第1章 第2話
その日はお兄ちゃんと一緒に帰った。
「桜子、部活は決めたか?」
お兄ちゃんはひとつ年上で翔夜って言う。
優しいし、見た目もそこそこだし、それなりにはモテるみたい。中学の時も「桜子のお兄ちゃんっていいよね」とか友達に言われたことあったし。だけど恋人はいないはず。あ、勘違いはして欲しくないんだけどわたしはブラコンなんかじゃないし、お兄ちゃんもわたしのことを好きとか絶対ない。ないったらない。
「部活決めるのも難しいね……」
わたしは今日の出来事をお兄ちゃんに話した。演劇部と軽音部を見学して、そのあと修羅場になったこと。それを理子先輩が助けてくれたこと。だけどわたしは文芸部に入るつもりなんか毛頭ツルピカもないこと……
「そうか、御前に助けて貰ったか」
「御前って?」
お兄ちゃんの話では理子先輩は北ヶ丘高校でも有名なじゃじゃ馬らしい。先月、柔道部と空手部が練習場所の取り合いになって揉めた時も彼女がしゃしゃり出て見事収まったって言う。そんな彼女は日本史上最強の女武将・巴御前にあやかって神湯御前と呼ばれているそうな。
あ、そう言えば……
「ところでお兄ちゃん、理子先輩をにじょうさん、って呼ばなかった?」
「ああ、あれは単なる勘違い」
「ふうん……」
わたしの横で前を見たまま呟くお兄ちゃん。何だか怪しい。
「ねえ、理子先輩ってすっごく綺麗だよね。彼氏とかいるのかな?」
「知らないよ、本人に聞けば?」
お兄ちゃんは珍しく無愛想に言い放った。
◆ ◆ ◆
家に帰るとわたしの部屋に戻る。
白い壁にはカラフルなクマさんが描かれたお気に入りのシルクスクリーン。着替えを済ませて窓を開けると合格祝いで買ったわたし専用ノートパソコンを起動する。
お兄ちゃんが選んでくれた中古のパソコン、合格祝いなんだし新品欲しかったんだけど、こっちがコスパいいからって言うお兄ちゃんを信じてみた。
「ふうん、ネット小説ってすっごい数あるんだ……」
モニターを覗いて独りごちる。
『ノベルメイト』
その久里須先輩が教えてくれた小説サイトには何十万というネット小説が掲載されているらしい。取りあえず彼女の小説を見てみましょう……
あの「トワイライト急行の殺人」は久里須先輩が書いている「名探偵ポワ郎シリーズ」の八作目らしい。わたしは晩ご飯を挟んで彼女の小説を幾つか読んでみた。シリアスな推理小説なのに探偵の名前が「ポワ郎」と言うのはいかがなものかな? と思うし、細かいツッコミどころもたくさんあったけど、面白さってそんな事じゃ決まらないみたい。ついついのめり込んで読んでしまった。ポワ郎の緻密な分析と鋭い推理によって導き出される奇想天外な結末。三つ目の小説を読み終えたところで久里須先輩がわたしのためにアカウントを取ってくれたことを思い出した。そうだわ、ログインしてみなきゃ。
学校のカバンからメモを取り出すと早速ログイン。小説サイトって使うの初めてだけど色々説明が書いてある。久里須先輩も教えてくれたしね。ふうん。なるほどなるほど。操作は案外と簡単っぽい。
わたしは文章エディタとやらを起動すると暫し考え込んだ。
理子先輩は自分の夢や妄想を小説にしてみたら、って言った。
彼女が即興で作ったストーリー、それはジュリエットに大抜擢された演劇部の主人公が軽音のイケメンギタリストから熱烈にボーカルの誘いも受けると言う、わたしの逆ハーレム物語……
「そんな夢のようにイタい妄想物語、現実にあるわけないですよね」
「あのね桜子ちゃん、これは小説なの。桜子ちゃんの欲望を書けばいいのよ、妄想でいいのよ。こんな世界があったらいいなってストーリーを楽しく自由に綴ればいいの」
そう語ってくれた理子先輩の優しい瞳を想い出す。
わたしにも書けるのかな?
ちょっと面白そう。
いきなり久里須先輩みたいに上手く書くのは無理かもだけど、ラノベとか読むの好きだし、そんな感じで書いたらいいのかな?
わたしは頭に浮かぶ妄想を無心になって打ち込み始めた。
◆ ◆ ◆
いけない!
もう朝じゃない?
妄想小説を書きながらいつの間にか眠っちゃった。
「やばっ!」
机から顔を上げると壁の時計を見る。
完璧に朝だわ。
って、ヨダレ垂れてる……
そうだ。
昨日の夜、キリがいいところで公開したわたしの小説第一話、誰か読んでくれたかな?
ちょっとわくわく。
すこしわくわく。
わくわく……
…………
わくわくが一気に冷め切った。
お気に入り登録を示すブックマークとやらは0件のまま。感想も誰も書いてくれない。
「は~っ……」
ま、仕方ないわよね。小説のイロハもABCもHHeLiも分からないわたしが書いた妄想だしね。でも、これってみんなにガン無視されちゃったってわけ? やっぱわたし才能ないのかな。どうせペンネーム使ってるから恥ずかしくも何ともないけどさ。ちなみにHHeLiは周期表の初めのみっつを並べてみた。深い意味はありません。
「はあ~っ」
またもや深い溜息が出る。
まあいっか。
取りあえずシャワー浴びなきゃ。
わたしはパソコンを閉じると階下に降りた。