(じゃが、この娘さんが嘘を吐いてるようには見えないのぅ……)
ティンクルスはひょいとクロードを見上げた。すると小さく首をふられる。少女から、悪意ややましい気持ちのようなものは感じないということだ。
魔法薬を一つ受け取り、ふたを開けてみる。草木に含まれている魔力は十分に高められており、色や臭いも問題ない。なかなか上等な薬だと思う。
ふむ、と老魔術師がうなずいたとき。
「ティンク、薬に残ってる人間の魔力……これを作ったのは、あのときの奴だ」
あのとき――クロードのつぶやきに思わず息をのみ……
「おい、お前! こんなところで何してる!」
市場に鳴り響いた聞き覚えのある轟音に、ティンクルスの体が、ぴょん、と跳ねた。
「おい! そこの娘、お前だ!」
ずんずん近づいてきたのは、紺色の隊服を着た、図体ばかりでおっちょこちょいとかいう隊員だった。彼の目はひたすら少女に向いており、そばに立つ二人は眼中にないらしい。
「おい、ティンクルス様の弟子を騙るなんて、いい度胸だな! 魔法薬の偽物でも売るつもりだろ? だがな、そうはいかないぞ」
「う、嘘じゃありません! 父さんはティンクルス様に教えてもらったって……それに薬も本物です!」
「まだ嘘を吐く気か。良くないぞ。ちゃんと謝れ!」
隊員はしかめっ面で首をふり、少女は少し怯えた様子を見せながらも、キッと睨み返している。
隊員の勢いになかなか口を挟めなかった老魔術師は、ここでようやく割りこむことができた。
「あの、隊員さん。この魔法薬は本物じゃ」
ようやくティンクルスに気づいたらしい。さらに質の良い薬だと告げると、隊員はポカンと口を開けた。
「お嬢さんも、お父上は教えてもらったとだけ言ったんじゃの? それは弟子じゃなくて生徒さんじゃ」
「え?」
今度は少女の口が開いた。魔法薬を作った父が嘘を吐いたわけでもなく、少女が勘違いしただけのようだった。
*
「あのっ、今日はありがとうございました」
嬉しそうな少女の手には、市場で敷いていた布だけが握られている。ポケットには魔法薬を売ったお金が入っている。
あれから、誤解だったとわかった隊員は、「あー、怒鳴って悪かったな」と頭をかきながら少女に謝った。根はいい男なのだろう。本当におっちょこちょいのようでもあるが。
すると、この様子を見ていたらしい行商人がやって来て、ティンクルスの身元をそれとなく伺う。
今の彼の身分は、魔法や魔術、魔物を研究している地方の商家の坊ちゃん、である。
『ほぅ、商家の、学者さんで……それで、魔法のほうは』
『ティンクは警備隊も世話になってる魔法使いだぞ』
『ほぅ! それはそれは』
まだ一度仕事をしただけなのだが。ともかく、おっちょこちょいな隊員のおかげで、行商人の信用を得たようだ。彼は満足げにうなずき、ティンクルスが上質だと言った少女の魔法薬を、全て買い取ってくれた。
そこで、結構なお金を持った少女を一人で帰すのは危ないだろうと、家まで送るため、老魔術師は庶民街をてくてく歩いていた。
それに、『あのとき』のことも気にかかる。
「お嬢さんのお父上は魔法使いなんじゃろ? 店は持ってないのかの?」
「はい。魔法薬を売ったり、ケガした人や病気の人を治したりしながら、ずっと二人で旅してるんです。王都には来たばっかりだし」
ティンクルスはうなずく。それなら自由市場で売っていたのもわかる。だが、父が売ったほうが信用は得やすいと思うのだが。
「それに、ここには長くいないかもしれないんです」
少女は大きな街をぐるりと見わたし、「楽しそうなのに」と唇を尖らせた。
話を聞いてみると、少女の父は、どうも王都には来たくなさそうな様子だったという。
昨日、優しげな隊員が言っていた、兵士たちが負傷したという農村。その話を聞きつけた父は、少女とともにその村へ向かった。すると、そこに父の知り合いらしき男がいた。
「父さん、その人に会ったとき、ちっとも嬉しそうじゃなかったんです。でも、昔世話になった人だからって、この村には別の魔法使いが来るから王都に行くって。兵士さんのケガも診ないで来たんですよ」
「……どんな男の人かの?」
「うぅん……兵士さんでも村の人でもなくて、王都の人かな? 偉そうな男の人です」
偉そうな男とは、農村の被害状況を確認しに行った貴族だろう。その男は王都の魔法使いを呼んだにも関わらず、少女の父を王都へやった。
父が嫌々ながらも従ったのは、たとえば弱みがあるから。昔、世話になったというが、もしかすると『あのとき』のことでは……
珍しく、難しい顔になったティンクルスが腕を組んだとき。
「父さん! 今日、薬が全部売れたんだよ!」
細い路地の突き当たり。少々古びた家の戸が開くと、少女はよほど嬉しかったのだろう、出てきた父に向かって駆けだす。
ティンクルスは、その男をまじまじと見た。
その顔の半分には、ひどい火傷の痕があった。そちら側には髪もなく、目もほとんど開いていない。父ではなく娘が魔法薬を売っていたのは、これが理由なのだろう。
が、老魔術師が目を引かれたのは、そこではなかった。火傷のないほう、その顔から、昔の記憶がゆらりと湧き上がった。




