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老魔術師は休日に挑む

「さて、そろそろ出かけようかのぅ……ふぅ」

 食後の紅茶を飲み終え、今日も囚われている精霊を探そうと立ち上がったとき、なぜだか、ティンクルスの口から溜息が出た。

 聞きつけたクロードが、老侍従が、心配そうな顔で窺う。

「ティンク、大丈夫か?」

「お疲れなのではございませんか?」

「いや……大丈夫じゃが」

 体が若返ったこともあり、疲れは感じていない。早く精霊たちを解放してあげたいとも思っている。なんじゃろ、と老魔術師の首が傾く。


「ティンクさん、きっと気疲れですよ。王都に来てから毎日出歩いてるんです。ここは人も多いし、慣れない街でそんなに忙しく動いてたら気持ちも疲れますって」

 紅茶のカップを片づけながら、元女将が気さくに笑った。


 なるほど、とティンクルスはうなずく。

 彼は生まれてこの方、ほとんど王宮を出たことがなかった。王族として多くの者を従えて決められた場所を巡るか、騎士とともに魔物の討伐に赴くか。

 王宮には王宮なりの気疲れがある。が、近年は自室と古代神殿と魔法院の往復、これに終始していたので、昔に比べてずいぶん気楽に暮らしていたとも思う。

 それが、生き返り若返ってから、さまざまな出来事が立て続けに起きた。王都の街が楽しかったために気づかなかったが、そうなのかもしれない。


(やはり、女将さんはすごいのぅ)

「ティンク、今日は休むぞ」

 ティンクルスがほぅと感心していると、眉間にシワを寄せたクロードがずいっと顔を突きだしてきた。彼の目は、一瞬だけジトリと元女将を向きもした。


 どうやら友は、彼女と張り合っているようだ。そういえば甥である王とも何かにつけて競り合っていた。

 一国の王と宿屋の元女将……けれど老魔術師にとっては、最もすばらしい王と全てを見通す賢者のごとき女将。

(大物二人を相手取るとは、クロードも果敢じゃのぅ)

 老魔術師の見解は、おそらく少しズレている。



「……クロードよ。休みって何すればいいんじゃろ?」

 テーブルに座ることしばし。ティンクルスは困った顔でポツリともらした。


 この国の休日は七日に一度。火・水・風などの曜日があり、それぞれを複数の神が司っている。人々は自身が一番信仰する神の曜日に神殿で祈る。それから休みだ。

 これまでの老魔術師は光の日に神殿を訪れ、しかしそのあとは普通に仕事をしていた。王族の多くはこういうもので、体調を崩したとか、自ら休みたいと主張しなければ特に休みはない。

 つまり、休日というものをどう過ごせばいいか、ティンクルスはわからないのだ。


「人間は街を歩きまわったりしてるな」

 このところ毎日している。

「友達と会ったり」

 クロードはここにいる。

「好きなことをするんじゃないか?」

 魔法や魔術は……仕事だろうか。


「むぅぅ」

 老魔術師は考える。

 今日は光の日ではないが、まずは神殿へ行こう。その帰りに薬草を買って、魔法薬を作るのもいいかもしれない。魔法薬は中央街なら並んでいるが、庶民街ではあまり見かけない。これを薬屋に置いてもらってはどうか。

 だが、やはり仕事のような気もする。休日らしく……


 ならば本でも読んでみようか。最近めっきり老眼が進み、しばらく手に取ることもなかった。しかし、この家に本は持ってきていない。買おうにも高いそうだから、預かった小銭では足りないだろう。

 別に小銭が老魔術師のお小遣いだとは誰も言っていない。本が欲しいと言えば、間違いなくクロードも老侍従も笑顔でうなずく。

 が、街で暮らしてから、彼は『やりくり』というものに興味を持ち始めた。情報源は元女将である。毎日余った小銭をチマチマと貯めていたりもする。元女将が勉強になるからと、世間知らずなティンクルスに勧めたのだ。

 となると、まずは魔法薬で稼ぎ、そのお金で本を買う……いや、今日は休日だ。


「お、そうじゃ。わし、料理でもしてみようかのぅ」

 あまりお金を使わずできること、と考え、ティンクルスはポンと手を打った。家には食材も道具もある。

 それに、いずれは王都を旅立つ。馬車に揺られて街から村へ。そのうち野営が必要になるかもしれない。若かりし頃の魔物討伐を思いだし、料理の技術は役に立つと、小さめの拳をぐっと握る。


「ティンクが、か。まあ、やりたいなら、いいけどな……」

 クロードの歯切れが悪いのは、いろいろと心配だからに違いなかった。





 二人は神殿に行った帰り、ちょっと寄り道をした。

 円形の広場を、東西南北に通じる道を開けて、ぐるりと建物が囲っている。建物はアーチ状の入口が連なり、中には穀物や野菜、果物、肉に毛皮、薬草も置いてある。

 ここは庶民街にある、王都に店舗を持たない者たちの自由市場だ。建物に入れなかったのだろう、広場に品を広げる者もいる。

 料理をすると思ってみれば、食材にも興味が湧く。いずれは魔法薬を作るかもしれないし、それに、用事のない場所に寄る、という行為がいかにも休日らしいとも思ったのだ。


「ふぉぉぉ……ぉ?」

 ティンクルスは広場の中央に立って辺りをくるくると見まわし、ヨロリとよろめきクロードに助けられる。こちらはいつもどおりだ。


「もしかすると、市場にも魔宝玉まほうだまを使った品が売られてるのかのぅ?」

「どうだろうな。村から運ばれてきた食べ物が多いし、値の張る物はなさそうだな」

「ここで魔法薬を売ってみたらどうかのぅ?」

「うぅん……下手すると偽物だと思われるかもしれないぞ? 薬屋のほうが良いんじゃないか?」

 今日は休日と言いつつ、魔宝玉のことも、魔法薬のことも、老魔術師の頭から離れないようだ。

 二人は市場を眺めながら歩いていく。


「で、ティンクは何を作るんだ?」

「ふぉ? ……なんじゃろ」

 初めての料理に挑むに当たり、老魔術師は何も決めていないことに、今ようやく気がついた。元女将に相談すればいいのだろうが、自分でも考えるべきだ。が、これまで出された物を大人しく食べていたせいか、サッパリ思い浮かばない。


「お、ティンクじゃないか」

 困り顔のままふり向くと、そこには落ち着きのある隊員と、優しげな顔の隊員が立っていた。警邏けいら中のようだ。

 老魔術師の第一声は、「何かおすすめの料理はないかの?」である。


 ティンクルスは彼らからおすすめの『食堂』を聞き、作るほうだと訂正し、今度は心配そうな顔を向けられ、懇切丁寧に作り方まで説明された。家に頼れる元女将がいるのだが、と思いつつ、それでも真剣な顔になってしっかりと頭に叩きこむ。

 優しげな隊員の恋模様も聞いた。ネックレスを渡すと彼女はとても驚き、そしてポロポロと涙をこぼしたそうだ。もちろん結婚も承諾してくれた。


「結婚式にはぜひ二人を呼ぶから!」

 隊員たちと笑顔で別れる。

 老魔術師は結婚式が楽しみだし、外で友人に会ったような、休日をとても満喫している気分だった。





「持ち方はこう、こうやって、皮を親指で押さえて」

「こ、こう、かの?」

 イモを片手に持ち、包丁をじりっじりっと動かしていく。

 運動神経の鈍いティンクルスではあるが、実はそう不器用なわけでもない。ただ動きが遅いだけだ。

 元女将は案外気が長いらしく、遅々として進まない包丁を「そうそう」とおおらかに見守っている。落ち着かないのはクロードのほうだ。

「ティンク、大丈夫か? 代わろうか?」

「ぉ……」

 皮むきに集中している老魔術師の、反応は薄い。


「クロードさん、こういうのはやって覚えないと上達しませんよ。それに失敗したってちょっと指を切るくらいだし」

「指を切ったら大変じゃないか!」

「大したことありませんよ。ティンクさんは魔法使いなんでしょ? なら、すぐに治せる程度のケガですって」

「でもケガしたら痛いじゃないか!」

「痛いからこそ、失敗しないように上達するんです」


 クロードののどから、グッとくぐもった声が出た。どうやらこの勝負、元女将の圧勝らしい。ティンクルスの耳にはまるで届いていないが。


「ティッ、ティンク様! 何をなさっておいでで」

 クロードと元女将のやり取りが聞こえたのか、ここで顔を出したのは老侍従だ。

「シッ! 今、包丁を使ってるから、騒がないでくださいよ」

「で、ですが、ティンク様が料理など……」

「あのねぇ。あなた方、ちょっと過保護すぎやしませんか? 本人のためにならないし、ティンクさんは若いんだから、いろいろやってみたいんですよ」


 元女将はもちろん、ティンクルスが偉大なる魔術師であることも、王族であることも知らない。

 自身は貴族であり、長年仕えてきた老侍従の反応は当然のことだろう。長年の友である守護精霊のクロードは、おそらく過保護だろう。


「ふぅ……できたんじゃが」

 ティンクルスがものすごく満足げな顔で、ちょっと小さくなったイモをぐっと突きだした。

 元女将はそれを見て、初めてにしてはまあまあの出来だと笑い、クロードと老侍従はイモを持つ指のほうを見て、ケガがなかったからだろう、ホッと息をつく。

「じゃあ、次は……」

 料理はまだまだ終わらない。


 全てを終えたとき、ティンクルスはやり遂げたといった、実に晴れがましい顔をし、クロードと老侍従はやけに疲れた顔になっていた。

 ともかく、老魔術師は無事、楽しい休日を送ることができたようだ。



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