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月とノスタルジー・ツアー

作者: みそみみ

――旅をしよう、窓の外の銀河へ。


 違う。もっとムードのある言葉でなければいけない。駄作が書かれたメモの一番上の紙を破り、くしゃくしゃに丸めて捨てた。がらんとしている車内で、落下したそれが響きのないささやかな音を立てる。四人掛けの席は紙ゴミにまみれている。ああ、そろそろ休憩にしようか。どこか物を捨てられる設備があるか探してこよう。これほどに旧時代の再現がなされている列車ならば、何かあるだろう。散らかしてしまった座席をそのままにしておくのは罪悪感があったが、少し車内を探索したかった。すぐに戻ってくれば問題はない。私は大きな荷物はここに置いたままにして、貴重品だけを持ち運ぶことにした。自分以外誰も乗客はいないだろう、そう思っていたのだ。


 ここは銀河鉄道の中である。私のような物好きは趣があっていいと思うのだが、このご時世わざわざ長い時間をかけて列車に揺られる旅をしたいと思う者は少ないのだろう。銀河鉄道が誕生し、その技術が人々に大きな驚きを与えたのは随分と昔のことであった。あの大きな戦争が起こる前よりもさらに前のことである。戦争は終わりを迎えたが、人々は疲弊しきっている。癒しを求めている。そこで私が着目したのがノスタルジーだ。何か誰かの活力になるものを紹介したい、その思いが私をこの旅に向かわせた。旅行会社の一員として過去多くのツアーを立ち上げてきたものだが、この年になると自らの足で実地調査へ赴くことの難しさを感じるようになっていた。


 しかし、旅は楽しい。例えばこの車両を隔てるドアの開閉時に感じる重さでさえも私をにやにやさせた。一人旅では道中誰かと楽しみを分かち合うことはできない。だがその孤独も楽しみの一つなのである――いい気分でドアを閉め、歩き出そうとした私は、そこで珍しいものを見た。乗客だ! 黒い布に包まれた人型の誰かが、奥の座席に座っているのが見えたのだ。


 私は走り寄って話しかけた。想定外のゲストに興奮していたので、申し訳ないがこのときのことは細かく思い出すことができない。座っていたのは年齢不詳の、体温を持っていることが想像しがたいような、不思議な男だった。聞けば、彼はほとんど機械になってしまった身体を隠すために黒いローブを着ているという。「大昔ならともかく今はそんなことで不利益を被ることはないと思うんだが」、と伝えると、彼は苦笑しながら、「私は迷い人なのです」と言った。迷い人、という表現に私は面喰らった。行き先もわからず列車に乗っているのかと訊けば、行き先はあるのだという。月だ。彼は月に行こうと言うのだ。何故だろう。ミステリアスな乗客だと思ったが、行き先までこうもミステリアスであろうとは。私は彼のことが気になるとともに、心配になった。なにしろ、月は廃れきってしまった星である。私は好奇心でなく親切心を持っているように聞こえるように気を付けて、穏やかなトーンで言った。


「こんな列車に乗っているあたり自分も人のことは言えないがね、あなたは変わったお人だ。あんなところに一体何の用があると言うんだい?」


 話をしながら私は彼と向かい合う形で席に座っていた。少々無遠慮かもしれなかったが、人を相手にした取材というのはこういうものだろう。それに、私は純粋に男の旅の目的がどのようなものなのかを知りたかった。なんとなくだが、彼の方も話し相手を求めていなくはないように見えた。抑揚の少ない不健康そうなしゃべり方は、話好きの人間のものではない。少し言葉を交わしただけだが、私には彼があまり積極的に会話をするタイプではないように思えた。しかし私には彼が、そんな人間でも口を開いてしまいたくなるような何かを抱えているような気がしてならなかった。だから、こうして話しかけたのだ。この男と、月。その間には、どんな物語があるのだろう。


「ああ、不躾にすみませんね。長い間一人旅で少しばかり退屈していたものですから……お話したくないことなら無視してくださって全然かまわないのですが」


「いいえ。時間を持て余しているのは私も同じです。少し長い上に特におもしろい話でもないので、お話しするのはどうかと考えていたのですよ」


 口では遠慮しつつも、本心ではぜひとも聞かせてもらいたいと思っていた私はそれを聞いて嬉しくなり、好奇心から生まれそうになる笑みを隠しながら会話を続けた。

「なんだ、そんな適度な話なら長旅に最適じゃないか。レトロな鈍行列車ですから、月まではあとまだ随分かかりますでしょう」

彼は「ええ、長い旅です」と返したが、意識はどこか遠くに向けられていた気がした。「なので、ひとつお聞かせするといたしましょう」そのまま、彼の物語が語られ始める。



――とある遠い星系において生きるものたちが期待に胸を膨らませ宇宙開拓に出かけていたのは、歴史上ほんの短い間のことだったという。侵してはいけない領域を超えてしまった彼らを待っていたのは滅びであった。人びとは理由のないやるせなさにとりつかれるようになり、心を病んだ。謎の病であった。生きることを放棄したかのように弱弱しくなり、あるとき生まれた星も家族も捨てて突然姿を消す。それぞれがひとりで星の海を彷徨う旅に出てゆくのだ。生きるすべを忘れ、活力を失った彼らにとってそれは死の旅と同じだった。誰が最初に始めたか知らないが、そうして一人二人といなくなっていった。開拓した惑星基地も、どこもがらんとして死んだようになっていった。



 これは男の創作か、と私は思った。戦争というのは遠くない過去に実際に起こったことだが、時間や空間を超えた旅、という部分が現実的ではなく、理解しがたかった。どれだけ研究が進んでも、科学者たちにタイム・マシンの類を発明することはできなかったのだから。それとも、実は存在しつつも一般人には伏せられていた秘密の技術をその「男」が使っていたとでもいうのだろうか。まさかそんなことはあるまい。目の前のこの男は作家だったのだろう。なるほど、月に行けば物悲しい物語のひとつやふたつ、降りてくるかもしれない。では、月までこの男の創作を聞くことになるのか。長い旅だからそれもいいだろう。


「それで、月が目的地というのは……これから出てくるのですか」

 話している間じゅう顔色を変えずにいた彼は、小さくうなずいた。



――あるとき月の水辺にひとつの小型船が着いた。それは、奇病に慌てた宇宙連邦本部が調査のために様々な時代に向けて送り込んだものの一つで、一人の男が乗っていた。少し先の未来への時空転送中に起きた何かしらの事故のせいで、小型船の機体は損傷していた。未知の時代におけるこの事態を重く見た男は旅を一時休み、船の修理を試みるため、近くにあった星である月へ降り立った。月の様子は、彼の生きた時代にあったその星とあまり違いがなかった。それは彼に安堵をもたらしたが、長く孤独な時空の旅を経た末に初めて降り立った未来の星が、自分の生きた時代のそれと変わらず退廃しきった地であったことに虚しさを感じずにいられなかった。無人温室の人工植物の鮮やかさが彼の目に染みた。


 彼は資源を求めて居住区を訪れた。どこもかしこもがらんとしていて、明け方のまま時が止まってしまった都市がそこにあるだけだった。数百年前では考えられなかったような物質――永久鉱石のエネルギーによって、住む人々がほとんどいなくなった後も様々な文明の利器プログラムされた通りに動いている。銀河鉄道もその一つで、ひとりの乗客もいないまま線路の続く限り走り継け、辺境の星の誰もいない駅にも停車する。男はふらりと駅に立ち寄っていた。機械音声のアナウンスでさえ、彼には貴重な慰めになるであろうことを、自身でわかっていたからである。もうずっと誰の声も聞いていなかった。


 駅に着いてももちろん丁度よく汽車が訪れるなどということはなく、そこにはただ暗い星空を背景にした無機質な四角いコンクリートで構成された世界が広がるのみであった。しかし男はそこで人影を見た。はじめは幻かと思ったが、半分狂人のようになりながら追いかけたのち、そのものの腕を捉えることができた。ただし、その正体は人間ではなく――人型の機械であった。


MnA7000i

月基地 地区A配属 初期七-i型


 女性の容姿(かたち)をしたその機械は、昔でいう駅員の役割をしているらしかった。

孤独な長旅に気がふれそうになっていた男は、船の修復作業のかたわら、特に高度な人工知能が搭載されているでもないそのロボットに会いに駅に通った。彼女にはコード番号からミナセという名前をつけて、疲れるまで話しかけた。話し相手に出会えたことがこの上なく嬉しかった彼にとって、彼女からの言葉はその回路に組み込まれた義務的な返答でさえ世界を作り替える愛の囁きのように、心の奥まで染みわたった。二人は人工温室に居を構え、朝も夜もない世界で語らいあい、永遠とも一瞬ともわからない時を過ごした。


 そうしているうちに彼は、萎え始めていた気力が戻るのを感じる。男にとって月は特別な故郷でもなんでもなかったが、自分が奇病の根源を断つことができれば、この星を救うことができるかもしれないと強く思うようになった。船の手当てを終えた男は、月に住む命を持たないたったひとりの女神に感謝を告げてから、再び宇宙の暗闇へと漕ぎ出した。


 どのくらい時が過ぎてからだっただろうか。宇宙の果てでついに奇跡は起こり、人類は奇病の根源を死滅させることに成功した。調査隊は様々な時代に送られていたため、あの男が関係していたのかどうかは分からないが――ともかく未来は変えられたのだ。



「ならその男が無事もとの時代へ帰れたかどうかは別として、月は滅びずに済んだのでしょうか?」

 この話が男の創作であるかどうか、という部分はもうどうでもよくなっていた。私は手に汗を握っていたが、それに気が付かないふりをしながら問うた。目の前の男は小さく首を振る。



――男が帰った「奇病が起こらない未来」で待っていたものは、予想だにしなかった別の未来だった。

奇病により希望を断たれることのなかった「その未来」の人々は、宇宙への欲望を絶やすことなく持ち続けた。結果、血の気の多い人々が宇宙戦争を起こした。人を無気力にさせる奇病のない世界では、増大し続けた欲の感情が大きな戦争を引き起こし、これまた死の惑星をたくさん生み出してしまっていたのだ。男が任を終えて元いた時空に戻ってみれば、星々はぼろぼろになってしまった後だった。タイム・マシンでは、行先のどの時代でどのような行動をしようとも「戻る地点」は別の時代に移動したその瞬間であった。じわりと滲んで広がる絶望を胸の内に感じながら、男は月へと向かった。そこにあったのは死の星だった。彼には、月だった星の残骸が浮いているだけのように見えた。灰色の塊ばかりが無造作に積み重なっていた。温かい気持ちで過ごした人工温室も、跡形もない。



 突然、物語を紡いでいた黒衣の旅人がフードを取り去り、その(かお)をあらわにした。私はぎょっとした。

「あなたは……機械、だったんですね」

 他の部分がどれほど精巧であれ、間近で見ればわかる。彼の目は人間のそれとは明らかに違ったのだ。

「そうです。手や足だけじゃない。どのパーツが腐り始めても替えがきくようにと、自ら望んで機械の体になった。生き永らえて、すべきこと――いや、したいことがあるからだ」


 短い返答だったが、彼は声を震わせることもなくそう言い切った。

 だが、そのあまりに彩度の高い瞳からは確かに涙が流れていた。

「何度繰り返しても駄目だった」

 私はしばらく、何も言えなくなった。


 長く、とても長く思えた沈黙を破ったのは、まもなく旧銀河系内に入るというアナウンスだった。

 私はちらりと旅人を見やった。このとき彼はまたあの重そうなフードをかぶっていたため、表情は見えなかったが、私は意を決して話しかけた。


「そろそろ月ですね。あの、構わなければですが……私もお供させていただけませんか?」


 私はこの孤独な旅人の物語を見届けたかった。ノスタルジー・ツアーのインスピレーションになりそうだから、という理由だけではない。次に月に降り立ったその時、それが彼の―男の、最期になるのではないか、と思ったからだ。彼を動かす動力回路は、静かに焼切れようとしている――根拠はないが、私は先ほどの様子からそう感じていた。同行を断られることはなかろうとは思っていた。結局、質問の返事はなかった。


 銀河鉄道は月の無人駅に到着した。ここからは一人で循環の旅を続けるのであろうその乗り物は、黒衣の男にとって絶望の終着点であるこの駅で羽を休めている。出発までまだ時間があるようだ。

 汽車が停止すると、月の大地は死よりも静かになった。彼がこれまで見てきた「月」も、こんな姿をしていたのだろうか。あるいは、もっと酷いありさまを目の当たりにしたこともあったのだろうか。


「駅の他には何もありませんね」 

彼がぽつりと言った。何時間か振りに、その感情ある機械の声を聞いたような気持ちになった。

「無理もありません。ここいらの星からも主要な金属は戦いのために運び出されてしまったんですから」

 どう慰めようがあるだろうか、ということを悩むには手元にも頭の中にも何もなさ過ぎた。私は頭の中で何の検閲もせず思ったままを言葉にした。


「駅の端から端まで歩いてみませんか?」

 男からの返答よりも先に、頭の後ろから小さなノイズが聞こえた。

 月のような「使い終わった星」は戦争以前から放置され気味で、いまだ旧型のスピーカーが設置されていると聞いたことがあった。ノスタルジー・ツアーという企画はそこから着想を得たものである。


 先ほどのノイズはアナウンスのスイッチが入ったことにより生じたもののようだった。雑音に乗せて、女性の声が流れる。


「まもなく列車のドアが閉まります」


 それが聞こえるや否や、旅人は機械の関節が軋む音をさせながら、アナウンスの発生源であろう方向へ走りだした。

 何か予期せぬ出来事が起こったに違いないと、尋常ならざる様子で私の前から去った旅人の後を追うと、彼は小さな直方体の金属と向き合っていた。


「どうしたんです、一体」


「ミナセ、ミナセの声だ。彼女はここにいたんだ」

 彼からの返事はうわごとめいていた。私の声など聞こえていないかのようだった。


「まさか!」

 小さな機材の側面のランプが、不規則に点滅した。この死の星の上でも、私は生きている――とでも言わんばかりに。

 

 彼女は待ち続けていたのだろう。やがて戦争があって、その金属の体が作り変えられたあとも……汽車が来るたび、駅に降り立つ旅人の姿を探すために。何か、魂のかけらとも呼ぶべき――どこかの部分だけがこの駅に残ったのだ。


 私は次の便を待つことにした。静かにこの星を去るのだ。そして、二度と足を踏み入れることはしまい。この壊れた星で生きてゆく二人を祝福するために、そう決めた。いつか恋人たちのどちらかが先に、より遠いところに旅立つときが来るとしても。


「さよなら。ノスタルジー・ツアーは他のところで考えるよ」

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