この情報化社会で、情報があまりにも少ない
めんどくせえが、現状の把握に努めた方が良い。
まずは、仕事。俺の生活。
これはあまり変わらない。兄には劣ったが、そこそこに頭は働いてくれる。
高校時代にこそ腐り、勉強は停滞し現状維持がやっとだった。大学進学を機に地元を離れたことで、兄と比べ、兄に捉われ過ぎていた自分自身を割と冷静に、且つ、詳細に見詰め直すことが出来た。
そんな折、プログラミングに長けた友人に出会えたことが最も大きい。
彼を一言で表せば天才という名の“変人”だ。四六時中パソコンを手放さず、何時間もフリーズしていたかと思うと、すごい勢いでキーボードを叩き出す。講義中だろうがお構いなしに。彼はそうして、大学に通いながら既に金を稼いでいた。
俺は周囲が敬遠する彼になぜか凄く興味を引かれ、意を決して話しかけた。
「何、やってんの?」
場所は、安く量を提供するため味は二の次のメニューが並ぶ大学の食堂。飯を食いながらパソコンに何やら打ち込み続ける彼は、俺の問いを無視してくれた。
三百円のかつ丼定食の盆を捧げ持った俺に、その沈黙は痛かったが、意を決してしまった分、そこを離れることも躊躇われ、彼の座る椅子から一つ空けて腰掛けてかつ丼を食った。ただでさえ美味くはない飯が更に不味く感じられたのを憶えている。
早めに食べ終わり席を立とう。
そうしてなかったことにしてしまおう。
俺は、密かに決意し、かつ丼を掻っ込み続けた。
「仕事。」
量だけはあるかつ丼だ。それでも何とか三分の二を平らげた頃、かなりの時間差でもって、彼は俺に返事をした。
最初俺は、掻っ込み続けるのに夢中になるあまり、それが俺に向けられた返事であると認識できず、無意識のうちに結果としては彼を無視した。
「さっきはごめんな。折角話しかけてくれたのに、無視する結果になってしまって。」
ノートブックをパタンと閉じ、心持ち俺の方を向いた彼の言動に、やっと彼が俺と会話しようとしていることに気付き、気付いた途端に米粒に咽た。
ゴホ、ゴホと咽る俺に
「大丈夫か?」と彼は声を掛け、俺はそれを片手で制し、みそ汁を飲んだ。やっとのことで落ち着き、
「ああ、いや、こちらこそ…。」(悪かったよ。)
と、言うより早く、
「俺、人付き合いってどうも苦手でさ、一度仕事始めちゃうと、仕事に没頭しすぎちゃうんだよ。」
彼は確かに変人だが、屈託なく笑うその顔は、同世代の普通の奴に見えた。
「最初はさ、親父がプログラマーやってるもんだから、自然とパソコン触るようになって、で、その内自然とプログラムが書けるようになったのね。あ、それが小学生の時。んで、中学んなった頃には親父より凄くなっちゃってさ、親父がうんうん唸ってるプログラムちょこちょこっと修正して見せたわけよ。そしたら、お前、天才か!って、親父が大はしゃぎしてくれたもんだから、俺もその気になっちゃって、親父の仕事を手伝うようになったわけ。それが面白くて、同級生と遊ぶのより断然そっちの方が楽しくて、結構な額の小遣いもくれたしさ。で、高校は行かずに仕事するって親父に言ったら、それも良いんじゃないかってなって、親父の知り合いに仕事回して貰ったりして、仕事に明け暮れたわけよ。
そんなある日、飯も碌に食わず仕事してる俺に、お袋が心配しだしてさ、このままじゃ良くないんじゃないかって家族会議になって、俺はそのままで全然構わなかったんだけど、高校は今更行くのもなんだから、そんじゃあ大検でも取って、大学に行ってみればってなったわけ。幸い俺の通帳にはその時点で、大学の学費くらい余裕で払える額があったし、親父もその気みたいだし、何より、お袋に心配させるのも子どもとしてどうかと思ったもんだから、じゃあまぁそうするわって、だけど仕事だけは量は減らしても今まで通りやらしてくれって頼んで、今に至る。」
唐突に語り出した彼の唐突に切れた話に呆気に取られ、どうリアクションして良いかも分からず、
「俺、中丸浩哉。よろしく。」
俺は間抜けな自己紹介をした。
「あ、そっか、自己紹介って、名前言えばいいんだ。」
どうやらそれは、彼なりの自己紹介だったらしい。
「じゃあ、改めて俺、中条浩哉。よろしく。“浩”はさんずいに告白の告で、“哉”は善哉の哉。」
姓は一文字違うだけ。名の方は漢字は全く同じで読み方だけが違う。
奇妙で微妙な共通点に驚きつつ、
「俺の“ヒロヤ”も同じ字だ。」呟いた。
「へぇ~。そんな偶然ってあるんだな。偶然ってより運命かも。うん。運命の方が面白い。」
どこがどう面白いのか、俺にはさっぱり分からなかったが、どうやら彼のツボにはハマったらしい。彼は俺に右手を差し出し、俺もなんとなく握り返し、それからなんとなく彼と俺は仲良くなった。
付き合ってみれば、彼の天才という名の変人の部分が周囲に誤解を招くだけで、本質は至って普通の好青年だ。悩みもすれば、恋もする。
まあ良い。それはまた、別の話だ。
そんなこんなで彼と仲良くなり、好きな場所で、好きな時間を、好きなことに費やして報酬を得る術を知った。まるでゲーム感覚で金を稼ぎ続ける彼にプログラミングを教わり、今では贅沢をしなければ、充分暮らせるようになっている。
仕事は、パソコンと電源とネット環境さえ整えば、どこででも出来る。
引っ越す等で拠点を大きく移動させるのは問題もありそうだが、通勤という手間がかからず、就業時間という概念がいらない分、世のサラリーマンより格段に自由度が高い。
具体例を挙げれば、過去、仕事を調整し上手く割り振れば、一週間や二週間旅行に出かけてもさしたる問題は起きなかった。
だから、サラリーマンというか、会社の歯車には成りたくないと漠然と思っていただけだった大学時代に、その仕事形態を既に確立していた浩哉に出会い知り合えたのたのは、俺の人生で最大のラッキーと言える。
蓋を開けてみれば、仕事なんてどれも歯車に過ぎなかったが、会社という狭い枠にぎゅうぎゅうに詰め込まれた精密機械の一部の歯車のそれより、社会という大枠の中で多少の遊びは許容範囲の歯車になれたのだ。文句ない。
さて、これは、俺の勝手なイメージ、ただの推測だが、死人を生き返らせるということは、何らかの要因で離ればなれになった肉体と霊体(波留の言葉を借りれば“記憶を持った魂”)を何らかの方法で一つに収めるということではないだろうか。
その場合、肉体と霊体が近ければ近いほど、成功率は上がる気がする。
ということは、その何らかの方法の為に俺も波留の肉体の元へ赴く必要があるはずだ。
まだ、波留にその場所を聞いてもいないので、確定ではないが、おそらくそこは地元だろう。その可能性が極めて高い。
地元と言えば、実家に帰るのが自然な流れだが、出来れば実家へは寄り付きたくない。
兄は生き返らせられないのに、他人である波留を俺が生き返らせられる可能性が有るなんて知れば、兄を亡くした反動でおかしくなった母が、今度は発狂しかねない。
そんな母を支えるため、定年を前に仕事を辞めた父の心中も慮れば、今回の俺は、のうのうと帰省できる状況にない。
ビジネスホテルでも使うしかないか。
そうなると長期戦になった場合、嵩み続ける出費が痛い。
俺にも貯金が無いではない。しかしそれは、七海との結婚資金にと貯め続けている金だ。その金に手を付けるということは、昔の彼女を優先し、現在の彼女との未来を蔑ろにするということだ。
ああ、もう。
やっぱり面倒くさい。
考慮しなければならないことが多過ぎる。
全てが夢である可能性は?
波留は死んでなどいないのでは?
……ないな。
……多分、ないな。
……きっと、ないよな。
……あってくれれば、良いのになぁ。